5.恵美、冷や汗をかく
広い園内は臨時休園なので、一般の人の姿はないが、警官や職員が爆発物探しに奔走していた。恵美は、入場許可証を首からぶら下げると、職員用の入口から入り、事務所へ向かった。今日一日、行くところがないので職員用の休憩室を使わせてほしい、という恵美の申し出に、あっさりと許可がおりた。この建物の安全確認は終わっていると告げられ、恵美は安心して休憩所の畳にあがりこんだ。
案内された部屋の扉を閉め、重いザックを下した。
「祐二、蛇のままでいいよ。あたし、もうわがまま言わない。祐二がそんなに疲れているなら人間同士でデートできなくてもいい。祐二の好物も買ってきたから、ここで食べようね」
「出ていいか? はぁ、入っているだけで疲れた」
壁にもたれかけるように置かれたザックから、祐二がぬるりと出てきた。頭から少し下あたりのうろこが縦に五センチほど禿げて、血がにじんでいた。
「あはは、祐二、うろこ禿げてる」
「恵美が無茶苦茶やったからじゃないか。笑うな」
その部屋は八畳の広さがあり、物は何も置かれていない。祐二は、ザックから完全に出ると、長々と体を伸ばした。
「ねえ、祐二、畳の上なんて、あの古家を追い出されて以来よね。あれからもう五年半か。この畳の感触がなんだかなつかしくてうれしい。そうだ、買ってきた物を見てよ」
恵美は紙包みの中身を畳の上に空けた。
「じゃん! 祐二、見て、このトランクス。白のブリーフよりいいでしょう?」
「いいも何も……恵美が気に入ったなら何でもいい」
恵美は、にこにことして、トランクスを包んでいたビニール袋を破り、祐二の目の前に商品を広げて見せた。緑の生地に、白い唐草模様が入ったトランクス。二枚組。
「本当はもっとしゃれた骸骨模様がよかったんだけど、高かったから。この唐草模様で風呂敷だと泥棒っぽいけど、これが安かったの」
「なんで唐草模様だと泥棒なんだよ」
「なんでかわからないけど、こういう模様の風呂敷を背負って、ほおかむりすれば、なんか空き巣とかの泥棒のイメージで……」
「それが、泥棒だった俺にぴったりってわけか?」
祐二は目を細めて笑っている。泥棒をやった経験は取り消しようもないので、怒りもしない。恵美も微笑み返す。祐二の過去は、今はすっかり水に流してしまっていた。
「そういうわけじゃないけど、とにかくそれは安かったの。そんな模様今時、流行ってないもんね。特価からさらに値引きされていたの。この値段なら文句なし。今日からはいてね。今、身につける?」
恵美は返事を待たずに、いたずらっぽく笑うと、祐二のしっぽを持ち上げて、グイと自分の方へひっぱり、トランクスの胴から片足部分に、祐二の長い体を通した。
「あはは……蛇がパンツはいてる。祐二の黒い体によく似合うよ」
歯を見せて笑っている恵美に、祐二はむっと鎌首をもたげた。
「おまえねー、何楽しんでんだよ。おまえのも見せろ。そんなに笑うなら、おまえも蛇姿でパンツ一丁になって見せろ。脱げよ」
「脱げって……祐二のエッチ。そうそう、それよりこれ」
恵美は荷物の中から卵パックを取り出した。恵美と祐二はあやかしなので、人間のように一日三食をきちんと取ることはしないが、たまに捕食する必要はある。パックに入った六コの卵を見て、祐二は舌舐めずりした。
「おおー、ありがとう恵美。さっきのファスナーの怨み、帳消しにしてやる」
「何? あんた、あたしを怨んでたの? これで機嫌直して。ほおら、大好物の卵だよぉ。あ〜ん……」
恵美の手に持った生卵につられて、蛇姿の祐二が恵美の膝の上に頭を持ってきた時――
ガチャッ、という音と同時に、休憩室のドアが突然開かれた。ノックもせずに入ってきた若い女性は、あっ、と声を出したきり、恵美と黒蛇を凝視したままかたまってしまった。
園の職員の制服を着たその女性の目に映っているのは、新品のトランクスを体に通している、胴周りが二十センチ以上あるような太さの、長くて黒い蛇。それをいとおしそうに膝にあげて卵を与えようとしている恵美。トランクスが包まれていたビニールは、まだ新品のもう一枚を残してそこに放り出されたままだ。買いたてのトランクスを、蛇にうれしげにはかせているのがバレバレ。
この女性の目には、その光景はあまりにも怪しすぎた。恵美が、苦し紛れの笑いを無理やり作って軽く会釈すると、女性は目をぱちくりさせながら、なんとか言葉を出した。
「あ、あの……スネークショーの方ですよね? お邪魔してすみません。もしよろしければこれ」
女性は、持っていたフライドポテトとピザを、トレーごと差し出した。オレンジ色のトレーに乗せられたポテトとピザのにおいが食欲をさそう。
「いただいていいのですか?」
「はい。今日は突然休園が決まったので、スナックコーナーの人たちがすでに作ってしまった物を今職員で分けています。あちらにまだありますので、どうぞ」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて、いただきます」
女性が足早に去ると、恵美は大急ぎで受け取ったトレーを畳の上に置き、祐二からトランクスをむしり取った。
「まずいところを見られたね。あたしが変態だと思われた。あの女の人のあの目つきったら……ああ、冷や汗が出た。あたし、変な顔で笑ってたかな?」
「まあ、いいじゃないか。もらっておいて文句はないだろう? それより早く卵くれよ。いつまで手に持っている気だ」
「卵は後にしようよ。もらったこれを先に食べないとね。今日は大凶の厄日だと思ったけど、いいこともあったねえ」
恵美と祐二はもらったフライドポテトをつまみながら笑い合った。二人は普通の蛇ではないので、雑食で何でも食べる。
「ここでこんなおやつにありつけるなんて、あたし幸せ」
「俺たちは幸運だ」
祐二も満足そうだ。しかし、ポテトはのどが渇く。恵美は、確か事務所の隣に湯沸かし室があったはずだと思い出し、水をもらってくることにした。
「ここで待ってて。勝手に部屋から出ちゃだめだよ」
「そんなことわかってるぜ。すぐ戻るんだろう?」
恵美が部屋から出て行き、湯沸かし室へ行っているほんのわずかの間に、祐二が一人で、いや、一匹で待っている部屋に入った者がいた。
「きゃあ!」
祐二を見たその人物は、甲高い悲鳴を上げた。