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68 互いの違いと思いやり 前編

 だいぶ落ち着いてきた。イリアも僕も、穏やかな日常に慣れてきたのだろう。

 勉学も通学もしない毎日というのは実に楽で気ままなものだなぁと思うのは数日遅い気もするが、恐らくは考えられるほどに時間が空いて、問題が片付いてきたのだ。


 これほどにゆったりと、気兼ねなく時の過ぎることだけを感じられるのは何時振りだろう。迫ってくる責務や家事、何もかもを放棄して休むことが出来るのも。


「……良い天気だね」


 こうして、誰かと寄り添うのも。

 ここはイリアに割り当てられた部屋――――据え付けの家具の他には、最近買われた本だけしかない、殺風景で物寂しい空間だ。二人分の椅子もなく、ベッドの上に腰掛けている。


 窓から見える蒼穹の空は、こんな場所にも心地の良い春風を連れてきてくれている。少しばかり悪戯好きなその風は、イリアの持つ本を軽く弄んでいた。


「うん……そうだね」


 イリアがぎこちなく答える。会話らしい会話は今の所ひとつもない。彼女は読書に――――僕を気に掛けながら――――集中していて、それが会話をしたくないからか、会話を紡ぐ自信がないからか、僕には図りかねることだった。


 僕の方はと言えば、そろそろ問題に腰を据えて取り組もうとしている。会話、過去のしがらみ、他人の生命に関する価値観。イリアのことを知らなければ、どうすれば良いのかも分からない。

 知ることは怖くない――――過程で生まれるかも知れない損失が恐ろしいだけなのだ。気を付ければ良い、それだけの話のことだ……きっと。


「……大変だったよね」


 ただ、どう訊いたものか分からないのも事実だ。

 そういう訳で、僕は雑談の真似事を始めた。イリアも少しこちらを見た。


「これまで、色々と。何度も危ない目に遭って……さ」


 ここ二、三日を除けば、日常らしい日々というものがあったとは思えない。僕でさえそうなのだから、イリアにとってはもっと非日常で、あって欲しくない時間だったに違いない。僕と違って……死んでも可笑しくないのだから。


「もうこれで大丈夫だと思ってたんだよ。もうイリアが傷つくことはないだろうって」


「…………」


「だから、その。驚いたんだ……それで、分からなくなった。君が何を怖がっているのか、何をされると嫌なのか……何も知らないって事を思い知らされた」


 イリアの手が捲ろうとするページから離れ、軽く握られて上に置かれた。

 どう進めれば良いのかは分からないし、俯く彼女の表情からはどんな心境なのかも読み取れない。それでも僕は進めなければならなかった。


 回り道はしていられそうにないと、腹をくくることにした。


「……ミリアスから聞いたんだ。昔のこと」


「……!」


 予想通りと言うべきか、イリアの背が軽く跳ねた。呼吸も軽く乱れている。


「傷つけたい訳じゃないんだ、苦しませたくもない……ただ、そう。ただ……知りたかったんだ。何がイリアを……その、えっと」


「……ううん、大丈夫。わたしは大丈夫だよ」


 そう言っても、苦しげな笑みを見せられたらどうにもならない。

 なまじ痛みが分かってしまうからだ。喪う苦しみと、得る事への恐怖。忘れても良いことを思い出させようとしているのだから、僕はとんだサディストだ。


「ごめん、話すのは得意じゃないんだ」


 自分自身に溜息を吐くと、壁にもたせていた上体を起こした。

 言葉が見つからず、外の喧騒が遠く聞こえてくるばかりだった。イリアの視線は手元の本に注がれているものの、文字列を追っているようには見えなかった。


「…………何を訊いたの?」


 絞り出すように、微かな声で尋ねられた。


「イリアのこと……六年か、七年前ぐらい」


 確か、君のことを誰かが護っていた頃のことだよ。と濁した。

 イリアが覚えているかも怪しい幼少期、数日前の殺人の件は何があろうと口に出来ない。


「そのことについては大体聞いたよ。君を守ろうとして……死んでしまったことも」


 反応はなかったが、苦しそうなことは言わずとも知れる。

 僕だって思い出したくない。父さんと母さんが運び込まれたあの日のことを、ましてや不安定な状態の時になど。


「……それで、なんとなく分かった気がした。僕だって嫌だ。自分のせいで何かを喪うこと……消えてしまうこと。その苦しみだけは僕も理解できる」


 だから、君を守ってきたのだ。最初は同情から、そのうち自分自身に由来する恐怖から。どちらにせよ、人並みのエゴから来ていることに違いはない。


「理解できる、つもりでいた。でも確証がない。イリアの辛さや悲しみを理解し切れているか……和らげてやることが出来ているのか。本人に言うことじゃないのは判ってるさ、でも……怖くて仕方がない」


 何を言っているんだろう、と嫌悪する。

 僕が今やっていることは、間違いなく己の弱さの吐露だ。これまでで一番僕らしくない、かなり情けないことを、何の抵抗もなく口にしている。


 言って何になる? ただイリアに気を遣わせるだけじゃないか。クソ。

 だから人付き合いは嫌なんだ。手に入れられないと分かってなお欲しがるから、こうやって勝手に傷ついて、傷つけて。僕はどうでもいいが、相手を不幸にしてしまうんだ。



「……カズ、わたしからも訊いて良い……かな」


 僕は口を噤んでいた。もう何をどうやって訊いたら良いかが分からなくなったから。

 すると、今度はイリアが僕に語りかけてくれた。震えに精一杯の勇気が込められている。

「いいよ、何だって答える」


「そのね、前言ってくれたでしょ……何でもいつかは慣れるって」


 まだイリアの傷が癒えていなかった頃の話か。痛みも孤独もいつかは慣れてしまう。


「その時からずっと考えてたの……カズが、どんな人生を送ってきたんだろうって。死んじゃうかも知れないのに、何度も何度も戦いに行って、わたしを支えてくれて……どうしてそんなことが出来るんだろうって」


 そうなってしまった理由を訊きたいようだった。

 僕がイリアを知るため、彼女の過去を知りたがったように、僕のことを知りたいと。


「…………分からない」


「え?」


「いや、確証がない、って言った方が良いのかな……」


 僕は語った。どうやら記憶が抜け落ちているらしいこと、それがおおよそ六、七年前の記憶から始まっていること――――聞かされてから色々と考えたが、思い当たる節が幾つかあることには気付けた。何かあったことは覚えているが、その時の詳細が形を成さないものがある。


 最たる一つ……僕が「そうかもしれない」と思えたのは、記憶喪失の期間の始めの一端、人生初の殺人に関しての記憶だ。何が根拠かと言われれば……ひとつしかない。


 あったはずの根拠、あの三人を殺した動機が曖昧なのだ。

 小さかったからかもしれないが、衝動的に行ったにしては計画的すぎる。間違いなく何かしらの動機があったはずなのだが、それをさっぱり思い出せないのだ。


 こうだったかもしれない、と考える判断材料すら、形として記憶の海にない。


「記憶が……ない?」


 イリアは首を傾げる。まぁ当然のことであるし、期間も分かっている記憶喪失など都合が良すぎると僕でも思う。しでかした本人(ウィズネア)が何を意図して奪ったのかは分からないが、まともな理由でないと根拠のない確信があった。


「あぁ、だから……僕自身も分からない、今の僕が『こういう経緯がある』と説明しても、確実に抜けが生まれることになるから」


「……忘れてる、忘れる……」


 呪文のように繰り返していた。自分に言い聞かせているようだが、どういう意味で伝えているのかは僕の知るところでは無い。



「……ねぇ、イリア」


「あっ……ごめんなさい。なぁに?」


 取り直して、彼女は本を閉じた。


「イリアの側に居た人……どんな人だったのか、教えて欲しくて」


 六年前、今よりもずっと小さくて、儚い頃に、彼女の側に居た誰か。

 それか誰であれ、どんな人物であれど、今の僕の立場に居るべき人には違いない。


 知るのは義務であるように感じた……その人が、イリアが最も望んでいる相手であると。

「…………」


 イリアは考え込んだ。思い詰めたような表情ではあるが、苦しそうな影はない。ひたすらに思い返して、紡ぐ言葉を選び、悩んでいる様子だった。


「……カズに似てるかも」


「僕に?」


 かなり予想外の答えが返ってきた。


「もう昔のことだし、小さかったからあまり覚えてないけど……ちょっと見た目が怖くて、でもすごく優しくて。だから、側に居てくれるだけで安心できてた気がする。頼りがいのある人だったなぁ……」


 今みたいに、と彼女の力が抜けて、すとんと僕の腕に重量が掛かってきた。


「同じ見た目だったから、ってのもあるかも。もうわたしは一人じゃないんだって思えて……うん、子供ながらに嬉しかった」


「……そんな人と、僕が、似てる……?」


「うん。わたしはそう思ってる。まるで……」


 その先の言葉を、イリアは慌てて飲み込んだようだった。


 そうか、彼女の行動にもそれなりに納得がいく。イリアは……ある意味では、幻を見ているのかもしれない。


「…………僕がその人かも知れない、ってこと?」


 僕にそんな自覚はない。イリアの拠り所としてはあまりに脆くて、危うい。

 ならば、いやだからこそ、その人を目標にしておくべきだと思った。イリアがその人を幻視しているのであれば、それに近づくことこそが彼女の幸せになるだろう。


「……!!」


 唐突に、掛けられた重みが消える。イリアが立ち上がったのだ。


「ね、ねぇ、カズ!」


「イリア……?」


 そのまま僕の居る空間に振り向くと、勢いそのままに僕の肩を探り当てて掴んだ。


「カズって、本を読む?」


「あ、あぁ……まぁ、多少は」


「だったら、えっと、読んで欲しいものがあるの! 読んでくれる?」


「え、えぇっ……?」


 僕は初めて見るイリアの勢いに呆気に取られていた。

 まるで忘れていた何かを思い出したときのように、また忘れない内に行動しなければと焦っているように感じられる……何であれ、今の彼女には壊れてしまいそうな危うさはなかった。使命に駆られるような、肯定的な光が瞳に宿っている。


「……うん、読むよ。気の利いた感想は言えないかも知れないけど……」


「本当ッ!?」


「あっ、あぁ、本当だよ」


「ほんとにっ!?」


 終始押され気味で、真偽を問うやり取りを数度繰り返した。本当の本当の本当の……完全な堂々巡りと化した会話は、約束だよ、という彼女の言葉と抱擁で締めくくられた。


「待ってて、いつか絶対に読ませるからっ」


 そう言うが早いか、春風に背を押されるように部屋を飛び出していってしまった。

 僕は一人取り残され、階段を騒がしく下りる音、ガルシアとイリアが何かしらをやりとりする声とを聞くしか出来なかった。


「…………読ませるから?」


 何かを読んで欲しいことは間違いないが、言い方に引っ掛かった。

 が、直ぐに理解した。そういえばミリアスが言っていた。


『本はよく読んでいたな……それと、日記らしい何かを付けてた』


 ミリアスはそう言っていて、続きがまだある。


『一度それを読んだことがある。見て欲しいと言われてな。短い物語だった』


 つまりは、そういったことなのではないか。と思った。

 イリアがしようとする行動がそれかは未確定だが、もしもそうだとすれば……何度も言質を取られた理由も分かる気がした。


〈カズ、おい、カズ?〉


 ガルシアの声が聞こえ、僕が呆然としていたことに気付かされる。


〈今からお嬢ちゃんと買い物してくるからよ。留守番頼んだぞ〉


「ガルシア……買い物?」


〈あぁ、このご時世、しかも平和なアニマリアの街でお嬢ちゃん一人を外に出すわけにも行かないからなぁ〉


 少し間が空いて、「付けてきてもいいぞ」と提案してきた。


「留守番を頼んどいて、それはないんじゃないか。イリアにも聞こえてるだろう」


〈テレパシーだよ、バーカ。大丈夫だって、お嬢ちゃんにはバッチシ聞こえてねぇから〉


 まぁ、決めるのはお前だ、と通信が切れる。数秒して、玄関のドアが開く音が聞こえてきた。


〈玄関はカギ閉めてくからな、怪しまれずに出るなら二階からにしとけ〉


「ご忠告どうも」


〈あと、念には念を入れた準備をして来いよ。俺は手ぶらだ〉


 アイツは実に僕の心境変化や欲求、行動方針を知っている。

 半ば彼に言われたとおりの用意――――この世界に来てからずっと携えてきた相方を引き連れて、開きっぱなしの窓から身を投げた。







〈戦争があって、多少は人種差別も減っては来たんだ〉


 二人を追って街を歩いていると、ガルシアが話しかけてくる。


〈前線……皇国と国境を接する辺りは人間との交流がそれなりにあった。ガワが違うだけで大体似たようなモンだと分かってる奴は、あの国に近くなるほどに多くなる。前にお前とお嬢ちゃんが二人で出歩けたのは、あそこが概ねヒトに寛容な街だったからでな〉


「戦火の火の粉すら届かないここじゃ、それもないと」


〈そういうこった。俺達は見えてるだろ?〉


 ガルシアが背伸びをする振りをして、後方に居る僕へ向けて腕を振る。


〈俺の右手に騎士団の紋章が彫られてなきゃ、もっと冷たい反応がそこかしこからさ。ミィナに頼んで正解だったぜ、全く〉


「……嬲り殺されても当然かもしれないな」


 僕はガルシアに言った。見ている限りでは、確かに冷たい視線が投げかけられている。彼が庇わなければ、この群衆はイリアにも同じような態度を向けていくことだろう。良くて無視、悪ければ……どこまで一線を踏み越えることだか。


〈だとして、一番理性的かつ理想的な国家は|ここ〈ミクサマル〉だ。こればっかりは愚衆がマシになってくれることを祈るしかねぇし……俺達も同じだ〉


「……同じ穴の狢にならないよう、気を付けるよ」


〈ちなみにだが、お前と同じ、それなりに融通が利く六線待遇だ。お揃いだな?〉


 そんなこんなで、目的の店に辿り着く。こじんまりとはしているが、外装も見える限りの内装も整って、それなりにハイカラな雰囲気を感じられる。


〈さ、どうぞ。お嬢ちゃん〉


 ガルシアが扉を開け、イリアを先に通す。僕が側まで来ると――――隙間を通り抜けられるタイミングで彼は手を放し、至って自然な状態での侵入が行えた。


「いらっしゃっせ」


 適当な声が聞こえる。店内に居るのはカウンターに座り込むアニマリアの若者だけらしい。あまり誠実とは思えない、尊大な振る舞いだった。


 店としては画材店に近いのだろうか。かなりの種類のインク、絵の具、筆やペン、紙やカンバスも多種多様なものがカウンターの奥で存在を主張していた。


「物書きに丁度良いペンとインク、それに十分な紙を。出来るだけ質の良いものを……だったよな? お嬢ちゃん」


「えっ……はい、そうです」


 本来はイリアが注文するところを、ガルシアが代行する。彼の付き添いの理由は単なる護衛という事でもなさそうで、この世界にもある世知辛さを再認識するひとつになった。


「……ペンにインクに、紙ねぇ」


 面倒くさそうに、どこか小馬鹿にしたような言葉を残し、店の奥へと消える。どうにも威圧的で、イリア一人では間違いなく買い物をする以前の問題が立ち塞がったことは明白だった。


「ほら、銀貨十枚だ」


 戻ってきた若者が面白くない顔で品物を並べるが、ガルシアがさらに面白くなさそうな顔をした。理由は明白だ。


「……この店の品物は使い古しを売ってんのか、珍しい商売してるんだな」


「ほぅ、人間風情が店のモンにケチ付ける気か?」


 若者がガルシアに顔を近づけ、侮蔑の意が十二分に込められた笑顔を作る。


「いやいや、だいぶ強気な商売でも成り立つんだなぁって話だけさ……あと、『質の良いものを』って頼んだ気もするんだが、これが最高級? さっきまで使ってました、余り物を寄せ集めましたってものを『質が良い』とはなぁ。よく看板を下ろさずにいられるよ、ん?」


 負けじとガルシアが挑発する。こいつの方はそれなりに人となりを知っているから言えるが……売られた喧嘩を面白半分に買っているようだった。無論、対応の酷さにも腹を立ててはいるだろうが、彼にとっては憂さ晴らしの良い的だ。


「あぁ、そうだった、そうだった。最高級だったな?」と彼の土俵にまんまと乗せられる。

「勿論あるさ。けどよ、テメェらみたいな奴に買えるような値段じゃないんだ。悪いな」


「嘘は良くねぇな。『買わせられるような値段にしてたまるか』って正直に言わねぇと」


 と前置きして、値段はと訊く。当人は楽しいだろうが、イリアや僕からは冷や汗しか出てこない。平時なら鬱陶しく面倒な奴ではあるが、こういう場合は非常に頼りがいがある――――そんな頼りがいなどあるべきではないと思いはするが。


 何であれ、今置かれている状態の(透明かつ不死である)僕では直ぐに手が出てしまう事だろう。あまりに殺人のリスクが低くなり過ぎていて、慣れてしまうと間違いなくとんでもない過ちを犯すことになる。

 その点で、やり合う相手がアイツで良かった、と僕は傍観していた。


「そうだなぁ……人間さんよぉ、幾らもってるんだ?」


「おいおい、品物も見せずに値段交渉か? 勘弁してくれよ」


 そう言いながら、ガルシアは「大きい方の」袋をカウンターに置く。

 店員は断りもせずにそれを取ると、中身を確認した。


「へぇ、持ってんじゃねぇか」


「この時のために、この子が頑張って稼いだんだ」


「えっ、ガルシアさん。それは……」


 イリアが口を挟むが、店員が睨んだのと————比率としては後者の方が大きいだろう————ガルシアのアイコンタクトで黙り込んだ。何かしらを伝えたのだろうが、対面でのみ行えるテレパスは盗み聞きが出来ない。


「待ってな」と言って再び奥へ消えると、今度はまともな一式をもって戻ってきた。


「あるじゃねぇか」というガルシアの声に一度はいい顔をするが、行為に滲み出る感情は真逆のものだった。


「……どう言う意味だ、あ?」


「何だよ、こんな端金で買えると思ったか?」


 先程のペンとインク壺に、持ってきた紙を数枚、小袋に入っていた金額ではそれが限界だと言いたげに。


「悪ぃがな、このペンとインク、それぞれ金貨は一枚は必要になるんだよ。こっちの紙も、これだけの量になれば一枚か二枚か……そう言う事だよ、残念だったな?」


「ほうほう、随分と法外な金額だなぁ」とガルシアは一本やられたように言う。


「ひとつ訊くがよ、アニマリアにもおんなじ値段で売ってるのか?」


「俺が相手によって値段を変えるとでも?」と両手を広げる。


「ハッ、そいつぁ『ヒガイシャイシキ』って奴じゃねぇのか?」


「否定はしないんだな。以外と正直者じゃねぇか」


 そう言いながら、ガルシアは「小さな袋」から「黄金色のコイン」を、「紋章が彫られた右手」で取り出した。これまでの行動はすべて、その手を決してその若者に見せないように行われていた……何をするつもりなのか。


「そんで、こいつらを買うにゃあ、幾らだ?」


「言ったろ、金貨を五枚は出してもらうぜ」


「さっきより値上がりしてるじゃねぇか」


「そうだったかぁ? んじゃ、それ以上は上げねぇよ」


 本当か、と訊くと、勝ち誇った顔で頷いた。





「そんじゃ、買おうか」




 そして……それ以上に憎らしく見える無邪気な笑顔で、ガルシアは手にしたものをカウンターへ叩き伏せた。かなりの衝撃音が店内に響く。


「…………は?」


「言ったよなぁ? 金貨五枚で売るってよぉ。さっきの袋も返して貰ってねぇが……」


 あるはずがない、という目で男は凝視していた。そりゃそうだ。金貨五枚となれば数ヶ月の生活費と等しい。例えあったとしても出せるような値段でないのは明白で、それを呆気なく出したのだ。驚かない方が可笑しい。


「そういやねぇ、俺は今仕事中でね? ちょっと特殊な内容なんだけれど」


 追い打ちと言わんばかりに、ガルシアは右手の甲を――――紋章を見せつける。

 男の視線はそちらに引っ張られた……驚いた原因は金銭ではないらしい。


「王様が人種差別を無くそうと頑張ってるのは知ってるよな? これは秘密なんだけどよ、その活動のひとつとして、巡回活動をしてるんだ……人間がアニマリア達に悪いことをしないかと、『アニマリア達が人間に酷いことをしてないか』ってことをさ」


 男の笑顔が凍り付いている。やりたかったのはこれか。


「この子も一応はアニマリアなんだが、いわゆる『尾無し』ってヤツでねぇ。心配だったから一緒に買い物に付き合ってやってたのよ。そしたらこんな大物が釣れたというこった。

 困ってる子を助けられて、悪者も見つけられた。ギフテッドの世界で言う『一石二鳥』ってヤツだな?」


「…………ハ、ハハハッ! ハハハハハハッ!!」


 数秒の硬直、静寂を経て、男は笑い出した。


「い、いやぁ悪い悪い! 俺の記憶違いだったわ! これだけで金貨五枚も要るワケねぇよなぁ!? ああアンタも人が悪いよ、アハハハ……ハハ……」


 笑い声はすっと消えて、どうしようもなく気まずい空気が流れる。


「……まぁ、貰っとけよ。店員が提示した『言い値』だしよ?」とガルシアが諭す。


「どうせ罰金か罰則が適用されるんだ。俺は報酬で端金を貰う、お前はこの金で言い逃れが出来る。ウィンウィンだ、だろ?」


「ヒィッ……!」


「ほら、袋に詰めてくれ」


 ほぼ強制されるように、店員は品物を詰め、早く出て行って欲しいかのように押しつけた。先程までの調子の良さは何処へやらだ。公共権力万々歳。


「さて、色々あったが一件落着だ」とガルシアが踵を返し、荷物をイリアに渡した。


「お前さんもこれに懲りたら、思っても口や行動に出さないようにな? 誰も他人の心なんて読めやしないんだ」


 彼女を前にして、二人は店を後にしようとしていた。

 ガルシアが僕に声を掛けてきたのは、イリアが街路に出る直前あたりだった。


〈ちょいとやりすぎちまった、カズ、頼めるか?〉


「ガルシア?」


〈流石に金貨五枚は手痛い損失だ。アイツも気に入らねぇし……な?〉


「取り返せってことか、そりゃあんな大金使うのが馬鹿だが」


〈やり方は任せるさ、お前が何をどうしようと、俺はお前を手助けしてやるからよ〉


 それに、お嬢ちゃんを家までしっかり送らにゃならんからな、と口を使わずに。

 彼の姿はイリアと共に視界から消失した。顔も合わせず、僕らはやり取りを続けている。


「……何をどうしようとも?」


〈何をしでかそうとだ、今のお前なら隠蔽も楽だろ?〉


 大した男だ、と僕は溜息を吐いた。おおよそはこうなることを分かって、イリアを出汁に僕をここまで連れ出してきたのだろう。何も無ければ万事良し、何かが起こればやりたい放題、後始末に僕の出番と。


 さらに言えば、僕が拒否しないのも知って言っているのだ。


「分かった。あんなのを見せられたら僕だって腹が立つ」


〈みっちり後悔させてやんな〉


 どの口が言うか、と会話を切り上げた。

 ガルシアの言うとおり、今の僕なら犯行も容易い。前みたいに自傷して工作する必要も、アリバイの作成どころか事件そのものの関係者にすら挙がることは無いだろう。


 僕は軽く身体をほぐしながら、呆然としている男に向かった。

 どっちが加害者なんだか、と思いながら。

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