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11.山田ナメ子の家(4)

 祐二を恵美に返したナメ子。寝室で、不安げに待っていた夫に報告していた。

「矢内さんに渡した時は、まだ生きていたわよ。心配だからもう少ししたら見てくるわ。あなた、そんな顔しないで。大丈夫、ユウちゃんは死なない。矢内さんのベッドへ置いたら、すぐに甘えるように巻いていたから」

「そうか、それならいいが……前の時、飼い主が怒って大変だったからな。あんな面倒はもうごめんだ。前回はここで死んだからどうしようもなかった」

「あの時死んだ子の場合は、もともと病気だったに決まっているわ。そう思うことにしましょうよ。飼い主さんにお金を払って全部終わったんだから、いいじゃないのぉ。終わったことは忘れましょう」

「ああ、そうだな。今回は殺していないから、よしとするか。しかし、これでユウちゃんの買い取りには応じてもらえないかもしれない」

「あなた、あきらめないで。まだ手段はあるわ。矢内さんってきっとお金に困っているのよ。汚い格好しているじゃない。それなら――」

 雪の夜。夫婦の寝室でひそひそと交わされた会話。照明をおとして薄暗い部屋の中に、夫の笑い声が響いた。

「ぬははは……おまえはさすが私の女房だな。明日、矢内さんにそう言ってみるよ。それでだめならあきらめるか」

「んふふふ……だって、あたし、どうしても欲しいから。あなたは白ちゃんを見てないでしょう? 白ちゃんも美人で捨てがたいわ。あたしだって遠くから見ただけだけど、真っ白できれいな子だった。あなたも見たらとりこになるわ」

「それは楽しみな事だ」



 その頃、恵美と祐二は仲よく風呂に入り、久し振りに人の姿同士で体を洗い合った。つなぎ目のない蛇の体よりも、人の姿の方が洗いやすい。何よりも、手がある方が洗うには便利なのだ。

「祐二ったら、こんな所にも口紅の跡がうっすらついてるよ。きちんとふいたつもりなのに、よく見たらここにも。これがナメ子の口の跡だと思うと、気持ち悪いよね。いやだ、なかなかとれない。しかも脇腹にローズの噛み傷もあるし……傷を治してあげたいけど、傷口がなくなっていたら、あの人たちびっくりするから、今は治さないよ」

 恵美が祐二の背中の真ん中を、タオルでごしごしと強めにこする。

「どうだ、とれたか?」

「うん、大体ね。口紅はやっぱりクレンジングがないとだめだね。普通の石鹸では完璧には無理。でもこれぐらいならもういいかな。明日の朝、また付けられるかもしれないね」

「うぇー……やっぱり恵美もそう思うか? 俺も、またやられそうな気がする。はぁ……なあ、恵美、今日は嫌な事ばかりだったから、最後は楽しいことで終わらせたい。どう考えても、明日もいいことはなさそうだし――」

 祐二はふりむくと、後ろにいる恵美をぐっと抱き寄せた。

「上がろうか」

「うん……」


 風呂から上がり、二人は人の姿で素肌のままベッドに入った。お互いの体に手をまわし肩を寄せ合い、見つめ合って唇を寄せた時――


 パタパタ……


 せわしげなスリッパの音が廊下から聞こえた。間もなく日付が変わる時刻。恵美と祐二はハッと顔を見合わせた。足音はこの部屋に近づいてくる。もしかして――

 祐二は慌てて毛布をかぶり、深くもぐりこんだ。足音は部屋の前で止まり、せっかちにドアが二つノックされた。


(ヤバイ!)

(祐二! 来るよっ)


 恵美は顎のあたりまで毛布を引き揚げ、素肌を見られないようにした。恵美が何かを身にまとう暇もなく、ナメ子が入ってきた。ナメ子は先程と同様、パジャマにハンテン姿。

「ご気分はいかがぁ? 矢内さんの様子が心配だったから見に来たの」

「あの、あたしは大丈夫ですから。もう酔いも覚めましたので。ご心配をおかけしてしまい、申し訳ありません」

 恵美は無理に口元を引きあげて笑った。襟元をしっかりとおさえている上毛布は、真ん中あたりで、もそもそと動いている。大慌てで蛇姿に変わった祐二が、体を丸くしている最中だった。

「ユウちゃんは隠れているの? 探し出してあげるわ」

 ナメ子は、恵美のベッドへさらに近づいた。恵美の全身から汗が噴き出した。

「や、やめてください。ゆ、ゆ、祐二なら、ほらここに!」

 唇はひくつき、ひっくりかえったおかしな声が出てしまった。恵美は手探りで、姿をかえた祐二の尻尾の先だけをつかむと、それを三十センチほど毛布の間から出して、ぷるぷると左右に振って見せた。

「あらぁ、ユウちゃん、そこにいたの? ユウちゃんにおやすみを言うからちょっと貸してちょうだい」

 ナメ子は、返事を待たずに祐二の尻尾をつかんで簡単に引きずり出してしまった。


(うあぁぁ! せっかくきれいにしたのにぃー! ブチュウはもう嫌だ) 


 祐二のわめき声が恵美の頭に響いたが、素っ裸で布団から手も出すこともできない恵美には助けるすべはない。祐二は抵抗して、連れていかれまいと毛布の端に歯をたてた。ナメ子は引っ張る力を弱め、祐二を放してくれた。

「矢内さん、実はね、ユウちゃんさっきね、元気がなかったし、機嫌も悪くてね、あたしにかみついたのよ。ここなんだけど」

 ナメ子はパジャマの袖を少し引き、手首に巻かれた包帯を見せた。怪我の程度はわからない。

「奥様にお怪我をさせてしまい、申し訳ありませんでした」

 とりあえず謝ったが、祐二が怒ってかみついたことはすでに知っている。その理由も。


(悪いのはあんたたちでしょう! 機嫌が悪くなるに決まっているわよ!)


 責めの言葉が口元まで出かかるが、今は謝るしかない。誠意の伝わらない寝たままの姿勢での謝罪になったが、裸ではどうしようもない。恵美は額に浮かんだ玉の汗をぬぐうこともできず、ヘラヘラと意味不明のひきつり笑いを浮かべた。

「あの、本当にすみませんでした」

「んふふ、いいのよぉ。先にユウちゃんに怪我をさせたのはローズちゃんですものね。これで、お・あ・い・こ」

 ナメ子の手から逃れた祐二は、恵美の首筋から布団に滑り込んだ。長い体が、頭から毛布の隙間へ隠れていく。ナメ子は、さりげなく、そんな祐二の動きの隅々まで異常がないかどうか確認していたが、あることに気が付き、おやっ、と一瞬笑顔を止めた。しかし、何事もなかったように、また、ぬふっ、と笑うと、あいさつして部屋から出て行った。




 急ぎ足で夫婦の寝室へ戻ったナメ子は、眠りかけていた夫に早速報告した。

「あなたっ! 私、見たのよ!」

「ん……何をだ……」

 夫は半分夢の中だった。揺さぶる妻に、不快そうに指で目をこすって、眉間にしわを寄せた。

「あなたと矢内さんね、同じ趣味だってことよ」

「何を騒いでいる。蛇好きってことだろう。それはわかっているじゃないか。彼女は蛇使いで身をたてている。蛇嫌いでは務まらない。そんなくだらんことで大きな声を出すな。それより、ユウちゃんの様子はどうだった? 生きていたかどうか、確かめに行ったのだろう?」

「大丈夫そうよ。引っ張ってみたらちゃんと動いたから、あれならたぶん、首は折れていない。それより矢内さんよ。矢内さんね、ベッドの中で裸だったわ」

 夫は徐々に目覚めかけてきた体を起こした。

「……見たのか?」

「何、あなたったら、その目の輝きは。全身が裸とは言っていないわよ。でも少なくとも上半身は、んふふよぉ。だって、毛布の隙間から素肌の肩が見えたんですもの。矢内さんたらね、ユウちゃんにかまれた私の傷を見せても、毛布の下から手も出さないし、ベッドから起き上がりもしなかった。普通なら、自分の子が人に怪我させたなら、飼い主がベッドから出てきちんと頭を下げるのが常識でしょう。きっと裸だったから出てくることができなかったに違いないわ。あの人、あなたみたいに、裸の体で蛇遊びをするのが趣味なのよ。あんなかわいい顔している人でもそういう趣味があるのねぇ。ちょっとびっくりしたわぁ」

「あの人が、裸の体に蛇を巻いていたのか!」

 社長は、おお、とすっかり眠気が飛んだ目を大きく開いた。

「そうか、人はみかけによらないな」

「あなただってそうでしょう。あなたみたいな人、そうそういないと思っていたの。あなたの蛇遊びの趣味って、意外とノーマルだったのね。そう言えば、事務所の相沢さんがね、矢内さんにポテトとピザを差し入れした時に、変な物を見たと言ったのよ」

 ナメ子は、意外な他人の秘密を知った喜びで、唇が横に伸びていた。

「相沢君って、去年採用した事務所の若い子だな」

「そうよ。それがねぇ、彼女が矢内さんに、ポテトとピザを持っていったら、矢内さん、休憩室の畳の上で、何やっていたと思う?」

 夫がごくり、とつばを飲み込んだ。

「まさか……そこでも裸でユウちゃんとたわむれて……」

「うふふふっ、あなた、変な想像しているわね」

 ナメ子は思わせぶりに、話をのばした。

「知りたあい?」

「何だ、さっさと言え」

「矢内さんね、ユウちゃんにパンツはかせて遊んでいたんですって」

「蛇用のパンツがあるのかっ? おおっ、そんないいものがあるなら、うちの子の外出用にぜひほしいな」

「そういう話じゃないわよぉ。はかせていたのは大人用のトランクスだったらしいわ。黒蛇の体に、がばがばのトランクスを通していたって、それも新品を買って出したばかりに見えたって、相沢さんがそう言っていたの。矢内さんって、あなたと同じで素肌に蛇ちゃんを巻く遊びをするし、蛇ちゃんに人間の男の肌着を着せる趣味もあるみたいよね。ちょっと普通の人じゃないのよ。つまりは、変態よ、ヘ・ン・タ・イ」

 ナメ子はまた、ぬふふ、と鼻にこもった笑いをもらした。夫は、おまえもそうじゃないかっ、と口元を弛めた。

「そうか、矢内さんはそういう人なのか。それは喜ばしいことだな。彼女もこの楽しみを知っているなら、お話が合いそうだ。そういう話題は、蛇愛好会でも出すことができなかった。よし、矢内さんには明日も泊まってもらうようにしよう。いや、明日だけでなく、スネークショーをやっている春休み中は、ずっとここでお世話しよう。ユウちゃんをまたここへ借りて、矢内さんがさびしいなら、代わりにうちの楽園の子を誰か貸してやろう。今度はユウちゃんを大切にするぞ」

「あなたぁ、素敵ネ。そうしましょうよ。ぬふふふ……」




 その頃、そんな会話がナメ子夫婦の間で交わされているとも知らず、ナメ子が出て行ってからしばらくは、恵美は、脱力した状態でベッドの上で手足を伸ばし、ほっと息を吐いていた。

「はぁー疲れた。祐二、もう出てきていいよ。どういうわけか、ブチュウなしだったからよかったね。あたしはてっきりやられるかと思った」

「俺もそう思った。もう明日からずっと俺が蛇役やるよ。あんな乱暴な社長では、おまえの本当の姿をあいつらに見せることはできない。おまえの白い姿を間近で見たら、あいつら、どんな手を使ってでも手に入れようとするだろう。もし、明日も雪でも、絶対にここへ泊まる約束なんかするなよ」

「うん。そうする。祐二にばっかり損させてごめん」

「全く今日は……せっかく恵美と楽しい時を過ごそうと思ったところだったのに、ナメ子め、邪魔したな。あいつ、また突然来るかもしれないから、今夜は油断できない。今まで見た限りでは、ナメ子はノックすると返事の前に扉をすぐに開ける、ということがわかった。あの最中じゃなくて本当によかったな」

 毛布から顔を出した蛇姿の祐二は、ぺろりと舌を動かした。

「あの人、もし、人の姿の祐二を見つけたら、きっとあたしが男を連れ込んでエッチしてたって、思うんじゃないの?」

「いや、どうだろう、俺が黒蛇だと見抜くかもな。目の色までは変えられない」

 祐二は明るい色の目を細めて笑った。その色は日本人には珍しい透明感のある明るい茶。光の加減によっては金色に見える。蛇、人、どちらの姿になってもその色は同じだった。

「目の色ね。確かに……。ねえ、ナメ子って空気の読めないところがあると思っていたけど、わざとそういうふうにしているのかもね。さっき、あたしの肩先をじっと見ていたもん。あたしが裸だったこと、気がついたかもしれない」

「だからって気にしてもどうしようもない。服を着る暇もなかったもんな。ナメ子は、あの社長の女房だから、普通の女じゃないんだろうよ。さっきは、俺が死んだかどうかを見に来たに決まっている」

「それならまた覗きに来るかな。もう嫌だから、ナメ子が朝まで入って来られないようにしてやるわ。ねえ、祐二、ちょっと人の姿になって家具を運ぶのを手伝ってよ。バリケードを作って、扉が開かないように、そこのテーブルとソファを移動させて――」


 深夜に、素っ裸の男女がごそごそと家具を移動させている。室内は暖房が入っているとはいえ、カーテンの外は雪が舞っているほど寒い夜に、これは、全くおかしな光景だった。しかし、そんなことを気にしている暇はないと、必死の二人は大まじめだった。

 数分でバリケードが完成。扉の前にごちゃごちゃと並べられたソファやテーブル。

「よしっ、完ぺき! ありがとう祐二。これをあたしたちがどけない限り、この扉は内開きだから開かない。誰も覗けないし、入ってくることはできないね」

「あのナメ子なら、扉が開かなかったら、爆破してでも入ってきそうだな」

 祐二は、テーブルがずれないように、強く扉に押し付けながら、そう言って笑った。恵美は、ナメ子が扉をぶち破る姿を想像して、ブッと吹き出してしまった。

「うんうん、ナメ子の”太陽の微笑み”までしっかり目に浮かぶよ。きっと、『あらぁ、矢内さん、どうしたのぉ』って笑いながら元気よく入って来るに決まっている。もし、あたしたちが裸で家具を運んでいる姿を見たら、あの人どう思うだろうね」

「ううっ、寒気がしてきた。あいつらのあの顔、あの臭い、もう忘れたい。今度こそ俺たちの邪魔はさせない」

「ところで、ねえ、祐二。さっきも聞いたけど、首は本当に大丈夫?」

「ああ、心配するな。もう何度も言うなよ。今は、俺はそんなことよりも、最悪だった今日のこと、全部忘れたいんだ。恵美、おいで……」

 祐二はやさしく微笑むと、恵美の手をとった。





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