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9.山田ナメ子の家(2)

 祐二の入ったケージを持って、宿泊させてもらう部屋まで戻ると、ちょうど、メイドが来て、食事の準備ができたと告げた。ナメ子は、それならと、祐二のケージをいっしょに持って行くように言った。

「ユウちゃんはお食事中はその中で待っていてね。後でたっぷり遊んであげるわね」

 ブルブル……ケージの中で祐二が身ぶるいする音まで聞こえそうだった。


 食事の部屋も豪華だった。細かいガラス細工のシャンデリアの下、長方形の大きなテーブルにかけられたレースのクロス。しみひとつない純白のクロスの真ん中には、赤いバラの花。それも一輪ざしではなく、贅沢に花瓶一杯に詰め込まれるように活けられていた。テーブルにはすでに男性一人が先についている。

「あら、あなた。今日は早かったのね。こちらは――」

 ナメ子は恵美を男性に紹介した。

 恵美は頭を下げながら、何度目かの汗をたらりと流した。この男性がナメ子の夫、つまりは遊園地を経営している会社の社長らしい。蛇好きのナメ子の夫として恵美が抱いた社長のイメージとはあまりにも違いすぎた。

 社長はネクタイをはずし襟元をくずしてはいるが、紺色のカーディガンのボタンはきちんとかけており、だらしない感じはしない。ロマンスグレイの髪をかっちりと後ろへなでつけ、薄めの唇には社交的な微笑みを浮かべている。どう見ても、ナメ子のように蛇と激しくたわむれることが趣味の男には見えない。

 いや、いくら上品そうでも中身はどうだろうか。人は見た目ではない。この男はナメ子の夫。

 恵美はそう自分に言い聞かせ、上品そうなこの男が祐二をべろべろなめまわすさまを想像していた。

 恵美が食卓に着くと、早速料理が運ばれ、三人での食事が始まった。メイドの手でワインが注がれ、前菜からきちんと順番で料理が運ばれて来る。恵美は、まるで一流ホテルのディナーにありついているような錯覚を覚えた。

 社長は愛想よく恵美に話しかけてくる。

「今日はいたずら電話のおかげで大赤字です。その代わり、こんなに早く帰宅できました。遊園地なんて本当に儲かりません。こんな雪では、明日、今日の分を盛り返すだけの売上げは期待できません。私はいつかは遊園地をやめて、その跡地に蛇の繁殖センターでも作ろうかと思っているのです」

「蛇の繁殖……ですか?」

「ええ、そうです。私たちには子ができませんでしたので、蛇は私たちの子ども同然です。家内とは蛇愛好会で知り合いましてね」

 社長は饒舌じょうぜつだった。恵美が退屈しないように、さまざまな蛇に関する話題を振ってくれた。それが恵美と共通に楽しめる話題だと思ったらしい。ナメ子は何も口を挟まず、黙々と食べながら、時折夫の話に同意して、うん、うん、とうなずいていた。

「矢内さんは、あまりお飲みにならないのですか? こちらのワインはとても珍しいものです。私のお勧めですよ」

「あの……私はお酒はあまり強くないものですから」

 そこで、ずっと黙っていたナメ子が口を開いた。

「矢内さん、そんなに遠慮なさらないで。私たち、蛇好き同士でしょう? どうぞワインをもっと飲んでくださいな」

 蛇好き同士……この言葉にかかり、恵美は、打ち消すように口に持っていったワイングラスから、ごくりと赤い液体を流しこんだ。もともとアルコールには弱い。恵美の体の中で、たちまち血液が勢いよく回り始めた。

「どうかしら、このワイン。おいしいでしょう? もっと召し上がれ。酔っ払っても、ユウちゃんのことなら何も心配はいらないわ。一晩私の部屋で預かってあげるわね」

「いいえ! それだけはっ!」

 恵美はつい声が裏返ってしまった。ナメ子はそれは気にしない様子で、やさしく夫に笑いかけている。

「ねえ、あなた、今日はね、ローズちゃんがユウちゃんに怪我させちゃったのよ。お詫びに一晩ぐらい私たちの寝室でユウちゃんを預かってもいいでしょう? ユウちゃん、怖がっちゃってね、楽園が楽しめないようだから」

 甘えるようなナメ子の声に、社長はぴくりと眉を動かした。

「何だと! うちの子が、よその子に怪我をさせたのか? それはいけないな。それなりのことをしてわびをしなければ」

 にこやかな表情を崩した社長に、恵美はビクッとしながら、おそるおそる言った。

「そんな……あの……おわびなどいりません。ここへ泊めていただいて、お食事までいただいているので、お構いなく」

「怪我の具合はどんなふうなんだ。そういう話は最初に言わないとだめじゃないか」

 社長は急に不機嫌になってナメ子を睨みつけると、食事中にもかかわらず、席を立ち祐二のケージを開けた。

「おお! 大きな子だ」

 有無を言わさず、社長の手で祐二がつかみだされた。祐二の音のない泣き声が恵美に伝わってきた。しかし、社長は舐めまわすようなことはしなかったので、恵美は無意識に手に作りかけたこぶしを弛めた。

 社長は祐二の体を注意深く延ばし、怪我の様子を確かめている。ベロベロ舐めたり、なでまわしたりはしていない。どうやら常識ある普通の人のようだった。

 祐二も警戒心を解き、社長の手にに身を任せた。


 社長はつかんだ祐二の長い体をじっくりと確認した。

「ローズがかみついたのはここだな……うろこがはげているじゃないか、かわいそうに」

「そ、それは、違います。私が不注意で怪我をさせてしまって……」

 恵美はあわてて祐二に駆け寄り取り繕った。怪我の理由をはっきり言わない方がいいような気がした。ファスナーにはさまってしまった、と説明する必要はない。

「祐二」

 祐二は恵美が近づくと、社長の手から逃れて、しゃがみこんだ恵美の体にきゅっと何重にも巻きついてきた。そんな姿に、ナメ子は、うふふ、と笑い声をあげた。

「あなたぁ、見て。ユウちゃんって、本当にきれいでかわいい子でしょう。とてもお母さんが好きなのよね。でもね、この子には白蛇の奥さんがいるんですって。私、ペアで売ってほしいって今、交渉している最中なのよ。矢内さんさえよければ、うちで飼いたいの。あなたも気に入ったでしょう?」

「ほう……確かにこれは……蛇愛好会の集まりでも見たことがない種類だ。矢内さん、これはどういう種類なのですか?」

「すみません、よく知らないです」

「飼育許可証がいる種類ですか?」

「えっ、それは、その……わかりません。そんなの持っていないです。毒蛇ではないことはわかっていますが……」

 口ごもる恵美に、ナメ子が勝手に話しに割って入った。

「山で拾ったらしいわ。こんな大きなの、きっと密輸されたのを誰かが捨てて野生化したものじゃないかしら。大きくなりすぎて面倒見きれなくなったに決まっているわよ。酷い飼い主もいるわねぇ。こんなかわいい子を捨てるなんて」

 いや、違うよそれは、と恵美はひとりで突っ込みながら、祐二の顔色をうかがった。祐二は恵美の体にきつく巻きついたままで、ギュッと目を閉じている。

「ああ、確かにかみ傷がありますね。ローズにやられたのはここですね? 申し訳ございませんでした」

 社長はかがみこんだまま深く頭を下げた。恵美は酔いがだんだんと回ってきたのを感じながら、祐二の頭をそっとなでた。

「あの、社長、まだお食事中ですし、祐二のことは心配いりませんから……祐二はこのとおり元気です」

「そうですか。本当に申し訳なかったですね。それではお言葉どおり食事を続けましょう。この子はおとなしいなら、出したままでもいいですよ。なんなら私か、家内の膝の上に乗せたままでもかまいません」

「いえ、ケージへ入れます。私だってゆっくり食べたいですよ」


(だってさ、出したまんまだったら、食事中も祐二がベロリン地獄に陥るかもしれないものね……)

 

 恵美は祐二をケージに戻し、また三人で食卓についた。社長はまたにこやかな表情に戻り、ワインを勧めて来る。ナメ子もそれに合わせるように、飲んでいるので、恵美も断わるわけにはいかなかった。

 食事が終わる頃には、恵美はすっかりワインが回っていた。

「あの、ごちそうひゃまでした。本当においひかったです。部屋に戻りまひゅね」

「矢内さん? 大丈夫なの? なんだかろれつがまわっていないような……」

 ナメ子が心配して覗きこんだ。

「お顔も真っ赤だし……」

「酔っ払ってないひゅよー。さあ、祐二、帰りまひょう」

 恵美は椅子から立ち上がったが、視界が周り、祐二のケージのすぐ傍へしゃがみこんだ。

「矢内さん!」

 社長とナメ子は同時に声をあげた。

「矢内さん、かなり酔っていらっしゃるようね。ユウちゃんのことは私たちに任せて、今夜はゆっくりおやすみになってくださいな」

 ナメ子はうれしそうにそう言う。社長もそうした方がいい、と賛成してしまった。

 

(恵美! おいっ! 恵美っ! 俺はいやだぞ。まだ蛇だらけの檻の中の方がましだ。恵美ったら、何やってるんだよぉ。俺を殺す気か。えみーっ! 聞こえないのかっ)


 祐二の絶叫が頭に響いて、恵美はよろよろと立ち上がった。

「あの……祐二のことはぁ……私が面倒を見まひゅ……」

 真っ赤な顔に回らない口。それでもここで引き下がれば、祐二が――と、恵美はよろめく体に鞭打ってしゃんと立って見せた。社長は笑っている。

「矢内さん、ご無理をなさらなくてもいいのです。セーラが面倒を見る、と言ってくれている。今夜は甘えてください」


(ん? セーラ? 誰の名前? そうか、さっきのメイドさんのことだ……)


 恵美はぼんやりと社長の顔を見上げた。酒の火が回っている思考回路がついて行かない。

「あのセーラさんって……」

「セーラはここにいる家内の名前ですよ。清い、良い、と書きましてね。セイラです」

「へっ? 奥様の……あ、そりゃ素敵なお名前で……」

 ナメ子がセーラ? そんな洒落た名前、あんたにゃ似合わないよ、と酔った頭の中でそう思った。ナメ子は名前で驚かれるのは慣れているようで、聞きもしないのに、名前の由来を話してくれた。

「んふふ、この名前に驚いた? 『小公女』って小説あるでしょう? 昔、アニメ化されてたの、ご存知かしら。主人公のセーラは、どんな酷い目に遭っても負けず、最後はピカピカってお話。そんなふうに清く強く、最後はいい思いをできるようにって、親がこんな名前をつけてくれたのよぉ」

「そ、そうですか……」


(清く強く……最後はピカピカ……最後? それとも最期? ……このナメ子がセーラ? ……アニメの小公女セーラって、たしかすごい美人で賢くて……ああイメージがぁ……もうだめだ……)


 恵美は酔いがさらに回り、へにゃりと床に倒れこんでしまった。


 

 世界と脳味噌が回る。くるくるとまるでメリーゴーランド。小公女セーラ……ナメ子……ベロベロ……セーラ……清良……ナメ子ベロリン……ナメ子イコールセーラ……


 ケージからつかみ出された祐二が、ナメ子の首にかけられているのが、酔った恵美の目の隅に入った。祐二の泣き声のかけらが頭をかすめたが、恵美の記憶はそのあたりで途切れてしまった。



 約一時間後。

「ここは……」

 気がついた恵美は、宿泊させてもらえる部屋のベッドの上にいた。首元を覆うざらついた感触に意識が急速で戻った。

「矢内さん、大丈夫?」

 ベッドのすぐ横にはナメ子。風呂上がりらしく、パジャマにハンテンをはおった姿。寝ている自分の首筋に巻きついている祐二。ナメ子はにこにこしている。その分厚い唇から上下の歯が覗いていた。

「矢内さん、ごめんなさいね。今夜、ユウちゃんをお預かりしようと思って、主人と私の部屋に連れて行ったのだけど、何度も逃げようとするものだから。どうしてもこの子はお母さんがいいらしいわ。精一杯可愛がってあげようと思っていたのにすっかり嫌がられちゃって。矢内さんにならこんなに甘えるのにねぇ」

 ナメ子は心から残念そうないい方だった。恵美は祐二を首に巻いたまま、ガバッと上半身を起こした。

「あ、あの……あたし……酔っ払ってしまって……ごめんなさい!」

「いいのよぉ、そんなの。少しでもユウちゃんと遊べて、主人がとても喜んでいたから。でもね、主人がね、もう矢内さんに返してやった方がいい、って言うものだから……」

「本当にご迷惑をかけてしまってすみません」

 恵美はベッドから降りて、深く頭を下げた。

「まだ、酔いが完全にさめていないようだけど、私はこれで失礼するわね。おやすみなさい。じゃあね、ユウちゃん」

 ナメ子は名残惜しげに祐二を見た。熱い視線に、ブチュウがまた来るかと、祐二は体を固くしたが、何もせずにすんなり出て行った。


 ナメ子が出て行くなり、祐二はするりと体をほどいた。

「おい、恵美、なに酔っ払ってんだよ」

「ごめんね。ついつい飲み過ぎちゃった。お世話になるんだから、少しぐらいつきあって飲まないと悪いと思って……」

「おまえが正体不明になったもんだから、俺、ナメ子に捕まって、その後、寝室へ連れていかれてさ、あやうくあの社長に殺されるところだったんだぞ」

 恵美はまだ完全に醒めきらない頭を巡らせた。重いまぶたをぱちぱちと上下させて意識をはっきり戻そうと努力する。

「社長に? ちょっと待って。ナメ子じゃなくて、社長の方に殺されるって、どういうことよ」

「あのやろう、ナメ子以上のつわものだぜ」

「へっ?」

 あの紳士的な社長が? と恵美は首をかしげた。



※文中にある『小公女』とは、フランシス・ホジソン・バーネット原作の小説で、アニメ『小公女セーラ』として世界名作劇場のシリーズの一環でテレビ放送されていたものです。

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