76 再会 2
「…………やっぱり、やっぱり可笑しい!」
手を引いて走るのに飽きると、空から落ちてきた自身の一部分と融合し、僕を引っ掴んで空を飛び始めたミィナがそんなことを言う。無粋かつどうでもいいことだが、可笑しいと言われるべきなのは僕たちのように感じられる。
「どう可笑しいんだって……」
「ボクはカズくんみたいに沢山言葉を知ってるわけじゃないし、頭だって良くないんだよ! 無茶言わないで!」
「……そんなに難しいことか?」
「そうなの!!」
身長の四倍はある翼を、そのサイズに見合わない速度で羽ばたかせる。左右にそびえる家々に擦りそうで背筋がぞっとするが、彼女はそんなことを気にすら留めていないようだ。
「えっと……ガルシア君、もう着いた?」
ミィナが現場と会話を始める。一対一で行われる会話を聞くことは出来ない以上、眼下に微かに見えてしまう路上を眺めているほかなくなった――――そう思ったが。
「うん、ちょいとカズくんに教えてほしいんだ。お願いね」
〈――――って聞いたんだが、なんだ、お前らはもう部屋に着いたんか〉
耳元にガルシアの声が届けられる。いつも通りの口調だが、いつもより口回しが鈍いような感覚を覚えた。
「分かってて言ってるだろ。で、ミィナが変だって言ってるんだが……」
〈あぁ、確かに妙だ。ソイツにゃあそうとしか言えんだろ〉
しかし、お前にしちゃ随分と情的な行動じゃ無いか、と話題を逸らされる。
〈お前に取っちゃ知らぬ存ぜぬで済むゴタゴタだろうと思ったんだが。変わったな〉
「どう言う意味だ……じゃない、そっちはどうなってるんだ」
確かに面倒事は避けたいが、見知った人物、しかも互いに協力関係にある相手が働いている間にこちらはのんびり休息というのも心苦しいし、後々何を言われるか分かったものでもない。
少なくとも……こればかりは昔から変わらない事だと思っている。これまでは単純に助ける相手を作らなかっただけだ。恩やら貸し借りやらの帳簿は付けたくない。
〈全く、素直じゃねぇんだからなぁ……で、状況だっけか?〉
少なくとも良くねぇな、と素の調子が伝わってくる。
〈やり合ってるのを見ても十人以上、相手が相手だ、こりゃ応援が来たとしても手間取りそうだな。俺が睨んでる通りなら……まぁ、お前とミィナが来てくれるんなら楽になるだろうよ。荷物を置いてきてからでも良かったんだがな?〉
「お前でも手間取るのか?」と口が先に動いていた。
「いつも通りに憑いてから殺せばいいじゃないか」
〈ハロウィンにはちと早いぞ〉と嬉しそうな返しが来る。
〈悪いが、あいつらにくれてやるお菓子はねぇな。勿体ねぇから弾も使うなよ〉
「出来ないのか?」
〈やれてりゃこうして喋ってねぇだろうが。睨んだ通りならっつうか――――〉
「カズくん、見えた!」
一旦高度を上げ、ミィナは目的地の周囲を巡るコースを取る。騒ぎは確かに真下で起きているようで、靄の奥で動く影がちらほらと見えている。
「どうする? このまま行っちゃう?」
「いや、ちょっと待って……」
ここからでは詳細を確かめようがないが、確かに妙な感じではある。
影の位置関係から、刃と刃を絡め合うような近接戦闘は起きていない。が、銃撃戦を起こしているにしては片方の位置取りが可笑しい――――身を隠さず、むしろ堂々と立って応戦しているようなのだ。
「……ガルシア、どっちが敵だ」
〈真の敵は――――って冗談言ってる場合じゃねぇよな。上を回り始めたのがお前達か?〉
「あぁ、ここからじゃ人が居ることしか判らない」
〈俺達は包囲してる側だ。目印は――――クソ、似たり寄ったりの家を建てやがって……〉
「――――隠れてる方がこっち側か」
〈おっ、そうそう。突っ立ってる方が馬鹿騒ぎ起こしてる元凶――――の下っ端って言った方がいいか?〉
「分かった。ミィナ、僕を――――ミィナ?」
これから行動を起こそうとしているのに、彼女は反応してくれなかった。
「…………やっぱり、うん、可笑しいよ!」
「もう可笑しいのは分かったから、降りる……じゃない、真ん中の集団に落としてくれ」
「えっ? あっうん、コース取るね」
少しばかり強引な機動で目標値点から離れ、緩やかに降下する姿勢に入った。
「あのね、カズくん。一つ訊きたいんだけどさ」
「なんだ」
「生きてる人の体温が真っ青になるって事ある?」
「……うん?」
「あっ、だからほら、サーモグラフィ……まぁいいや、降りてから考えって――――あれ、落とす? 降りるんじゃないんだっけ?」
「……もうどっちでもいい。別に死にやしない」
目標まであと数秒も無い。落ちようと降ろされようと変わりはほぼ無いだろう。
「なんか嫌な言い方するね」とミィナの語気が強まる。
「死ななくったって無茶していいって事じゃないからね?」
「そりゃ……どうも。気を付けるよ」
信じるからね、と僕の両腕と彼女の腕――――或いは脚が離れる。慣性と重力の働きが目に見えて分かると、自然現象の整合性がどことなく素晴らしい、規律の取れたもののように感じられる。
丁度、目の前に一人分の影が迫ってくる。空中で短剣を抜くほどに僕は器用じゃない上、その誰かを緩衝材に使えるほどに良いコースを取ることも出来なかった。
僕の身体はその人物の左を掠め、右腕が辛うじて首筋を捉えた。
踵、臀部、背中、肩から腕と衝撃と激痛が走り、周囲の世界と僕の意識とが一瞬切り離される。やはり痛いものは痛い。骨折も打撲もなり得なくても、ただただ痛いことに変わりはない。
僕が引っかけた人物はヒトのようで、後頭部を石畳に強かと打ち付けられていた。既にてらてらと光っている路面に、赤黒い影がじりじりと広がり始めていた。
「――――死んでる、はずだよな?」
僕は彼の顔を見て呟いた。後頭部がぐしゃぐしゃになればそりゃ死ぬだろうが、そうじゃない――――見開かれたままの瞳は、もう既にこの街を覆う霧のように濁りきっているのだ。
更に可笑しいのは――――と言うよりもまず気付くことではあるのだが――――そんな状態であるにも関わらず、その死体は明らかな意思を持って暴れているように見えるのだ。拘束から逃げ出したいように、後頭部を潰されてもなお元気に。
僕の直ぐ傍を何かが勢いよく通り過ぎていった。過ぎた先を見れば、ヒトの形がばるんばるんと面白い挙動で地面を跳ねながら霧の向こうへ消えていくところだった。
その軌道を追うように一つの影が背後からやってくる。そちらに目をやったときには、翼だったところが小さな鳥の群れに変わっていくところだった。
「ねぇっ、ボクの言ったとおりでしょぉっ!?」
羽ばたく音がひたすらに五月蠅い中、それ以上の声量で、足を滑らせた彼女の声がこだまする。本体の無様さを完全に無視して、彼女だった小さい化け物は、数十羽ごとに一人を襲っているようだった。
小さく可愛らしいくちばしから逃れようと誰もが藻掻いている。横目でも分かるほどの散々たる有様だが、何かが奇妙だった――――この時点で常識からかけ離れているものの、あるはずのものが無いような、原因の分からない違和感がある。
「……確かに変だ。何だこいつら」
どうにか短剣を引き抜いて、まずは手の内の頭部と胴体を切断に掛かる――――が、僕には一つの確信があった。その通りだと目の前の光景が証明してくれるまでに時間は掛からなかった。
二分された男にも小鳥たちがやってくる。新鮮なごちそうだとばかりにがっつき始めると、その羽ばたきで男のものらしき腐臭と元々のミィナの匂いがごっちゃに混ざる。ただでさえ鼻につく空気が、いっそのこと窒息死してしまいたい悪臭に変わったのだ。
「ああもうっ! なんなのこの人達ぃ!」
ミィナの声が克明に聞こえたとき、周囲が思ったより騒がしくないことに気がつく。
そうだ、本来はあるはずのもの――――痛みに耐えかねて上げる声が、不条理な苦痛に怒る叫びが聞こえてこないのだ。この人々は悲鳴どころか、うめき声すら上げていない――――そこに空気の出入りがないようにすら思えてくる。
〈ナイスアプローチだったな、カズ。そいつらってどんな感じだ?〉
ガルシアの通信が入る。平常通りの気が抜ける声色だ。
「どんな感じって? それだけじゃよく分からない」
〈あぁ……クソ、例えをド忘れしちまった〉
「何だそれ……」
「カズくん、一緒に中へ来てくれない!?」
羽ばたきが五月蠅いが、ミィナの声は克明に響いた。外は自分の欠片達に任せるようで、ボクが見たときにはもうそそくさと中に入っていくところだった。
路地に立っている人影は片手で足りる数だったが、倒れてもなお暴れ続けている。普通の人間、と言われても信じられない。僕が押し倒した奴なんてもう死相が顔に出ていたにも関わらず、生に執着するかのように藻掻いていたのだ。何が彼らをそんな様相へ変えてしまったのだろうか。
「中に入る」
〈オーケー。念のために言っとくが、指揮官っぽい奴が居たら殺さないでくれよ。大切な情報源だ〉
「……分かった」
こんな奴らのボスがどんな人物か、パッとは思いつけなかった。
「わッ!? もうっ、驚かせるなよぉッ!」
物陰から襲ってきた影の頭部を、ミィナの右腕が間違いなく「喰らい取った」。哀れな被害者の背後から一人が抱きつくような姿勢で飛びかかってくる――――その意図通りに彼女を拘束出来たのだが、背中から恐ろしい牙が文字通りに「生えてくる」。否応もない現実で二昔は前のパニックホラーの撮影現場のような光景を見ると誰が思えようか。
僕も援護しようとしているのだが、いかんせん見えていない相手に襲いかかってくる訳がない。全員が彼女に向かって、その本人がぐいぐいと食い散らかしながら進んでいってしまうのだから、僕はひたすらにその後を追いかけるしか無かった。
「このッ、このッ! 流石に頭が取れたら死んでくれるよねぇ!?」
これまでの彼女の印象から一転、どことなく男勝りな怒号を発している。
喰らった先から自分自身を増やしているようで――――かつ急造だからか、造形はどんどん適当に、食いちぎった状態そのままのおぞましい外見へと変貌しているように見えた。最初こそ原型の動物が理解できたが、今は正真正銘の化け物、不定形の動く肉塊と言う有様だ。
「クソ、少しは待ってくれ……!」
本人に伝えられるほどの度胸は僕には無く、従って食い散らかした床の上を走り続けることしか出来ない訳だが、とうとう何かに足を取られて転倒する羽目になった。
何かと思ってそれを見ると、ぱっと見では用途が分からない機械群だった。ぐちゃぐちゃになったヒトの残骸を付属させたそれは、腰元にボンベのような円柱状の物体、そこから伸びるゴム状のチューブの先に、いびつな拳銃の形を取った機材が繋がっている。
一度ミィナの進攻先を見るが、思うがままに大暴れしているようだ。少なくとも僕が役に立つ場面は無いだろうと、僕はその道具を持ち主から取り外した。使えるのなら持っていくに越したことはない。
動作機構は分からないが、銃器の類だとは分かる。薬室は――――ボルトアクションと言って良いのだろうか、一発毎に薬室そのものを固定するようで、中にある弾頭は見慣れない形――――弾薬の弾頭部分をより延長したような、それだけの形――――をしていた。
使えるのだろうか。それが問題だった。
重量は相応にあるが、行動を阻害するほどでは無い。確かめる方法は一つだけだ。まだ近くを動いている死にかけの頭に照準を合わせ、引き金を引いてみる――――。
「いっ――――ったぁ!!」
――――のと同時に、ミィナの悲鳴が上がる。発砲音――――間違えようも無い「聞き慣れた方の音」の直後でもあった。
少なくとも、聞こえていた「聞き慣れない破裂音」の正体は手元のこれに違いは無いようだ。慣れた銃と比較にならない反動のでかさと、人間の頭がスイカの如く割れる威力。硝煙代わりに蒸気が噴出するあたり、動作機構はエアガンのそれだろうか。
弾薬は探せば見つかるだろうが、ミィナの状況が宜しくなさそうだった。
目新しいものへの興味に後ろ髪を引かれながら、僕は腿の拳銃を引き抜いて向かう。
「ミィナ、大丈夫か」
〈カズくんっ!? ごめんっ、あっ待てっ、話してる余裕が――――〉
巨大な質量が勢いよく叩き付けられたような衝撃が床を走る。滅茶苦茶になった内装を越え、蝶番から外れたドアの向こうに彼女らしい姿はあった。右腕に当たる部位が腫瘍のように歪み膨張していて、それを勢いのままに叩き付けたことが原因のようだった。
「もうっ、逃がすもんか!」
「ミィナ、何が……」
「多分『生きてる』人! ボクを撃ったことを後悔させてやるんだから!」
巨大な腕を持ち上げると、そこにぽっかりと穴が開いていた――――彼女が開けたのでは無く、元からあるものに見える。
どれだけの深さかを確かめる様子も無く、ミィナはひょいと飛び降りていってしまった。状況の変化が僕の理解速度を超えていて、ひとまず付いていくのが精々の所だった。
追いかけなければ。
〈カズ、お前銃使ったか?〉
「いや――――ッ、クソ。いや、落ちてたのを使った」
思ったよりも高さがあった。足首と膝、付いた手首に鋭く痛みが走る。
〈落ちてたのを? んじゃ、火薬の方は使ってねぇんだな?〉
「火薬の方って? ガルシア、何が訊きたいんだ」
下水道だろうか。臭いが酷い上、視界もほとんど無いに等しい。
携帯のライトを付けると、手元が微かに涼しくなる。全面がレンガ造りで、遠くの角を人影が曲がっていくのを辛うじて見つけた。
〈ミィナに訊こうとしたんだが、アイツ夢中になってやがって。お前が使ってねぇんなら間違いないか……アイツはどうしてる?〉
――――分からない。誰かを追ってるらしい。
滑る足下をどうにか堪えつつ、ミィナを追いかける。下水道ではあるが通行可能な通路は限られているようで、そうそう見失うことは無いのが救いだ。
〈止められるか、追っかけてる奴が死ぬと色々厄介になる〉
――――分かった。知ってる奴なのか?
遠くから反響してくる水音が複数になる。分裂したのか?
暫く追いかけていると、先程から追いかけていた影より一回り小さいものに追いついてきた。骨格からして犬だろうが、背が僕の鳩尾まであり、必要最低限の姿に近く……ゾンビ映画にでも出てきそうな相貌だった。小さく見えたのは単純に背丈が低くなったからで、全長は人より一回りほど大きい。
〈まぁ、九分九厘にはなった。こっちもお前らを追ってるが、痕跡残せるか?〉
僕も追うのに手一杯だ。ほぼ一本道に近いから迷うことはないと思うが……。
「カズくん?」
僕と併走し始めた犬が喋り始める。普通に受け入れられそうなあたり、僕も世界に毒されてきたのだろう。
閉鎖空間に数回の破裂音が反響する。軽い耳鳴りがするのだ、そう遠くはないはず。
「ミィナか? どうして僕の場所が」
「それだけバシャバシャしてたらね……それが最高速?」
乗って、と無茶なことを言ってくる。
携帯を無理矢理に仕舞い、勢いそのままミィナに飛びかかる。彼女へ爪が食い込むほどに力を込める――――弛んだゴム生地のような感触が気色悪いが、それを言う訳にはいかない。
「急いでほしいんだ。このままじゃボクが危ない」
「無茶するなって言ったのは誰だったっけ……」
「落とせって言ったカズくんほどじゃないと思うんだけど。ちゃんと残機は取ってあるし」
そりゃあ僕はおおよそ不死と言えるからであって、それだって彼女のように生死の概念がある人が出来る無茶を越えることが出来るだけだ。そもそもの前提が違う――――正常な感覚が完全に麻痺してしまっていることを再認識する。
「……撃たれたのか?」
僕は尋ねた――――先程の発砲音が意味する状況を考えると、それ以外に考えられるかという話ではあるが。
「直ぐそこで捕まえようとしたんだけど……今度は頭をぶち抜かれちゃったから、ちょっと五分五分かも知れない。ちょっと記憶が吹っ飛んでるかも」
さらりととんでもない内容を供述し、僕もすんなりと受け入れていた。
「…………そうだ、ガルシアも来るらしいから、道案内を……」
「うん? あぁ、分かったよ。ガルシア君? 小っちゃい鳥を送るから……えっ、コウモリ? 知らないよ、ボクじゃないよそれ」
人を乗せて走れるイヌモドキが、飛んでいるコウモリを自分ではないと言う。ガルシア以上に常識というものを剥ぎ取っていく人物ではあるが、本人の性格そのものが捻くれていない分、救いがあるようにもより悪質であるようにも思える。
とんでもないことをする人間ばかりだ、とどこか他人事のように思った所で広い空間に出た。どうやら通路の合流点であるようで、中央に光がある――――ランタンを持った幾人かと、その中央に横たわる人間大の影。
「あの人! 仮面を付けたの! 追って……ッ!」
ミィナが言う人物は直ぐに分かった。カビ臭い地下には似付かわしくない華美な装飾が彫り込まれた、語弊を厭わずに言えば軍装の男だ。
灯火に照らされた影達がこちらに何かを構えると、霧が出来るほどの蒸気が彼等を包む――――その瞬間にミィナの勢いがぐんと鈍り、慣性が僕を彼等の方へと引っ張っていく。
「くっそ……!」
「いってぇなあアァァア゛ッ!」
ぬめぬめとしたレンガを滑る僕の上を、傷を負ってよりおぞましい姿になったミィナが追い抜いていった。二発目が放たれる前に集団に迫ると、内の一人を――――ほぼ一瞬の間に「飲み込んでしまった」。いや、彼女の細胞組織そのものが一人を覆い尽くしたと言った方が近いだろうか。日常生活で使う語彙で今の光景を説明できる自信が無い。
しかし、それ以上余所見をしていられる猶予は無かった。速度を殺しきる前に立ち上がり、歯のない口で咀嚼するような音を立てる肉塊を通り過ぎ、目的の人物――――僕の持つ量産品の拳銃と瓜二つの得物を持つ、軍服の男を拘束しに掛かる。
「っ!?」
教えて貰ったことを思い出す。武器の解除、抵抗手段の剥奪、肉体への損傷。たかが数日で教わった付け焼き刃だろうが、考えなしに襲うよりずっとマシだ――――そう思っていた。
「……なっ」
しかし、相手の方が上手であるようだ。
相手の拳銃の銃身を握り、自分の銃床で相手のこめかみを殴るところまでは望んだとおりだった。が――――打撃は仮面にヒビを入れただけに過ぎ、この男は自分から銃を棄て、僕を組み伏せに掛かってきたのだ。
「……嘘っ、しまっ――――」
違う、狙いはそうじゃない。
気付いたときにはもう遅く、男は僕の拘束を離れ――――返って僕を仕留めようとしていたのだ。姿は当然見えていないようだが、その動きに躊躇いも、迷いもなかった。
「――――いッ……クソォッ!」
脇腹に覚えのある痛みが走る。下腹部に異物感を覚えたかと思った瞬間には抜き取られ、僕の右腕を拘束しながら今度は首筋に衝撃が走る。鋼とカルシウムの塊が擦れ合う音と感触が脳裏へ直接的に伝わり、悪寒が背中を通り抜けていく。
「何ッ!?」
僕がどうにか抵抗しようと藻掻くと、拘束した腕が緩むのを感じた。
きっと普通の反応だ――――見えない相手に対抗することはさておき――――本来ならば考えられようもない、予測も出来ないことで、才のない僕がもつ唯一のアドバンテージでもある。
こちらはいくら刺されようと撃たれようと構わない。どれだけ暴れられようと拘束しておけば良いのだ。この男が服装通りの人物だとしても、不可視かつ不死のハンデがあるのならば――――奮闘することは出来る。
暫く格闘が続くが、自覚できるほどに技術に差があった。
こちらの行為が幾ばくが有効に思えるのは、単にこちらの手が見えてないだけのようで、相手に触れた瞬間から拘束が終わるまでに対策を練られてしまっている。
逆に向こうは二度ほど僕へ確かな致命傷を与えてきたが、効果がないことに勘付いたらしい。こちらに殺害の意図がないことも気付いているのだろうか、距離を開けずにこちらの出を窺ってくるようになった。下手な動きをすれば間違いなくやられるだろう。
「グッダバルゥァア゛!!」
辛うじて言語だと分かる咆哮が近くで鳴り響く。ミィナが取り巻きを食い散らかしているようだった。先程までと違い、反響が終わらないほどの悲鳴や、意味のある言葉、喚きが聞こえてくる。こいつらは外の奴とは違うようだが――――とすれば、果たして彼等は何者だったのだろう?
何度目かの組み合いの後、相対するように距離が出来た。男の構えはどこか奇妙なもので、柔道などの武道に近いが、何処かが違うというものだったが――――素人目には分かるまい。
「……畜生、化け物共が。おい、見えないの」
すると、男が話し始めた。
「お前もギフテッドか。それともその駒か?」
何を訊いてくるかと思えば――――命のやり取りをしながら、どうして質問が出来るのだろうか。
「――――そちらこそ」
しかし、嬉しいことには違いない。相手は逃げるつもりがないようで、会話によって拘束できるのであれば万々歳である。
「同郷者か……? 目的は俺か、それとも薬の方か?」
「薬?」
「…………どちらでもないか。ケダモノが血の臭いに釣られたか?」
男が翻ったと思った次には、飛びかかった人狼が無力化されていた。
ガルシアがあとどれほどで来るか、それを頼りにしては居られないだろう。捕らえようにも僕では技量不足で、死の概念があるミィナには尚更無理な話だが……。
〈カズくん、この人強い……強くない?〉
何時の間にか多勢に無勢の様相となっていた。まだ四体の人間紛いが退路を塞いで、本来ならば問題も無く勝てる状況だ。
ガルシアがなんとか伝えたのか、実力差からか、彼女も唸るだけで襲いかかりはしなくなっていた。後はいつ来てくれるかだが――――。
「……人食いのモンスターに、見えないゴーストか。能力様々だ」
しかし、何時の間にか周囲がかなり五月蠅くなっている。何も動いていないはずの空間が――――その空間そのものが蠢き始めたかのような。何かの羽ばたきのような音だ。
〈――――――ズ、おい――〉
男の奥、視界の端の暗闇が蠢いたように感じた。取り囲むミィナが周りを警戒し始める。
〈カズくん、何か動いてる。小っちゃいけど……凄い数。何だろ〉
〈――――カズ、聞こえてるか!? ウンとかスンとか――――〉
「……どうした、来ないのか。一対五、いや六だ。違うか?」
そう言う仮面の男は微動だにしない。何かを待っているかのようだった。
挑発に乗る理由は何も無い。このまま待てば良い。
「…………何が目的だ、お前らは。お喋りは嫌いか?」
羽ばたきと鳴き声がますます大きくなり、何羽かがミィナ達を襲い始めた。
それなりの数と勢いでぶつかってきているものの、特に障害とはならないらしく――――むしろひょいと掴んでかぶりつく個体すら居た。
「――――おい、ウッソだろ――――なんだこの数……クソッ、邪魔くせぇ! 何処だ! おい!! 答えろこんちくしょう!!」
ガルシアの声が聞こえたのと同時に、仮面の男が動いた。視線が僕から他の誰かへと明らかに動かされたのだ――――その声の主に。
「クッソがぁッ! なんじゃこのクソみたいな数のコウモリはァ!!」
思わず僕もそちらを見てしまった――――恐らく、誰もが彼に注目していることだろう。
「アッ、ガルシア君」と一人のミィナが戦闘態勢を解く――――それが本体なのだろうか。
「おぅ、ニッチな外見になってるなお前」
暗闇を物理的に掻き分け、肌も衣服も切り傷でボロボロの人間――――ガルシアが軽口を叩く。彼にもコウモリが襲ってきていて、かなり鬱陶しそうだった。
「……ガルシア?」
仮面の男が名前に反応を示した。
「なぁ、このコウモリはお前が飼い始めたのか? 餌代も冗談みたいに高ぇだろこれじゃ……あと躾けもなってねぇ、はよ止めさせてくれ」
「…………」
完全に無反応だ――――探りを入れているようにも見える。「そんな警戒するな」というガルシアの言葉にも反応しない。
「無視か、なぁ、なぁおい? そんなけったいな仮面なんか付けちまってさ……」
「…………ガルシア、か。『そいつ』の名前か?」
「いんや。『こいつ』にゃあ経歴ってものがねぇんだ。珍しいことにな」
両手を広げ、ゆったりとした速度で近づいていく。
仮面の男は姿勢を崩さず、懐から試験管に近い小瓶を取り出した。全員の動作が一瞬停止した瞬間に、蓋を開き中身を僅かに溢した。
「……なぁ、『ラスティ』。相棒の顔も名前も忘れちまったのか?」
「悪いが、『その顔』は知らないもんでな。ゴーストがもう一人居たとは驚きだが」
やっぱりか、とガルシアは嬉しそうな顔をした。
「大丈夫だ、カズ、ミィナ。俺のダチだ」
「こいつらもお前の仲間か……随分と派手にやってくれたもんだな」
ラスティと呼ばれた仮面の男は取り囲むミィナ達を一瞥して言った。彼女を襲っていたコウモリは――――何時の間にか退散しつつあった。
「あんたも落ち着いてくれ、こいつらは……『向こう側』のダチだ。実質バケモンだが悪い奴じゃない、理性はちゃあんとある」
争いは止めて、話し合いに変えよう。という提案に、仮面がくらりと傾いた。割れた境界線から男の瞳と、その周囲の皮膚が見える。
「あぁ、そうするべきだろうな――――俺から提言すべき事だ」
ラスティと呼ばれた仮面の男は、静かになった暗黒の一端を見上げた。
燃料もろとも割り散らかしたランタンの残骸が照らす彼は、割れたその仮面よりも酷い傷跡に覆い尽くされているように見えた――――禿げかかった塗装の痕のような、僕のそれと比にならないものに。
「どちらにせよ、人員と予定物資の大幅な喪失だ。俺の雇用主はあんたらを逃がしやしない。どんな目に遭うかは――――俺に付いてきた方が事は荒立たずに済む、とだけ言っておこうか」
「雇用主? 流れ者は止めたのか」
「来い、お前の『友達』も連れてな」
その傷を隠すように男は踵を返し、コウモリが引き上げていった方へと歩き始めた。




