40 大緒戦 五
雨が鉄を穿とうとする音が聞こえる。
遙か数千メートルの上空から落ちてくるそれは儚く砕け散り、極小の欠片となって装甲車を包んでいた。
そこだけではない。勢いを増した豪雨は僕や地面をこれでもかと削り取ろうとしていて、頬に雨粒が当たる度に血の一滴が一緒に流れ落ちているような錯覚さえ覚えそうだ。
「なぁ、ガルシア」
「なんだ、カズ」
腰に響くエンジンの振動にかき消されそうな声量でも、ハッチから上半身を出す彼にはちゃんと聞こえたらしい。
車内で雨風を凌げるというのに、僕も彼もそうしない。
こんな経験が以後出来る保証が無いから――――僕はそんな短絡的な理由で天板に座っている。走っている車両の上に座るだけだが、そんなことでも多少は胸が躍る。
そして彼は――――――――面目の為か、僕を見守るのが楽しいのか。
「………………」
「なんだよ、呼んだだけか?」
ポンチョを羽織ったガルシアの声も小さい。僕と会話しているのを足下の仲間に悟られないように。
それでも、現状でここほどに話しやすい場もないだろう。後方からの救援と負傷兵を詰め込んだ車列群が視界の下半分を埋めるような状態では、誰にも聴かれずに会話をするのは無茶に近い。
「……さっきの演説、本当なのか?」
僕は言葉を探し出した。元から自発的に会話を始める質ではない。他人に訊きたいこともそれほどに無い人生でもあったし、参考に出来るほど誰かから話しかけられた記憶も――――覚えてないのだからきっと無い。
「本当かって、まぁ、幾らかはな」
何割かが事実で、残りの何割かが嘘だとガルシアは漏らす。
「なんか気になったのか、カズ?」
「まぁ」
文面を探して再び周囲を見る。
ぬかるんだ土を履帯に纏わせながら進むハーフトラックや装甲車の中には、どれだけの人生が詰まっていて、僕はそれをどれだけ吹き飛ばしたのだろう。そんな独り言が脳裏を過ぎった。
僕はこの世界の内情を全く知らない。何の理由があって戦うのか、過去に何があったか、どんな確執がどんな勢力の間にあるのか。何もかもが分からないのだ。
だから興味を持った。
子細までを知りたいとは思ってないが、個人的に理解できる程度には知っておきたい事だとは感じた。
「気になるというか、知りたいというか」
僕がそう思ったのは、彼等が同じ見た目だからだろうか。心身共に傷を負った人物の会話を傍らで聞いていたからだろうか。
それとも、演説に織り込まれた内容があまりに可哀想だと、そう思ったからだろうか。
迫害され、共存や復讐、数多の感情を世代を渡って背負い続け、力を得てようやく手にしたと思ったら、今度は同種から同じ目に遭わされ。
正義感や利他精神すらも、気付くことの無い虐殺への理由に利用されているという事実。それを知らないという事実。
僕は彼等に同情したのだろうか。それともやはり――――関係ない悲劇として知りたいだけなのだろうか。僕がどう思おうと、得たい答えは同じだろう。
「…………まぁ、当然か。目覚めて数日じゃ調べ物も出来ねぇよな」
少し口ごもった後、ガルシアは答えた。
「知りたいっつっても、結構な範囲だ。どの辺を知りたいんだ?」
「どの辺、と言われても」
「そこも分かんねぇか。こりゃ読んだことも全部忘れてるな…………」
「忘れてる?」
僕は間髪入れずに問いかけた。どうして彼がそんなことを言うのだろうか。
「『言えねぇ事リスト』だ。こればっかしは理由含めて、マジ厳重にな」
「そうか」
そろそろ僕は納得することにした。
はぐらかす理由にするには説得力に欠けるし、こうも同じ事を繰り返すのは悪手に思える。あそこまで頭の回る人物だ、本気ではぐらかすつもりならこうして疑問にすら思わせないことすら出来るだろう。
疑問に思わせて、何かを思い出させようとしている。そう感じた。
僕が何を忘れたかなど知りようがないし、振る舞いからしてガルシアはそれを知っているようだ――――そう思わせたいだけなら違うが、詮索したところで裏か表かは見分けられない。
僕が忘れてる事を知りたいのではなく、思い出させようとするのが目的である。僕はそう結論づけて、一先ずは不利になるような事を何一つしていないこの男を「ある程度」信用してみることにした。
これが狙いなら僕は降参だ。勝てる気がしない。
「……聞いてねぇな?」
「え?」
話は聞いていたはずだが、どうやら上の空になっていたらしい。
「全く、ネタを振っといて無視は酷ぇだろ。せっかくお前と楽しくお喋り出来ると思ってたのによぉ」
そう言って腕を投げ出し、顎をハッチの縁に置く。その仕草だけを見ればふて腐れた子どもだ。
「ごめんなさい」
「だからって敬語に戻すな馬鹿。そっちの方が傷つく」
「な、えぇ……」
やはりこの男は理解しがたい。どんな価値判断を持ってるんだ?
「まぁいいさ。訊いてなかったのは単なる提案だけだし、物思いに耽るお前は好きだからな。何しても気付かなさそうな感じ」
そう僕をからかったので手打ちにしたらしく、ガルシアは上体を起こした。
「そうだな、こういう場合は嘘から答え合わせしていった方が面白いか?」
もっと近くに来い、と手招きをする。互いに手を伸ばせば手が触れる距離なので十分だと思っていたが、彼はまだ不満らしい。
「まず当然だが、俺達を知ってるってのは嘘だ。それを前提にした皇国の動きも全部嘘になるな。侵攻先の不変更、前線の兵士の意図的選択、俺達を利用した抹殺、エトセトラ」
「だろうね」
これぐらいは分かる――――というより、分からないと可笑しいものだ。
もっと他にもあるだろう。誰にも気付けないような巧妙な嘘が。
「あとは、『不死者の行軍』が平和のために戦ってたってとこぐらいだな」
そんな予想はさらりと否定された。
「……え?」
「えって何だよ、俺が覚えてる限りじゃこれ以外に嘘はねぇぞ?」
ガルシアは開いたハッチにもたれかかり、顔が濡れるのを少し堪能した。
「嘘はそれだけって、それじゃあ……」
僕は困惑していた。もっと騙すための嘘があるものだとばかり思っていたからだ。
「ああ、他は大体マジのことさ。皇国の中枢は見事なまでに浄化主義だし、他種族の根絶に何よりも力を入れてる。そのために国民は全員戦争に荷担させてるし、聞こえの良いお題目で多少は誤魔化してる」
でも悪じゃない、とガルシアは続ける。
「演説でも題材にしたが、この世界じゃ人類の方が鼻摘み者でな。やれ頭が弱いだの、早死にだのと似た姿のヒューマリアに蔑まれたかと思えば、貧弱だ、尾無しだ毛無しだとアニマリアからも馬鹿にされてる」
確かにそれは聞いた。我々はずっと虐げられてきた、それを撥ね除けるために戦ってきたとガルシアは雄弁に語り、兵士達は同調してたのを思い出す。
「聞いた話じゃ、どっちの言葉も互いの種族に向けたものだったらしいんだ。が、何時からか人類の事を指す言葉になったんだとさ。その代わりにアニマリアとヒューマリアは仲良しこよし、人類は共通のサンドバッグ、こんなのキレて当然なんだよなぁ」
「…………確かに、そう言えなくも」
「だから至極当然っちゃ当然なんだよ。こいつらが全員皆殺しの戦争を吹っかけてんのも、それに全力で取り組むのも。勝手な理由で差別されて良いように嬲られ、多種多様な姿の共同体から唯一弾き出されたんだ。
前のように仲良く暮らしたいって奴が居ないわけじゃあない。が、その数十万倍はぶっ殺したいって輩がいる。前者よりも後者の方が扱いやすいのは分かるだろ?
これからも同じ事が繰り返されるかも知れない、ならば無くしてしまった方が後腐れがない。その為に戦った先人のために、今を生きる仲間のために、これからの子らのために……そう言えばすんなりと戦意を高めてくれるからな」
「……………………」
どう答えれば良いのか分からなくなった。
別にどちらが正しいとか、間違っているとかで人を殺してきたわけでは無い。殺さなくちゃいけなかったから、そう判断したから殺してきたまでだ。
それでも。そんな心の引っ掛かりが出来た。
他人を殺す大義名分。皇国人がそれを根拠にして戦っているのならば、僕も同じ穴の狢だ。大衆の賛同や同調を必要としない分、僕の方がずっと劣悪で、卑怯で、自分勝手だ。
それでも、僕は――――――――。
「――――おい、またか?」
「わっ!」
肩を揺すられ、反射的に飛び退いてしまった。
「悪い癖だぞ、深く考え過ぎんな」
声をかけるガルシアの眼差しに少し影が見えた。気楽そうな光が、開いている瞼の裏にすっと隠れたような。初めて見る瞳だった。
「……何を」
心配してくれている。そう気付くまでに結構な時間が掛かった。
ガルシアが自分を案じている。その予測に僕は背中を寒くした。
今の心境を言葉に出来ないが、その理由には心当たりがある。こんな目を向けられたのは何時ぶりだろうか――――これほどに僕自身を見つめられるような視線は。
「そう怖がらないでくれ、らしいけどさ」
僕の感情は彼の方が理解できているらしい。
「前にも言っただろ、言えないだけでお前のことは大抵知ってるって。そりゃあ他人に知られると不味い過去があるのは分かってるさ、それは誰にも漏らしゃあしないし、お前に嫌われるようなことは間違ったってしたくもない」
そう言うと一度ハッチの下へと潜った。なにやら誰かと話をしている声が雨音に混じって聞こえてくる。
三十秒経たずに顔を出してきたかと思うと、下半身もハッチから出し、何を考えているのか僕の隣にどかりと座り込んだ。
「…………やっぱ怖いよな、他人に弱みを握られてるって思うと」
僕が距離を開けたのを気にしてか、力を無くして言った。
「俺は誰よりお前を知ってるって自負してる、だから今怖がってるのがよく分かる。その訳も…………優しさを怖がるのは知ってる仲じゃお前ぐらいさ、カズ」
「何の事だよ」
ぶっきらぼうに言うほか無かった。図星という訳ではない――――はずだが、彼の言うことに思い当たるところが無い訳でもなかった。
「失うのが怖かったんだっけか、お前」
「ッ!」
言っただろ、と少しだけしたり顔を見せる。その表情が――――自分が情けないと言いたそうな目つきが怖かった。
「大丈夫だ。俺は人型の知的生命が存在してりゃあ居なくならない。勝手に大切なものになって、勝手に居なくなるような真似だけはしねぇよ。お前がいっちばん嫌いな事だからな、だろ?」
そう言って距離を少し詰めてくる。
「……ハハ、ダメだな。どうすりゃお前の警戒を解けるかなんて考えもしなかった。こうなるなんて思ってもいなかったんだ。お前が俺を怪しがるなんてな……」
随分とらしくない言葉が出てくる。誰にも言った覚えのない僕自身のことを漏らし続けているが、これまで見せてきた陽気でひょうきんな面影は蓋をされたように感じ取れない。
「悪いな、支えるだの幸せにするだの散々言っておいて、俺までこう愚痴ってんだから」
「あぁ、いや…………」
言葉に詰まるものの、「彼に対する」恐怖や不安はもう無かった。
ここまで計算ずくでやっているのならいいカウンセラーになるだろう。僕がどんな行動に対してどんな風に反応するかを分かっているように、ガルシアは言葉や距離感を選んでいるように感じられる。
大した演技者だ。そこまでして心を開けさせたいのか。
開けて良いものだろうか?
信じて良いものだろうか?
不安からの疑念が問いかけてくるが、そう言ってる間は何も変わらない。
ここまで言ってくるんだ、ここまで迫ってきたんだ。
たまには人の理性と人情に賭けてみようじゃないか。
痛みに耐えるには慣れるほかない。そう考えるしかないんだ。
こいつにも、多分イリアにも。
「……ガルシア」
「ん、なんだ?」
もしかしたら、こんな天候のせいかもしれない。
雨は好きだ。きっと陰鬱で、物寂しくて、冷たいから。
「なんで僕にここまでしようとするんだ?」
僕は尋ねてみた。答え次第で信じようと思って。
「なんでかって? 今更な質問だなぁ……」
ガルシアは嬉しそうな、寂しそうな笑顔を作った。
「俺だってもう喪いたくないからな」
随分と話が逸れちまったなぁと、空気を変えるようにガルシアが言う。ずっと振る雨と共に流れてしまえばずっと楽なのだが、そう上手くいってくれるものでもない。
僕は彼の答えを巡らせていた。この連なりにどんな思いがあるのか、僕に何を伝えたくてそんな言葉にしたのか。暫く悩んだが、ありきたりなものしか思い浮かべられなかった。
「あ、そうだ。おいカズ」
「ん?」
「あんな話の後で悪いが、少し手伝ってくれ」
何を、と問うと、彼に少し活発さが戻ってきたように見えた。
「今日最後のイベントだ。保険という意味合いもあるが、一緒に楽しめればそれに超したことはない。いいか?」
ポンチョの中から右手が差し出された。革手袋が空模様を反射させている。
もう腹はくくっていた。多少の意欲も一緒に湧いて出てきている。
「うし、俺達は良いコンビだ」
手袋越しでも力強さは伝わった。




