6.何とかしてくれえぃ!
ノックをしても祐二だけで返事がなかったため、勝手に扉を開けたのは、またもや園の職員の制服を着た女性。先ほどさしいれを持ってきてくれた女性とは別人だった。
五十歳ぐらいの小太りしたその女性は、入ってくるなり悲鳴を上げると、畳にあがりこみ飛びかかるように祐二をつかんで、あっという間に首に巻きつけた。
(おいっ!)
「きゃあ、なんてかわいい子でしょう。よしよし」
(なっ、なんなんだ、このおばさんは……)
「まあまあ、いい子ねえ、とても人に慣れているわ。しつけもいきとどいているわねぇ。いい子いい子……噛みつかないわね?」
女性は祐二の頭をなでると、口が開かないようにおさえていきなりブチュッと口づけた。
(おわあぁぉ……恵美……恵美……助けてくれぇ!)
「ずっしりと重いわね。おお、かわいいかわいい」
女性は祐二の長い体を所かまわずなでまわす。そこへ恵美が戻ってきた。
「あの……」
恵美は、水の入ったコップを手に持ったまま戸口で立ち尽くした。見知らぬ中年女が祐二を可愛がっている……それも激しく。中年女は、祐二の首根っこを押さえて頬ずりと、口づけを繰り返していた。
恵美の姿が目に入ると、その女性は祐二を首に巻いたままにっこりと笑った。
「スネークショーの方でしょう? さっき事務所の若い子がね、ここに大きな蛇がいるって教えてくれたから、見せてもらいに来たの。勝手に触ってごめんなさいね。私、蛇が大好きでね、自分の家でも飼っているのよ。でも、こんな大きな子初めてだわ。どこに売っていたの?」
「買ったのではなく……山で……えっと……」
「へぇ、国産なの? 南米産のオオアナコンダの一種かと思ったわ。きのうは男の人が、白蛇を連れてきていたでしょう? 私、あれも触りたかったんだけど、仕事が忙しくて見に行けなかったから残念に思っていたの。きのうの子は、オオアナコンダのアルピノ(※注釈……色素のない白子)でしょう?」
女性はそういいながら、ずっと祐二をなでまわしている。祐二が不快そうにぎろりと睨みつけてもおかまいなしだ。
「いえ、あれもその……」
「国産? どんな種類?」
「あたしは種類とか、よく知らないんです。専門家ではないので」
「日本の山中で捕まえたって言うの? どこ? どこにいたの?」
「う……それは……企業秘密です……」
またもや冷や汗。苦しかった。
「この子、女の子?」
「いえ、オスです」
「どうやって見わけたの? 山で拾ったんでしょう?」
「卵を産んだことがないので、オスと信じています……」
それも無理やりな言い訳で、さらに汗が出たが、恵美はそう言うしかなかった。そもそも卵を産む生き物なのかどうかもわからない。女性は、苦渋の表情の恵美にはまったく気がつかない様子で、にこやかに祐二に触れている。
「この蛇ちゃん、卵を産み落とす種類かどうかわからないわね。卵胎生かもしれない。そうねえ……この体つきだけで判断するとやっぱり男の子みたい。蛇ちゃんは、おちんちんが出てないとわからないのよねぇ……お尻はどこかな?」
女性は祐二の腹から尻あたりを探り始めた。祐二の体を裏に向けて、腹の方を上にすると、ぺろりぺろり、と舐め始めた。
(うげぇぇ! やめてくれぇ……あっ……うわぁ……)
なでまわされる刺激に、祐二の悲鳴が恵美の頭に伝わり、恵美の目は自然につり上がった。
(ああ……祐二、かわいそうに……ちょっと、このおばさん、気持ち悪い)
「あらあら、かわいい蛇ちゃん、逃げないで。元気がいいわねぇ。くすぐったいの? かわい子ちゃん」
女性は、逃げようとする祐二の頭をぐいとつかんで、また頬ずりし、今度は目元を舐めまわしている。どっちが蛇かわからない。
(ひぃぃ……えみぃー、えみぃー、この変なおばさん、何とかしろ!)
「あらぁ、この子お怪我してるじゃないの? どうしたの、かわいそうに。このお姉さんにいじめられたの?」
「ち、違いますよ。おかしなことをおっしゃらないでください。運んでくる途中で、ザックの金具にひっかかってしまっただけです」
「ザックって、こんな狭いものに入れていたの? 酷いわ。かわいそうにねえ」
恵美の片眉がぴくりと動いた。
「あの、どちら様か存じませんが、いきなり入って来て勝手な事を言わないでください。うちにはうちの事情がありますので、あなたにどうこう言われる筋合いはありません」
恵美は本気になって怒って言ったつもりだったが、相手にはのれんに腕押しだった。
「う〜ん、いい子でちゅねぇ。本当にこの子、おとなしくていい子。ねえ、あなた、お金はいくらでも出すから、この子を私にゆずってくださらない? こんなきれいないい子なら、私の家族に加えてあげたいわ」
「へっ?」
恵美は目を点にし、心の中でたらり、と汗を流した。女性は恵美の様子など見もしない。
「この子だって、スネークショーなんかやらずに、もっと広い場所でのんびりと暮したいと思っているはずよ。こんな狭いザックに詰め込まれて、見せ者になっているなんてかわいそう。ねえ、蛇ちゃん、そうでちゅよねぇ」
驚いて見開かれていた恵美の目は、さらにつり上がった。
(このおばさん、チョーむかつく。祐二があんなに嫌がっているのに、笑ってるよ……)
しかも、赤ちゃん言葉がよけいに鼻に付く。その間も祐二の悲鳴が頭にどんどん入ってきていた。
(おい、恵美、早くこのおばさんを追い払え。もうがまんできない。早く! さもないと、俺、この人を絞め殺しちまうよ)
祐二は頭をつかんでいる女性の手を振り払おうと、必死で頭を動かしているが、女性は蛇を扱うのにはとても慣れているらしく、祐二が逃げないように抑え込んでにこにこしている。
「これは売り物じゃありません。大切なパートナーです。もう出て行ってください」
「あら、お姉さん、あなたも蛇が好きだからこんな商売をやっているんでしょう? あなただって、この子がのびのびとくつろぐ姿を見たいと思わないの? この蛇ちゃんの幸せを考えてあげて。かわいい黒蛇ちゃん、おばさんのおうちは広いでちゅよ。うちへ来たいでちゅよね?」
あまりにも勝手な物言いに、恵美はとうとう大声になってしまった。
「おばさん、聞こえないの? これは売り物じゃないって言っているでしょう。あたしの大事な蛇なの」
「ねえ、黒蛇ちゃん、名前はなんて言うの?」
女性は恵美の怒りを全く無視している。恵美が黙っていたので、女性はもう一度同じことを言った。
「この子の名前は何?」
「祐二ですけど」
恵美がしぶしぶ応えると、女性はぱっと目を輝かせた。
「まあ、ユウちゃんって言うの? ユウちゃん、ユウちゃん、かわいいでちゅねぇ。おばさんのおうちにはこんな大きな子はいないけど、かわいい女の子がいっぱいいまちゅよ。ユウちゃんのお嫁さんになってくれそうな美人の子もいるから、ね、ユウちゃん」
「お断わりします。祐二にはちゃんと相手はいますので」
「相手って、きのうの白蛇ちゃん?」
「はい、そうです」
「それなら、白蛇ちゃんもいっしょに引き取るわ。私、どうしても欲しくなったの。こんなきれいで大きな蛇、どこからも手に入らないから。それに、こんな模様なしの体、とても珍しいわ。ねえ、いくらなら売ってくださるの? つがいなら、きのうの白ちゃんもいっしょにゆずってくださいな」
「いいえ、それは絶対にできません」
(だって、それ、あたしなんだもん……)
きっぱりと言い切った恵美に、女性は残念そうに口元をへの字にゆがめた。
「そう……今のところは、売る気はないのね。まあ、急な話だから、あなたもびっくりしたでしょうね。春休み中はずっとこの園でスネークショーをやるんでしょう? その間に考えておいてくださらない? 代金の支払いはもちろん現金で。額は……そうねえ、この子とペアの白ちゃんも、となると……二匹で三十万円、いえ、もっとするかな。五十万円でどうかしら?」
「ごっ、五十万!」
「ユウちゃん一匹なら二十万円ぐらい。この子にはそれぐらいの価値はあるわ。でも、アルピノの白ちゃんの方がもっと珍しいから高いと思うの。それじゃあ、また会いましょう。ユウちゃん、おばさん、あきらめないからね。絶対にユウちゃんを幸せにするからね。そうだ、おばさんの名前はね、山田って言うのよ。ユウちゃんは山田ユウジになるわ。楽しみ。んふふふ……またね、かわいいユウちゃん」
ブチュウ!
(ぐへぇ! トドメが来たぁ!)
女性はまた祐二にキスして畳の上におろすと、ひきつった顔の恵美を残し、鼻歌交じりに出て行った。
「ちょっと、冗談じゃないわよ。祐二を売れですってぇ? あのおばさん、殴ってやりたい」
鼻息も荒く、恵美はふん! と扉を閉めた。
「あー、まいった……恵美、何か顔を拭くものはないか? あのおばさんに、ブチュブチュにやられて、ベタベタだ。気持ちが悪すぎる」
「うわ、祐二の顔に口紅ついてるよ。この遊園地にあんな人がいるなんて……祐二を幸せにするって、おかしなこと言って! あれじゃあ祐二が幸せになるわけがないじゃないのよ。触り殺す気だわ。祐二にさんざん触ったなら、お触り代とってやればよかった。なんかお金持ちっぽかったね。蛇に何十万もかけるお金があるなら、こんなところで働かなくてもねえ」
恵美はしばらくぶつぶつ怒り続けていたが、祐二の方は、明日からのことを考えていた。
「恵美、それより、明日、どっちが蛇役やる? あの人、仕事の手が空いたら絶対に来るぞ」
「あの人は祐二が欲しいんでしょう? それならあたしが蛇役やる」
「あの女、両方欲しいって言っていたじゃないか。たぶん、恵美も同じ目に遭うだろう。触られるだけではすまないぞ。あんな感じで激しく、ねちっこく……うげえ……思い出すと吐き気がする」
「はぁ……どうしようね……」
山田と名乗ったおばさんのせいで、せっかくただでもらったポテトとピザはすっかり冷め、少しでも幸運だと思った二人の喜びはしぼんでしまった。ポテトの油のにおいだけが、狭い部屋に虚しく充満していた。