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44 慣れ

「ガルシア、あそこまで脅す必要があったのか?」


 ミリアスの声が湯煙に包まれ、それでも反響して返ってくる。

 僕らはガルシアの舞台から退き、三人には広すぎるほどの湯船の中に居た。これも彼の脅しに騎士団が屈した事実であり、また世界が彼の言うとおりに動いた結果である。


「より強く脅しておけば、後々優しくすることの意味が出てくるのさ。アメとムチ、俺たちの世界じゃ結構使われる手段なんよ」


 ガルシアは天井を見上げ、赤髪を揺蕩わせている。予備の肉体――――人生を明け渡すしかない哀れな依り代、生け贄が来るまでは彼が「ガルシア」だ。


「まさか、俺がマジでしでかすなんて思っちゃいねえよな、ミリィ?」


「さてな、どうだろうか」


 同じように体毛を広げているミリアスは、「ガルシア」の監視と、騎士団側の体制が整うまでの「シキロフ」の保護を任されたためにここに居る。


 騎士団に所属しているという点、そしてその命令系統がどうなっているのかが分からない点で言うのは危ういかもしれないが――――彼もまた面倒事に巻き込まれた被害者と言えるだろう。

 何をしでかすか分からない存在と、何処に居るかも分からない存在のお守りをさせられることになったのだ。僕だったら真っ先に音を上げて逃げ出したくなる。



 そう言えば、僕のことに関して誰も言う気配が無かったな。もう把握されていて、別段口にする必要が無いだけだろうと思っていたが、だとしても挨拶の一つはあって良いだろう。僕だってギフテッドであり、その前に一人の人間な事に変わりは無い。それぐらい要求する権利は誰にだってあるものだろう————。


「ほぼ六年も音沙汰無しで、名前も変えてる奴の何を信用しろと言うんだ」


 僕の思考を中断させる声が聞こえた。ミリアスとガルシアはそこまで旧い中なのか。


「なんだ、まだ引きずってるのかそれ……確かに、お前に何も伝えず居なくなっちまったのは悪手だった。けど裏を返すとだな、それはお前が信用に足る人物だったからこそ出来たことなんだぜ?」


「だとしてもだ。六年もの間だぞ、何処で何をしていたんだ? 前に一度会った時さえまともに会話もせず、ずっとイリアのことも放り出して」


「ちょいミリィ、それをカズの前で言わないでくれ!」


 勢いよく顔を上げたせいで、僕とミリアスに飛沫が飛んでくる。


「言うな? 何故だ」


「事情がめんどくせえんだよ。説明出来るもんじゃないし質問されたとして答えられねえっての…………カズ、取り敢えず察してくれ、な?」


「え、あぁ」


 三人以上の空間で口を出すことは僕に出来たことじゃない。

 二人の間で完結する空間に、僕のような人物が割り込める空間は無い。たとえ自分が関連してくる事象であろうと、そもそも口を挟む度胸などが有るわけないのだ。



 しかし、思っていたよりもガルシアとミリアスは身近な存在であるのかもしれない。

 完全な赤の他人だと思っていたが、この調子では僕の方が部外者に近い気がしてくる。


 そう思うと、少しばかりの寂しさが湯の温もりに広がっていった。

 いや、寂しさとは言い方が違うかもしれない。これはなんと形容すれば良いのだろう。



「で、何やってたかだっけ?」


 ガルシアが話を戻そうとする。努めて平常通りの声色を装うが、まだ少し焦りが残っている。


「まず最初の二年、まあ言うところの『人権戦争』だっけか。その間はずっと皇国に居たな。そっちの方に戦力が行かないように色々と頑張ってたんだ。『不死者の行軍』なんて噂まで広まるぐらいに、最後は指導者達を一掃して終わってな……和平への王手、それで大団円だ」


「やはりか。そこ以外に行く場所など無かっただろうからな……それで?」


「その後はまあ、全般的な人助けさ。ミリィ、お前が言いたいことは分かる。そこでもう戻ってきてても良いだろうにってことだろ?」ガルシアが彼を指さす。「そうもいかない事情があったのさ。目的って言うか、そのためにしなきゃいけないことがあった」


「目的、か。約束を破ってまで叶えたいものだったんだろうな」


 ミリアスの言葉には皮肉が込められている。僕の知らぬ事情で、この二人は密接に繋がっているようだった。


「約束を守り続けるよりも、もっとずっと良い条件だったからな。それが今の…………クソ、遠回りでも言えそうにねえか。これじゃあ前と同じだな……目的の方の話はここまでにさせてくれ」


「言えないでなく、言いたくないのではないのか?」


「んじゃお前はカズに伝えられんのか。どうせ何の話かも思い出せねえぞ」


 話がすれ違うのを感じてミリアスが怪訝な顔をするが、何か思うところがあったのだろう。暫く思案に耽っていた彼の表情はどことない納得の色を見せた。


「……もどかしいのは俺も分かった。何かを忘れた覚えはあるが、その『何か』に思い当たりが全くない」


「そういうことさ。俺からすりゃあ、言えないだけでこの状況が馬鹿らしく思えるがな。成り立たない会話なんて誰が聞いて面白いと思うんだ? 何度も何度も同じ話題を繰り返させようとして、んで喋れなくさせるんだよ、アイツは」


 何が「直ぐに教えたら意味がなくなる」だ、とガルシアは再び頭を水面に浮かべる。


「あいつ?」ミリアスが尋ねる。「誰なんだ」


「ああ、ミリィにはまだ言ってなかったな。俺が音沙汰無しだった元凶を作った奴さ」


「そいつは一体――――」


 追うようにミリアスは口を開こうとしたが、半ば強引に閉じられた。にわかにガルシアが立ち上がり、その余波で襲ってきた飛沫と波に妨害されたのだ。


「これ以上浸かってたらのぼせる。ミリィ、その話はカズと当の本人が聞いてない場所で話してみよう。それだったら多分――――いける」


「当の本人? その元凶って奴のことなら……居るのか?」


 周囲を見渡しながら改めて呈される疑問に、ガルシアはひょいと肩をすくめた。


「その人曰く、自分はずっと見ているってことらしいからな。今も俺達を監視し続けているのかもしれないな――――何を考えているかまで」
















 疲れが取れたような取れなかったような、そんな入浴から半時間が経とうとしている。


 僕は支給された部屋着を身につけ、ぼろぼろになった制服の代わりと渡された衣服を手にして部屋へと入るところだった。ワイシャツは兎も角、ブレザーを脱いでいって正解だったなと思った。学校関係の物品は何もかも値が張る。無闇に喪いたくは無いものだ。



「カズ、これからどうするんだ?」


 そんな現金な安堵をしながら入室して一声、そんな問いをぶつけられる。


「……戻ってたのか」


 彼の姿はまた変わっていた。軍人の人間から、物腰の落ち着いた雰囲気のネコ科の獣人アニマリアに。中身が同一だと分かってもなお、赤の他人に気さくな対話をされるのは非常に抵抗の大きいものである。


「弟さんにこれからのことをちゃんと話しておきたいってことで、一日ごとに騎士の一人を貸すことになったんだとさ。殺さないこと、傷つけないことを前提条件に、好きなようにして構わないって。本物の依り代が来るまではコロッコロ姿変わるからな、先言っとくぞ」


「そうか」


 衣服を据え置きの棚にしまい、ベッドに腰掛けた。


「で、カズ。どうするか考えてるのか?」


「どうするって、これからのことなんて――――」


 そこでふと気付く。

 そうだ。こっちに来てからと言うものの、短期的なスパンさえ将来のことに頭を巡らせたことがない。ずっと目の前の出来事に振り回されて、明日のことすらも考えたことが無いのではないか。


「……まあ、そんなとこだとは思ってたよ」とガルシアは椅子ごとこっちに向く。


「色々あってそんな場合じゃ無かったからな。けど必要なことなのは分かるだろ?」


「その通りだけど……」


 決められたものじゃない。僕はこの世界の何も分かっていないのだ。

 どんな仕事があるか、どんな生き方があるか。それ以前に今は戦時中で、そんな悠長なことを考えている暇も無いだろうに。


「違う違う、そんな深く考える方じゃねえよ」


「え?」


 僕の思考を読んだかのように、ガルシアはそれを否定した。


「もっと率直に言っちまうか……」


 頭を掻くガルシアはいつになくきまりが悪そうで、そんな姿は他人の前で見せる彼のものではなかった。これが演技なのだとしたら、やはり僕の意識は良いように扱われている。



「カズ、お嬢ちゃんとこれからも一緒に居たいか?」


 彼の言葉通り、何もかもが率直な問いだった。


「………………」


 予想できていても、答えに窮するのは誰もがそうであることだと願いたい。

 自分の意思を伝えることはそう難しいことでは無い。難題なのは「如何に伝え、どう受け取られたいか」であり、故に文学は小難しい言い回しや安易ながら実直な描写で訴えかけるのだ。


 その点で、僕は悩みに悩んでいた。

 本来、僕と彼女との間には何の接点もない。偶然出会った、道徳に基づいて助けた、そうするしかなかったから同行して、僕も人間だったから情が移ったのだ。


 これが僕だけの問題であり、もっと単純に考えられたのなら答えも自ずと漏れたであろう。だが現実ほどに難解で面倒なものは無いのだ。

 僕は彼にどう受け取って貰いたいのか。彼はこの問いを僕にどう受け取って欲しいのか。僕とイリアの関係に何の価値があって、彼と彼女の間にどんな出来事があったのだろうか。


「…………言い方をもっと間違えたな、こりゃ」


 ガルシアが項垂れて吐いた言葉で、自分がまた思い詰めていることに自覚を持つ。


「別にお前とお嬢ちゃんの関係がどうこう言うつもりはねえんだ。お前がどんな思いを抱いてるかでからかうつもりも毛頭無いし、どんな答えだそうとそれは尊重するつもりでいるさ。けど……」


「…………けど?」


 言葉に詰まる彼を促すように、僕は静かに尋ねる。


「……まあ、お人好しの心配事だって思ってくれりゃあ良いさ。なんであれ俺はもうお前じゃ無いし、お前の事はこれまで通り、お前が決めるべきだしな」

















 ――――メシは持ってってやるから、お嬢ちゃんの所に行って色々と確かめてこい。


 まるで親が言っているみたいだ、と思い返す。もし父さんや母さんが生きていたら…………そんなことを考えるが、今の状況をなんて言うかなど想像がつかないので止めた。



 部屋を出て廊下を歩き、夜の冷えた空気に曝されると、彼の言わんとしていたことがなんとなく理解できるようになった気がした。

 なんとも青臭いことこの上ないが、後悔しない選択をしろということだろう。本当に僕のことを熟知しているかのようだ。僕の行動理念————喪いたくない故に手に入れないことを、あの男にはすっかり前から知られているようだし、それに関連するような言い回しをよくしてきた。


 きっと僕は、僕自身の欲求を確かめるべく向かうのだろう、と診療所の扉を潜った。

 赴くのは二度目だが、今日の朝のことなので迷うことは無かった。直ぐに目的の扉の前に辿り着き、必要なものはノックをする勇気というものだけになる。




「…………どうしてこうなったんだろう」



 軽く握った拳を見つめ、無意識に漏らしていた。

 こんなことで悩むことほどに無駄なことはない、とずっと思っていた。他人がどう思おうと僕は僕だし、その逆も然りだ。どんな風に見られても構いはしなかったし、誰がその身をどう見繕おうと関心を持つことが無かった。


 そうやって、いろんな事に無関心に生きる方が気楽だと思ってたからだ。


 それは今この場でも同じ事。僕はただイリアと顔を合わせて、これからのことを多少なり話すだけだ。それに関してどんな答えが返ってこようと、それは仕方の無いこと――――。


「…………ふぅ」


 続く言葉と不安を一緒くたに吐き出し、僕はようやく扉を叩けた。


 少し遅れて、どうぞという声。彼女は起きているらしかった。


「……カズ?」


 無心に開いた向こう側、朝振りに見たその顔には、多少なり血色が戻っていた。

 手元には本が幾つか積まれ、その一つが開かれている。表紙もページ数もかなり厚く、遠目にびっしりとした文字列がうかがえた。


「ああ、うん。僕だ」


 耳元に件のものが付いているのを確かめて、僕は声を出した。

 ずっと付けていても煩わしいだけだろうに、彼女はずっとそのままにしていたのだろうか。



 まさか。単に付けていることを忘れただけだろう。


 どちらも先の言葉が出ないまま、僕はベッド脇の椅子に座り込んだ。

 こちらから来たのだから、僕に話を切り出す義務があるのだが――――懸念していたとおり、面と向かった瞬間にどう始めれば良いのかが分からなくなってしまった。

 イリアもイリアで話が得意な方じゃない。何か話そうと少し口を開いて、直ぐに閉じて目線を反らすのをもう二度繰り返している。


「…………イリア、その」


 口が動いていれば自ずと機会も巡ってくるだろうと、誰でも話せる話題から手を付けることにした。


「怪我の調子は? まだ痛むだろうけど……」


「うん、まだ痛い。けど……昨日ほどじゃないし、なんて言うか」


 どっちもぎくしゃくとした言葉の連なりだが、これまでとはだいぶ違う。

 互いの距離感を測りきれないのではなく、どう伝えれば良いのかで戸惑いがあるのだ。


「……ちょっとだけど、慣れてきた感じ。変な言い方だよね」


 イリアが力なく、それでも可笑しそうに小さく笑った。


「いや、分かるよ……」


 話を途切れさせまいと僕はとにかく答える。

 彼女の言うことに間違いは無い。人はどんなものであれ、続けば慣れるものだ。それが幸福や不幸のような無形なものでも、つまりは悲しみや痛みだって例外じゃない。


 現に、僕は蒸発するような熱さにも、銃弾が頭を駆け巡る感覚すらも受け入れてしまった。

 僕は多少なり他人の痛みを理解しているつもりだが、これではもう共感が出来ないのかもしれない――――勝手にそう考えて、勝手に物寂しく思ってしまった。


「……慣れる。そっか、そうだよね……」


 僕の言葉をイリアが反芻する。


「ねぇ、カズはもう慣れちゃったの?」


「……何に、かな」


 その問いの鋭さ、求めている答えの不明瞭さに面食らう。

 どう答えるのが彼女の為になるのだろう。


「悲しいこととか、辛いこととか。カズもいっぱいそんな目に遭って、だからそんなことが言えるのかなって……」


 イリアが本に目を落とす。滲みがあるものの綺麗に印刷された文字が並び、文章の雰囲気から何かしらの物語だと察することが出来る。


「僕は――――慣れたと言うより、受け入れた方が近いかもしれない」


「受け入れる?」


「そう。どんなことだって起こりうるし、起きたことは何も変えられない。だから『こういうものなんだ』って受け入れて、忘れることにしてる」


 流れを重視した分、ありきたりで自分のやり方を上手く言えた気はしない。

 受け入れるにしても重すぎることはあるし、受け入れたくないものだって当然ある。


 あまり考えたくない。感傷になど浸りたくない。


「…………すごいよ」


「すごい?」


「うん。忘れるなんて、わたしには出来ない」


 栞を挟んで、彼女は本を閉じた。



「ねぇ、カズ……握っていい?」



 そう言って右手をこちらに伸ばしてくる。


 特に断る理由もないので、椅子をもう少し寄せてから右手を渡した。触れた途端に精一杯の力で握られるのが分かり、そのまま彼女の胸元近くまで引っ張られていった。



「……わたしね、怖くなったの」


 暫くそうしていると、イリアが再び話し出す。


「目を覚ましたときに、カズが居なくなってたから。クラムさんが出掛けたことを教えてくれたし、ずっとそばにいてくれたけど、それでも寂しくって――――」


「…………」


「わたし、カズが何処に居るかなんて分からない。見えないから、側に居たって気付けないかもしれない。だから……わたしの気付かない内に、ふっと消えちゃうんじゃないかって。それがずっと頭から離れなくて、苦しくて」


 だから手を握りたかったのか、と察する。

 体重の全てを預けている拠り所が消えてしまう恐怖、そこには孤独への恐れもある。それが――――つまりは僕がいなくなれば、きっと自分は生きていけなくなる。何時間もの間、彼女はその未来に怯えていたのだろう。



 だがそれは、良い方向に傾き始めた証拠でもある。

 生きていけなくなる恐怖は、生きたくない絶望よりもずっとマシで、対処法がそれなりに揃っている。僕には覚えがあった――――今はもう忘れようとして、記憶の塵になっているが。


「……ごめんね、こんなこと言われたってしょうがないよね……」


 我に返ったように言うが、声はかなり震えている。


 僕は誰かに頼ろうとしたことはないし、そんな場面に巡り会うことすらなかった。それでも彼女がどれだけの勇気を振り絞ったかを理解できている自負はあるし、見知った人が苦しんでいるのを傍観できるほどに人間は辞めていない。


「いいや、そんなことはない」


 もうあいつを役者呼ばわりできないなと心で苦笑しつつ、腰をベッドに移した。


「え……?」


 僕にあそこまでの演技は出来たものじゃないが、せめて「それらしく」は見せたい。

 それは僕の良心がさせるのだろうか、それとも欲求がさせるのだろうか。


「何も言わずに出て行ったのは僕の間違いだった、姿が見えないことに無頓着すぎたんだ。君がそこまで不安になるなんて思いもしなかった」


 実践して、ガルシアの口の巧さを再認識する。僕には到底無理な芸当だ。


「だから…………言ってくれて嬉しかった。今の君をこれ以上不安にしたり、辛い思いをさせたくない。そうしないために出来ることだって、言われるまで気付けなかったんだ」


 左手でイリアの肩に触れ、僅かに自分の方へと引き寄せてみる。彼女が受け入れるなら良し、必要ないならそこまでと考慮しての行為だったが、なんの抵抗もなく彼女の頭が胸の内にすとんと収まってきた。


「…………」


 イリアは何も言わない。ただ僕の手を握っていた両手が、僕のシャツの方へ移っただけだ。

 この嬉しさはどう捉えれば良いのだろう。どう受け入れれば慣れずに済んで、失ったときに傷つかないで済むのだろうか。



「……苦しそうだったり、悲しそうな顔よりも、笑ったり、楽しそうなイリアの方が……僕は…………」



 それを考えると、口が途端に動かなくなってきた。

 怖い。手に入れたくない。奪われたくない。


 他人から見れば嘲笑ものであろう、発作に近い僕のこの衝動は、やはりこれも一つのトラウマなのだろうか。


 原因と結果の反転、そんなことは言われずとも分かっている。

 でも怖いのだ。いつか失うもの、無くなるものに価値を付けることが。


 大切にしたものを失うのが。


「…………僕は、そんな君を見ていたい」


 この思いを悟られまいと、口を噤んで行動に表した。

 イリア、今は自分だけの欲求に従っていれば良いんだ。僕は耐えられたが、君はどうか分からない。どうか気付きませんように、我が儘をしてもいいんだと思ってくれますように――――ひたすら祈った。




「………………約束、してくれる?」


 その声にはっとしたとき、僕は随分な力で彼女を抱きしめていたことに気付く。


「どんな?」


「わたしから勝手に居なくならないって、ひとりぼっちにさせないって」


「……ああ、約束する」


「何処か行くときには、ちゃんと言って、絶対に戻ってくるって」


「もちろん」


「…………絶対、絶対に死なないって」



「……えっ」


 最後の言葉に虚を突かれる。


「カズ、また戦いに行ったんだよね」


「どうして、なんでそう思うんだ」


「そんな匂いがしたから…………燃えて、焦げて、湿ったような」


 咄嗟に身体を離して確認しようとしたが、それを拒むように彼女はより強くシャツを握り込んできた。


「……いいの。カズが皆のために戦ってるのはわたしも分かってるから」そう言って顔を押し込んでくる。彼女の息で胸が熱っぽく、僕の頬に触れる耳からは彼女そのものの匂いがつんと鼻を刺激してくる。


「わたしはカズを止められないから、死なないでってことしか言えない。だから……言って欲しいの、約束するって」


 その約束が今の僕にとってどれほど容易いことか。

 高所から墜ちても、撃たれても、焼かれても、人が消し飛んで鉄が飴のようになる光線を照射されたとしてもだ。そのどれもが僕を損傷させることが出来ず、ただ痛みを感じさせることしか叶わなかったのだ。


 ――――これが継続するのかも不確定だが、あそこまでの仕打ちを受けてはいお終いというのも甚だしく不条理なものがある。これが幸運と果たして言って良いのかは置いておくとして、死ねない状態など滅多になれるものではないのだ。


「……分かった、約束する」


 それでも、答えるまでに間が開いてしまった。

 死なないから安易に約束できる、というものでもない。彼女が真に求めていることを考えると、これもまた一種の束縛に相違ないからだ。


「無理はしないし、何があろうと必ず帰ってくる……それでいいかい?」


 諭すように言い終えると、「うん」と額がシャツを擦る。



「……もう少し、このままでいさせて……ん?」


 彼女の腕が僕の胴に回されんとしたときに、扉がノックされた。


 その瞬間、一種の催眠が解けたかのように全てがフラットになった錯覚を覚える。腕の中にある暖かさも、それを感じる心地よさも、その全部がベッド下にでも逃げ込んだように心境がクリアになる。


「……アサナギさま、中にいますかー?」


 大変そうな女性の声、クラムのだろうか。

 イリアを拘束していた腕を解くと、彼女も僕からゆっくり離れた。


 僅かに残った温もりと名残惜しそうな彼女の視線とを感じながら扉を開く。


「すみません、ガルシアさんにアサナギ様のものまで押しつ……じゃなくて、預けられてしまいまして」


 それなりの量が揃ったトレーを両手に、クラムが立ち往生していた。


「さっきまでガルシアさんが盗み聞きしてて、話しかけたらこれを渡されて行ってしまったんですが…………何かしてたんですか?」


 どんな予測を立てているのか、柔らかい体毛に覆われても分かる赤面具合にとうとう僕は正気に――――つまりはいつも通りの自分に戻ることが出来た。




「あれか、ちょい臭ったのは言うべきだったか……?」


 少しゆらゆらする店内を眺めて愚痴る。ここまで騒がしいと、返って安心してぐだまくことが出来るのだ。


「戦場の匂いは中々取れないものだ。それにしてもかなり強かったが……」


 机の上に乗せた頭を半回転させると、気障ったらしくグラスを傾けるミリアスが居る。

 こいつは前々から酒に強い。今の俺が弱いのもあるが、同じ量を飲んでこの素面っぷりだ。


「たりめーだ。例の衝撃波の爆心地にいた男だぞ?」


「……お前がしでかしたのだと思ったが、アサナギの方が?」


「どう言う意味だコラ。掘るぞ」


「会話する気があるのなら、もう少し返しやすい罵倒にしてくれるか」


「こんのぉ」


 ダメだ、酒が入ると良い感じに怯ませられねえ。

 というか、もう少し弄りやすい奴だと思ってたんだ。数年でここまでタフになるもんなのか? 年月の流れってのは恐ろしいものだ。



 あいつも…………あいつはそう変わってなかったから良いか。


「しっかし、あんだけ上手くいってれば、忘れてても離れることはねえか。世界有数のキラーマシンが三人も傍にいるんだ」


「……俺を勘定に入れているのか?」


「けど……やっぱお嬢ちゃんの方も傷が深いんだな。まだ引きずってるっぽかったぞ」


 答えるのがめんどくさかったのでスルーしたら、ミリアスに求めていた顔をさせることができた。


「当然だ、が……そう珍しいことでもなくなってしまったな。戦争の被害者が今の聖王国にどれだけ居ることだか。騎士だけじゃない、前の戦争では誰彼構わず刃の錆びになった」


「んだな。結局は自分の目で確かめたかどうかだ。知らなけりゃあ悲しむことすら出来ないし、覚えてなければ分かりようもないんだからなぁ……」


 カズは兎も角、お嬢ちゃんの方ならそろそろ感づいても良い気がするんだが。

 でも思い出すのも怖い、それは俺だって分かる。ショックの度合いで言えばおやっさんと母さんの事故とどっこいだろうし、そのレベルになるとカズですら絶対に思い返したくはないだろうし。


 思い出せりゃあもっと幸せになれるんだろうが、片方は約束通りにすっぱり記憶がないし、もう片方もトラウマで封印してるし。

 アイツ、こんな状況をあの時から予測してたとしたら歯が立たねえな。次元が違うわ。


「…………そう言えば、まだ話して貰ってないな。お前が夢中になってた目標とやら」


 ああ、そうだ。カズの話でぐいぐい飲んじまってすっかり忘れてた。


「んぁ、そうだったな。その目標ってのはな…………あぁ……」


 なんだ? クソ、また見られてんのか。


「……悪酔いしたか、だから飲み過ぎるなとあれほど」


「うるせえよ……クソ、せっかく人混みに紛れたってのに、考えることすら出来ねえのか」


 前はこんなことなかったぞ。少なくとも「考えられた」。

 言葉を聞かれてる――――と言うより、喋る内容を検閲されるもんだと思ったが、ちゃんと思考すら遮断できるのか。


「……言ってた奴のことか。居るのか?」


「分からん。そもそもあの浴室でだって言えなかったんだ。そもそもヒトの姿で居るかどうか」


 何処から見てる? いや、聞いてるのか、或いは読まれてる?

 前に会ったときから回りくどいやり方が好きな奴だと思っていた。じゃなきゃあんな条件を出すものか、あの……女でいいんだよな、アイツは。


「……悪いが、酒の言わす冗談にしか思えない。元から好きだったな、こっちのお前は」


「だーかーらー、一々乗り移った奴の酒の強さなんか分かるかっての。どっちかなんて関係ないだろが」


「答えがずれてるぞ……」


「いいだろ、酔ってるんだから」


 代わりに隣に座るミリアスに毒を吐く。

 なんだってんだ、喋ることだけじゃない。考えることにすら邪魔が入ってくる。


「……んぁあー! んどくせえなマジで、もう良いわ、これからのことを考えるわ」


 どう足掻いても話を持って行かせないつもりらしい。

 何が目的なんだ。カズはここに居ないし、俺の思考なんてアイツ以外覗いちゃいないだろ。






 けどまぁ、有り得ねえ話じゃないよな。俺みたいな奴が居るんだから。




 おーい、誰か聞いてんのか-? 読んでんのか-?




「……答える訳ねえよな。んでなんだ、先ずは洋服だろ、それにローファーじゃ足を痛めるし、それにスマホとイヤホンもボロッボロになってたなぁ……カロに頼むか?」


「リストを作るのは結構だが、静かにやってくれないか」


 横目にミリアスのうんざりした顔を見て、多少は心が晴れた。

 面倒事に鉢合わせた時、巻き込まれたときの表情は変わってない。

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