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89 「ノワール映画」作戦 七

 戒厳令のお陰で、今夜のここは嫌になるほど静かだった。

 出しっ放しの露店にも、幾度となく肩がぶつかる環状路にも人影はない。ただ一つ動くのは、その影を作り出す白熱電灯の直下の男だけで、この異様な光景を眺めているのもこの一人だけのようである。


 腕を組み、大柄な体躯を街灯へもたれさせ、退屈そうに視線をあちらこちらへと向けている。人の絶えない場所でただ一人、何かを待っているようだった。


 と言うより、彼が待っているのは、誰が何と言おうとボクなのである。


 襤褸切れを頭巾のように被ってから、無骨で横暴そうで、単純そうな人物へ歩き出す。この街の別の場所では、こんな静けさがウソのようにどんちゃんと大騒ぎが起きている。今この瞬間にも、警察かギャングか、そのほか大勢の可哀想な犠牲者が増えていることだろう。



 ボクが減っていく、ボクが少なくなっていく。

 感じられる自分自身が確実に、傍に居る「ボク」が感情を揺らして伝えてくる。


 他のボクが頑張ってる中、「ボク」は安全な役割に抜擢されて、ここに居る。

 なんだか複雑だ。死ぬのは怖いけど、ボクだけ逃げているようで……。


 頭を振って、思考をまっさらにする。ボクボクボクって木魚か何かかって話だよ。

 大丈夫、カズくんにも出来るんだ。ボクにだって。



「……こんばんは。モリマさんで、間違いないですよね」


 男の背後に辿り着いて、ボクは台本(シナリオ)に従って事を始めた。

 彼はかなり驚いたようで、振り向いた際に街灯へ左肘を強かに打ち込んでしまった。錯覚ではあるだろうが、僅かに金属製の支柱が歪んだように見えた。


「ダレだ、お前。コドモは家で大人しくしていろ」


「ボ……コホン。わたし(・・・)は、お使いを頼まれた者ですから」


「おツカい?」


「ここに来てくれたと言うことは、手紙を読んで頂けたということですよね」


 男は思い出したように懐へ手を突っ込んだ。


「これ、お前が出したのか」モリマは当然のことを確かめるように訊いてくる。


「わたしじゃなくて、わたしの……まぁいいか。そうです」


「ここに書かれてること、ホントウなのか」


「はい、そうです。本当のことです」


 同類かも、とちょっと思ってしまった。

 難しいことを考えると、こんがらがってワケが分からなくなる。ボクも彼も同じなのだ。だから相対的に簡単なものが、普通に難しいものに思えてしまう。


「クワしい話を聞かせろ。キリシがクソッタレどもにキョウリョクしてるのはホントウなんだな。オレはポリスだ。お前をコウソクするケンゲンもあるんだ」


 ただ、話は早い。カズくんと違って、疑うのは内容まで。その発言の裏にあるものを考えていない上、すぐに権力とかに頼る。あの子達と同じで、ものすごく分かりやすい人のようだ。


 カズくんにも出来たんだ、ボクにだって。


「訊きたかったら、付いてきて下さい」


「どうしてだ」


「お会いさせたい方がいるんです。この街に正義を取り戻すためには……貴方の力が必要ですから」


「どこに連れて行く」


「変な所じゃないです。付いてきてください」


 フード部分の位置を直しつつ、跳ねるように彼を誘う。

 なりたいボクになれるのはとても楽しい。とても幸せな気分になれる。だからこうして行動にも出てしまう。カズくんのように我慢なんか出来ない。


 驚いてくれるかな、カズくん。















「ヒッドい……何この臭い、なんて場所なのよ、ウェッ……」


「もう暫く我慢を……ただ、この現状はしっかりと見て頂きたい」


 抱きかかえたまま、どれほど歩いたことか。狭くなった空は暗澹としており、僕とリヨンの瞳孔は僅かな光も逃すまいと開ききっていることだろう。


「……こんな場所で暮らしてたの、貴方……」


「私は暮らしてませんがね、確かに人が暮らして良い場所ではないとは思います」


 僅かに捉えられるリヨンの顔は、扉の隙間から外界を覗こうとする少女そのものだった。僕らの通るこの路地は、彼女にとって未知の世界であり、思い描くことすら出来なかった世界の底であることだろう。


 死体と見分けの付かない家無し人(ホームレス)が、悪臭立ちこめる有機物の残骸に集っている様子。無造作に投げ捨てられた、身ぐるみを全て剥がされた後の死体。排煙と老廃物に排泄物、黒ずんだ血。屋外という条件を鑑みれば、シナ村や平原での臭いよりもずっと酷いものだと言えるだろう。


 これが元来あるものなのか、ラスティ達が用意したものかは分からない。

 だがこう言った景色があること、その事実が必要なのだ。人は自身の経験を何よりも引用する――――僕がその体現者みたいなものだ。


 喪った経験から、得ることを避けるようになった。これほど単純で理解しやすい例は無いだろう。


「……これが、パパのせいだって言いたいの?」


 リヨンはか細い声を漏らした。震えてはいないが、僕の首、そして鳩モドキ(ミィナ)に回す腕には力が込められている。


「どう捉えるかは……貴女次第です。お嬢さん」


 僕は最大限、彼女の意思を聞こうと決めていた。

 自分の意見というものは、押し付けるほどに反発されやすいものだ。ある考えを押し付けるためには、かなり回りくどい方法を採らなければいけない。


「ギャングが貴女も含めて商会を襲うのは、そこがトウジンの供給源であったからです。より多く、より質の良いものをと彼らは望もうと、商会は寄越してくれない。貴女の父親にとってギャングとは利用可能な暴力手段であって、言わば飼い犬以外の何者でも無かったはずですから」


「そんな……ウソよ。パパがそんな酷いこと、してるはずが」


「無かったら、貴女は襲われていませんよ。お嬢さん」


 それが何よりの証拠だ、と僕は白々しく言う。

 ある種の罪悪感がある。人を騙すというのは、たとえ必要なことであっても心地の良いものではない。僕は自分自身をも騙すことで、そのしがらみを忘れようとしているぐらいだ。これは必要なことだ、これは本当のことだと。


「……ねぇ、ユーレ……いや、カーザ。トウジンって、そんなに良いものなの?」


 リヨンは話題を変えた……と言うよりも、疑問を解消したいのだろう。


「あたしには分からないわ。誰かを殺してまで欲しいものなの?」


「分かってしまったら、人としてお終いですよ」


 一度立ち止まり、リヨンを抱え直す。

 抱き上げる前から匂っていたものの正体にも見当が付いてしまったが、今更止めるわけにも行くまい。血に汚れたことだってある、これぐらいなんぼだ。


「貴方は知っているの?」


「いえ。ですが……魅入られた人がどうなるかは、お互いに分かったことでしょう」


 そう言うと、リヨンは再び見える限りの周囲を見渡した。


「こんなものが蔓延して良いはずがない。貴方の父親がしていることは、世界を病に伏せさせても可笑しくない事なんです……止めなければいけない」


「…………」


 答えはなく、顔を伏せて胸元へ沈み込ませてくる。

 甘えてきた、という様子ではない。顔を見られたくないか、もう汚らわしいものは見たくないといった雰囲気に感じられた。


「……あたしに、何が出来るのよ」


 僕に向けたもの、とは思えなかった。


「ねぇ、パパの仕事をあたしが止められると本気で思ってるの?」


 その問いかけに対する答えは思いつかなかった。

 黙っていると、リヨンは再び顔を伏せた。


「分かってて、助けたの?」


「……何と言えば良いか。お嬢さん。これは単純な問題、課題ではないんです」


「そんなの分かってるわよ。だから言ってるんじゃない……あたしはパパに口出しできるほど偉くないし、パパだってあたしのことを気にしちゃいないんだから」


 助けてもらったことには感謝するけど、あたしは何も報いられない。こちらの胸が痛みそうなほど、リヨンはきっぱりと断言した。自分は無力だと。


 イリアと同じような反応だが、決定的に異なることがある。

 それは意思があるということ。無鉄砲にすら思えるほどに行動力があることだ。


「少なくとも、お嬢さん。貴女は父親の一人娘です。事業を受け継ぐことになれば、その代表は貴女か、貴女の婿になることでしょう」


「そりゃ……そうでしょうけど。まだ十六よ? ビジネスのための勉強は……サボってるしさ、やっぱり力にはなれないわよ」


 外見二倍の法則は間違っていなかったようだ。こんな子供が一つ下とは思えないが。


「だとしても、協力はしてもらいます。貴女が居るのと居ないのとでは、決定的な違いがあるんです」


「そこまで変わるものなの?」


「貴女が理解を示してくれる、そのことが何よりも重要なんです」


 この街で、唯一トウジンに囚われていない、貴女なら。

 僕は心からそう伝えた。たとえマッチポンプに荷担していようと、薬物に対する考えや思いは真実のまま伝えられる。行動と思考は異なるもので、だからこそ他人は理解に及ばない存在として君臨しているのだ。


「貴女がこの現状を嘆いて、我々の側に付いてくれる。そうしなければ……」


「なるほど、正当な後援がなければただの悪い人達になっちゃう。パパをどうにかできたとしても、その後が大変になるって事なのね」


 こういうことは理解が素早い。有り難いことで、この人の長所だ。

 ビジネスや交渉において――――その真偽や正誤がどうであれ――――決断や判断が素早い人物というのは、どちらの側としても有用で、価値のあるものだ。


「つまり、貴方たちにはリーダーが必要なのね。貴方たちがあたしに皆を救ってほしいって頼み込んで、あたしが手伝いなさいと貴方たちに言う。うん、そうね。貴方たちにとって、あたしって存在は凄く便利で有り難いものだわ。ダメだったらあたしを生け贄にしちゃえばいい訳だしね……」


 先程までのなよなよしさがどこへやら、第一印象の傲慢にも近い自信家の一面が戻ってきた。どういう心境の変化なのかは、きっと僕なんかには永劫分かるまい。


「ねぇ、カーザ。二つ訊くわね」


「何でしょう」


「一つめ。貴方たちの目的は、この街からトウジンを無くすこと……と言うより、パパの支配から脱却させること、よね」


「えぇ。トウジンに人生を狂わせられる人が居て良いはずもない」


 この解放の先に、一人の女性による洗脳支配が待っているとしても。

 これは正しいことではない。幾つもの要因や条件が重なっていても、それだけは言える。僕たちのすることは――――していることは――――間違いなく悪だ。騙して、殺して、自由すらも奪い取ろうとしているのだ。自分自身の幸福のために……大したエゴイズムだ。


「二つめ。貴方たちがなにを目指しているのかは分からないけど、とにかくあたしの助力が必要で必要で、もう辛抱溜まらないのよね?」


 先と同じように、確信のある問いかけだった。

 というよりも、無邪気な悪意の籠もる、とてもわざとらしいものだと僕でも感じられた。


「えぇ、お嬢さん。貴女が居なければ、我々の正義は正義たりえませんから」


「そういうことなら、ふふん。協力するわよ」


 命も助けてもらったし、現在進行形で汚れ役をさせちゃってるし、と続く。

 ノリに乗ってやると、面白いぐらいに予想通りの回答が返ってくる。これはとても面白い事だった。


「それに、誰かにここまで必要とされたの、初めて」


「ん?」


「良いわね、凄く良い気分……あっ」


 何かに気付いたようで、真っ暗な中でもその表情がみるみる羞恥に耐えられなくなってきているのが分かる。


「……ああ貴方、いまの発言っ、忘れなささいよ」


「何て?」


「だからっ、忘れなさいって言ってるの! あたしは何も言ってないッ……このことを誰かに漏らしてみなさいよ! 絶対絶対忘れてやらないんだから、一生恨んでやるんだからね!」


「……えっと、はぁ」


 何が逆鱗に触れたのかさっぱりだったが、正真正銘子供の癇癪だった。


「あたしはね、別に協力しなくたって良いのよ! でも貴方たちがどうして持って言うからね、それにこうして助けてもらった訳だしっ、だから仕方ないというか……そうビジネスよ! 取引で協力するって決めたの!」


「はぁ、まぁ。そうでしょうね」


「……分かれば良いのよ、分かれば。まったく」


 どうにも他人というものは分からない。

 確かにこの無邪気さというか、幼さは恥ずかしいと感じても可笑しくはないだろう。だがこうもムキになってしまっては余計に恥を搔くだけだ。


 僕だったら口にすら出来まい。やってしまったと後悔するだけだ。

 同じ人間なのだろうかと、いつか思ったことを掘り返したように彼女から感じた。



 言われていた合流地点(ランデブーポイント)には容易に辿り着けた。

 路地とすら思えない細道に溶け込む一つの扉に、二回、三回、間を置いてからまた二回。言われていたとおりにノックをかけると、内側からは鍵だけが外された。


「ラスティさん」


 僕は無線機に呼びかけた。


〈ラスティで良い。報告を〉


荷物(パッケージ)の移送が終わりました。次は?」


〈……お前の友人(パートナー)に従え。指示は出してある。ご苦労〉


「パートナー?」


 僕の疑問に答えることはなく、通信は切られてしまった。

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