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85 「ノワール映画」作戦 三

〈――――カズ〉


「ん……?」


 誰かの呼び声で目を覚ます。焦点が合わないが、まだ薄暗い。耳元では寝息が聞こえてくるだけだ。

 ミィナの声……かどうかは微妙だ。昨晩の声色ではなかった。


 ボケた頭がようやく海馬から必要なことを引っ張り出してくる。


「イリア?」


〈えっ……カズ?〉


 やはり。イリアが通信を飛ばしてきていたのだ。

 それにしては反応が少し可笑しいような気はしたが、時間帯の問題だろう。起きているとは思っていなかった、というあたりに違いない。


「……何かあったのかい」


 蒸し暑さから来る怠さか、寝起きの気怠さかに包まれながら、僕は言葉を紡ぐ。

 イリアの声が聞けただけで、僕は軽い多幸感を感じているようだった。ただ漠然とその波長を聞いていたいとぼんやり考えていた。


〈ううん、ごめん。もしかして起こしちゃった……?〉


「いいや。少し前に目は覚めてた」


〈……そっか、なら良かった。えっと……その……そっちはどう?〉


 しどろもどろに、イリアが僕の近況を訊いてくる。

 最初に僕を呼んだ声とは違う、取り繕うとするような声だった。


「暑い。夜になっても寝苦しいぐらいに」


〈暑いのは……苦手?〉


「まぁ、冷える方が対策のしようがあるからってぐらいだ。イリア、そっちは」


〈……寒い、かな〉


「寒い?」


 これから季節は夏に向かうはずだ。まだエネストラの朝晩は冷えると言うことだろうか。


〈一人で寝るのは久しぶりで、ほら、ずっとカズが傍に居てくれてたでしょ。……恥ずかしいんだけど、凄くベッドが広くて、冷たく感じるようになっちゃって〉


 甘えっきりになることに慣れちゃったんだ、と彼女は申し訳なさそうに言った。


〈わたし、やっぱり頼り切っちゃってたんだなぁって。昨日は大丈夫だったのに……もう寂しいって思い始めて、ちょっと悲しくなって〉


 そう打ち明けてくれるのは、僕を信じてくれているからだろうか。


〈ごめんね、カズも頑張ってるのに……こんなワガママ〉


「いや……いいや。僕のことは心配しなくて大丈夫だ」


 彼女の言葉に、僕は自身の置かれた状況を思い出す。


「こっちにはガルシアがいるし、新しい仲間も居る……アストラリアさんも」


〈……あの、助けてくれた人?〉


「うん。イリアのことを心配してくれてた。こっちには人が居るから、僕は大丈夫だ」


〈…………やっぱり、心配させちゃったかな〉


 ごめんね、と再び謝られる。


〈待ってるって約束したのはわたしなのにさ。もう会いたいなんて言っちゃみっともないって分かってもいるのに。こうやって話をしちゃうと、どんどん言いたくなって〉


「……構わないよ。僕もイリアの声が聞きたかった」


〈わたしの?〉


「大丈夫とは言ったけど……不安が無いわけじゃないからさ」


 僕は本心と方便をない交ぜにして口にした。嘘を混ぜないと打ち明けることがまだ怖かった。


「僕が居ない間に、イリアが居なくなっちゃうんじゃないかとか。別の人になびいちゃうんじゃないかとか。それこそみっともない心配だけど」


〈…………〉


「だから、その。寂しくなったら連絡してきて。手が空いてるときには会話に付き合うからさ」


〈……分かった。朝早くにごめんね〉


「良い目覚ましになったよ。一日でも早く終わらせて戻るから」


〈うん、待ってる。それじゃあ……またね〉


「あぁ、また」


 耳元に寄せられた口が離れていく感覚。内緒話が終わり、密接した空間が無くなっていく感覚に、どうしようもなく寂しさを覚えてしまう。



「カズくん」


「んぃっ」


 耳に吐息が直にかかり、気の抜けた声を漏らしてしまう。


「あの子とお話ししてたの? ボクがこんな傍に居るのに」


「嫉妬しちゃうなー、何年も一緒に居たボクに言ってくれたのは何回って程も無いのに」


 身体の感覚が可笑しいことに気がつく。腕も脚も付け根から飲み込まれていると錯覚しそうなほどに密着され、手先に触れる感触はどれも未知のものだ。


「ねぇカズくん、『ナニ』触ってるかを教えてあげよっか」


 身動ぎをして空間を作り、何が起きているのかを確かめる。

 僕の腕は――――ミィナへ完全に拘束されているようだった。


子宮(・・)だよ、それ。やーらかいでしょ?」


「なぁッ!?」


「あひぃんッ!!」


 反射で身体が動き、右手を完全に飲み込んでいたミィナが艶めかしい悲鳴とともに身体を大きく仰け反らせた。二、三度と痙攣し、糸が切れたように脱力する。


「カっ、カズくぅん……デリケートな所なんだよぉ、急に握り込むのは反則だってぇ……」


「……僕に何の恨みがあるんだ?」


「やってみたかっただけだよ、そっちのボクが。いつバレるかって賭け事してたの。言うまで気づけなかったから、そっちのボクの勝ち」


「うぅ、それは良いんだけど……思ったより強くて腰が抜け、力がはいりゃ……」


 前言撤回。最悪の目覚めだ。

 以前にも腕や脚を化け物(ミィナ)に呑まれはしたが、人体そのもの(・・・・・・)に突っ込ませる奴が居るか。



「……君も君で苦労してるんだね」


「貴方程じゃありませんけど……済みません、どうしても愚痴っておきたかったんです」


 環状路を歩きながら、僕はアストラリアに朝の一件を吐露していた。無論、必要ない恥の晒しはしないが、だとしても僕らしくない行動だ。それもこれもミィナが全て悪い。

 相も変わらずのスモッグじみた天候だ。昨晩の騒ぎが夢のように、薄明るい街並みは機械の音だけが響くようになっていた。労働者は皆工場に、それ以外の人もトウジン以外の娯楽を喪ってしまったのかもしれない。


「僕もあの人には気を付けることにしよう。話の限りじゃカズマサ君一筋みたいだけれどもね」


 以外と人望あるんだね、と冗談か本気か分からない言葉と共に笑う。


「ミリィにも信頼されてたし、ガルシア君と、ミィナさんか。やろうと思えばこの街を手中に収めることも出来るんじゃない?」


「出来たとしてもやりませんよ。そんな面倒くさい」


「……して欲しいものだけどね、まぁ後にしよう」


 アストラリアは口を閉じ、見えてきた建物を睨んだ。


「ガルシア君が見つけたっていう情報、本当なんだろうね」


「自分の正義は通す奴だと信じてます。やってることは畜生そのものではありますが」


「彼らはどう反応するだろうね」


「動くのならばそれで良し、動かないのならば……借りを作る好機だと思います」


 どちらにせよ、僕らが介入することは決まっている。

 今もガルシアはこの街の住人を取っ替え引っ替え遊び回っているし、ミィナは人員調達に大忙しだ。僕だけが惰眠を貪っていたようで、少しばかりばつの悪い心境になる。


 しかし、アイツが言うにも突拍子の無い計画だ。

 僕に人と関われというのだ。作戦の成否すら分けかねない役目を押し付けてきた。


 アストラリアが先立って入る。受付には「またか」と言いたげな顔をされた。


「度々済まないね。治安維持担当者にもう一度伝えたいことがある」


「現在は両人とも忙しく、お会いするのは難しいかと。お伺いします」


「機密性と確実性を取りたい。本人に直接伝えなければいけないことだ」


「……では、お待ち下さい」


 昨日の件も後を引いているのだろう。あまり快い応答では無かった。

 そればかりは考えても仕方ないとアストラリアも分かっているようで、待合室の隅へ静かに座り込んだ。僕もその隣に付く。


「カズマサ君、今のうちにもう一度確認しておきたいんだ。話してくれるかい」


「えぇ。トバゴ商会の重要人物の誘拐と、恐らくはそれを元手にした脅迫」


 ガルシアが伝えてきたことを、必要なことだけに絞ってアストラリアに伝える。伝言ゲームだ。僕の判断材料がガルシアの戯言しかないように、アストラリアにとっては僕の言葉だけが判断の資料となる。


「街中のギャングが結託している、とガルシアは言ってました。アニマリア、ヒューマリアの二大勢力です」


「昨日言っていたグループは数に入れられていないんだよね」


「劣等種は必要ないんだろう、と言ってはいました。情報はその第三種からで、憶測をガルシアが確かめた形になります。街の勢力図をひっくり返すための一大攻勢……ポリス側に騎士団が協力したとして、僕のような素人でも犠牲は少なく済まないと分かる物量です」


「よしんば彼らに協力したとしても、トバゴの利権を守るだけにしかならない、か。部下にそんな無駄な犠牲を強いたくはないな」


 難しい塩梅だった。こちらの都合が良いように受け取って貰った上で、自分もまた計画の内に入っていると思わせる。単純に協力を得るだけならばもっと気楽に、余裕を持って当たることが出来ただろうが……。


「それで、その誘拐の目標が……」


「リヨン=シシュー・トバゴ。トバゴ商会会長の娘に当たる人です。人質に取った上で、トウジンの製造施設や物流を一手に攫う……つもりみたいですね」


「その方法を選んだ理由は別にして、目的だけで見てしまえば、そちら側に協力した方が後々が楽そうだ」とアストラリアは皮肉そうに言う。


「でも、彼女の住まいは上流区だ。ポリスには専門の所轄がある上、軍部が警備の主力を兼ねてる。進入口は限られてる上、見張りの常駐もかなりだ。幾ら人数が居たとしても……」


「居たとしても、都合良く瞬きをするかもしれない」


「……根は回ってるってことかい」


 遠回しな表現でも、アストラリアには察しが付いてしまったようだ。


「解せないけどね。彼らにとってはトバゴの支配の方が都合が良いはずだ」


「計画があることは確かです。組織としては言う通りかもしれませんが、個人の利益としては……魅力があるかなと」


「……どちらにしろ、僕らがどうにか出来ることではないね。彼らの仕事だ」


 するかどうかは分からないけど、と丁度戻ってきた警官隊の集団を見ながら皮肉った。彼らもまたこちらを見て、少し不満そうな表情になりながら施設の奥へ消えていった。


「動くと思うかい、カズマサ君は」


「どちらにしろ、僕は行くつもりです。もしもの保険として」


「僕は止めないけど、変に疑われることの無いようにね。彼らを信用してないという事実は変わらない」








〈…………それで、反応は?〉


「予想通りだったけど、どう動くかは僕に判断できることじゃない」


 歩きながら僕はガルシアと話す。


「警備は完全だ、此方が心配することは何一つ無いと」


〈慢心か、軽蔑か……その言い方からして鈍臭い方じゃ無いな〉


「あぁ、キリシって名前の、プログラマーだったか……」


〈外見と年齢に倍の開きがあることを考えりゃ、八十ぐらいは生きてる奴だ。ボケないまま年を食った爺さんを相手にしてるようなモンだな。口喧嘩じゃ勝ち目はねぇ〉


 癪に障る人物だった。どうにも相手を下に見るきらいがある。

 自分によほど自信があるか、強硬な態度を取れる裏方がいるか。出来ることなら殺してしまいたい人物のリストに入れたくなるような態度……リスク無しに殺せる相手ではないし、社会的立場を捨ててまで殺す必要もない訳だが、動機だけは十二分に供給してくれる人だった。


「……考えが読めないのは当然だけど、あれほど分かりやすい言葉ばかりだと……」


〈ああいう奴は本心を絶対に口に出さないって決まってんだ。斜に構えて、他人を扱うことに手慣れてて、全部を自分の功績に出来るような奴ってのはな。だからある意味で分かりやすくもある〉


「分かるのか」


〈アイツにも入ったからな。重要な情報源だ。トバゴと警察の癒着はあるが、トウジンそのものは危険視も何もしてない。薬の横流しは目を瞑らせているが、薬の蔓延はノーマーク、危険や悪事だとも思っちゃいない。あのオタクに頼んだ資料もそんなもんだったろ?〉


 カロに依頼した翻訳の件だ。端的に言えば、街を歩いて調べられることだけは書きましたというような内容だった。


「覚醒剤だとはこの街の誰も思ってはいない……ってことか」


〈アヘンみたいなもんなんだろ。歴史の授業は半分寝て過ごしたから知らんけど〉


 それはそうと、今どこだ。とガルシアは尋ねてきた。


「『駅前』には着いた。ミィナは……」


〈郵便局員の服装をした奴が居るはずだ。全身緑で、仕事サボってるような奴〉


「……居た」


〈そんじゃ、俺は向こうで待ってるからな〉


 ガルシアとの通信は終わり、僕は溜息を吐いた。

 この街に僕の知人は何人居るのだろう。ガルシアやアストラリア、ラスティ、セラ。彼らはどう足掻こうと一人でしか無いので問題にはならないのだが……。


「……ミィナか」


「カズくん? 良かった、ボクだって分かった?」


 路肩に止まった――――クラシカルにも程がある造形の――――自動車の傍で、退屈そうに時計を見ていた人物が嬉しそうに顔を上げる――――今朝と同じ顔だ。同一の外見を持つ人物が衣装を変えているのを見ると、どうにもコスプレに付き合わされているような感覚がしてならない。


「エンジンは暖まってるから、直ぐ出られるよ」


「運転出来るのか」


「普通免許は一応取ってるよ。更新期間来る前にここに来ちゃったし……運転も三年ぶりだけど。まぁどうにかなってるよ、安心して」


 雑談を交わしながら助手席に乗り込む。後部には便箋や小包――――見覚えがあるのはそう言う事に違いない――――が隙間無く、しかし乱雑に詰め込まれていた。


「……免許?」


 数秒の思考で、妙な矛盾に気がついた。


「ミィナ、今何歳」


「ボク? えっとね……二十、四だったかなぁ」


「二十四?」


「うん、そうだ。今年で二十四。何か可笑しい?」


 その通りなのだ。可笑しいのだ。

 混乱した頭の中を一旦止める。整理だ、整理。


「……ミィナ、僕のことは知ってるってのを信用するけど、僕と何歳差?」


「ヘンなこと訊くね。同い年に決まってるじゃん」


「それで、今は二十三歳」


「そうだよ。出すね」


 馬鹿みたいな爆音と振動、街の空気を一層濃くしたような悪臭を伴わせて、ゆっくりと街並みが一つの景色として流れ始めた。


「カズくん、なにか気になることがあるの?」


「……六歳差、か」


「六歳? うん?」


 僕が今年で十八、彼は二十四。

 小学校ならギリギリ、中学以降は顔を合わせることすらない年齢の差だ。それで同い年を通すのは厳しい上――――年相応のメンタルじゃない気がするのは僕の印象だから黙っておくことにしよう。


「カズくん、今十七ってこと?」


「あぁ……今年で十八になる。同い年じゃない」


「うん、うんん? どういうこと?」


「僕にも分からな……運転に集中してくれない?」


「あっ」


 逆走しかけていた進路を戻す。人通りは警官か騎士が通り過ぎるぐらいで、自動車も存在していることに今日初めて気付くぐらいには見掛けないのだから問題は無いと思うが、一抹の不安がどうしても頭をもたげてくる。


「時間の流れが違うって事なのかな……本当に十七歳?」


「本当だ」


「……カズくんが要らない嘘を付くわけないもんねぇ。うーん、年下のカズくんかぁ……悪くないかも」


 背筋が寒くなったが、汗が冷えただけだと思いたかった。


「カズくん、別に年上だからって敬語はもう使わないでね」


「……」


「使うつもりだったでしょ。さっきも少し迷ってたの分かってるんだからね」


「……元から喋らない人間だから」


「うん、知ってる。だからこそだよ」


 ミィナはガルシアに負けず劣らずの喋り好きだった。こちらが答えようと答えまいと心情を汲んで話を続けようとする。僕に関して口にすること全てがおおよそ当て嵌まってしまう事実には、それこそ閉口するしかなかった。


「その、ミィナ」


「なぁに」


「僕のことはどれだけ話せる」


 尋ねてみた。念のための確認だ。


「……うー、うむむうぅー……」


 唸り始める。前屈みになり、端から見ても分かるほどにもどかしそうだ。


「無理そうなら大丈夫……そうだろうとは思ってたけど」


「うぅ、モヤモヤするぅ。思い出せてるのに言葉が出てこない感覚なんて初めてだよ」


 やはり口には出来ないのだろうか……僕のことについて色々と喋れていたように感じたのは、単に気のせいだったか?


 いや、ここまで証拠が揃った以上、ミィナが嘘を付いてるとは思えない。

 彼が喋ったことは真実だろう。だが年齢に関しては矛盾が起きているが、いやそれはカロが言及していた時間軸のズレで説明は出来る……はずだな。それ以上に価値のある情報ではない。


「ごめんね、色々と知りたがってるのは分かってるんだけど」


「いや、最初から分かってたことだし、期待はしてなかったから」


「そうだろうけどさ……あっ、ちょっと待ってて。ここも届け先だ」


 車を止め、ミィナが後部座席の荷物から小包を一つと便箋を二つ手にして一軒家に駆けだしていく。時間としては二分も経たないぐらいで彼が戻ってきた……随分と打ち砕けた雰囲気の家主らしい人物と一緒に。その人物は手を振って霧の向こうへ消えていった。


「……あの人は?」


「ボクだよ。脳味噌だけ置き換えれば楽だって昨日気付いたの」


「器用なことで」


「カズくんほどじゃないよ。えへへ……褒められた」


 再び走り出す。道中で騒ぎが起きたのか、一度だけ進路を塞がれている場所があった。

 見張りが数人居る程だとすれば、それなりの騒動だったに違いない――――昨晩真っ先に襲った家屋に続く道だと気付くまでに、過ぎて数十秒の時間が流れていた。


「……カズくん、訊いても良いかな?」


「何でも」


「あの子の事なんだけどね、ほら、朝方にらぶらぶな会話してた子。イリアちゃんだっけ」


「あぁ、そうだけど……彼女が?」


「ううん、凄く親しそうだったから……さ。ボクも傍で見守っているから分かるんだけど、カズくんが世話を焼きたくなるような子だなぁって。可愛いし……」


 語尾がどうも不安定だ。何かしら思うことがあるのは分かるが、それが何かまでは理解に至らない。


「……ねぇ、ボクってさ、誰にでもなれるじゃない?」


「あぁ、まぁそう言えるかも知れないけど」


「あの子そっくりになったら、ボクのことも同じぐらい愛してくれる?」


「…………」


 余りに真剣な口調で、それ以上にふざけた提案が持ちかけられる。

 理解できなかった。そこまでして僕を手籠めにしたいのか、愛されたいと思えるのか。どう答えれば良いものなのか……これは僕だけの問題じゃない。


「……ミィナはミィナだ。イリアじゃない」


 逆も然りだ。イリアはミィナの方になれるはずがない。

 異なる二人を同一視するのは不可能だ――――例え共通点があっても、その部分に惹かれていても。


「はぁ、やっぱりそう答えるよねぇ。義理堅くて、優しくて、本当に鈍感で……」


「鈍感?」


「そうだよ。他人がどう思うかなんて考えずに行動してるでしょ」


 言われて、まぁ確かにと思った。

 これをしたらどう思われるかというのは、果たして毎度毎度考えることなのだろうか。彼にとってはそう言うものなのだろうが……分からない。


「自分のしたことがどれだけその人に影響を与えるかも考えないんだから……あの子だってそうでしょ? 絶対あの子に惚れられようとか、好きになってもらおうとか考えずに助けてきたんでしょ」


「……考えて行動する方が失礼だと思うんだけど」


「そういうとこだよ、女ったらし」


「何でそう言われなきゃ」


「ボクを一目惚れさせておいて、優柔不断な態度をとり続けてきたからだよ。まったく……ボクだから良かったものの、もしも融通の効かない子がカズくんに惚れちゃったら大変なことになるの分かってる?」


 ふくれっ面を作られる。その表情も可愛いと分かってやっていることなのだろうか。


「まぁ、ここに来るまではボクも男の子だったし。それは仕方ないと思ってるよ。でもさ…………ずっと好きな人に振られる気分って想像したことある?」


 想像しろと言うことだろう。一般的な感性で言えば、嫌だ。

 僕にだって気になる人が居た時期もあったが、例の一件以降は求めないようにしてきた。元来僕には縁のない感情と言うことだ。


「だから、君のことも愛してくれと」


「……なんかごめんね。カズくんがあんな風に喋るの、ボクにだけだと思ってたから……うん、嫉妬だねこれ。ヤキモチだ」


 誤魔化すように笑った。自分自身にも嘘を付くような強引さがあった。


「そのね、ボクは良いんだ。カズくんが幸せになれる手伝いが出来るなら、友達でも、カラダだけの関係だって。あの子のことを一番に考えて、いいんだけど――――」


 ――――ボクが死んだときは、悲しんでくれる?

 変わらない調子で繰り出してきた、予想できない言葉だった。


「……死ぬ?」


「うん。やっぱりね、カズくんみたいに強くなれないんだ。今晩の襲撃で、これまで増やしてきた沢山のボクが死ぬことになる。ラスティさんに殺されたボクみたいに」


 あれが僕と出会った最初の「ミィナ」だったと彼は語った。


「カズくんを最初に知ったのは、あのボクだったんだ。今のボクはあのボクが残した一部で、そこからまたボクが増えてって……難しい話だけど、みんな違う『ボク』なんだ。

 最初のボクは……残った身体を再利用はしたけど、きっともう本物じゃない。生まれ育ってきた最初のボクは、沢山の複製体コピーを作って死んじゃったんだ。アハハ……無謀なことし過ぎだよね、昨日も、今日のこれからも」


「ボク」がゲシュタルト崩壊しそうな頻度で出てくる。

 話を聞いて、沼男の思考実験が思い出された。新しく作られた、隔絶した同一の存在。果たして新たな一人はその人そのものになり得るのだろうか。思考の傾向、好きなもの、生きがい、全てが同一の方向性を持っている人物は……例え同一人物だとしても二人と居るはずがない。


「……死ぬのは怖いけど、カズくんの為だったらって思ったんだ。カズくんがボクのことを褒めてくれて、死んだボクのことに胸を痛めてくれるなら……どのボクも、きっと安心して死ぬことが出来ると思うんだよ」


「安心して、死ぬ……」


 僕からはもう抜けきってしまった感情と思考だ。

 僕は頭を打ち抜かれたとして、その感覚だけを覚える。だがミィナは――――彼女に限らず普通の人は――――それで全てが終わってしまうのだ。

 例え自身が増えるのだとしても、それは異なる自分だ。何処まで行こうと自分たり得るのは思考している脳を持つ個体のみであり、死ぬときは……そこで意識も潰える。


「……僕が死を悼むだけで、死にに行けるのか」


「うん。怖いのは変わらないと思うけど、カズくんに想ってもらえるなら。全部が終わった後……残ってたボクのことを、ちょっとで良いから愛してくれるなら」


 僕の心も、身体も、ボクのものにならなくて構わない。

 構わないから、せめてボクの求めることをしてほしい。そう言う事だった。



 ――――狂気としか言いようがない。

 好きな人のために命を投げうる? 自分が増やせるから? ふざけているとしか言いようがない。どうして他人のためにそこまで出来る?


「すっごく大きいブーメランだと思うんだけど、それ」


 ミィナが僕の推量に口を出してきた。聞こえてしまったようだ。


「……あの時、カズくんは同じ事をやったんだよ? 死んだら本当に終わりだったって言うのにさ……される方の気持ちを考えてよ、まったくもう」


 何のことを言っているのだろう。僕が覚えていることで心当たりはない。

 彼女の顔が――――物理的な意味合いで――――変わった。尋ねる前に検問所が迫ってきてしまい、これ以上の会話は出来なくなりそうだった。


「局員証と、許可証」


「はい、これです」


 儀仗兵のような鮮やかさの軍服を身に纏った人物に、ミィナは愛嬌たっぷりの笑顔を見せながら応対する。もう形骸化しているのだろう、監視員は紙面に目を通すこともせずにミィナへ戻した。


「今日は珍しい荷が届けられるみたいだな」とその男が顔を寄せ、近くの同僚を気に掛けながらひそりと口にした。


「リヨン嬢に、亡霊様のお届けかな」


 僕を見て、腹立たしいほどにわざとらしいウインクをする。


「ガルシアか」


「ガルシア君だったんだね」


 僕とミィナの声がハモったのを、彼は嬉しそうに笑い堪えた。


「ミィナ、届け終わったら姿を眩ましておけよ。ファム・ファタール(セラ夫人)が集合場所を教えてくれる」


「うん、分かった。ガルシア君はこの後どうするの?」


「俺か……カズの不法侵入を手助けしたら、時間まで人材収集に戻るかな」


「何人集まったの」


「地下道の方が活気戻ってるレベル」


 ガルシアは顔を引き、進入を促すハンドサインを送った。

 僕らを見送るまではあれがガルシアであり続けるだろう。次に会うのは何分後になるか。


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