56 世界の暗がりで
大通りの喧騒も、流石にここまで深い細路地だと聞こえなくなる。
行動というものは、常にシンプルさを求めるべきだ。
目的を明確に、必要な行動は最小限に。それから「お遊び」を許せる範囲で組み込む。
今回で言ってみれば、「拉致グループをぶっ潰す」ために「実際の所の悪行」を確かめて、クロであれば「予定通りに潰す」、アイツで確かめたから無いとは思うが……シロだったら「クロを探す」ってところ。
善は急げと言う言葉もあるので、俺はいそいそとやって来たわけだ。
三階建てほどの高さの、恐らくはレンガ造りの倉庫。出入り口の一つが路地の突き当たりにあり、壁材と同じく年期が入っているのが分かった。
「……よし、段取りは考えた。あとは状況とアドリブ力だな」
これからの行動を一通りさらってから、固っ苦しい扉にノックをかけた。
二度、三度、数秒の間を置いて、一度。
「組織外の関係者から、得物の情報に関する接触」ってのはこれでいいはずだ。さぁ来い……。
来た。
「…………用件は」
小窓が開き、鬱陶しそうな眼差しが覗き込んでくる。
木材との間に鉄板か。元からの防犯対策か、それとも……どうだろうな。
「特殊な伝言だ。ボス以外の人物に知られたくないが……会えはしない、だな?」
「……俺に言え。組織から漏れなければ問題はないだろ」
うし、反応は貰った。ならば。
「分かった。それじゃあ外で話そう。お前以外には聞かれたくないからな――――――」
「――――――まぁ、落ち着け。今から説明するから、声は出すな。オーケー?」
呆然として、困惑しきった顔の騎士をなだめる。
「あ、あんたは……」
「いいから! ……俺はあんたの敵じゃあない。疑問にはちゃんと答えるから、な?」
「…………??」
把握し切れていないが、ひとまずの信頼は得られた様子。これなら想定の範囲内、予定通り、問題なしだ。
「トジミ、少し外で話す。鍵は閉めるな」
振り返って伝えると、うぃ、と言う返事が返ってきた。
「単刀直入に、素早く終わらせるぞ」
扉から離れ、三叉路になった地点で始めることにした。
「ガルシア・ギナサー。聞き覚えは?」
「……! あ、ある。が、なぜ……?」
「その疑問の答え、俺がガルシアだ。他の質問にも答えてやろう」
グダグダと質問に付き合う時間はない。押し切って信用を得る。
「お前の記憶は、俺の説明を聞いた頃が最後。気付いたらこの場所に突っ立ってて、何が起きたかさっぱり理解できない……違うか?」
「いや、その通りだ」
「なら話が早い。あんまし信じちゃいなかったらしいが、あの時の内容は全部事実だったってことさ。ここまでは問題ないか?」
「…………つまり、俺に、『取り憑いていた』?」
「その通りだ。今はこいつに『取り憑いている』訳だな」
これで現状の疑問は晴らした。俺の言うことを信用してくれればそれで十分だ。
「いいか、俺から……『ガルシア』として頼みたいことがある。喋ってる時間が無いからまとめちまうが、用事があって、それを済ませてくる。それまで待っていて欲しい。いいな?」
「……ただ待てばいいのか?」
「あぁ。変にうろつかず、人目にも付かないようにな。『ガルシア』って自称する奴が来るまでこの辺で隠れていれば良い」
「あ、あぁ。分かったけど……」
「なら頼んだぞ、これ以上は時間を無駄に出来ねぇ」
話を引き延ばされそうになったら、強引に進ませるしかなかった……少し焦りすぎたかも知れないが、結果は過程の後に作られるものだ。
ひとまず、順調。
「…………ミハ、何だったんだ?」
「ボスに伝言だとよ。アイツ自体は仲介人だった」
トジミに俺はそんな嘘を付いた。
「これから伝えてくるから、ここは任せたぞ」
「うぃうぃ」
特に怪しむ様子も無い。記憶に嘘はない、ってことで信用出来るらしい。
入り口を奥に進み、灯りのない倉庫を記憶頼りに歩いて行く。着く前に必要な情報を「思い返して」おかないとな……。
グループ全体の人数は不明……こいつの知り合いは二十人程度。
昼間は「商品」の監視と武力として数人、夜間や仕事時には三グループ程度の実行集団の支援で三十人程度まで膨れあがる。
犯行は数人のグループが役割に分かれて行われているのか。
目付役と実行役、上手くいったときの輸送経路の確保にも人手が割かれている。もしかしたらアイツも見られていたかも知れないな……ちょいと不味いかも。
今の所、活動するグループは得物を探しているらしい。収穫は「まだ」ゼロだ。
下っ端で得られる情報はこんぐらいのものだが、むしろ上々な具合だ。忘れているのはともかく、「知らされてすらいない」こともある。自分が何をしているのか全く理解していない奴もそれなりに見てきていると、これでもかなりの情報量だ。
天井にへばりつくような一室に辿り着くまでの残り時間は、これから作られるであろう変な空気をどう取り繕うかに思考を割いた。
「……まぁ、俺のことを知らなきゃ、怪しむことすら出来ないとは思うけどなぁ」
気を紛らわすために、自分に向けて囁いた。
下が透けるこの階段を上りきれば、ボスの居る部屋だ。
「……ボス、『郵便』が届きました」
「……………………なんだ」
隠語なのかそのまんまなのか分からない用件を伝えるが、返答が来るまでに時間が掛かった。
見えずとも「音や声」で分かる……冗談じゃない。別に他人の行動に文句を言える立場じゃないが、せめて……せめて、本番前であってくれ、頼む。
「封筒で届いています。ボスにのみ伝えたいとのことで、中身は見ていません……紙が一枚入っているかどうかの薄さで、危険物ではないと思われますが」
「分かった、入りたまえ」
この時点で俺の腹は決まっていた。もし想像したとおりの光景だったら、真っ先に乗り移ってやる。
……燭台に照らされた部屋の中に、二人居る。
一人は「ボス」だ。自慢の牙がそそり立つ、猪のアニマリア。その脇にいるのは「商品」か「私物」か……表情ではどちらにも取れる、被害者と言うべき女性がいた。
「――――あれ、ボス。え? なんで俺ここに?」
「落ち着け。今の私は寛大だ、怒りはせん」
良かった。一応は「前戯」の段階だった。
寄り添わされている女性の顔に目をやると、完全に怯えきっていることが分かる。「商品」ではあるが、コイツが気に入ったので「味見」するところだったらしい。
「用件がないなら、戻りたまえ。居座り続けるのであれば、分かるだろう?」
「ひっ、し、失礼しましたっ!!」
威嚇してミハを追い払う。本来ならこれで済むが、面倒事が一つ残っていて……これは本当に面倒だぞ。どう言えば思った通りに進んでくれるか。
「……安心しな、お嬢さん。続きはしない。龍の御霊に誓ってもいい」
ひとまず、回していた腕を解いた。体格差が酷いもので、片腕が女性の身長の六割はあろうかというレベルだ。こうしないと満足にもがけもしない。
「え……?」
「言ったとおりだ。一先ず……さっき着てた服で身体を拭け。他人のだが、着替えはある」
恐怖で固まっているのか、不可解に呆気に取られているのか、脚の上から下ろして行動を指示しても動こうとしない。不安げな挙動で立ちすくむばかりで、今すぐにはどうにもならないだろう。
俺がやった訳じゃないが、肉体の元持ち主がやらかしたことだ。暫しの滞在だが、とんだ訳あり物件を掴まされたものだな。
「…………」
「不思議か? 訳が分からんか? さっきまでお前を食おうとしてたのに、急に優しくなったのが怖いか?」
身の回りに整理された資料を根こそぎ引っ張り出しながら、気紛れに会話を始める。
重要なのは、状況を把握すること、信頼させてやること。相互理解にお話しは必要不可欠だ。
「お嬢さん、与太話は信じる方かい?」
メンバーのリスト、取引先、現在の在庫、契約状況に、別所で活動する同志からの様々な情報。拉致の依頼まで来るのか、結構やべぇな。
「つまりは……今話してる俺が、さっきまでの俺と別人だと言ったら、信じるか?」
「……何、言っているんですか」
反応が返ってきた。喋る勇気はあるか、強い女性だ。
「言ってるまんまさ。この身体を今操っているのは、お嬢さんも知らない『赤の他人』ってこと。あんたの具合を確かめたかった奴の意識はおねんねタイム、ぐっすりだ」
名簿をパラパラと捲る。実働、雑務、商品管理、輸送……かなり大規模だ。他の都市で働く奴等のことも考えれば、数百人はくだらない集団かも知れない。
「じゃあ、貴方は……誰なんですか?」
「俺か? 俺は…………魂さ」
「たま、しい?」
「そ。他人の身体で借りぐらし、誰にも覚えて貰えない、名も無い霊魂だ」
この倉庫に今現在いるのは十数人といったところだ。リスク分散が徹底していて、メンバーの大多数は住民に紛れて暮らしている。全員を殺すのは厳しすぎるか……。
「ただ人様の身体を借りるのは宜しくない。ついでみたいな感じだが、誰かのためになることをしようと心がけていてな。俺が今ここに居るのは、その一環って所さ」
「……そう、ですか。そのぉ……」
言い淀んだのを聞いて、一度視線をそちらに向ける。
局部を隠した彼女、右手には趣味で着させた襤褸切れが握られていた。
「あぁ、着替えか。そこの棚の……一番広い場所だ。好きなのを着て良いぞ」
部屋の壁を占拠する衣装棚を指さす。中に入っている衣服は「攫ってきた女性の当時の衣服」だが……知らぬが仏だ。
商品のリストには、十六人の在庫が地下にあることを示している。半分は買い手が付いて、一人は今日の未明に輸送されるところ。これはタイミングが良かったと言えそうだ。
「……有難う、ございます。魂さん」
「どういたしまして……こんなヤツに礼なんか言うもんじゃないけどな」
好奇心から「依頼」にざっと目を通してみる。
高値で売れそう、確執、恨み辛み、理由はごまんとある。書かれていないものは……そういうことだろう。闇はどこまでも深く影を落とせるものだ。
「……あの、貴方のお名前は……?」
「…………ん?」
まず、女性の問いにでなく、目を落とした一枚の資料に対して声が出た。
「ですから、お名前……よく分かりませんけど、助けてくれた方が誰なのかも分からないのは、物悲しいです」
「え? あぁ、名前……ね」
上の空で聞いていて、ヒヤリとした一瞬だった。
さて、どうするかな。あいつに貰った名前か、本来の名前か……まぁいいか。
「ガルシア、宿無しの魂の名前さ…………お嬢さん、貴女は?」
「ヒエラです」
「そうか。今おひとりさん?」
「え?」
きょとんとされているようだが、今は気になった一枚を読み込む方が先だ。
「独身なのかってことだよ。婚約者が居るなら結構なことだけど」
「いえ、まだ……何故そんなことを?」
「いんや、こんな上玉を差し置いてるなんて、この辺の男はなっちゃいねぇなと思ったまでさ」
実を言えば、あの騎士のタイプそうなんだな、このレディ。
こういう偶然というか、面白そうな立ち回りが出来ることはそうそうない。
…………特定できない言い回し、目的が「回収」、依頼人の情報なし。過剰ともいえる支援つき。
だが、この対象の情報は……同じ馬車に人数構成、一日違わぬ期日にここを通る確率はどれほどのものだろうか。それが分からなければ確実とは言えないが……。
「ボスッ!! 大変です!!」
思考が第三者の大声で中止させられた。ミハではない、別の部下だ。
その切羽詰まった様子は、今の俺以外に関心を寄せられないほどだと察せられる。
「どうした、商品が逃げたか?」
「違います! ばっ、化け物が……化け物が、襲ってっ!!」
「化け物?」
襲う、とは予想外の言葉だ。化け物はここに一人居るが。
その単語に合うのは俺の持ってきたあの騎士ぐらいだが、化け物じゃあない。というかこの世界に化け物ってレベルの動物とか人間がいるか……?
可能性としては、同郷の他人しかない。
「み、みんな戦ってますが……敵う奴じゃありません!」
「なるほど、それで報告に来た、と。外で待っていろ」
耳を澄ませば、籠もっているが、確かに戦闘の音が響いてきている。
悲鳴、金属音、重く柔らかいものが壁や床に叩き付けられるような音。先程までの静寂が尻尾を巻いて逃げ出しているようだった。
「…………あの、私はどうすれば……?」
再び二人の空間になったとき、ヒエラ嬢がおずおずと尋ねてくる。
「ここに隠れて待っていればいいさ。ヒーローが助けに来てくれる」
「ヒーロー……?」
「残念だが、俺のことじゃないからな?」
椅子から立ち、部屋の脇に立て掛けられていた得物に手を伸ばす。
こいつが戦場に立つのは久しぶりのことだ。この戦斧は血を吸うことなく、威厳と抑止力の象徴としてグループを纏めているボスの手の内にあった。
それも今日まで、これっきりだろうが。
「……なんで、どうして…………」
「そりゃ、ボスじゃねぇからだ。恨むならボスじゃなく、ガルシアって奴にしとけ」
階段の中段で背中を叩き折られた部下の死を見届けると、刃を引き抜いた。
ここから倉庫の大半を見渡せる。先程見たときよりも乱雑さが増し、騒がしさもなりを潜めていた。時々情けない悲鳴が上がったと思えば、途端に途切れることが二、三度続いた。
「……何が起きてるんだ?」
階段を下りきっても、全容を把握できなかった。
少なくとも十数人はこの中にいたはずだ。そんでもって、俺の知る限りの敵対勢力は騎士一人、あの実力でこれだけ速く静かになるはずがない。
ギフテッドならギフテッドで、目的が分からないのが不安だ。
「……うおっとぉあ!?」
思案しながら歩いていると、暗がりから光が飛び出してきた。
身体由来の反応の良さに感謝しつつ意識を戻すと――――その光が反射であることが分かった。
「くそっ、このおぉっ!!」
それに続くように躍り出てきたのは、見覚えのある人相……犬相だった。
「なぁっ!? なんで来てんだよ! 馬鹿かお前!」
訓練に裏付けされた切り付けを戦斧でしのぐ。銃撃戦やら奇襲は経験豊富だが、真正面からの斬り合い殴り合いは慣れていない。身体に染みついた反射にかなり助けられている。
「何訳の分からないことを……!」
押し切れないと判断したのか、一旦距離を取った。
「俺だっつぅの! ガルシア! 分かるか!? ガ・ル・シ・ア!!」
一文字ずつ、皮肉にも近いほどにはっきりと喋る。
「ガルシア……?」
噛みついて来そうな騎士の表情が困惑と疑念に変わり、暫くして確信を得たようだった。
「…………えぇっ!? ガルシア!?」
「そう言ってるだろオタンコナス。襲撃受けてんのに敵さんがのんびりお散歩すると思うか?」
そんな冗談を叩き付けた後、本題に入る。
「何で入ってきた? 待ってろって言ってたはずだろ」
「いや、お前が一緒に戦えって……」
「はぁ? 戻ってもいねぇのになんで俺が出てくるんだ」
「え、えぇ?」
このすれ違いで、一種の危機感を覚えた。
こいつはまだ困惑して首を傾げてるだけでいい。だが俺にとっては……死活問題にも近い状況になりかねない。
あの時の会話を聞かれていたのは間違いないな。付けられていたのであれば……もしもあの二人組に聞かれたのなら、非常に不味い。
そうでなくとも、変に存在を知られたり、あまつさえ利用されることは絶対に避けたい。
「…………そいつは何処に居て、お前は何をするつもりだ」
確かめるほか無い。あの二人だったら……どうする、俺だと悟られないように振る舞って殺すか?
「まだそこらで戦っているんじゃないか、静かになってるけど……ここ、誘拐犯達のアジトなんだろ? 俺は捕まってる人を助けてやれって言われて、今探してるところで……」
「分かった。そんなら、くれてやるよ」
腰に肌身離さず身につけていたそれを投げ渡す。
「これ……鍵?」
「ここをずっと行った先の、一回り大きい木箱。そこをどかすとハッチがあるから、その下に……あと、階段を上った先に一人居るから、絶対にお前が連れ出せ。いいか?」
「えっ、あっちょっと!」
言葉を聞く気は無い。一刻も早く確かめなければ。
悲鳴が響く、濁る、消える。もう七人目だ。
声の発生源に行っても、手遅れの部下ばっかり。肝心の本人が見つからない。まるで俺を避けているかのように、遠い場所から、先程まで居た場所から犠牲者の声が上がる。
死体を確認してみたが、この時点であの二人組は線から外れた。
男の方は刀、女は魔法じみた何かが武器だった。この傷は明らかに違う……あの部下が言っていたとおり「化け物」と対峙したかのような傷跡だった。
「……この食い散らかしよう、マジで化け物なのか?」
ずるずると引っ張れるのが楽しかったのか、雑に束ねられたホースのような惨状が残されている。顔も噛み砕かれたようにぐちゃぐちゃで、絶叫の断絶はこうして行われた、という証拠として十分だった。
肉体が何者かの存在を知らせてくれるものの、相手の方が上手だ。何処に居るかが判らない。
だとしても、それほど心配することでもないだろう。ここに潜む奴等をこうするのが目的なら……何時かは、俺の元にも来る。
「……念のためだ」
死体から身を引き、ガラクタの片付けられた――――思いっきり化け物が暴れたであろう爆心地へと向かう。得物は振り回すタイプだし、狭い場所では不利になる。
何より――――向こうも見つけやすいだろう。
待って数分だろうか。誰かの足音が、背後から聞こえてきた。
ゆっくりと、靴を履いていることが分かるほど、音を鮮明に響かせて。どうやら奇襲するつもりはないようだ。
「何者だ」
あくまで「ボス」として振る舞う。正体を知らせる義理はない。
そうして振り返ったわけだが――――まず、自分の目を疑った。
「…………何でだ、どうして」
高くに取り付けられた窓から、辛うじて月光が差し込んでいる。それが照らす人物の顔は……記憶に新しい、他人の顔だった。
「どうしたの、かな?」
その人物が喋った。声は初めて聴くが……まさか、嘘だろ?
「……もしかして、見かけた覚えがある?」
攫われかけていたあの女が?
「目的は何だ」
「もう、答えてくれたっていいじゃないの」
その女性は、しでかした所行に似付かわしくない軽さで話す。まるで俺が親しい人物であるかのように、そんな人物をからかって遊ぶような。
意図が掴めない。掴ませる気があるのかも怪しい。
「もう一度訊く。目的は何だ」
戦斧を構えて尋ねると、彼女は一歩前に出てきた。
光が姿を晒すことで気付く……あの時にあったはずの右腕が無い。
「…………ッ!!」
背後に殺気を感じたときには、僅かに遅かった。
「……クソっ…………」
得物は彼女の足下まで持って行かれた。闇が輪郭を得たような、嫌に口の大きな蛇のようなものがぬらぬらと彼女を這い上っていき……失われていた右腕になるように、いや————なった。
「ねぇ、まだ分からないの?」
女性は少しふくれっ面を作った……戦う気など更々無いと言いたげに。
分からない。誰だ、何が目的だ?
「……もー、いつまでその人の振りをしてるの? ボクは敵じゃないのに」
クソ、やはり知られているのか。そこまで吹聴した覚えはないし、誰に乗り移ってるかなんて分かりっこねぇだろ、普通。
「…………なら、何者だ」
気の利いた返しが思いつけない自分が恥ずかしく思えてきた。悪役なら悪役らしく、もっと余裕を保ちたいものだ。
「名乗るときは自分から、でしょ?」
そいつはそう言って、ニコニコと近づいてきた。
「ドレッツァ。俺の名前だ」
「へぇ、格好いい名前……でも、違うでしょ?」
この辺で気付く。やり口が俺と似てる。
相手の言うとおりにしないと、延々と堂々巡りを続けさせられると直感で思った。
「――――クソ。あぁ、そうだ。本当の名前は……ガルシア」
「それも違う」
「………………は?」
一瞬の間もなく返された――――こいつ、今なんて?
違う?
まさか、そんなはずがない。
俺の名前を……いや、「俺自身」を知っている奴が、知らない奴の中に居るはずがない。
だとしたら……まさか!!
「お前か! ミィナ!」
「やぁっと思い出してくれた!!」
答えに行き着くと、彼女の顔が一層華やかになった。
その瞬間に、自分自身がとんでもない馬鹿であるような気分にさせられる。やり口が似ていて当然なのだ。
「三年ぶりかな? 元気にしてた?」
「あぁ、変わらずな。でもお前……そんなことも出来たのか?」
「元から出来たっぽいけど、気付いたのはあの後」
元通りになった右腕をこちらに突き出し、手を先程の蛇に変えて見せてくれる。
成る程、こいつで部下を片付けていたのか。便利なモンだな。
「それで……ここで何してるの? ガルシアくん」
わざとらしいイントネーションで尋ねられる。再会した嬉しさがこう出てくるのも彼女……彼らしいところだ。
「前と同じ『良いこと』さ。やる必要は無くなったけど、見かけちまったからな」
「ほんとはあのまま連行されて、本拠地を見つけるつもりだったんだよ? それを邪魔してくれちゃってさぁ……」
「邪魔したのは俺じゃない。連れの馬鹿達だ……っつうと、あれからずっと頑張ってるのか?」
「うん、そうだよ……それで、やる必要は無くなったって……?」
「…………あぁ、まぁ。あれだ、一旦落ち着こう。俺も、お前も。な?」
会話の殴り合いになるところだった。互いに答えを得られぬままに先へ先へと進んでしまう――――あいつならもっと合理的に話が出来るのだろうが、俺に渡されなかったひとつだ。
それに、今話すとこちらに首を突っ込まれかねない。
この様子じゃ「こっち側」の人間になりつつあるが、俺達みたいに不死じゃない。
アイツの記憶喪失の条件があの通りなら…………お嬢ちゃんと同等に、死なれて欲しくない。
出来るなら、こんな仕事で暮らして欲しくもなかった。
「積もる話はここですることじゃない……だろ? ミィナ、お前の仕事ってのは、コイツを殺れば終わるのか?」
「ううん、拉致グループの『処理』もだけれど、情報収集の方に集中しろって感じだった」
「んで、あいつ……騎士を俺の名前で焚きつけて、ここに突っ込ませたのもお前でいいんだよな?」
「うん。あのまま追っかけて、君が騎士と話してたとこも見てた」
ばさばさとはばたく音が聞こえたかと思うと、ミィナの肩に影で作られたような小鳥が一羽、唯一瞳に光を反射させて留まった。
参ったな、随分と浮かれていたに違いない。
元から隠れて尾行するのが上手い奴でもあったが、気付けなかったことに悔しさを――――相手がこいつだからだろう、得も言えぬ嬉しさと共に感じた。
「……ガルシア、なんて名前が聞こえてこなかったら、君も食べちゃってたかもね?」
「ヒッ」
ミィナが楽しげに視線を流すと、先程から様子を見ていたあの騎士が怯んだ。
いつ声を掛けてくるものかと思っていたが、彼の方は待ちくたびれたらしい。
「大丈夫だぞ、どっちもお前の敵じゃあない。で、ちゃんと助けて来ただろうな?」
「…………えぇ、まぁ。言われたとおりに……」
恐怖か困惑か、もう考えられたもんじゃないと言いたげな表情でやって来た彼と一緒にある影。こちらも似たようなものだが、少しは自分を保っているように思える。
「うし、んじゃこんな所ともおさらばだ。ミィナ、頼む」
「え…………頼むって、なにをさ?」
「俺だよ……コイツのことだよ。抜けたらすぐに暴れ出すぞ?」
俺には分かると言うと、ミィナは思い至ったようだ。
「……良いの? 大丈夫なの?」
「応よ。元々はそっちに憑いてたし、こっちは臭いがキツくて」
「そうじゃなくて……」
「良いって言ってるだろ。心配するなって、お前の思ってる数十倍は死に慣れてる」
自分の言葉の意味を理解していないように明るく笑うと、ようやく折れてくれた。
「…………非道いことやらせるよね、ガルシアくんは」
「怖くない訳じゃないからな。出来るならお前にやって欲しい……っていう我が儘だ」
「そうやって、ずるいことも言うんだ」
ミィナの悪口を笑いながら、膝を折り、うなじを晒した。
視界の端で、足下に転がっていた戦斧を拾い上げ、手が「力を込めやすいように」形を変え始めるのが見える。
「ずっと探してたんだからね……これからは逃げないでよ?」
「わぁってるって、今んとこは……あいつの身体を借りてるからさ」
視線をやって「見せるな」と伝える。多少は場慣れしているようで、直ぐに理解してくれた。
「……お二人さん、どうだ、その相手は」
首元に衝撃と違和感、そこから下の感覚がすっと無くなった。
夜も更けてきて、しかし雑踏のざわめきは収まる様子が無い。
――――一体何をしでかしてきたのか、傷を付けたガルシアが帰ってきた。
「そんな顔するなって、深い傷じゃあねぇよ」
そう言って、奴は座る俺の向こう――――机の上に目をやった。
「この酒は?」
「お前が連れて行った二人が買って帰ってきた…………何をしたんだ」
「ちょいと一騒ぎ、よいことをね。リスクに見合うリターンはあったさ」
置きっ放しのグラスを使うこともなく、ひょいと大きく煽って、深く息を吐いた。
「あぁ、定番の林檎酒か、これはそこそこ強いな…………ミリィ、お前には先に伝えておくぞ。ちぃと面倒いことになったというか、見かけた情報に寒気がしてな……」
軽口を言う口調ではなかった。
「聞いておく」
「疲れたから、必要事項だけな……」
もう一度瓶に口を付け、残りをほぼ全て呑みきると、それをお供に窓辺までふらふらと歩いて行く。
「……誘拐組織が俺達の護衛対象を狙ってる可能性がある。弟将軍の方だ……報酬の額が馬鹿にならなかったし、騎士団内に協力者も確保してるかもしれない」
「…………情報の出所は?」
「その組織のトップ。現場もそいつの死体の在処も教えられる」
彼の声は小さく、その視線は凹んだベッドの上に向けられている。
私にはもう見えないが、奴の瞳には映っているのだろう――――あの二人が。
巫山戯た奴ではあるが、今の彼の表情は……保護者のように、静かで優しげだった。
「……皇国軍の高官か、依頼を渡せる経路があることになるな……」
「ンなことは良いんだよ、別の奴が対応してたから」
底に張り付いていた残りを舌の上に溢すと、瓶を元あった場所へと戻しに来る。
「とにかく、明日はまた誰かが死ぬだろな。あいつらは頼りにならんし……」
「……頼れるのは俺だけ、いや――――」
つい、あの男がいるベッドに視線を動かしてしまった。
彼の状態、ガルシアが消息不明になっていた理由、息を合わせたかのような世界情勢の変動。全てが常識や通常と言った言葉から程遠く――――。
私は、どう思えば良いのだろう?
過去の全ての事象が複雑に絡み合って、彼等をどう思ってやれば良いのかが分からない。
個人的な約束は果たされ、今は公的な役割で彼女らを守っている。
同じ役目を背負っていても……その違いが私自身の欲求を教えてくれた。
――――私は、あの時の約束によって、大切なものを護りたく在るのだと。
だが、その考えが果たして正しいものなのだろうか?
「カズにも、明日の朝に伝えるさ」
空いているベッドに身体を横たえながら、ガルシアは言った。
この男も、私と同じように思っているのだろうか。
「いいのか?」
「あんな幸せな二人、起こせるわけねぇだろうが」




