41 大緒戦 六
「そう、か。生存者は貴様と追随した部隊のみと……」
装甲に防がれる雨音は陰りを見せていた。
ここは僕らが会話していた車両の中ではない。ここは僕を含まず三人が中央の地図と駒とを見つめている空間であり、ガルシアはここを「総指揮車両」と呼んでいた。
「目も当てられん被害だが、シキロフ、貴様が生きているだけ上々だ」
「は。慈悲深きお言葉、感謝します」
シキロフ――――ガルシアが会話する相手は女性だった。
彼よりも深く鮮やかな赤い長髪に、視線だけで幾人も殺せるような鋭さ、初めて聴いたとしてもすぐさま直感できる、その容赦のなさと冷徹さ。
「らしくない言い回しだな。我が弟よ」
ラグナロッカ・ファルター大佐。
今作戦の現段階における最高指揮官で、ガルシアの言うことには――――今の彼の姉にあたる人物。
この凍り付くような緊張も、公の場よりかは和らいでいるのだろう。彼女の整った顔立ちは厳しいが、それでも彼を――――「シキロフ」の方を――――思いやっているのを確かに感じ取れる。
「まあいい。もう一つ報告したいこととは、何か?」
「は、その前にですが」ガルシアは車内を目配せし、周囲を気にする仕草をする。
「この話は他者に聞かれると非常に危険な内容です、大佐」
「ほう?」
声を潜めたガルシアに、ラグナロッカは眉を吊り上げる。
「私の補佐官にも聴かれてはいけない内容か?」
「ええ。『秘密を話す』こと自体は認知されても構いませんが、内容だけはまず大佐自身が受け取り、判断して頂きたい代物です」
補佐官――――ラグナロッカの脇に立つ、どこか違和感のある眼鏡をかけた男性を見ながらガルシアは言った。
「貴様から聞いた後に私が告げてもよい、ということだな?」
「ええ、貴女が判断して、そう思ったのならば」
ガルシアの答えに、面白いと彼女は言った。
「大尉、暫く外で待機。私に用がある者は至急の件にのみ通達し、それ以外は待たせよ」
「了解しました」
軽く頭を下げ、車両後部の出入り口へと向かっていった。
開かれたままの開口部から見える景色は変わらずモノクロで、ポンチョのシルエットが脇に消えていった向こう側には何も動く気配が無い。
そんな景色がガルシアによって閉じられると、一気に息苦しさが顔を出してきた。
「それでは、お話しします。姉上」
二人称を変え、ガルシアが戻ってくる。外部からの光源がほぼ遮断された空間を照らすのは、吊るされたものと机に置かれたものの、その二つあるランタンだけだ。
「聞かせて貰おう」
彼が言って戻る間に、ラグナロッカは自分専用であろう椅子に座り込んでいた。
足を組んで頬杖をつく。それだけで一つの作品のような情感を与えられる人物がどれだけいようか。
「実は、今の『私』は、私では――――『シキロフ』ではないんですよ」
「ガルシア」は単刀直入にそう言い放った。
彼が何かを仕掛ける。それぐらいは話も聞いていたし、突飛でも無いことをしでかすのは目に見えていたが、流石にこれには僕も焦燥を覚えた。
一体何を考えて暴露したのか。答えは直ぐに行動で理解させられた。
「そうか、それは重大な情報だな」
ラグナロッカはすんなり受け入れていた。いや――――もう彼女をこう呼ぶのは相応しくないだろうか。
「え? あれ、どうして私は…………」
そう狼狽えるこの男を、「ガルシア」と呼べなくなったように。
「どうした、我が弟よ?」
そう問いかけるのは間違いなく「ガルシア」だ。努めて真顔を維持しているが、先程の鋭利な雰囲気は薄らぎ、口調には微かだが嘲笑が混ざっている。
「あ、姉上……」
そして「シキロフ」はこれ以上無く挙動不審に陥っていた。どうして自分がここに居るか、何時からここに居たのか。そういう時間や経過がすっぱりと切り取られたかのような反応をしている。
「シキロフ、少しは落ち着いたらどうだ。ここには私しか居ない」
彼が喪失した記憶は、間違いなく彼女――――ガルシアが持ち去ったのだろう。乗っ取っている最中の記憶は奪われ、操られていたことにも、自分が自分で無かったことにも気付けない。そう考えると哀れにも程があった。
これでは全員、立場を良いように利用される木偶人形である。更に非道いのは、操り主がここまでの享楽第一主義者なことであろう。
「貴様も無理をしてここまでの働きをしたのだ。その反動が来たのだろう」
ガルシアは都合の良いように話を持っていく。
「何をそこまで困惑するのかは知ったことではないが……前線の状況が今の話の通りなら、誰よりも休養を取らねばならぬのは貴様だ。必要な事を済ませたら一等室を貸してやろう」
「あぁ、有難うございます。……本当に何も覚えてなくて、私は一体何時からここに?」
「五分ほど前だ、その時からお前らしくないとは思っていたがな」
ここでガルシアは話を切り、外に待機させていた先程の男を呼び出した。
彼が戻ってきたときに今更ながら気付くが、両耳がそぎ落とされている。痛々しい傷跡があり、ぽつりと穴が開いているのがとても不気味に見えた。
違和感の原因はこれだった。眼鏡の弦を掛ける耳が無いために、バンドのようなもので固定されているのだ。
「大尉、大隊指揮官を全員呼集せよ。その際、武装は持ち込まないよう通達するように。その後は機密の必要上、何があろうと誰が来ようと立ち入り禁止だ。用がある者は待たせておけ」
「了解しました」
同じ返答をして立ち去る姿に、波紋すら立たない水面の鏡を連想させられた。
諦めという言葉が近しいのだろうか。ただ義務を果たすだけが生きる理由のようで、それすらも魂を縛る鎖としての役割にしかならない。
死にたがっているようにも、死ねない理由があるようにも思えた。
多感な年頃だというのもあるかもしれないが――――未来の自分を見ているようだった。
「…………そうだ、弟よ。彼等が来る前にして貰いたいことがある」
閉められなかった扉に誰も居ないのを横目で確認してから、シキロフに頼み込んだ。
「何でしょう、姉上」
「秘匿通信だ。私がしても良いのだが、相手にもお前が生きていることを直に知りたがっているだろうしな……一つのサービスというものだ」
立ち上がり、部屋の脇に据え付けられた機材のダイヤルを弄り始める。
「それで……何を喋れば?」通信機を手にしたシキロフが問う。
「私の後に続いて言えば良いだけだ。口だけは良く回る男だろう?」
からかっているのは自明だが、思い当たるはずの無い彼の人格は困惑するほか無い。
「いいか――――――――『来たるものは狐、半刻にて暗雲立ち上らん』」
「…………来たるものは狐、半刻にて暗雲立ち上らん」
シキロフには何の意味があるかなど理解できまい。彼の人格が目を覚ましたのは数分前で、その前の記憶は一時間も前なのだから。
哀れを超えて、僕でも一般的な同情すら出来るようになってきた。
赤の他人が組んだ、仲間を同士討ちさせる合い言葉を、乗り移っていない本人そのものに言わせるのだ。先程のリスキーな茶番と良い、悪魔と名乗って見劣りしない人物なのかもしれない。
随分手間を掛ける男だ、本当に。
一般人がお目にかかれない光景が完成するまでに、おおよそ十分程度の時間を要した。
ここには僕を含めず六名の人物がいる。誰もが地獄や死線や、その類の者を見慣れたような存在感がある、他人が容易に入り込めない末恐ろしい空間と化していた。
「司令、一体何事でしょうか」
シキロフによって扉と鍵を閉められ、完全な密室となった指揮室に厳つい声が響く。
階級を示すマークがあるにはあるものの、それがどの階位を示しているかは検討が付かなかった。皺も彫りも深い顔立ちからして、結構な階級ではあるだろう。
「本題を話す前に、現在の部隊状況を改めて共有しておく必要がある」
手元の懐中時計を一瞥してから、ガルシアは机に手を置いた。
「既に報告は行き渡っていると思うが、第一軍は純戦力の九割を喪失、非戦闘員を含めたとしても八割以上の損害が出た。これは部隊全体の戦力から見ても四割の喪失である…………壊滅と判断するしかない、実に厳酷たる被害状況だ」
陣形の整った駒の群の前半部分がごっそりと取り除かれた。誰も口を開かないが、この事実から読み取れる未来に険しい顔つきが強くなる。
「だが、砲兵部隊に全くの損耗が無い点は幸いと言うべきだろう。現在の我々から侵攻という選択肢は消え去ったが、砲撃による損耗は未だ手札にある。工兵隊、陣地の進捗は?」
「命令の通り、三割ほど完了しています。現在は市街地を射程に収めるべく、予備部隊による警戒進撃に追随、簡易構築が並行して行われ、完了には三時間ほど時間を頂きたく」
指揮官の報告に則って補佐官が駒を動かし、前線に一枚の壁が出来た。
「宜しい。砲兵隊、報告を」
「敵勢力の攻勢警戒に長距離砲十門を残し、順次移動を行っています」
「ふむ…………補給隊、物資の現状は?」
「はい、無事だったのは日用品と砲弾、予備弾薬程度で、前線に供給予定だった物資は全て消し飛んでいます。現在の残量では八十分の全力戦闘が限界な上、これ以上の負傷者は収容が追いつかない可能性が大です。後続の部隊が到着したとして、弾薬が足りません」
「了解した、後続に補給の旨を伝えておこう」
内容だけ聞けば中に他人が入っているようには――――元の人格すら数分聞いた程度だが――――全く思えない。指揮官らと現状を再認識し、情報を元に必要な行動を確認する。きわめて当然の行動だ。
だが、僕には何を意図しているのかが手に取るように分かっていた。
後退の際に話してくれた筋書きは、僕には回りくどく面倒くさいものにしか思えなかった。が、仕組んでいることに誰も気付かないのを眺めるのは確かに面白い。
僕は壁に寄り掛かって、ガルシアのお遊びをしっかり鑑賞することにした。
どうせ僕は保険だ。何かすることも無いだろう。
「…………さて、方針も再確認したところで、本題に入ろう」
もう一度時刻を確認してからそう言うと、より空気が張り詰めた気がする。
「私は簡潔なやり方や、理解の良い部下が好みだ。私の補佐官が異人種なのは、有能で気に入れば手元に置く私の方針を代弁してくれるからに違いは無い」
何を話すのか。指揮官達は先が見えずとも視線を揺らがせることはなかった。
「一度で理解できるように言おう。貴様らの中に祖国に叛旗を翻そうと目論む者が居る」
が、調子の変わらない言葉の羅列には全員が何かしらの反応を見せた。
調子の良いことを言うものだ。こういう場合は言い出しっぺが怪しいのが大抵であるし、そう言う点で彼は王道をなぞろうとでも思っているのだろうか。
「……反乱、ですか」
一人が確認するように言うと、ガルシアは瞳に威圧を込めた。
「五年前に終息した件の騒動は誰もが知っていると思うが、今回もその兆候が見られると本部からの警告だ。今回の徴兵や編成に関して、複数の不審点が確認されたらしい」
「不死者の行軍…………もし残存しているとしたら、今ほどに都合の良い時期も無い」
予備部隊の指揮官が漏らす。ガルシアの演説にも出てきたが、一体どんな勢力だったのだろう。
「だが安心して欲しい。ここに居る構成員はたったの一人だ――――何のために非武装で集合させたか、これで理解は出来ただろう?」
何かを期待するような眼差しで一同を見やるガルシアだが、彼等には不安から来る影が少し差しただけであり、それが求めていたものなのかは僕に判断は出来なかった。
「……流石に尻尾は出さないか。『ガルシア』」
「ッ!!」
彼以外の全員が似た反応を返した。
それほどに驚愕の事実なのだろうが――――僕は真逆で、吹き出すのを堪える方だった。
何故笑い出しそうになったかは分からないが、どこかコメディのような可笑しさを感じた。ここまでふざけた台詞を大真面目に吐けるのはもう才能ではないだろうか。
とはいえ、発言の効果はてきめんだった。
「ガルシア……あの集団自殺の首謀者が?」
「それを口に出すな」
それこそ人を殺しそうな冷たさと鋭さで言葉を遮った。
「……私の父も被害者の一人だ。今すぐにでも銃弾を叩き込みたくて腕がこそばゆい。
だが疑念の段階で部下を殺したくはない。私の責任問題になる上、その男の思惑にわざわざ嵌まることもあるまい。そうであろう?」
あの男が乗り移る条件を知っているか、と「本人」が語る。
「これまでの関連事項における聴取で判明したのは、『乗り移られた際の記憶がない』ことと『目の合わない限り乗り移れない』ことの二点だ。先程貴官らと目を合わせていったが、どうやら見え透いた嘘には掛からなかったようだな……」
机に乗せている拳が力み、手袋の素材が握り擦られる音がする。
「誰に憑いているのかは知らんが、聞いているだろう。ガルシア、白状しよう。私は貴様の行動を阻止出来ない。貴様を留め続けることも出来ないだろう」演技と忘れる気迫でガルシアは続ける。
「だが、貴様が何を策しているかは知っている。放火を止められはせずとも、ただ燃えるだけの我らでないことを思い知るが良い!」
ここに居るかも判らない人物に対し、ここまで攻撃的になる。
真に迫るような迫力だが、事情を知らねば統合失調症の振る舞いそのままだ。それをここまで演じられるのだから、ますますこの男の――――男と言って良いのかも分からなくなってきた人物の内面が霧の向こうへ消えていく。
この存在の本性は何処にある?
舞台を眺めながら思案に耽っていると、雨音に異音が混じった。
「……爆発?」
一回きりではない。複数回の爆発音に、発砲音も混じり始めた。
二秒ほど遅れて指揮官らがどよめきだすが、混乱は更に深まっていく。
「大佐、緊急事態です!」
その言葉が放たれると同時に、屋内に雨空の光が入り込んできた。
あの補佐官が切迫した表情でそこに立っている。言いつけを破ってまで伝えねばならない事。どうやら彼の筋書き通りに、ちゃんと始まってくれたらしい。
彼の表情が、一瞬だけ満面の笑みになる。
「逃がすか!!」
それに一秒遅れるかでラグナロッカが叫んだ後、一発の銃声が反響する。
その手の内にある構造物より飛び出た弾頭は右目の上に着弾し、射出痕をこちらに見せつけるように半回転して倒れた。
「司令!?」
「…………がぁああっ!!」
拳銃を握ったままの手を机に叩きつける。
指揮官らがその行動に異を唱える前に、やはりガルシアが先手を取った。
「目を合わせられた、間違いなくガルシアは逃げた! 非戦闘員は後方本部まで撤退、全予備部隊は事態の収束を図り、叛逆の予兆を持つ者は即座に射殺せよ!
座して待つ時間などない! 各指揮官は対応する部隊の指揮を執れ!」
有無を言わさぬ勢いで指示を出し、集めた指揮官達を追い出しにかかる。
が、一人当惑し硬直する人物がいる。シキロフだ。
「弟よ、私の親衛隊の一部を貸与する。共に逆賊の掃討を行ってくれるか」
彼女の言葉から覇気が消えかかってきている。もうこれさえ済ませれば舞台も終わりなのだろう。
「姉上、その……」
「済まないな、これさえ終われば休める」
或いはきっと、飽きたのだろう。




