86 「ノワール映画」作戦 四
「私書をお預かりしています。受領印を」
「……えぇ、確かに。ご苦労」
「本人様に直接届けるように上から言われていますので、そこだけはよろしくお願いします。では、良い一日を」
形式上だけのやりとりを終えて、ミィナの繰る自動車が離れていく。
上流地区とは良く言ったもので、街を覆っていたスモッグも幾らか薄く、どの住宅も大きく、無駄に広い庭を持ち、住人は労働に向かうこともなく自由気ままな暇潰しを楽しんでいるようだった。ここだけを見てしまえば、平穏で素晴らしい街に違いない。
トバゴの権威を象徴するような邸宅が、僕と書簡を受け取った衛兵を見下ろしていた。
「んじゃ、行きますか」
彼がそう言うと、敷地内へと歩き始める。
これほどに潜入に向いた人員が居るだろうか。誰にも怪しまれることがなく、どんな重要人物にも言葉そのまま「乗り変わる」ことが出来ることの、どれほど凶悪で質の悪い能力であることか。
やろうと思ってしまえば、ここに暮らし働く全員が骸として横たわることにもなるのだ。僕の知るギフテッドのほとんどに言えることだが、個人が保有するにはあまりに強力すぎる。まさに一人軍隊だ。
「ガルシア、リヨンってどんな人物なんだ」
〈お前なら扱える奴だ。年も近いし、全力を尽くせば簡単に騙せる〉
「扱えるって……言い方は良いとして。全力を出さないと行けない時点で、簡単ではないと思うんだけど」
〈お前は力を入れる仕事とそうじゃないことを分けられる人間だろ? お前の性分なら上手くいくって事だよ。俺より慎重な言葉選びをすることだしな〉
「お前が軽すぎるだけだろ……」
〈俺が喋る場面で重要なのは、考えて言ってるように感じさせないことだからな。バカが策略練ってるとは考えねぇだろ? そういうモンだ〉
口を噤み、テレパスで会話を続ける。
屋内も呆れるほどに広い。アストラリアの居た邸宅に負けず劣らずだ。
「リヨン様、お嬢様宛に私書が届いております」
扉の一つ前に立ち、ガルシアが声を掛ける。
向こう側からは気だるそうな、面倒くさそうな、或いはうざったそうな声が上がった。
「……誰からよ」
凄く若い声だった――――若すぎる。これは子供の声だ。
「ええと……封筒には何も。ただ、配達人から中身を見ずに直接渡してもらいたいと言われまして……」
「何か入ってたらどうするのよ。見て良いから確かめて」
「そう言うのなら……中身はただの便箋と、何かの小物。用途は分かりませんね」
「何よ、小物って」
「装飾品……としては簡素な作りですが、まぁ私が説明するより自身の目でご覧になった方が楽かと」
ガルシアが肩をすくめていうと、ようやく扉が開けられた。
「……ほんとだ、ワケわかんない。なにこれ?」
漏れそうになった声をすんでの所で抑えた――――子供だ。話で聞いていた以上に幼い。
これが僕と同い年……信じられやしないが、そういう種族らしい。
「手紙の方は目にしていませんので……おっと」
背後に回していたガルシアの手が開かれ、小さな影が元気よく飛び出した。
「きゃっ! 何よ!?」
廊下を直進して旋回した後、リヨンが開けた扉の隙間に器用に突入していった。
全員が見つめる中、その影はベッドの縁に留まった。
「小鳥ですかね。直ぐ捕まえます」
ガルシアが素っ気なく応答して室内への侵入口を確保し、背後に続くような形で僕も入室を果たす。言わずもがなだろうが、あの小鳥はミィナだ。
「……見ない鳥。あなた知ってる?」
「いえ、無学なものでして……可愛いことぐらいしか」
そろりそろりと、無駄に凝らせた演技で小鳥へ近寄っていく。
ミィナの方はそんな努力を露知らず、距離が詰まったところでガルシアの手元に舞い上がった。これぐらいの適当さで通じるのだから、努力のしどころを間違えているような気がしてならない。
「人懐っこいのね、その子。見せて見せて」
「えっ、はぁ。どうぞ」
ガルシアが驚いたような声だけを上げる。小鳥もちょんと手から手に乗り移り、リヨンが遠慮なく触り弄り回すのを黙って受け入れていた。
「誰かに飼われてたのかしら。すごく可愛いわ」
「お嬢様、外に逃がしてやらないと」
「嫌よ。野生の子がこんなに甘えん坊なはずないわ」
事実なのだが、これはどう対応するのだろうか。
僕の出張るところじゃない。見学させてもらおうとベッドへ腰掛ける。何かの香料が風圧で舞い上がり、その鼻につくほどの華やかな匂いが、ここが彼女の部屋であることを嫌にも感じさせる。
「まさか、お飼いになるつもりですか? お父上がお許しになるか……」
「パパには絶対見せないわ。あなたも絶ッ対口にしちゃだめだからね」
「……左様ですか。では、何か餌になりそうなものを探して参ります」
「木の実が良いわ。ユリガラシの実よ。庭に生っていたはずだわ」
「承知しました、お嬢様」
僕の方を一目見て、おどけるように肩を微かにすくめてにやけ顔を見せる。
今のガルシアに無線機は付いていない。内緒話が出来ないことをもどかしく思っていることは察せた。
「大丈夫だ、全力は尽くす」
そう言ってやると、ウインクで返された。
単純なことだ――――反面、という言葉が付きかねないが、演じることに関してはアイツが教師になり得る。真似事をすれば良いだけだ。
「……そうだ、さっきの手紙」
机に頭を乗せて小鳥と戯れていたリヨンが、思い出したように顔を上げた。
目的のものは腕を伸ばして届く位置にあり、小鳥は橙色の木の実の小山へ飛び跳ねていった。小指の爪ほどの大きさとはいえ、この子にとっては頬張るに足るサイズ感だ。それが自身と同じぐらいに積み上げられている。
「なになに、『親愛なるリヨン=シシュー嬢へ、今宵の不幸から貴女を救わせるべく、ひとりの紳士をお送り致します。同封した魔法の道具を……』これのことかしら」
飽きて放られていた無線機を指でつまむ。
「『……耳の穴を塞ぐように身につけて下さい。彼の言葉が聞こえるようになります』……今宵の不幸? 言葉が聞こえる? どう言う意味なの?」
リヨンは便箋を机に放り、無線機をあれこれ弄り回し、舐めるように観察し始めた。
ぶつぶつと独り言を呟いて数分、不可解よりも好奇心が勝ったようで、慣れない手つきで無線機を耳へはめ込み始めた。
紳士、か。ここからが本番なのだが、とんでもないことを書いてくれたものだ。
文書を用意したのは、僕を除いたギフテッドの誰かになるはずだ。こういう類の言い回しをしそうなのは……ガルシアがやはり思い浮かぶが、セラも筆が巧そうな印象がある。
どちらにせよ、僕がなるべきキャラクターが勝手に決められてしまったも同然なのだ。変なことを捏造できなくなったが、これは簡単な骨組みを与えられたと思うことにしよう。
「……なんだかバカらしい。この中に小人でも入ってるって言うのかしら」
仮面を被ることには慣れてるが、こういう演技紛いは初めてだ。どこまでやれるか。
大丈夫、彼女が見るのは僕じゃない。姿のない一人の紳士だ。
「……流石にそこには入れませんね」
「やぇえあぁっ!?」
無線機を取り付けなかった右耳を中心に、思い切り殴られたような動きをする。耳元で見知らぬ誰かが囁きかけたかのような反応だった。下に絨毯が敷かれていてもなお、椅子の倒れた盛大な音は室内に響いた。その物音にミィナが驚いて飛び上がり、着地しようとした先には木の実の山があった。
僕の他に居るのはその二人……一人と一匹だけなのだが、そのどちらも見世物のようなどったんばったんの大騒ぎである。
「だっだだれれだれ、だれッ!? だれッ、どこっ、なにっ!?」
「あの、落ち着いて……」
「ヒィッ! ままままた聞こえたっ!」
とんでもない驚きようとビビりようだった。腰が抜けたらしく、部屋の端の方へ必死にずり下がって、耳に付いた無線機を震える手で引きはがそうとしていた……人が本当にここまでなるものなのだと、こちらもある意味で驚かされる。
イリアと初めて触れた晩を思い出す。思い返せばイリア以降の人物と出会った際には必ず僕を知っている誰かが居て、斯く斯く然々と説明してくれていた。ここまで純粋な反応は、本当に久しぶりのことだった。
彼女が落ち着くのを待つ必要があった。ミィナはばらばらになったユリガラシの実をちょこちょこと拾い集めていた。まめなことだ。
「――――その、申し訳ありません。驚かす気は無かったんです」
取り外してしまっていたが、喋っていることは聞こえるだろうと声を出す。リヨンは予想通りに目を落とし、恐る恐る長い耳を傍へ寄せていった。
「あっ、あなたはだれなの?」
「私、私ですか……」
彼女の慌てようですっかり失念していた。流石に本名を出せはしない。
「……カーザ。そう呼んで頂ければ」
「か、カーザ? あなたはそこにいるの?」
「そこ……と言うと、貴女が今目を落としているものの中、と言うことでしょうか」
「そそ、そうよ」
僕は思い悩んだ。先程の様子からして、変な開示をすれば同じ事が繰り返される。
知識の違いがこういった修羅場を産み出すことにはもう感服するしかない――――もしも彼女が全て知っていたとしたら、こんな計画が立てられるはずが無いのだが。
「いいえ、残念ながら。私は……何と言いますかね」
ベッドから腰を上げ、リヨンが座っていた机へと向かう。
「幽霊、と言って信じますか。リヨンさん?」
「ゆうれい……?」
これで通そう。僕は亡霊だ。
どう言う理屈で現世に残ってるのかが分からない、放浪するお人好しな幽霊。
「……そうですね、この小鳥を見ていて下さい」
木の実を集め終わって満足げな小鳥の近くを叩き、驚かせないようにゆっくり触れる。
この子がミィナだからこそ出来ることだった。何がどう転ぶか分からないものだ。
「どうでしょう、これで信じていただけますか」
指に乗ってもらったまま、リヨンの前で跪く。
「――――――――」
小鳥は首を傾げながら、絶句している彼女をじっと見つめている。呆気に取られていたようだったが、半ば無意識のように腕が伸ばされてきた。ミィナは器用にちょこんと飛び移る。
「――――カーザ?」
「えぇ、何でしょう」
「どうやって入ったの」
リヨンは尋ねてきてくれた。こちらが話題を持ち出す必要が無いことはかなりの救いだ。
「まぁ、先のゴタゴタの最中に。それまではずっと外で機を窺っておりまして」
「じゃあ、なんでここに来たの」
「貴女を御守りするためです……お嬢さん」
口にする自分が腹立たしくなった。何がお嬢さんだ。気障ったらしい。
ガルシアを参考にしようと思ったのが間違いだった――――が、それ以外にここまで参考になる人物がいるかと問われてしまえば、答えられるほどにその人を知らないと口にするしかない。心身ともに一番近くに居たのはイリアだが、それ以上に踏み込んできたのは奴と、恐らくはミィナぐらいしか居ないのだ。
「守るって、なにからよ。誰からよ?」
「街の悪者達から、ですかね」
「何よそれ。もう十分すぎるぐらいに足りてるわよ。外の護衛達を見てこなかったの?」
先程までの驚愕や恐怖はどこへやら、簡単な問答を幾つか繰り返すだけで本来のテンションへ戻り始めていた。出来事に対してはそれなりに適応力のある人物なのかも知れない。
「まぁ……数は多いとは思います」
「そ・れ・に! 街のワルモノ達がここまで来れると思ってるの?」
ここは上流区で、入るには軍とポリスの管理する門を通らなければいけない。僕も見てきたから分かるが、強行突破するには少々厳しい、まさに関門だった。
「まぁ、来なければ来なかったで、良いことです」
間違いなく来る、と言うのは少しリスキーな気がした。
「私は保険のようなものですよ。もしも彼らがここまで来て、貴女を守っている護衛達もみんなやられてしまったときのような、まさに最悪の状況に陥ってしまったときの」
「そのためにわっざわざ来たの? 幽霊もヒマなのね」
「死んでますし、生きるために仕事もしなくていいですし」
「……と言うよりもよ!」リヨンは唐突に立ち上がった。ミィナは体勢を崩しながら慌てて飛び上がった。
「どうしてレディの部屋に入り込んでおきながらさも当然のように喋ってるのよ! 不埒! ふしだら! ハレンチ!」
「えっ……えっ?」
飛び込んできた彼女を躱し、盛大に滑り込みを決めた後ろ姿を見て……ようやく僕も理解に至った。ここも一応は――――と言うより間違いなく――――個人のためのプライベートな空間なのだ。そこにまったく知りもしない誰かが居れば、そりゃ排除に動かざるを得ないだろう。彼女の方も今し方それを思い出したようだ。
「ちょっとッ、大人しくつかまってよっ!」
振り返って再び飛びかかってくる。が、ずっと同じ場所に留まっていると考えるのは流石に浅はかすぎるのではないか。
「どこよっ、もう! 早く出てって!」
「出てけって、そういう訳にも」
腕を広げて、ムキになって走り回っている。
僕の方が遙かに有利で、気楽だった。走り込んでこない場所でゆっくりしていれば良いのだ。選んだのはベッドの壁側の端だった。
「何が紳士よっ、デリカシーも無いくせに!」
「幽霊は大抵デリカシーが無いものですけど……」
他人の家の中に入ったり、住み着いたり、自撮りに映り込んだり。
壁も容易にすり抜けられるような幽霊が居るとしたら、プライバシーもへったくれも無くなるだろう。僕はそう考えることにした。どうにか話題を反らせればこちらの勝ちだ。
「もう! いい加減に観念なさいよ!」
「観念も何も、走り回ってるのはお嬢さんだけですよ」
「なによそれッ! レディが走り回ってるのを眺めて楽しむなんて、貴方はそれでも紳士なの!」
「楽しんでるとは言ってませんよ……そろそろ止めたらどうです?」
「一々……理屈っぽい……わね! 良いからつかまりなあぁっ!」
自分の脚に引っ掛かり、先程よりも盛大なヘッドスライディングを決めた。勢い余って絨毯すらも引っ張るほどで、反っていた脚がばたりと床に付いたっきり彼女は動かなくなった。
「あぁ、言わんこっちゃない」
僕はリヨンの傍に近づく。勝手に転んだとはいえ、原因は僕にある。
流石に転んだ相手を見守るだけの傍観者でいるつもりはない――――黙ったまま、背中が軽くしゃくり上げられ始めたとなれば、尚更だ。
「……お嬢さん、大丈夫ですか」
リヨンの傍に屈み、肩へ手を伸ばす。触れると軽く驚かれるが、静かなままだ。
ミィナが傍に降り立つ。顔の周りを跳ね、嘴で軽くつつく。
「あの、もしもし?」
「うぅ……」
小さなうめき声。もしかしたらマズい身の当て方でもしてしまったのかもしれない。
何を言われるかという懸念はあったが、その時はその時だ。肩を掴んで、頭を支えながら仰向けにさせようと――――した訳なのだが。
「えっ」
リヨンの腕が蛇のように肩へ掛けた左腕に絡みついてくる。二の腕をがしりと掴まれ、もう片方の手が僕の右肩を力強く押し、結構な体格差がありながらも見事に押し倒されてしまったのだ。
「……よ、ようやく捕まえたわよ、ユーレイさん……っ」
僕の上に馬乗りになり、勝ち誇った顔を作っているつもりなのだろう――――――――長いまつげに目に見えるほど大きな涙を溜めて、垂れた鼻血は引き攣った笑みの上唇から僕へ滴ってきている。
「みっ、みみ見事に騙されてくれたわね、おおお馬鹿さん……」
我慢している声だ。何が何でも僕より優位に立ちたいらしい。
騙されたも何もない。転んで僕が近づいてきて、それをチャンスだと行動しただけだ。計算尽くで行動したのなら、泣きたくなるほどの転び方をするはずがない。被害を鑑みずに決行したのだとしたら――――ただの馬鹿だ。流石にそんな人ではないと信じたい。
「…………参りましたよ。参りましたから、ご自身を大事にして下さい」
自由な右腕をどうにか動かし、まずは鼻血を拭った。鼻そのものは曲がってないから、単純に血管が切れただけだろう。
見えない手が触れてきたことで、リヨンは少しばかり仰け反った。その反動で溜まっていた涙がこぼれ落ちて、頬に一筋の反射光を作り出す。
「べっ、べ別に痛くもなんともないわ……泣いてもないわよ……」
「痛くなくても血は出てるんです。止血しないと」
「やめてよっ、自分で出来るってば」
「私を両手で押さえつけながらですか。ほら、頭を振ると余計酷くなりますよ」
「だから別に痛くもなんともないって――――いででででで!」
リヨンの左手が勢いよく上がる――――ミィナがつつきまくったようだ。僕の上にちょこんと飛び乗って、今度は右手の方をちょこちょこ攻撃し始める。あっというまに僕を押さえつけるのは彼女の自重だけとなる――――乗られている位置を考えるのは止めておこう。僕は何も考えてない。
「ほら、強がったりするから」
「ちがっ、さっきのはその子が――――あたたたた! ちょっと止めて! 止めてったらあだだだづづづでででで!」
ミィナはまだ止めない。親の敵のようにリヨンの顔を執拗に攻撃している。別段傷つける意図は無いように感じられるが、流石にリヨンが可哀想になってきた。
「大丈夫だって、ミィナ。もう止めてやって」
「いつつつつ……いてて、うぅ……どうして急につついて来たのかしら……」
僕が諭した途端に飛び去って、木の実の小山へ向かっていった。
彼女のつつきがかなり効いたのか、僕が起き上がってもこれといった拘束はされなかった。それどころか、こちらが鼻血の手当をしている間、ずっと素直にされるがままだった。
「ねぇ、貴方」
「何でしょう」
「さっき言ったの、あの子の名前なの?」
鼻声で尋ねられたことが一瞬理解できず、そしてにわかに緊張が胸を締め上げる。
「……せ、生前に飼ってた小鳥の名前、でして。随分似てたもので、無意識に……」
「そうなの、動物はユーレイを感じることが出来るって言うのは本当だったのね……」
「その通りですけど、ヒトと同じようにそういうのはまれなことなんです」
鼻をつまんでいた手を交代し、僕の上から降りてもらう。
プログラマーの外見と実年齢に関する話題は、この女性に限っては信じられない話だった。或いは第一印象が外見に大きく左右されてしまう根拠になるのだろうか。こけて鼻血を出し、座り込んで涙目に鼻を抑える姿は、どう足掻こうと十歳を越えない女の子でしかなかった。僕と同じだけの生を送っているとは思えない。
「……ゆ、ユーレイさん」リヨンが話しかけてくる。
「その、えと、さ、さっきのことを誰かにバラしてみなさいよ? ギッタンギタンにして本当にあの世へ送ってやるからね!」
「……今の所、話せるのは貴女だけなので、まぁ無駄な心配だと思いますが」
「分からないじゃない! 良いから喋るんじゃないわよ、良いわね!」
明らかに強がる声色と調子では無かったのだが、これがリヨン=シシューという人物らしさなのだろう。
「分かりました。新たに話せる相手が出来たときには、気を付けることにしましょう」
「……ちょっと! 勝手に動かないで!」
僕が立ち上がろうとしたのが音で分かったのか、かなりの勢いで制止される。
「大丈夫です、変に動き回りませんし、どれにも触りませんから」
「そうじゃなくて……その、勝手にうろつかれること自体がイヤなの! 分からない!?」
「……なら、このまま座っていれば?」
「え、えぇ……そうだ!」
鼻を押さえたまま立ち上がり、ミィナが啄んでいる木の実をかっ攫ってくる。
何をするのかと思って見ていると、リヨンは僕に触れながらその周囲へぱらぱらと木の実を撒き始めたのだ。赤い絨毯にユリガラシの橙色は良く馴染み、全てを巻き終えると彼女は椅子を傍へ引っ張ってきた。
「ふふん、これで貴方が動いたのが分かるわ」と、背もたれを抱きかかえながら自慢げに笑う。そんな風に座るものだから、両脚が女性の広げて良い制限を優に超えている。
「そうですね」
悪くない対応だなと思った。少なくとも一歩で跨ぎきれない範囲にばら撒かれたため、ミィナが頑張って食べきるまでは身動きが取れないだろう――――従う義理は無いが、これで安心して傍に居られるのならそれでいい。
「それで、また訊きたいんだけど……どうしてあたしなのよ」
「と言いますと」
「言ってたでしょ、ワルモノが来るって。どうしてあたしを狙うのってハナシ」
「あぁ、まだ言ってませんでしたっけ……」
軽く、最低限のことを全てであるように語っておく。
ギャング達がトウジンの掌握を狙っていて、その為に立てた計画の一つにリヨンの誘拐があるらしいということ。そのことは「今の僕」の理解者から聞いて、頼まれたと言うこと。努めて抽象的に、漠然と伝わるようにした。
「あたしを攫って、パパを脅すつもりなワケ」
「概ねは。大事な一人娘でしょうし、効果は言わずも……」
「ムダよ」
「……えっ?」
「ムダだって言ってるの。パパはあたしのことなんか知っちゃいないから」
表情は変わらず苛立ちを見せているが、その矛先は変わったようだった。
「帰っても仕事の話、カイギの話、ショウダンの話……一緒に食事することも殆ど無いし、最近は護衛を連れても家の外に出してくれないのよ。ヒドいでしょ?」
「ッ……えぇ、それは酷い」
唐突に同意を求められ、少しばかり声が詰まってしまった。
「きっとあたしのことよりも仕事が大切なんだわ。別に、知ったこっちゃないけど」
つんとすまし、しかし表情は明らかな感情を見せている。それがどんなものか――――つまりは悲しいのか、腹立たしいのか――――というのは、僕に量れそうになかった。
「それでも来るの? そのワルモノ達」
「まぁ、来るでしょうね」
「いつ来るの?」
「いつ……かまでは分かりませんが、今日中だとは思います。色々と忙しそうでしたから」
何かそれらしい嘘をでっち上げた方が良かったのかも知れないが、リヨンはぼうっと絨毯を――――黙々と食べてるミィナを見つめている。
「それまで、貴方はあたしの所に居るの?」
「そうなりますね」
「……シャワーとか、着替えるときも?」
「流石にプライバシーを侵すことは」
「あのね、レディの部屋に忍び込んでる時点で……なに?」
リヨンの説教をすんでの所で止めたのは、静かな屋内だったからこそ聞こえたような音だった。それは何かしらの爆発のようで、リヨンは跳ねるように外へ向かった。
「なにかしら……ユーレイさん、何の音か分かる?」
「さぁ」
不定期に連続するその音は、あの奇妙な銃器のものにも、火薬製の銃器によるものでもない。聞き覚えのあるもので近いのは……花火か、空砲だ。
そんな予測から導き出されることは、まぁ至極当然のことだけである。
「…………ガルシア」
呼びかけてみるが、直ぐ帰ってくるあの気軽な声は、今はまったく来る気配がない。
まぁ当然だろう――――死ぬ度に無線機を付け替えるような面倒をする奴ではない。




