50 忘れ「させられた」?
暑苦しさと眩しさで目を覚ました――――気がする。
僕は天井を見つめていた。無機質で、少し風化した、白い天井。
視界の端でカーテンが緩やかにはためき、窓枠の位置から空いているのが分かる。生温い風が僕の元にも届き、点滴の管を微かに揺らす。
その光景が、今が夏であること――――そして傷の痛みを思い出させた。
頬が、腕が、手が、脇腹が、太腿が。
それぞれに焼けるような痛みと、疼くような痒みとがあった。認識した瞬間にそれは耐えがたいものに感じたが、状況を飲み込むほどに収まってきた。
そうだ、殺したんだ。
僕は最後の記憶を引っ張り出した。同級生の肉の感触、川に浸けた自傷の痛み、失血で消えていった末端の感覚や、暗く霞んだ視界で見えた母さんの驚いた顔。
ベッドは僅かに上体を起こされていて、痛みに耐えながら見渡すことが出来た。
ここは病院だ。病院の個室なのは分かるが、何階だろう。
今この部屋には僕以外の人がおらず、緩やかな風の音と時計の針の駆動音のみが時間の経過を教えてくれている。午後の一時少し前、一番暑い時間帯だ。
一通り見終えると、僕は深く身体を横たえた。身体を起こしただけで頭がクラクラして気分が悪くなったし、何ら興味の惹かれる物も見つからなかったからだ。
今の僕には、自らの呼吸や鼓動に耳を傾けながら、レース越しに降り注ぐ日光の強さを実感しているほかなかった。傷口が陽に焼かれて痛むような気がして――――包帯がぐるぐる巻の状態でそれは全くの妄想なのであるが――――そうしない内に、外の快晴振りに嫌気が差してきた。
目を閉じて、長くないが短くもない時間が過ぎた頃、新しい音が聞こえた。
「……………………あ、朝凪クン!?」
廊下を忙しなく駆けてくる音、引き戸の開く摩擦音の後に、そんな声が響く。
僕は目を開き、そちらに向けた。子供が立っている。僕と同じ、同級生だ。
だが、誰だ?
その顔は目を凝らそうにも認識しきれず、声も、身体も、輪郭だけが明確な虚像を見ているかのように一定の形を確かめられなかった。「存在」は知れても、「正体」を知れない――――そんな妙な体験をしていた。
「大丈夫!? なにこれ、すっごい包帯の量!」
その子は僕に駆け寄ると、心から悲痛そうな声を出した。
変声期の前の声は男女の区別が付けられない。服装も知れた限りではどちらとも取れるもので、やはり何者かを推察する材料にはなりそうにもなかった。
が、確かに僕が知っている人物だ。それだけは直感のように「確かだ」と感じていた。
「痛くない? 苦しくない? 死なないよね、大丈夫だよね!?」
手すり越しに僕へ詰め寄り、泣きそうになっているのはなんとなく分かった。他人からの本当に心配してくれる声に、僕はこの時初めて触れたような記憶がある。
「だっ、あぁ……だい、じょうぶ」
口を開くだけで頬が裂けるような苦痛が襲ってきた。辛うじて返すが、相手の不安は更に増したようで…………何故か手すりを乗り越えて、僕の傍に座り込んできた。
「じゃないでしょ!? なにがあったらこんな……なにか、なにかボクにできない?」
落ち着きのない様子で僕の身体を見回し、包帯と何かで固定された手を握ったり、毛布の掛かっていない肩に手を置いたりと、接触が激しかった。
うざったかったなぁ、と思い返す。
脳味噌そのものが靄になったように記憶が結びつかないが、この言葉、触れ方――――やりとりの全てに懐かしさを思い出している。
何故だ?
どうして僕は「懐かしい」なんて思っているのだろう。
僕は僕だ。まだ十年しか生きてない、ただの子供だ。
「ねぇ、なんか言ってよ……ねぇったら! もう……!!」
ぼーっとしていると、その子が寝そべってきた————腕を僕の首に回しながら。
「な、なにを……?」
「だって、何も言ってくれないんだもん! いやだよ、死なないでよ!」
唐突に、そして子供にしてはかなりの力で僕を抱きしめてくる。締め付けられて痛む傷口よりも――――暑苦しさが勝った。
「分かったから、死なないから、離れて――――『 』」
僕はその子の名字を口にした。そうだ、この名前。多分親の次に読んだ回数が多い、はず。
――――そうだ、護りたかったんだったか。可哀想で、何故か見てられなくて。
「やだ! そばにいるんだ!」
その子はそう言って聞かない。どうにか逃げようと藻掻きはじめて――――自然と傷の痛みが気にならなくなっていたのに気付く。腕を拘束から抜き、その子の顔に押しつけ、身体を引き抜こうと力を込め――――――――。
「…………あぁ、あ……暑い!!」
僕は拘束から抜け出そうとしていた。窓からの陽は眩しく、ベッドのシーツを真っ白に輝かせている。それのお陰で直ぐに目は冴えて、現状を理解することが出来た。
「あぁ、クソ……行くな、一人にするな……」
僕の背中で誰かが漏らしている。その人の毛むくじゃらな腕は――――触り心地はかなり良いのだが、いかんせん慣れていない――――僕の胴をしかと締め上げ、両脚が僕の右脚をがっしりと捕まえていることにも気がついた。覚えている限り、夢の中での拘束とほぼ合致している。
夢の内容はこいつが原因か。
「ガルシア、離れろ!」
「んぁ……うっせぇなぁ。もうちょい寝させろぉ……」
「僕抜きで寝てくれ! 暑っ苦しい!」
ベッドの中で格闘が始まる。あらん限りの力で彼――――或いは彼女、身体は女性らしい柔らかさを感じるが、獣顔で判別できるものじゃない――――を引きはがそうとするのだが、力を緩める様子は感じられない。
数分の後、上半身だけは離れられたので良しとした。寝ぼけているのかふざけているのか、どちらにせよ後々一発殴っても良いだろうとベッドから頭をはみ出させながら考える。
「……ん?」
目を落とした先に、何かがあった。紙切れであることには違いない。何かが書かれているように見えるが、暗がりにあるせいで読み取るのは難しい。
昨晩には思い当たるような物品はなかった。好奇心から僕は手を伸ばした。
『親愛なる朝凪和正へ
お久しぶりです。このような走り書きで申し訳ございません。
まずは、先日の大健闘に対し御礼と賞賛を。
一騎当千の活躍、素晴らしいものでございました。ギフテッドとしても有数の大戦果であり、貴方様そのものの才能の賜であると評して過分は無いでしょう。聖王国の代表として、一足先に感謝させて頂きます。
また、それに関連しまして、聖王国直々に迎えが行くことになりましょう。準備を整え、円滑な移動と柔軟な対応を行えるようにしておくと良いかも知れません。
それでは、充実した日々を送れますよう。
二人となった貴方と、正式に対面できる日を楽しみにしています。
賢人より』
文字と状況に、僕はデジャヴを感じていた。
僕の居ない――――気付いてないタイミングで置かれた書き置きと、読み慣れた言語。
何より、最後に書かれた単語が確たる証拠だった。
「……ったく、美人が全裸で誘ってるっつうのに、枯れてるのかオイ?」
僕の腰に抱きついて動かなかったガルシアが、僕の身体づたいに昇ってくる。一々その体躯を背中に押しつけて柔らかさを主張してくるが――――中身が中身だし、外見も外見だ。緊張はすれど興奮にまでは達しそうになかった。
「なぁ、ちったぁ聞けよ……まだ寝ぼけてるのか? そんな紙切れ持って」
肩から顔を出したガルシアが言ったその言葉。その言い方に引っ掛かりを感じた。
「なんだよ、読めば分かるだろう?」
「読めばって、何を読みゃあいいんだよ」
互いに寝起きであろうが、そこに嘘を差し込んでいるようには思えなかった。
ガルシアの声色は相変わらずだし――――可笑しい話だが、「もっと面白い冗談」を言う人物であると信じている。抜かりなく弄るチャンスを探すような性格だが、こんな無価値な嘘をつく人間では無い。
「書いてあるだろうが、ほら……」
僕は目を戻す。確かに書かれている。整った文字で、見慣れた日本語で。
「そう言ってもだな…………あぁ、もしかして。カズ、一つ良いか?」
僕の頬にガルシアの毛並みの感触がのし掛かってくる。
「むぐっ、何だよ」
「そこに書かれてるって奴、俺に伝えられるかどうかを試してみてくれ」
「何だよそれ……まぁ良いけどさ」
何が知りたいのだろうかと呆れ、僕にも彼にも見える位置にそれを持ってくる。
まさか、本当におちょくっているんじゃないだろうな————————。
「……………………?」
一言目を発しようとしたとき――――即座に違和感を覚えた。
いや、違和感などというぼんやりしたものではない。明らかな異常を認識したのだ。
「……………………なんでだ?」
言葉が、思い浮かばない。
どうして? 文字は読める。理解も出来てる。伝えることなど造作も無いはずなのに。
「あー、やっぱりか」と、ガルシアは僕の混乱を察したように言う。
「あれだろ? 確かに書いてあるし、読める。が、言おうとするとモヤモヤして口が動かない――――って感じ」
「あ、あぁ。多分間違いない」
彼への返答はすんなりと出来た。そこに不自然な感覚も無かった。
「となりゃあ、その文面の主は――――俺の知ってる奴等じゃあ、一人だけしかいない」
「知ってるのか」
「まぁな。前にも伝えただろ?」
答えを直ぐ言わず、僕に考えさせる時間を与えた。
この答えは十秒ほどで思いつく。こいつが何度も口にして、うんざりしながら受け入れたとある事項だ。
「……『言えないことリスト』か」
「正解だ。商品は今の俺の身体だ。存分に味わってくれ、同意はあるぞ」
となると、こいつは正体を知っていると言うことなのか。過去に何があったのかは知る由が無いが、何らかの関わりがあったことには間違いない――――これまでの言動が証拠だ。
「誰なんだ、これを書いた奴って」
「完全無視かよ……」
乳房をずっと押しつけてきているが、暑苦しいの一言しか無い。
人間だったら危なかったかも知れないが――――体毛の心地よさの方が今は気持ちいいし、それ以上に密着されることの不快の方が高かった。
「まぁ、口に出来ることは何も無いな。回りくどいっつうか、やる必要があるかってレベルで色んな手段使う気がするんだよな。面白がって」
個人にしか見えない(ようになっているらしい)文書も、特定の文面を喋らせないことも、そう言われると妙に納得できた。要するに、困らせるのが大好きな輩、と言うところだろう。他人が困惑したり悪戦苦闘する所を見て楽しむ――――言える身分じゃ無いが、かなりの素行の悪さだ。
「……そう、か。お前よりも面倒くさいんだな」
「なんだ、不安そうな声出して……と言うか、これ前にも話したな?」
彼は僕の心境を見事に言い当てた。が、思い当たる点は違うだろう。
僕が不安に思うのは、その点からもう一歩進んだ所にある。
つまりは、そんな奴が「僕の状態」と「行動」を認識していることに不安があるのだ。文面だけなので確証は無いが、一国を代表するだけの身分か、そんな嘘を吐ける放胆さを持ち合わせていることも、何より――――「対面」という単語に不安は募った。
何であれ、この人物は僕と会おうとしている……それを望んでいる。
多少なり人と触れ合って、人並みのコミュニケーションを取り戻しつつあるとは思っていたが、見知らぬ他人にここまで注目されること、反応されることには恐怖しか無かった。
「…………カズ、おい、聞いてるか?」
頬にざらざらとした感触と、生暖かい液体を塗りつけられたような気持ち悪さを覚える。
「舐めるな」
「お前がボケーッとしてるのが悪い。女に舐められるのも悪く無いだろ」
「僕はそんな性癖持ってない」
「なら、お嬢ちゃんにこっそり伝えてみるかな……カズのほっぺたを舐めると滅茶苦茶恥ずかしがって喜ぶぞ、なんてなぼふっ!?」
「それ以上言ったら口と鼻を五分は塞ぐぞ、ネコ女」
直ぐ傍にあった顔をむんずと掴み、生命の危機を持って納得させた。
正直言って通じるとは思わなかった。こいつに死の恐怖など釈迦に説法の域だ。
「げほっ、ごほっ。どうして色仕掛けにこうも強いかねぇ、お前は……」
「中身がお前だからだ、馬鹿」
そのやりとりで、ようやく隙間が出来た。日はそれなりに高く昇っていて、枕元の時計は八時半を過ぎたことを教えてくれる。
「……そういや、カズ」
むくりと起き上がったガルシアが問いかけてくる。確かに一糸纏わぬ姿ではあるが、それなりに綺麗な毛並みがぼさぼさに乱れているお陰で全裸とは認識しづらかった。
「さっき言ってたよな、あいつの名前さ……もしかして、覚えてるのか?」
「え?」
何のことだと一瞬首をかしげるが――――まだ起きて直ぐだったので、夢の内容を忘れてはいなかった。誰かが僕に抱きついて、止めさせようと名字を呼んだのは覚えている。
が、何と呼んだかはさっぱり思い出せない。
「……そっか。となれば、あいつも『大切なもの』だったんだな。聞いたら喜びそうなもんだが、今は何処に居るんだか」
ガルシアにその旨を打ち明けると、そんな答えが、嬉しそうな、懐かしそうな声で返ってきた。どうせ僕の与り知らぬ内容だ、と流そうと思ったのだが――――。
ふと、ガルシアが前に漏らした言葉を思い出した。
思い出して欲しいことがある、という。裏を返せば、僕は何かしらを忘れていることになるが……それが冗談でなく、事実だとしたら。
僕は夢の内容を思い出そうとした。初めて人を殺した後の病室、駆けつけた同年代の誰か、記憶は曖昧になりつつあるが、懐かしさだけは未だに褪せる様子を見せない。
僕はその人物に覚えはない。が、とにかく懐かしいと感じた。
もう七年も前の話で、思い出も何度か上書きされていることだろう。これが真実なのかに確証は持てない――――何と言おうと、全てを決めるのは自分自身の自由意志だ。
とにかく、今は「そうかもしれない」と思える情報が入って来ただけだ。それだけで決めるのは早計に過ぎる。
「……カズ、ヤらねぇならメシ食おうぜ。全くお堅いことでさ……この調子じゃ機会のねぇ哀れな男共に恨まれても仕方ねぇぞ?」
「お前の相手をする羽目になった奴には同情してやるよ」
「まぁ、乗り移った奴次第だな。彼女か彼氏がいりゃあ楽に済むさ」
そんなやりとりに、この男――――今は女のお人好しの言葉と、先程の夢を信じるかどうかは後回しにしようと決めた。直ぐに決めなければならない選択でもあるまい。
ここを発つことが決まったとミリアスが僕らに伝えたのは、遅めの朝食の頃だった。




