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90 「ノワール映画」作戦 八

〈パッケージの移送が終了した。状況は〉


「あ、なんつった? 向こうは終わった感じか?」


 噴出する蒸気のお陰でクソ蒸し暑い上に五月蠅い戦場では、耳元での会話すら覚束ない部分がある。暗黒から鉛玉が飛んでくるわ、目が潰れるほどのサーチライトを照らしてくるわ、戦車の中に居なかったら今頃コイツの兵隊に勇んで入隊しているところだ。


〈ちゃんと仕事はしているんだろうなヘンリー・G(ガルシア)


「ちゃんとしてますとも、ラム隊長(ラスティ)。今は……っと、あっぶね」


 耳元で風切り音がして、反射で車内へ頭を引っ込める。


「ひとまずは……終わってる、って言えるか? 工場への放火に無差別殺人に略奪に……」


 どこから飛んできた。制圧は済んだはずだが……。


〈ポイントの確保は〉


「今し方。やっぱ重要な場所らしくてな、軍港より警備体勢が整ってら」


「ガルシア君、砲弾がもう無いんだけど」


 床や壁を覆う生物――――或いは触手の集合体――――が俺へ呼びかける。元々の素体から増殖した不定形生物は、搭乗員を材料に自身を拡大させた。今やこの戦車は一つの意思で動かされる、一つの生命体とも言えるだろう。


「無いもんは仕方ねぇ。蒸気の出力先を対人に変えておいてくれ」


「あいあいさー」


 どこから声を出してるのか分からない生物の触手が、うにょりうにょりと器用にバルブを閉めたり開けたりする――――正直に言うと、人間の身体じゃなくても正気が保てるのかが気になってしようがない。性転換(トランスジェンダー)ならまだしも、元が普通の人間だった存在がここまでおぞましくなって、自己嫌悪とか起きないものなのかという感じだ。


「ラム、お前は何時来るんだ」


〈パッケージとの交渉が終わり次第。それまでには全部仕上げておけ〉


「ん? もうお前の割り当ては終わってんのか」


〈あれから何時間経ったと思ってるんだ? 良いか、目的は対象の始末と破壊だ。間違っても余計な証拠を……〉


「アイアイサ。ヒーローは遅れてくるもんだからな、ガンガン手間取ってくれ。その方が掛けられる時間が増えるってもんさ」


〈……クソ、しくった時の後始末のことを考えてくれ。街一つの行政機能を潰したかない〉


「はいはい、馬鹿はしませんよっと。この街のクズ共が皇国のアレコレと共謀してって感じで……」


 再びハッチから顔を出す。照明や火炎が照らす石畳には泥酔した酔っ払いが何十人と眠りこけていて、まだ睡魔に襲われない奴らは陽気に蒸気銃をぶっ放している。今日の夜は実に景気が良い。


「……最後に訊くが、まだ誰もこっちにゃ来てねぇよな?」


〈あぁ、ケーにエム・エム、ファム・ファタール。全員が合流場所だ〉


「オーケー、それだけ聞けりゃ問題ない。頑張るさ、オーバー」


 通信を切り、自分たちが通ってきた街路を再び見やる。

 後方が五月蠅いと思ったら、お呼びでない客人らが随分とお早いご到着のようだった。


「ミィナ、警察か? 騎士団か?」


 呼びかける対象は、今さっきハッチへ降り立ったオウムモドキの方だった――――どいつもこいつも「ミィナ」だ。誰を呼んだか紛らわしくて仕方ない。


「ポリスダヨ。スゴイニンズウ、カズノボウリョク」


「マジかぁ……大丈夫かね、これ」


「早く行った方が良いんじゃない?」


 しゅるり、と器用に服の下を這って首元に触手(ミィナ)が出てくる。


「足止め出来そうか?」


「するしかないでしょ……ボクがやられるのはカズくんにだけ、赤の他人にこれ以上殺されてたまるもんか」


 両手じゃ足りない本数の腕の一つが銃座のグリップを掴んだ。機関が爆音を上げて、重厚で鈍重な身体を大儀そうに回し始める。


「……って、強がることは出来るんだけど。撃って当たるかなぁ」


「人の居そうな所にばらまいときゃ良いんだよ。誰だって無意味に死にたいとは思わん」


 肉腫が蠢く車内から、必要な物を取り出す。

 ベルトに取り付けた一巻きの爆薬、点火装置、蒸気銃のためのガスタンク、それにカズのリュックからくすねた危ない代物――――こんなものを作ったことすらアイツは忘れてるに違いない――――それらをしっかり装備に加えてから、勢い任せにハッチの外側へと飛び出した。


「ねぇ、ガルシア君もそう思ってるの?」


「うん?」


 車載機銃と生体的同化を果たしたミィナが唐突に尋ねてくる。


「無意味に死にたくないってこと。怖いって思わないのかなって」


「あぁ……まぁ、難しい話だよな。思う存分喋りたいが、時間が無さそうだ」


 怖いのか、とシンプルに尋ねる。怖いよ、とこれまた単純に返ってくる。


「それが普通だろうよ。死に慣れる、なんて体験は俺ぐらいしかしてねぇだろうし、するもんでもないさ」


「だとしてもさ、これからだって……」


 心配してくれているようだ。カズならきっと何も感じないのだろうが……。


「何、死ぬのはコイツだ。俺じゃあない。そこか肝心なのさ」


「屁理屈じゃないかな。痛いのは変わらないんじゃ……」


「終わった後でな、ミィナ。お前もお前で死に急ぐんじゃないぞ」


 どうにも複雑な気分だった。これは別段色恋沙汰というわけでは無く――――コイツとカズの関係性が色々と厄介すぎるのが問題である。


 俺は俺であって、アイツじゃあない。アイツもアイツで、俺じゃあない。

 こっちは知ってて、向こうは知らない。記憶とは何か、思い出とは何か?


 哲学の思考問題を現実に持ち込むほど馬鹿らしいことはない。それが実際問題として存在しうるのは、もっと馬鹿馬鹿しく、面倒くさいことに他ならん。



 正直な話、こんなことを考えたくはなかった。

 ただ無邪気にはしゃいで、連れ回して、自分自身が望む人生を送らせることが出来れば。それだけの話が、どうしてここまでこじれてしまったのだろうか。



 俺の移動に合わせて、突入要員が続々と集合し、あてがわれた役割をこなし始める。

 こういう場合は考えないことが何よりだ。疲れてるとき、切迫してるときに重要なことを考えるもんじゃあない。


 そういう訳で、頭の中でこねくり回されていたシナリオはどうでもいいものとなった。

 結局は殺すだけだ。物事はシンプルに、出来れば楽しく。


「……ちょっと、聞いてないわよ。どうするのよ、ねぇ!」


「どうすると言われても、着替えもありませんし。大丈夫ですよ」


 薄暗い収納室で小さな押し問答が繰り広げられている。この部屋の何処かで蓄音機が稼働しているようだ。鍵盤の跳ねつつも落ち着きのある旋律に、この街の空気の如く湿って纏わり付くような金管の音色が寂しく空気を震わせていた。


 僕らを招き入れた人影は、こちらに大した反応もせず行ってしまった。リヨンが出て行くのを躊躇している先はほの暗く、しかしここよりは十二分に明るかった。


「私が付いています。いざという時には上手く誤魔化しますから」


「そう言われたってねぇ……貴方は漏らした服のまま人前に出られるの!?」


漏らさなければ・・・・・・・秘密は秘密のままですから。堂々とした方がむしろ疑われますまい」


「ぐぅ、よくもぬけぬけと…………ちょっと、手を貸しなさいよ」


 言われるままに彼女の手を取ると、がっしりと取り押さえられる。


「いい、貴方には助けられたけど、この事は別よ。貸しひとつだからね?」


「貸し……はぁ」


「全く、女性に汚れた服で人前に出ろなんて、紳士として考えられない言動よ。そこは恩人として帳消しにしてあげるから、後々忘れないでよね」


 口ではそう言っているものの、漏れた灯りに見える表情は真剣そのものだった。

 握り締めた僕の手に勇気や決意が籠もっていると思っているように、ただじっと見据えて、心の中で何かしらを整理しているようだ。


「カーザ、これでも頼りにはしてるんだから。ビジネスは信用が肝心よ」


 僕にも自身にも向けた言葉を皮切りに、手を繋がれたまま動かれる。

 驚きというよりは戸惑いの方が強かったが、出てきた空間に対する意外性に――――これは既視感への確信と言った方が正しいか――――自身の思考が白紙に戻ったのを自覚できるほどだった。


「サニャ……」


「はい、何でしょう」


 口も回らない。ここを後にしてからまだ一日経つまい。

 カウンターを挟んで此方側には無表情なバーテンダー。向こう側には妖艶な美女に、二席分は陣取りそうな大柄な男に――――その体躯に半分隠れている、リヨンと同世代に見える女の子。顔はまだ見えない。


「カーザ、知ってるの?」


 リヨンが小声で、顔を動かさずに尋ねてくる。しでかしたことは分かる。


「あ、いや……ミス・サニアラ。話は聞いていましたが、失礼」


「いえ、お気になさらず。空いてる席へどうぞ。ミスター・カーザに……」


「リヨンよ。リヨン=シシュー……トバゴ」と視線を向けられて答える。努めて余計なことを考えないよう奮闘しているに違いない。


「なるほど。ミス・リヨン、何かお出ししましょう」


 サニアラは淡々と業務をこなす。慣れているのか、平常運転なのかは分からない。

 と言うより、何も居ない空間から声がしていて、それに平然と答えている以上、彼女はとうに察しているのだろう。となれば、本当に受け入れるのが早い人物と言えそうだ。


「……カーザ、こういう時は何を頼むものなの?」


 カウンターを潜る際に、リヨンが僕を強引に引き寄せて尋ねてくる。人の目を気にするのは分かるが、相手にどう取られるかには全く考えが及ばないらしい。


「飲みたいものを注文すれば良いのでは」


「それが分からないから言ってるのよ! この店で出してるものなんて知らないし……変なことを言ったりして笑われるのだけはゴメンよ。何とかして」


「何とかしてって……ひとまず出ましょうか。後がつかえてます」


 そう誤魔化して、僕とリヨンは客側へ移動する。一番奥へ陣取る麗人を通り過ぎる際、この人物が昨晩にも居たことを思い出した。


「お二方、お代は頂いていますので、ご注文を」


「あぁ、じゃあ……酔わないもので、そう、甘いものを二つ」


「かしこまりました」


 美女と大男の間にちょうど二席分の空席があったので、僕が男の隣に、リヨンは美女の隣へと腰を下ろすことにした。席に座ってもなお――――見失うのが不安なのか――――リヨンは手を離すことに少しばかり躊躇して、繋がりが切れたのは、サニアラが二人分の飲み物を出してくれた時だった。


「……なぁ、俺はヨってるのか?」


 隣の大男が戸惑うように声を上げた。それでも怒鳴るような声量で、一席分の空白を間に築きたいものだと思わざるを得ない。

 この男にも見覚えがあった。警察署でガルシアの被害に遭ったハンディーマン、名前はモリマだったか。響きが日本人らしくて妙に頭に残っている。


「いいえ、酔ってませんよ」と邪魔くさい体躯の向こうから声がした。「ちゃんと隣に人が居ます、モリマさん。わたしの友人なので、安心して下さい。いい人ですよ」


「う、うむ。お前がそう言うんなら、そうなんだろう」


 モリマが頷きを返すと、声の主がひょっこりとこちらに顔を出してくる。

 ここで僕は再び思考が止まる。ここが公衆の場で無く、またその人と二人きりであったのだとしたら、間違いなく僕は大声を出して確かめていたことだろう。


「初めまして、リヨンさん、って呼んでも?」とその子は言う。「わたしは『イリア』。そこの、カーザとは……結構なお友達なの、宜しくね」


 イリア。外見とある程度の発声からも、間違いなく彼女と言えた。

 せめて「本人」ではないと理解できることが何より有り難かった。それと同時に……イリアを真似ている「本体」に対して、複数の持て余せる情動が歪なひとつの塊になって僕の口を割ろうとしていた。


 僕は言いたがっていた。「どうしてその姿なのだ」と。

 だが言うわけにはいかなかった。今この場では、決して言えることでは無かった。


「イリア? その耳……まぁ良いわ、あたしのことも『リヨン』で構わないわ」


「分かった。あとね、この大きな人がモリマさん。特別治安……ナントカカントカの実働部隊を統率してる偉い人。で向こうのお姉さんがミラーカさん。郊外の孤児院の経営をしてる人。わたしもそこでちょっとお世話になってたの」


 イリア(ミィナ)が客人をそれぞれ紹介する。モリマは軽く頭を下げ、ミラーカと呼ばれた女性は目を細めて手をひらめかせた――――何処かで見たような顔だ。だが何処で? 僕には数えられるほどにしか人間関係が無いはず、忘れるはずはないと思うのだが……。


「全員、トウジンをどうにかするために集まった人達ってことよね」


 僕の思案をさておき、リヨンは躊躇無く主題に切り込んだ。


「警察の幹部はまだ分かるけれど……孤児院の保母さんがどうして?」


「まぁ、色々と訳ありなのよ。私の所に来るのは身寄りの無い子供だけじゃないし、不幸な人なんて見ない方が幸せで居られるし、ね」


 普通なら見て見ぬ振り、知らぬが仏だ。ホームレスを見て真摯に助けようとする人間なんて数えるほどに居るかも怪しいところで、更に街のそんな人々全員を救おうなんてことは個人が出来ることではない。


「トウジンって薬のせいで、働けなくなるまで身体を酷使したり、そっちに依存して家族のことを考えなくなったり、お陰様でうちの孤児院には子供より大人が多くなったほどよ」


「それ……本当?」


「レディの言うことにマチガいは無い。俺も聞くまでは信じられなかったが……とてもシンピョウセイのある話だった。実際に……この子だって、そうなんだ」


 モリマがミィナの方を見る。そういう算段だったのだろうか。

 僕の主観も混ざるが、確かに「被害者、虐げられるもの」というマスコットに抜擢するならば丁度良い外見と弱々しさを表現できる。


 心配されて、配慮されて、良く世話をされるのはいつだって可愛らしく、弱く、従順な存在だ。醜く、無価値なものが保護されることが果たしてあるだろうか。


「悪いことをする奴も許せないが、こんな子が苦しい目に遭うのはもっと許せん。プログラマーの奴らは俺達をヒトと同列に語りやがる。この子だって同じ目に遭ってるんだ……何も悪くないのに、苦しまなきゃならない。そんなのはおかしい。そんなことを見逃してるキリシの奴も、他のクズどもも……許すものか」


 モリマは熱く語る。自らも同じ立場に立たされているからだろう。

 自らが利用されていると知らず、というのは僕も同じだ。舞台裏を知っている身だからこそ得られる視点であって、あのマーカラという人物に利用されていることは変わらない。


「だからこそ、ここに来てもらいたかったんです」ミィナは笑いかける。「これまでにもポリスへお願いしに行こうとしたんですが、いつも門前払いされて……だから嬉しいんです。モリマさんがこうやって来てくれたこと、ポリスにもまだ優しい人が残ってたんだって」


「お、おぉそうだとも!」


 見ていられなかった。今の僕も、この男のように都合良く扱われているのではと思えてきたからだ。大抵の男は須く単純だ。あからさまな罠は見抜けても、もっともらしい装飾のひとつふたつで丸め込まれてしまうのだ。その事実がなんとも悲しく、悔しく感じた。


「そうだ、ところで。あんた、ミス・リヨンとか言ったか。トバゴってことは……あの会長さんのシンセキか何かかな」


「えぇ。正真正銘、トバゴ商会会長の一人娘よ」


「一人娘……ヒトリムスメ!?」


 サニアラまでもが目を丸くするほどの大声量だった。


「まさか! こんな所に居るはずが無いだろう!」


「五月蠅いわね! ちゃんと聞こえてるから静かにしなさい!」


 小柄な体躯にも関わらず、リヨンの声が僅かに勝った。モリマも予想だにしていなかったようで、しゅんと大人しくなった。


「色々ワケがあるのよ。じゃなきゃこんなとこまで来れないし……そもそも生きてたかどうかも怪しいものね」


 お代わり、とリヨンがグラスを掲げる。


「生きてたか、って言うと?」


「襲われたのよ。ワルモノ達に」


 淡々と簡潔に、しかし要点を見事に捉えた説明が続く。モリマは先程から目を丸くしっぱなしで、背中を叩けば飛び出るのではと言う様だった。


 上流区での騒ぎがポリスに渡ったのは、モリマが呼び出されたあとだった。本来ならば彼の部隊が向かうべき案件なのだろうが、肝心のトップがここに居る。完全な職務放棄であることに気付いたのは時既に遅くこのタイミングであった。


「モリマさん、落ち着いて」とミィナが腕を取って行く手を遮った。人間戦車のような相手を止められたのは、ひとえにその脆さと彼の優しさに依るところだろう。


「だが、早く行かねば被害が……!」


「行かなきゃいけないのは、違うところです。ですよね、ミラーカさん?」


 ミィナの言葉に全員の視線がミラーカへ向けられる。彼女も僕と同様、一人の傍観者として話を聞いていて、今ようやくかと言いたげに、揺らしていたグラスを静かに置いた。


「どういうことだ」とモリマが理解しかねて尋ねる。


「あまり言えたことでは無いのだけど、汚泥の溜まった下水道と同じぐらい、私の所には色んな情報が集まるの。悪いものが集まるんですもの、悪い情報は同じぐらい溜まるわ」


「リヨンさんを攫おうとしたのは、一種の陽動でもあるんでしたよね」


「「えっ?」」


 ミィナの言葉に、僕とリヨンが同じ声を同じタイミングに上げてしまう。

 聞いていない。予定じゃあ、このままリヨンにトバゴ商会の悪行を暴いてもらってお終いのはずだ。


「どういうこと? あたしを攫って脅すつもりじゃなかったの?」


「出来ていたら、もちろん脅迫してたと思いますけど……ほら、もっとやりやすい方法がありますよね?」


 全員が――――ミラーカとミィナは答えを待って、他三人は答えに窮して――――黙りこくった。


「……ねぇ、一つ訊いても良いかしら、モリマ氏」


 破ったのはリヨンだった。


「昼間に起きた襲撃事件って、誰が主犯だったの? 何が目的だったの?」


「あぁ? 確か……死体はギャングの構成員だった。銃に弾に、あと盗まれちゃいけないものまで取られたって……」


「ワルモノ達が、武器を求めて……で、本当に欲しいものはトウジンだから……」


 僕はなんとなく理解に至った。

 なるほど、確かに教えられないわけだ。僕から露呈したら色々と疑われかねない。


「……パパの工場!!」


「その通りです、リヨンさん」


「工場地区……上流区とはセイハンタイだ」


「貴方たちを引っ張るには一番都合の良い『餌』だったって訳ね。ギャングにも知恵者が居るみたい」


「トウジンを作っている工場が壊れるのはともかく、他の工場に被害が及ぶのは良くないです……モリマさん、もう分かりますよね?」


「あ……あぁ! 今すぐニンズウを集めてくる!」


「わたし達は署の外で待ってますから。モリマさん、おねがいします」


 もう誰も彼を止めようとしなかった。綿密そうで雑に作られた状況に見事躍らされた男は、自身の信念に従って戦いに望むことだろう。


「……えっと、そういう訳です。安全になるまで、リヨンさんはここで……」


「いいえ、付いてくわよ」


「えっ?」


 予想外の回答らしく、ミィナの動作が一瞬固まった。


「だって、こうなった元凶はトウジンで、一番悪いのはパパになるんでしょ?」リヨンは当然のように言葉を続ける。「なら、あたしが立ち会わなきゃ。パパだけじゃ責任を取れないときになったら、あたしも少しは償わなきゃいけないんだし、それに……」


 リヨンは僕の腕を手探りで見つけ、取った。


「足手まといだとは思うけど、この人がいるでしょ。危ないときにはちゃんと言うことを聞くし、無茶なお願いもしないわ。分かってるつもり」


「むっ――――」


 ミィナの視線が明らかに僕へ向いた。口をへの字に、その眼差しの意味するところは常識的な知識で判断できるものではあるが……イリアの顔でそれをされると、かなり心苦しくなる。卑怯だと言っても少しは許されるだろう。


「リヨンさん、私がいるといったって、守れる保証は……」


「貸しひとつ」


「あぁ……左様で」


 別段断る理由はない。これからの展開は僕の与り知らぬものだ、無意味に状況を変えなければ何をしても構うまい。また隠し歩けばいい話だ。


「――――カズくんにはしなきゃいけないお仕事があるの。途中までは許すけど、邪魔だけはしないでね」


「えぇ、ちゃんと分かって……カズくん?」


「…………あっ」


 やってしまった、という分かりやすい顔まで作る。それでは裏があると言っているようなものだ。


「えっと、これはね、違うの。わたしはね……」


「……カーザ、どういうこと?」


「まぁ…………何と言いますか。彼女の友人に『カズ』って名前の方がいらしたようで。その方もお亡くなりになっていて、私を彼だと勘違いしていた時期がありましてね……」


 何故僕に尋ねてくるのか、という理不尽に耐えてどうにか取り繕う。

 そこそこ上手く嘘を付けたとミィナの方を見ると――――妙な顔をしていた。


「……イリアさん?」


「ひぇ? あっ、はい。そうなんです……お恥ずかしい、えへへ」


 気が抜けてたとしか言えない間と反応に、僕とリヨンは言い出せない不可思議を抱くしかなかった。

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