83 「ノワール映画」作戦 二
わらしべ長者だな、とふと思い浮かんだ。
過重労働に勤しむ平の労働者から始まり、膨大な過程を経て煙草を吹かすのが仕事の最高経営責任者にまで。努力もなしにそこまで上り詰めることを経験できるのだから、自分の能力万々歳と言うところだ。
「さぁて。分かったのは、上の人間が全部知ってる訳じゃあないってことだ」
座り心地の良い、高価そうな椅子にふんぞり返り、同じようなデスクに足を上げて、俺はそんなことをぼやいた。秘密は確かにトップが握るものだが、どこで何を作るかとか、どこに何を運ぶかとか、そういうのは末端の管理職がすることだとここに来て気がついた。そりゃトップが全部やれるわけが無いんだが。
「ま、色々分かったし無駄じゃあないよな」
残念ながら、トウジンの製造を担ってるのは今の俺が育てた会社じゃない。トバゴ商会とかいう奴らで、元々は航海時の食料――――現在のサワードゥーズや缶詰の原型――――の製造、それらの流通やらを主要業務に据えてた零細会社だったが、今じゃこの街の大抵の物や会社――――ここもだ――――を傘下に入れた大会社へと大躍進を遂げている。
商会がトップに躍り立った理由は、噂も事実も同じだ。
トウジン。トバゴ商会がどこからか持ってきたか作ったらしいそのブツを、あろうことか自分の商品に混入させたのだ。これは噂のようなものだが、確かな事実。どっかの炭酸飲料製造会社も流石にここまでしていないだろう――――そっちの真偽は知らん。
んでもって、そのヤクの効能――――その中毒性はこの街の現状を見りゃ分かる。トバゴの飯を食えば元気になる、やる気が出る、毎日に活力が生まれると噂になれば、たった数ヶ月でもシェアを一気にかっ攫うことも出来るだろう。依存性? 必要な物は須く生活の中に必需品として据え置かれるだけだ。依存もクソも議論されはしまい。
「…………話が食い違う気がするんだよな」
聞いた感じじゃ、セラの感染が表立った際に流れてきたような様子だった。
しかし、商会が食品にトウジンを混ぜ込むようになったのは少なくとも数ヶ月前。しかも自社の製品に文字通り「中毒にさせるため」に使い始めているのだ。元は医薬品などでは無く、完全な「麻薬」として使われていたものが――――単体でも使われるようになったのだろうか。それならそれで、どうして麻薬を混ぜてるって言われかねない暴挙に出たのかとか、何故セラへの特効薬のように使われ始めたのかとかいう疑問が生まれてくる。
俺の認識が間違ってただけか、それともわざとか……考えても分からねぇな。止めだ。
「うーん……マジであるもんなんだな、こういう話」
ぼやきたくなるぐらい、コイツの頭は回らなかった。商会の天下になり、下請けのような立場に転げ落ちたことと、ストレスから商会のトウジンに手を出したことの二つがこの男を追い詰めているのだ。誰もが中毒者、商会に取っちゃ街全体が良いカモだ。喜んで自社の食品を買いあさって、疲れることは下請けに全部押し付けて。
「ちょいと考え直さなきゃならんな。どうにかしてトウジンがヤバい薬だって――――いや、そもそも麻薬の概念があるのかも分からんし、理解して貰うのはリスキーだよな。だからって商会を潰したら潰したで、この街どころか共和国の産業が崩れかねない……そうなったらあの女王様が管理するに出来ないからなぁ。どうにかヤクだけを取り除かんと」
別にカズとお嬢ちゃんが平穏無事に暮らせるなら他人のことは知ったこっちゃないのだが、いかんせんそれでは理性が無いというものだ。
「………………トバゴ商会の経営陣あたりを探してみるか。このままじゃ何も分からん」
何も思い浮かばなかったため、脚をデスクから降ろし、背後の窓を開けた。
随分と夜が更けてきた。あいつらは今頃何をしてるんだろうなぁ。
コウモリが一匹飛んできた。俺が入っていることが分かっているのだろうか。
「なぁ、おちびさん。俺はガルシアだ。あんたのご主人様に伝えとくれよ。トバゴ商会のお偉いさんの住んでるところを知りたいんだ。それまでここで待ってるからさ」
興味半分で言ってみると、待ってられないとばかりに飛び去ってしまった。
さて。通りに誰かが来るのと、さっきのチビッコが戻ってくるのとどちらが早いか。
「アストラリアさん、エントランスまで……」
言い切る前にその人を見つけた。仲間か部下かは分からないが、他の騎士と一緒に茶を一服しているようだ。僕が来たことを知るやいなや、その人達に挨拶をして立ち上がった。
「……心配をお掛けしました。済みません」
「いやいや、無事なら何よりだよ。本当に一声で良いから連絡してくれれば嬉しかったんだけどね」
アストラリアは笑顔を繕うが、明らかに疲労が溜まっている様子だった。
「一応訊くけれど、事件に巻き込まれたり、怪しい現場を目撃したりは?」
「……怪しいこと、ですか――――」
さっきまでやってました、などとは言えない。が、ガルシアの立てた計画を進めるためには必要なことがあった。僕の話術でどこまでやれるか……。
「――――正直なところ、少し暗いところに行けば幾らでもって感じでしたね」
「詳しいことは?」
「いえ、何も。騒ぎに出くわした訳でもありませんでしたから……」
「そう、それはそれで良かったかな。カズマサ君に何かあったら困るからね」
話題が終わる方向に向かった。こちらから話題を振ることは難しいと言わざるを得ない。下手なことを漏らせないのだ、リスキーな行動はしたくなかった。
「……カズマサ君、こういうことを頼むのもちょっと心苦しいんだけど」と、少しばかりの沈黙の後にアストラリアが切り出した。
「ちょっと飲みに行かないかい。色々と吐き出したくってね」
「……僕と、ですか」
「仲間には漏らしたくないからね。ただでさえ……ちょっと信用されてなくて」
苦そうな笑顔を作って、先程まで席を囲んでいた騎士らをちらりと見る。聞かれるリスクを呑んでこんなことを口走るのだ――――かなり思い詰めたものがあるのかもしれない。
「分かりました。僕で良いのなら」
「あぁ、良かった。ちょっと良い店を見つけたんだよ。小さくて、静かで……ゆっくりと話が出来るような場所でね。カズマサ君もきっと気に入るよ」
少しばかり調子が戻った彼の後を付いていくと、確かにこぢんまりとした古臭い家屋に、これまた小さく可愛らしい――――精一杯好意的に見た言い方だ――――看板がぶら下がった店があった。環状路の傍ではあるが、周囲の騒がしさや繁盛振りとは程遠い、勢いに押しつぶされてしまいそうな儚さを感じる。
「いらっしゃい……と、また貴方ですか」
アストラリアが戸を潜ると、予想外に若い女性の声が聞こえてくる。内装そのものは外見通りのアンティークなバーであり、カウンターの向こう側に声の主が立っていた。深い赤紫にも群青にも見える長髪を後ろでポニーテールのように纏め、物憂げな瞳は無情さと無関心さを感じさせる――――何より、全体として見慣れた外見をしていた。久方に見る、僕と同じ姿、身体的特徴の人種。果たして同種なのか、異世界人なのか。
ともあれ、客は僕たちだけのようだ。
「今日も適当に……カズマサ君はお酒飲める口だっけ」
「いえ、酒は……」
「じゃあ、水と、何かお酒を一杯」
アストラリアが注文すると、バーテンダーの女性は不思議そうに首を傾げながら背を向けた。先に丸氷と共に注がれた水を彼の前に出すと、並んだ瓶を前に逡巡を始めた。
「…………ドルドの果実酒。今日みたいに一段と霧が濃い日には合うと思います」
「じゃあ、それで」
バーテンダーがその瓶を手に取り、アストラリアの前にグラスを持ってくる。
「……伺っても良いですか」
選んだ瓶の中身を目の前で注ぎながら、彼女は静かに尋ねてきた。
「なんだい」
「今日は誰かお連れなんですか。誰かに飲むものを尋ねていたように思えますが」
「……あぁ、そうだったね」
僕の特異な状態をすっかり忘れていたようで、自嘲気味な笑い声を立てた。
「確かに連れは居るよ。もの凄く特別で、特殊な人をね」
「どんな人なんですか?」
「見ての通り、って感じかな」
水の入ったグラスを僕の座る椅子の前に滑らせると、彼女の視線も追随してくる。
「……貴方、アロルドの出身ですか」
「まさか。僕はバルト家の端くれさ。プログラマーでも無いのは分かっているだろう?」
「ならこれは……」
「…………初めまして」
グラスを持ち上げれば察してくれるかと思ったが、バーテンダーの反応は予想以上に驚きの無い――――真実も嘘も受け流すような態度だった。
そしてその印象に違わず「初めまして」と返して、説明を求める視線をアストラリアへ向けるのだった。肝が据わっているというレベルじゃない。
「もう察してると思うけれど、ギフテッドだよ」
「姿の見えないギフテッドですか。それは珍しい」
大して重要なことでないように、彼女はカウンターの下に姿を消し、小瓶を手に再び現れる。端にあった小皿を引き寄せ、暗緑色の中身をざらざらと盛り付けて出してきた。
「……これは?」
「ユリガラシの葉を砂糖漬けにしたものです。ギフテッドがご来店したのは初めてですので、私からのお気持ちとして」
無表情に言い「ごゆっくりと」と言い残して店の奥へと行ってしまった。奥で何かを運んでいるような物音がしたかと思うと、微かな機械音、そして引き絞るような震えた旋律が聞こえてくるようになった。この街で聴いてきたものとは明らかに違い――――僕の知識が透けるようなものだが――――久方に耳にした金管の音色とリズムはジャズの一種のように思えた。
「……甘いけど、強いなぁ」と、アストラリアはグラスをテーブルへ戻しながら静かに吐息を漏らし、「何の曲なんだろう。初めて聴く曲調だ」
「私にも分かりません」
バーテンダーが戻ってきた。変わらず無表情で、無感情だ。
「マスターが使ってたものです。裏側に腐るほどレコードが埋もれてます……出所不明の演奏家が作ったものとは聞いたことがありますが、酔いどれになった口から出たものです。どこまで信頼性があるか」
「レコード……まぁいいや。良い曲だね」
「気に入って頂けたのなら……その、そちらのお客さん」彼女は僕の席を見た。
「お名前をお伺いしても?」
「……朝凪です」
「アサナギさん、アルコールは苦手なんですか」
「いえ、未成年ですから」
「それにしては落ち着いてますし……アストラリアさんと同い年のようにも思えますが」
僕とアストラリアを見比べるように顔を動かし、偶然にも僕とアストラリアの顔もぴったり見合った。
「……いくつ?」
「十七、今年で一応十八に……」
「十分に飲める年じゃないか。ミクサマルじゃ十五、早い人じゃ十三には手を出し始めるよ。僕だって親元が厳しかったけど、カズマサ君の年には普通に……」
「僕が居た国じゃ、飲めるのは二十歳からです」
「難儀な国にお住まいだったんですね、お酒という逃げ道をそこまでお預けにされるなんて……他に気晴らしの手段があるんでしょうか」
「……それは人それぞれだと思いますけど」
妙に口が動く、と思い至った。どういう訳だろう、いつも感じる疎外感や、混ざりたいと思わせない空気感を全く感じられていない。言いたいことが普通に発言できそうな感覚――――セラの時のように、堅苦しい雰囲気が無いからだろうか。
少しばかり好奇心が湧いてきた。理由がある訳でも必要がある訳でもなく、僕は口を開こうとしていた。
「宜しければ、その、名前を伺っても?」
「サニアラ、サニア、サニャ。自由にお呼び下さい」
「サニアラ……さん、ですか」
「好かれてるなぁ。僕が訊いた時にはすぐ答えてくれなかったのに」
アストラリアが僅かに羨望を込めた、しかし涼やかで落ち着いた視線を向けてくる。液体の無くなったグラスをサニアラに寄せ、もう一杯と見慣れない硬貨を傍に添えていた。
「そのことは……謝ります。この街じゃ半端者が異端視されているものですから。それでも比較的早い内に信頼した方だと思いますよ、アストラリアさん」
「……今のご時世、ちょっとでも違えば排斥されるものさ」
「えぇ、何の縁か、ここに来るのはそんな人達ばかりです。人は似た人を近寄せるものを持ち合わせているものなのでしょうか……」
僕も含まれているのだろう。暮らす多勢にとって、優劣は関係なく違うものたち。
「そう言えば、マスターがいるって話は初めてだ。訊いても?」
「特に話せることはありませんよ……」
そうは言うものの、注ぐ瓶の口が軽くぶれて、数滴がグラスを伝ってテーブルの木目を濡らしてしまった。深読みと言えばそれまでだが、触れられたくないというのはアストラリアにも伝わったようだ。
ユリガラシの葉の砂糖漬けとやらを口にしてみた。砂糖の甘さは勿論だが、その後に奇妙な渋み、隣り合う清涼感……味はかなり長持ちする。これ自体が嗜好品にもなりそうだ。
「……トウジン、という名前をご存じでしょうか」
「トウジン……?」
アストラリアは疑問符の付いた表情をするが、僕の顔はもっと分かりやすいものになっていたに違いない。予想外の所で予想だにもしない単語を聞くと、本当に無意識のレベルで反応が起こるのだ。
「…………薬、ですか」
二人が同じ表情を見せて僕を見てくる――――サニアラの方は直ぐに戻ってしまったが。
「アサナギさんはご存じなんですね」
「待ってくれ、何でカズマサ君が知っているんだい?」
「あ――――」
しくった。そう思うときには総じて手遅れなのだ。面倒なことになる、いや、なった。
嘘を並べてらしい事実を作り上げることは問題じゃない。その作った事実が――――僕の関わっている作戦にどれだけ影響してしまうか。それが最も懸念される事項だった。
「――――その、何かで聞いたか、見たか……サニアラさん、そのトウジンが?」
苦しい逃げの手だとは思ったが、それでも考えられた最善手だ。
話が戻るまでに、どうにか筋の通る、かつ思惑通りの方向に進められる話を整えなければ。大丈夫、元々知らせるのは僕の仕事――――大切なのは信じ切ることだ。盲信に近いほど、嘘を信じ込むこと。
「……トウジン。トバゴ商会が悪魔と取引して作った、魔法の粉末」
マスターはそう言ってました、とサニアラは言った。その言い方がどれほど正しいのか、私には分かりませんがと。
「マスターが……というのは、その商会で働いていたのかい?」
「その通り……働いていた、という形です」確かな言い澱みの後に、「組織に反する構成員は排除されるのが当然ですから」と確実なことを言い切った。
「トウジンっていうのは、カズマサ君が言うには薬みたいだけど……悪魔と取引って言う分には良いものではなさそうだ」
「人の正気を奪い去り、夢中にさせるもの……そんな嘘みたいなものがこの街中に浸透してるんです」
「僕が追った人も、似たようなことを」
これだ、と思うと同時に口を動かした。アストラリアが知っている限り、僕が知る機会があるとすればそこだけだ。
「追った……?」
「今日の昼下がり、僕とミィナさんが地下の方に追っていった人物のことです。結局は逃げられましたが……トウジンに関することを、幾つか。追ったり戦ったりの最中でしたから、ほとんど覚えていませんが――――自分の目的を、色々と僕らに伝えようとしていて」
話していく内に組み上がっていく。元来の目的。僕が向かわせるべき、彼らのボクたちに対する認識。それを信じ切る。齟齬は全ての事実に存在している。
「――――この街からヤクを、トウジンを追い払う、みたいなことを」
「あの時にそんなことが……」
「居るものなんですね、まだこの街にもそう言う人達が」
サニアラが僕に新しいグラスを出してきた。軽く発泡している濁った薄い黄色の液体は、微かに柑橘系の匂いを漂わせている。
「薬、か……話の限りじゃあ、薬よりも毒だ」二杯目を呑みきったアストラリアが溜息のように吐いた。
「間違っていませんよ。この街は毒に侵されているんです。最初はトバゴ商会の缶詰に詰められ、今じゃどの店の料理にも飲み物にも混ぜられて、どの家庭にも純粋な薬品として置かれている……もうこの街はトバゴ商会の思うがままです」
「店の飲み物にも……もしかしてっ!?」
「……ぷふっ、安心して下さい。私の出した物には何一つ入ってませんよ」
オーバーにも思えるアストラリアの反応に、サニアラが少しだけ微笑んだ。
その一瞬、本来の彼女が表に顔を出したように思えた。作られた仮面が一瞬だけ、本当の自身に押し出され、そこに隙間が生まれたように。
「マスターの意向なんです。客が夢中になるのにあんな紛い物は要らないって」
「……そうかい。ハハ、とんだ空騒ぎだ」
彼もまた釣られるように笑顔を作る。少し目が据わってきたように見える。
僕に出したものはノンアルコールのカクテルのようだった――――単なるジュースだ。
「…………でも、そうなると。僕らも既に相当量のトウジンを摂ってるってことになる?」
「泊まっている所、食事を何処で取っているかにも依ります。ここで一晩明かしてる分にはそこらの人よりずっとマシだと思います」
「もう他人事じゃ無いってことか……困ったなぁ、ただでさえみんな僕のことを見下してるって言うのに、これ以上問題が増えるのかぁ……」
眉間を抑え、会話は区切られた。
トランペットの孤独な主旋律に、ピアノらしき伴奏の軽やかな響きに全員の耳が傾けられる。たった二つの楽器だけしか使われていないようなのだが、それでも一つの楽曲となっている。素晴らしい才能だと思った。
「……アストラリアさん。以前に騎士団のシステムについて話して頂きましたよね」
「……うん?」
サニアラが、きっと彼女にしては思い詰めた声色で尋ねてきたのだろう。アストラリアが幾ばくか意識を取り戻した顔で聞き返す。
「民間からの依頼を一カ所に纏めて、妥当な人員を送ったり、志願を募ったりというやつです。時にはその人から直々に頼まれることもあるとか」
あぁ、そんなことも話してたなぁ。と遙か昔のことを語るように呟く。
「そうだよ。ミリィも……僕の元上官なんだけどね……前にギフテッドの一人に頼まれて、今もずっとその依頼をこなし続けてるんだ……そうだ、その相手も今のカズマサ君と同い年だったっけなぁ。あの人は本当に義理固くって、いい人でさ……」
ちょっとばかり出来上がってしまっているようだったが、酒以外のストレスも間違いなく影響しているのは明白だった。彼の素性を全て知っているわけでは無いが、快活で軽やかな口ぶりがこうも重く、悲しげに変わってしまっていることには、確かな重圧を感じざるを得ない。
「出したのがちょっと強すぎてしまいましたね。ちょっとそれをつまんで下さい――――呑ませた私が悪いんですけど、真剣な頼みなんです」
言われたとおり、彼はユリガラシの砂糖漬けをくちくちと素直に咀嚼し始めた。
「変な味だね、これ」
「……マスターは私を拾って雇ってくれた恩人なんです」
「だから、その薬を根絶して欲しいと、ね。ポリスに頼んだ方が確実だと思うよ」
「無理ですよ。トバゴ商会と酷く癒着してますから……警察だけじゃない。この街だけじゃない。軍隊や政府官僚にまで、商会の管理が行き渡ってしまっているんです。あの薬を――――劇薬を触媒にして、全員が魔法に掛けられてしまっている」
ここで製造されたトウジンの国内流通ルートや流通量、何処の区域のギャングにどれだけの薬物と武器を流すかまで、件の商社と傘下のグループが関わっている。サニアラは閉められた戸を何度も気にしながら話してくれた。
「…………ますます無理そうだね。僕ひとりがどうにか出来る案件じゃない」
「無茶なのは分かっています、ですが……」
「軍隊でも持ってきて、この街を滅茶苦茶にするか……カズマサ君の方に頼んだ方がまだ可能性があるよ。何せ皇国軍の一個師団を殲滅した張本人なんだからね」
「何ですかそれ」
「前線の騎士団連中はその噂で持ちきりになってたよ。そのギフテッドが此方側に居れば、この戦争も勝てる、人間共を一掃できるってね」
だから終わらないんだ。だから僕もこんな目に遭っているんだ。
アストラリアは鬱憤をユリガラシを噛む牙に込めているようだ――――心境を察するには有り余るほどに。
「…………アサナギさん」
サニアラが心苦しそうに尋ねようとしてくるが、これはどうするべきだろう。
元から想定されていた仕事で、それを改めて別人から依頼されることになっただけの話だ。だが……そこに僕らのプランは持ち込めない。別方向から当たるように表向きは組み立て直さないといけなくなる……思案に暮れているにはこれ以上長すぎる沈黙だ。喋らなければ。
「アストラリアさんが言ったとおり、この街が戦場になりかねないと思います」
僕も一枚口に咥えた。甘さと苦みが妙に癖になる。ミントの入った砂糖入りの抹茶シートといった感じだ。粒砂糖の付いた葉を噛む歯触りも楽しい。
「間違いなく――――悪人か善良な市民かの区別なく、人が死にます。街を一手に担っている企業を潰す……となれば、街の維持、存続にも関わってくるんじゃ無いでしょうか」
それ以前に、と僕は付け加える。
「そんな騒ぎを起こしたら、本来の作戦行動に支障が出かねないんじゃ。アストラリアさん、確か今回の兵站を担当するのは共和国でしたよね」
「あぁ、その商会さんがどれだけ割合持ってるかは知らないけど……主要港はここだし、それだけ大掛かりに支配してるんじゃあ、糧食にも混ざっているかも知れないのかぁ」
ますます他人事じゃなくなった、とアストラリアは笑い始めた。本当に笑うしかない。
「どうしようもないね、この街も、世の中も」
「だから余計に逃げ込むんです。この騒動の損得に関わらない人にとって、むしろその方が幸福ですから」
「僕も逃げ出したいよ。というか……全部がぶっ壊れてくれれば良いんだ」
「本当に、その通りですね」
サニアラも小皿のユリガラシをつまんだ。この調子だともうすぐ砂糖粒だけが残ることになるだろう。
「…………でも、不可能ではないと思います」
「「えっ」」
サニアラとアストラリアが声を合わせた。もう話題として流れた上、無理な依頼だと双方が理解していたからだろう。辻褄は合わせられる――――ガルシアなら喜んで台本の修正に繰り出すことだろうし。
「この街を混沌に陥れること……それを騎士団が黙認してくれるのなら。間違っても正義ではありませんが、僕たちが望む方向に努力している人々が居ます」
「それは……」アストラリアが木目を見つめる。「さっき言ってた人達のことか」
「えぇ、どう言えば良いのか分かりませんが……」
彼が酔っ払っていて幸運だ。醒めた後のことは分からないが、少なくとも納得したという記憶が残る――――判断力が鈍っていたとしても、自身の決断は正しいと祈りたいのが人間だ。僕もそうなのだから。
「……僕の主観ではありますが、彼らも被害者です。サニアラさんと同じような」
「私とですか」
「違うのは、戦っていること」僕は呼吸を挟んで考える。「それしか選択肢が無い故に、武力を持って抗うことしか許されていないからこそ……戦えない人のために罪を被って、街からトウジンを追い払おうとしているんじゃないでしょうか」
「ゴロツキも、なるべくしてなる奴、ならざるを得ない奴の両方がごった煮に混ざっているもんだからねぇ」アストラリアが同調する。
「お金を手に入れること、食べ物を手に入れること、全てを拒絶されたら……奪うしかなくなる。だが奪ってしまえば、人々はその罪だけを見つめるようになる……」
「罪人を救おうとする人は居ない。生き延びるためにはまた罪を重ねなければならない」
「結果が戦争だ。この街は大陸の縮図だよ……」
「だとしたら、予行演習といった所でしょうかね。皇国がトバゴ商会であり、蔓延する恨みの連鎖がトウジンであり……」
「物理的に排除できるものが障害なら、幾分楽だろうね」
話が頓珍漢な方向へ動いてしまっているが、意見は概ね受け入れられていそうだ。
「それなら……アストラリアさん、協力して頂けますか」
「僕に出来ることがあるんならね」
「それはまだ分かりませんけど」僕は言い訳ともっともらしい提案を思い浮かべる。
「……ガルシアに言って、今晩中に接触を試みてみます。彼らがどれほどの惨事を起こすかは不明ですが……ポリスの手に負えない状況になれば、協力が来るはず」
「…………つまり、見て見ぬ振りって事だ。商会が握っているポリス達みたいに」
「それだけでなくとも、幾らか物品を融通して頂くとか、トウジンの存在を広めておくのも有効ではあるかもしれません。広まるかは運次第でしょうが」
「なるほどねぇ……よくもまぁ、ぽんぽんとアイデアが出てくるもんだねぇ」
「アイデアだけですよ。有効かどうかは度外視してます」
僕らしくもなく口が回り、会話が弾んできた頃だった。外の喧騒にすらかき消えそうなほど小さな、出入り口の戸が軋みを立てたのだ。入ってきたのは女性だった。
「……いらっしゃいませ。ミラーカさんですよね?」
サニアラが真っ先に反応した来客は、僕らの座る席を越え、奥から二番目の席に腰掛けた。編まれたブロンドの長髪が、後ろ側で一つに纏められている。霧の街中で見かけた装いより少し高価そうな生地のドレスからは驚くほど白く滑らかな腕と脚が覘き――――頬杖を立てた顔の、横目でも深く赤いのが分かる瞳をしていた。
「珍しいわね、私以外にお客が居るなんて」
「えぇ、覚えておく名前が二人増えました」
「二人? へぇ……」
ミラーカという名の女性は、品定めするような目でこちらを見てきた。
気を抜けば食われてしまいそうな、危うげのある女性だ。
「人が来たし……お暇するかな。カズマサ君、続きはホテルの個室で」
「お代は結構です、アストラリアさん」
「…………うん?」
立ち上がって懐に手を入れた彼が、ワンテンポ遅れて反応を返す。
「……今日は私の気持ちと言うことで。仕事が終わりましたら、何杯でもお出し致しますよ」
「あ、あぁ、そうかい……君がそれでいいなら……ハハ」
こういう優しさには慣れてないや、と彼は恥ずかしそうに笑って、最後に店の戸を閉めた。最後の最後まで、既視感のある女性客は僕らを楽しげに見つめていた。
鳴き声を聞いた気がして、僕は視線を上げた。店の看板があった。
そこにまるで鏡写しのように、小さな小鳥とコウモリとが出てきた僕らを見つめていた。




