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12.“あの趣味”って……

 翌朝。雪は、夜中に止んで、たいして積もらずにほとんど融けてしまい、凍結もなく道路は開いていた。今朝は、植え込みの葉っぱの上などに、湿った重い雪が少し残って付いている程度だ。

 恵美と祐二は、ナメ子が呼びに来るのに備え、早朝から起きだし、ソファなどを元の位置に戻した。

「うん、この部屋はこれで元通りだし、あたしも服を着ているし、祐二は蛇姿。今ならいつ襲われてもいいね」

 身仕度まで整えた恵美は、ベッドに腰かけて、横で丸くなっている蛇姿の祐二を見やった。結局、ナメ子の襲撃はなかった。家具まで移動させる必要などなかったかと、お互いに笑う。

「恵美、油断するな。今からあいつらと一緒に朝食をとるんだろう?」

「たぶんそうだろうね。それが終わったらこの恐怖の家から離れられるから、あと少しだけがまんしようね。食事をごちそうになったら、さっさと園へ歩いて行くことにするね。開園まで時間があってもいい。少しでも早くこの家を出たいの」

「ああ、それがいい。俺もここは嫌いだ。一分でもいたくない」

「あたし、ナメ子が運転手付きの車で送るって言っても断わるつもりだから。あの車、すごく乗り心地がよかったけど、なんだか監獄へ収監される囚人の気分になったもん。もう乗りたくない。そうだ、話は変わるけど、祐二、昨日買ってきた生卵、今食べる? あたしだけおいしい食事をいただいて、祐二は何も食べてないなんて、何だか悪いよ」

「あれがまだ手つかずで残っていたな。もらうよ」

 恵美は袋から生卵を取り出した。パックから一つだけ取り出し、ベッドの上の祐二の口元へ持っていった。

「はい、祐二、今度こそ、あ〜ん……」

 祐二が、生卵を丸飲みしようと、大きく口を開けて卵をくわえた時、廊下をパタパタと歩くスリッパの音が聞こえてきた。

「ほらっ、ナメ子が来たわよ!」

 祐二は、すっとソファの下に潜り込んで隠れた。コンコン、と扉がノックされる。しかしすぐに入って来ない。ナメ子ではないのか? 恵美は、卵をくわえたままの祐二と顔を見合わせると、自分の手で扉を開けた。

「あっ!」

「おはようございます」

 扉の向こうにいたのは、社長。寝起きのパジャマ姿ではなく、きちんと服を着替えて顔まで洗ってあるような清潔感あるれる身なりだった。恵美はあわてて、頭を下げた。

「お、おはようございます。夕べはすっかり酔ってしまって申し訳ありませんでした」

「いや、あれはおいしいワインだから、ぜひ味わってもらいたかったのです。気持ちよく酔っていただけたならこちらとしてもうれしいです。少しお話をしたいと思いますので、部屋に入らせていただいてよろしいですか?」

 

 部屋へ入って来た社長は、ソファの下に隠れている祐二には気がつかず、そこへ深く腰掛けると、恵美にも座るように勧めた。恵美と社長は、向い同士で座るかっこうになり、社長のソファの下にいる祐二からは、恵美の顔がはっきり見える。

「朝早くから悪かったですね。もし、まだお眠りで、ノックしても返事がなかったら、明日にしようかと思っていました」

「明日って、あの……」

「夕べ、家内と話し合って決めたのですが、スネークショーをやっている春休みの間はずっとここで泊まってください。もちろん、宿代や食費などいらないし、お仲間の白蛇をつれておられる方もご一緒で構いません」


(やっぱりそう来たわね!)


 予想したとおりの話。祐二は卵をくわえたまま、ソファの下から恵美にじっと視線を送っている。


(恵美、絶対断われ。毎日泊まるなんていやだ。しまいにそいつに殺される)

(うん。あたし、こんな変態おやじなんかに負けないわ!)


「社長、あの、そんなの悪いですから」

「遠慮はいりません。ここは園にも近いし、何よりも――」

 社長はそこで、ごくん、と唾を飲んだ。

「矢内さんにも楽しんでもらいたいです。家内がユウちゃんのことをえらく気に入ってしまいましてね、ここでお世話したいと申しております。もちろん、矢内さんにはうちの子を代わりにお貸ししますよ」

「奥様があんなに大切になさっている蛇たちを貸していただくなんて、そんなことは望んでいません。私は祐二さえいればいいんです」

 恵美はきっぱりと言ったが、社長は引き下がる様子もなく、極上の笑みをうかべて恵美を見た。その意味ありげな明るい表情は、ナメ子の『太陽の微笑み』を思い出させた。

 やはりこの男もよく見ると何となく気持ち悪い。笑い方までナメ子を同じに見えてきた。昨夜、食事をした時この男はこんな笑い方をしていただろうか、と恵美は目をそらした。

「矢内さん、そう恐縮なさらなくてもいいのです。遠慮はいらないと言っているのですよ」

 恵美は、逃げだしたくなるのをこらえながら、言葉を選んだ。

「社長、遠慮しているわけではなく、やはり自分の家の方がよく眠れますので、家から通いたいと思います」

「枕が合いませんでしたか? それなら今日中に新しい物と取り換えさせましょう。矢内さんには、これから毎日この部屋に泊まっていただきますから、専用枕は必要でしょう」

「いえ、そんなことまでしていただくなんて申し訳ないです」

「矢内さん、あなただって、ここに泊まってもっと他の子と楽しみたいと思っておられるでしょう?」

「いいえ、あたしはそんなつもりは――」

 社長は、口元に微笑を浮かべながら恵美の言葉をさえぎった。

「本音でお話してくださいませんか。隠さなくてもいいですよ」

「あの……隠すって、何を、ですか?」

 社長はにこやかなまま、ほんのり赤く染まった頬になった。

「いやぁ、ああいう趣味の話はね、なかなか人には言えないものですよね。私は矢内さんがそういう方だったと知って、うれしくて仕方がないのです」

「……何の……ことですか?」

「あの感触はたまりませんよねぇ。ざらざら、しゅるしゅる……それが適度に冷たくぬるりと動くあの瞬間といったらもう……あなたならこういうお話は大好きでしょう」

「え……?」

 ロマンスグレイの社長は、意味ありげにウインクして見せた。恵美は、じわじわと汗をかきながら、眉を寄せて、社長を凝視した。

 社長の髪は夕べのようにきちんと後ろになでつけられ、ネクタイはしていないものの、Yシャツに、濃紺の無地のVえりの薄手のセーターを身につけている。背広の上着をはおればすぐに出社できそうな格好だ。見かけに似合わない怪しげなウインクに、恵美はすぐに言葉が出てこなかった。

「恥ずかしがらなくてもいいじゃないですか。あなたと私は共通の趣味を持っているのですから、もっと楽しく語り合いましょう」

「へっ……あの……」

「かわいい蛇たちと触れ合えることは最高の喜びですよ。あなたもそう思っておられるでしょう?」

「……共通の趣味って、蛇を飼っている、という趣味のことですよね? でも私はこちらのように、たくさんの蛇を飼っているわけではありません。社長のご夫婦の趣味とはまた違うと思います」

「いいえ、同じですよ。家内とは違うかもしれませんが、矢内さんは私とは全く同じ趣味でしょう。矢内さんにお会いできたことを感謝しなければなりません。私は今まで“あの趣味”のことを、共通の話題として話せる友人は一人もいませんでした」

「私はそんなに蛇好きというほどでもなくて――」

「蛇が直接肌に触れる時、電気が走るような喜びを感じますよねぇ……あぁ……こう、なんと言うか、ビリビリと……おお、思い出すだけで身震いが」

 社長は、ブルッと身をよじった。

「私は首に巻いてもそんなにしびれませんが……」

「首じゃなくて、んん……ああ、思いだすとゾクゾクしますよ。ヒヤァァ……」

 社長は、宙に視線を飛ばし、うっとりと至福の時の妄想に入っている。恵美はそんな社長を疑問符だらけの心で見ていた。


(この人、一人で舞い上がってる。よっぽど蛇が好きなんだ。“あの趣味”って蛇を愛しているってことよね。あたし、たまたま好きになった男が化蛇だっただけで、蛇そのものなんか好きでもなんでもないんだけどなぁ……ナメ子の蛇たちを貸してもらってもうれしくもなんともないよ)


 話が読めない恵美に、祐二が卵をまだ口にしたまま、「“あの趣味”って昨日のあれだ」と思念を送ってくれた。


(祐二? 「昨日のあれ」って何よ)

(社長がやっていた、裸で蛇遊びだよ。たぶん、そういう意味だろう)

(何で、あたしがそういう趣味って、この人は決めつけているのよ。わけがわからない)

(夕べ、ナメ子が奇襲してきた時さ、おまえ、服着てなかっただろ? おまえが裸だったことにナメ子が気がついて、社長に言ったに決まっている。仲間だと思われたんじゃないのか?)

(ええーっ! あたしが裸で蛇とたわむれる趣味があるって?)

(俺の勘違いならいいが、社長はその話をしたがっているように思える)

(要するに、あたしは変態の仲間で、蛇姿の祐二を裸で抱いていたって思われたってこと?)

(社長の話ぶりからすると、どうもそんな感じだぜ)

(やだよぉ! 冗談じゃない! 蛇姿の祐二と楽しむなら、あたしも蛇になるもん。人間なら人間同士。あたしたち、いつもそうじゃない。祐二と愛し合う時は……あれ? なんでそんな話になった?)

(恵美、何言っているんだよ。今は、そんなことを思っている場合じゃない。社長はおまえが仲間だと信じているんだ!)

(うう……)


 恵美の心に、たらり、と汗が流れ落ちた。それはナメ子に出会ってから、何度も流した嫌な汗。無理に笑顔を作ろうとして、自然につり上がってしまう目元をひきつらせながら次の言葉を探す。

「あの、すみませんが、私……(“あの趣味”の仲間じゃないです!)」

 最後まで出せなかった言葉は、口の奥で、モゴモゴと消えた。祐二はそんな恵美をハラハラしながら見ており、くわえたままの卵を飲み込むのも忘れている。

「だから、遠慮しなくてもいいと先程から申し上げております。本当にあれは楽しいですよねぇ。今夜もぜひ、ユウちゃんを貸していただきたい。ローズよりも大きい子は、私は初めてでね、家内もすっかり飼う気になっている。夕べ、お返しした時は、ユウちゃんの機嫌が悪くて、心配しておりましたが、その後家内が見せていだたいた時には元気になったと聞き安心しました」

 恵美はそこで、ハッ、とナメ子の手のことを思い出した。祐二がかみついてしまったことはまだ謝っていない。ナメ子が悪くても、祐二が怪我をさせたことは間違いなく、酔っ払ったことの謝罪よりも先に、そちらをわびるべきだった。

「祐二が奥様にかみついてしまったそうで、申し訳ありませんでした。お詫びが遅くなってしまい、すみません」

 恵美はソファに座ったまま、深く頭を下げた。

「ああ、そんなことはいいのですよ。蛇を飼っていればよくあることです。ユウちゃんがずっとうちにいてくれるなら、家内も、私も何の法的手段もとりません」

「えっ……」

 恵美と、社長の座っているソファの下の祐二は、顔を見合わせた。





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