38 大緒戦 三
「乗り移る?」
僕は問い直した。ああ、そうだと答えが返ってくるが、常識ではとてもじゃないが受け入れられない。これまでの経験から来る知識はどうにも棄てにくいものらしい。
自分はガルシアだ、お前のために働く。自己紹介は数日前のそれと差違は無かった。
「ほら、『悪魔』っつう言い方したろ? 実際俺ァ元人間だが、やってることはそう大差ない。こうして他人に乗り移ってるからな」
揺れる馬上で自分の頬を軽く叩く。外見は全く変わらず、中身だけが入れ替わっている。それをどう確認したものか――――他人の内面など知れたものじゃない。
「考えてる事はよく分かるぞ。赤の他人からああだこうだ言われても信用できる訳がねぇ」
僕の内側を透視するように彼は話し続ける。お喋りなところも「僕の知っている範囲」で本人らしいところだ。この本人というのが、「人格」に準ずる所なのが混乱する原因になりそうだが。
「けどよ、お前を認識できて、話も出来る。オマケにお前を知ってるって点では信用はしてくれるよな? ひとまず、『俺がガルシアだ』っつうことは」
そう言って視線をこちらに向ける。遮る物が無いとはいえ、進行方向をちゃんと見ていて欲しいものだ。
しかし、彼の言う通りでもある。外見こそ違えど、会話した限りではガルシアと似た特徴を持っている。お調子者で、快楽主義者で、他人の命を遊び道具にしていて、僕に対して狂信的なまでのお節介焼きだ。
落ち着いて考えれば良い。今受け入れる必要があるのは、彼の能力についてだけだ。
それさえ出来れば、全ての辻褄が合う。
「…………で、乗り移るのが能力なら、本体は?」
聞く必要の無いことをベラベラと喋られても疲れる一方だ。こちらから流れを持っていくほかあるまい。
「あ? ねぇよ、んなもん」
「えっ」
が、すぐに主導権を奪い返された。
「当たり前だろ」とガルシアが付け足す。「本体があるならそれで生きてるし、ねぇから賃貸生活送ってんだ。でも死んでるかと言われれば…………まぁなんだ、『言えないことリスト』に含まれた内容だな」
はぐらかし。ここもガルシアらしさだ。
「言えないことリストって何なんだ」
「俺達をこうした元凶が作ったリストさ。お前がここにやってきたのも、見えなくなったのも、俺が愛すべき我が家を失ったのも、そいつがやったことなのさ」
「元凶……」
「俺は会ったことあるんだけどな、お前が面と向かって挨拶するまではこれも『言えないことリスト』の範疇なのさ。実に回りくどい」
どんな人物かも言えないのか、と問うと、ほぼその通りだ、と返ってくる。
「でも少し考えれば分かるだろ。俺達をこんな状態にさせて、好きなようにほったらかして、それを見てニヤつくような…………これは言えるのか。まぁそんな人物さ」
そこで一旦は会話が終わった。陽が陰ったので空を見ると、件のキノコ雲が対流で広く伸ばされていることに気がついた。青空とはまたお別れか。
「…………そういや、普通に話してくれてるな?」
「え?」
話題を変えたのは分かったが、話す意義が分からなかった。
「いやさ、お前他人に対しちゃ大抵敬語使ってるだろ? 俺もてっきり警戒して喋らないもんだと思っててさぁ……ほんとに吹っ切れたのか、思い出してくれたのか」
「思い出す?」
何を思い出すというのだろうか。
「そう言うってことは、思い出せてないって事か。漏れなく『言えないことリスト』入りしてるから答えにゃあ期待すんな」
「…………」
はぐらかす言い訳のように使われているが、実際の所どうなのか。
知られたら不味いことなのか、単に知らないだけなのか。言いようによっては「思い出して欲しい」とも取れるが――――――――考えても仕方がないことか。
「……そう言えば、何処に向かってるんだ?」
「今ッ更な質問だな」
ガルシアに二割呆れられたような声を上げられるが、からかう目的でそうしているのは薄々察せた。
「まだ戦闘は終わってねぇ。お前が楽しんだんだから、今度は俺の番だろぉ?」
雨が灯火を反射し、耕された泥濘の中へ沈んでいく。
明かりが無くとも周囲は見渡されるが、頭上の暗雲は晴れる前よりも厚みを持っている。雷雨が来るときの暗さと言えば近いだろうか、不安になりそうな仄暗さだった。
ここに集められた人々の心情を、自然現象が汲み取っているかのように感じた。
集合地点。簡潔に言えばそんな場所だ。死んだ者、死にかけた者、辛うじて生きられる者、生きながらも死んだような者。生と死の物差しの上で、ここまで後者に傾いた場所もそうあるまい――――思いつくのは病院ぐらいだ。
総数は四百か、五百か。千はいない。
半壊ばかりの車両群と即席の塹壕で縁取られた空間は、その外側にある景色と比べなんと矮小なものだろうか。僕の見たあの大軍の影はどこにも映らない。
「なぁ、後方部隊は何してんだろうな」
僕の隣で誰かが口を開いた。雨音が鈍く響く天幕の下で、その言葉を聞く人間がどれだけ残っているのだろうか。
「…………知らねぇよ」
また一人が口を開く。その視線は投げ出した足先に向いており、汚れた布地にくるまれた誰かをじっと見つめている。
「何がどうしてこうなったんだ、勝ち戦じゃ無かったのかよ……」
「俺だってそう聞かされた。気を抜かなければ死にやしないって……自分の腕と国の技術を信じろって……」
喋る気力があるのはこの二人だけらしい。それ以外は聞く耳を立てるしか出来ないか――――喋る口が無くなっているか。
僕が何故こんな所にいるか。発端は言うまでもなくガルシアだ。
この集落の外縁で「お前はただ待ってろ」と言って降ろしたが早いか、さっさと中央に向かって消えてしまった。
何をするかは知らないが、こちらも派手に暴れたせいでやる気がどうにも湧いてこない。ある意味で願ったり叶ったりの展開なのかもしれない、と半分言い訳の弁解を考えたうえで、こうして燃え残りの中に混ざっているのだ。ここは衛生兵以外に動く気のない人ばかりなので幾分気楽に構えられる。
「でも、あんなの、どうしろっていうんだ」
片割れが問いかける。よく見れば軍服の片袖に腕が通っていない。
「……実際に何があったんだ? 最前線の奴らは見つかってすらいないって聞いたぞ」
答える方は左膝から先が無いように見える。見事にステレオタイプの傷痍軍人だ。
「当然だろう……あの爆発、遠かったのに腕が吹っ飛んでたんだ。爆心地にいたら…………クソッ、あそこには同期や友人が何人もいたんだぞ」
「俺だってそうだ! 誰だってそうだ……」
雨音が少し強まってきた。そう感じたのは会話が途切れたからだろうか。
もし、その元凶が自分の直ぐ傍にいると知ったら、何を思うだろう。
僕の姿が見えて、声も聞こえていたら、僕は彼らに伝えることが出来る。そうしたら、この人たちは怒りに身を震わせられるのだろうか。瀕死でも、復讐に身を投じようと考えるのだろうか。
試してみたいが、出来たものではない。その代わりのように、僕は横たわっている人々をひとりひとり見渡すことにした。
応急的に張った天幕の下に何十人という負傷者が詰め込まれている。ベッドなど有るはずがなく、ずさんな手当の傷口は滲んだ血と土で汚れ、泥と鉄と他人の臭いで目眩がしそうなほどだ。雨露をしのげる分、それでも外よりはマシなのである。
手の施しようが無くなった衛生兵に対して必死に藻掻いて助けを求める者もいれば、その元気すら失せて胸を微かに動かすしか出来ない者も少なくない数がいる。既に事切れた兵士には覆いがされていた。
「…………確か、俺達の後ろにも部隊はいたよな」
腕無しが吐息のように漏らす。
「ああ、兵站と砲兵隊と……本部隊に、予備部隊だったか。今頃俺達のために再編成してくれてるだろう、そう思いたい」
「ああ、だがどっちにしろ攻勢は中断するだろう。こんな目に遭って攻めようなんて思いもしないだろうしな…………思わせるのが狙いなのかも知れないけど、俺はもう御免だ」
そうだな、と互いに声を潜めて頷き合う。
「生きてるだけ幸運なんだろうが、こんな姿見たら妻はどう思うだろうなぁ」
「結婚してるのか、じゃあ何だろうと生き残らねぇといけないな」
「あんたはいないのか。モテそうな奴だと思ってたんだが」
「居たには居たさ……この出征前に振られたがな。でもそれで正解だ…………上手くいってたとしてもこれじゃあ悲しませるだけだからな」
その会話で僕はやっと思い至った。
何気なく殺してきた人にも、ちゃんと家族が居るんだ。
全く考えることも無かったが、溶けたのも、吹き飛んだのも、頭を撃ち抜かれたのや、ついさっき爆ぜたあの男にだって、帰りを待つ人が居たのかも知れない。いや、きっと居たことだろう。
だから何だと言うのだろう。
気づいて、少し羨ましいとは思った。が、それ以上に面倒だと思い直した。
大切な誰かを護るために戦う、確かに理由としてはままあることだ。
けど、他人ほどに理解しがたい事は無いし、維持管理するのが難しいものも無い。命を張ったところで応えてくれる保証は何処にもなく、人の心は一日の間に幾回も変化し、全ての行動に保障というものがない。そんなものを欲しがったとして、ただただ苦労するだけだろう――――――――。
これは持たない者の僻みなのか、そう思いたい年頃だからなのか。
少なくとも、軽い自己嫌悪を引き起こしたぐらいで事は済んだ。隣の芝は青く見えるものだし、持たない方が気が楽だと思っているのは今に始めたことでもない。
溜息をついて、雨の匂いを吸ってこようと立ち上がった時だった。
天幕の外から幾人かが、何やら機材を運び込んできた。足の踏み場もそれなりにしか無い中をおっかなびっくり進み、おおよそ中央にそれを置いた。
「無線機じゃないか。どうしてここに?」
「いや、全員に話が聞こえるように持って行けと言われただけで、多分誰かが何かを話すんだろうけど……」
そんな会話が聞こえてくる。それだけだが、何故だが僕は「ガルシア」が仕組んだことだろうと踏んでいた。
誰も踏まないよう、音を立てないように雨が当たる地面の上に出る。
何をするかは分からないが、あいつのお遊びに巻き込まれでもしたら目も当てられない。それらしい人物の近くに居た方が対処もしやすいだろうし、何をするかが聞ければ多分どうにか――――――――。
ちょっと待て。
無線機。それらしい人物。ふと思い当たる記憶があった。
シナ村での出来事。あの奇妙な通信士。成り行きで仲間を殺し、最後は僕が始末した皇国兵。彼もまた、ガルシアの特徴を持ち合わせていたような。
もし他人を乗り移っているのが事実だとしたら、僕に接触する前からあいつは側に居たのか? 僕の仮説が正しいとしたら、少なくともあの時から僕の側に居たことになる。
他人の中身は見分けられない。シュレディンガーの猫で例えるのは少し違うかもしれないが、本人に確かめるまで――――他人かガルシアなのかを見分けることが出来ないのだ。
彼の言い様から思うに、他人であれば乗り移れない理由がないように思える。
だとしたら――――――――間違いなく、敵にしてはいけない部類の存在になる。
そんな奴が、僕のために尽くす?
どんな裏があるんだ、何が目的なんだ。
不信が湧いてくるが、しかし相対するように、無根拠な信用もまた僕の内にある。
彼が思い出して欲しいものがあるのなら、それが彼の利になるのなら――――少なくとも、それが判明するまでは僕が警戒するようなことをする事もあるまい。そんな稚拙な理屈を僕は信用する理由にしている。
ただそれとなく、知っているような。そんなものよりかはマシだと思いたく。
「残存する、これを聴く全ての兵員に告ぐ――――」
ガルシアを内包する肉体を探していた僕に、微かだが、芯のある声が聞こえてきた。
ああ、そこにいるのか。
その声が聞こえた方、幾つかの人工物の向こうに、雨に打たれている人影が見えた。彼は何かの上に立っていて、コードの付いた何かを口元に近づけている。
彼はアマチュアの演出家だ。短絡的で、ありきたり。
だが、一般人の僕からすれば、十分に雰囲気のある佇まいだった。




