36 大緒戦 一
状況を飲み込む速さと事実の突拍子さは反比例する。
ありふれた出来事の把握に思考は要らないし、平和ボケした国でテロが起きれば理解及ばずに呆然とする。人と言うものは――――まぁ生物は須くそうなのであろうが――――意外なことにとても弱い。
それを再認識するに足る事が俺の隣で起きた。隣と言っても数メートルの距離があったのだが、被害からすれば境界線ギリギリに立っていた。
緑か、黄色か……そんな色の眩しさに、オーブンの中にでもいるような熱気、それで焦げた人間の匂いが突風に押されて俺の元へとやってくる。
音もしたのだが、聞いたことも無いようなものだったので言葉に困る。
溶ける音というのか、燃え切った手持ち花火をバケツに突っ込んだような音が数十倍凶悪になったような音が聞こえた。それと耳鳴りがしそうな高周波も。
比喩抜きで一瞬の出来事だった。気付けば直線上にいた部隊が文字通りにいなくなっていて、その地面は表面真っ黒焦げのトマトになっていた。幅八メートルはそんな惨状で、最前線から後方まで、地形をまるで無視してきれいな空間が出来上がっていた。
周囲の奴らも困惑すら出来ない状態だった。何処から飛んできたのかも分からない、誰かの腕が一人の顔面を捉えても、飛んできた物に対する反応だけ。「何が起きたんだ」という声も、「敵の攻撃か」という声も上がらなかった。
なんともまぁ、仲間が死んだというのに薄情な感じがする。やる側からしても楽しくないだろう――――――――理解させる楽しみがあると言い換えることは出来るが。
暫く様子見してると、こうなった原因が空に向けて「打ち上げられた」。やっとそう理解できて、それで色々と合点がいった。
ははぁ、アレかぁ。
随分いい玩具を貰えたもんだと少々羨ましく思いながら、さて自分はどうしたものだろうかと空をじっと見据える。
切ったのか、蒸発させたのか。どっちが正しい言い方なんだろうなぁ。
隙間から見事な空色が覗いていた。
弦楽器のイントロが聞こえる。音階を昇り、それに釣られて心情も押し上げられていく。
僕は暫く音楽に集中した。金管楽器の主旋律、滑らかで力強い伴奏。多少なりとも感情は音楽に引っ張られるもので、多少は「どうするか」に思考を回せるようになる。
再び弦楽器が主役に戻ったところで、右手の操作に意識を回す。
最初の出力が「ざっくり三割」で、次の照射は「さっきよりもちょい低め」という認識だ。数値で認識させて欲しいものだが、物言わぬ機械に――――その括りに入れて良いのか分からないが――――愚痴ったところで仕方が無い。
親指を動かし、「微々たるものに過ぎる」程度に下げた。この認識と実際の威力とが相反しすぎてるせいでさっきの始末だ。このまま使うのは危ない上に非効率だ。
敵の分布を確認すべく見渡す。カロが言っていた通り、何万と思える人の海がそこにあった。右から左、手前から奥まで人のいない空間が無い。幼稚な語彙だが、まさしく運動会の大行進を始めんとばかりの整然さと静かさが広がっている。
こちら側に超えてきたのはもう溶けたか、飛んだか、消滅したか。超えてきてないのはじりじりと後ずさりしているが、全体としては動きを確認できない。
確かめるためとはいえ、損害は与えるべきだろう。
照準を左の端に向け、薙ぎ払うことをイメージしつつ腰を落とす。
どうせ反動で身体が捻れる。三割で何回転もする羽目になったんだ、予めそう考えていた方がやりやすい。
「ふぅ……すぅ……」
息を整え、引き金を引く。直ぐに右腕が後ろへ持っていかれる。
予測通り、焦る要素は何もない。
「…………こんなものか」
人差し指は直ぐに離したが、僕の身体は浮き上がり、一メートルほど下がる間におよそ半回転した。着地するときにつんのめりはしたが、なんとか踏みとどまる。
視界もまだ保てたために威力も見られた。
赤褐色の光線が手元から伸び、およそ十度ほど薙ぎ払うように照射されたのだが、振り返ってみればその部分が焼け焦げている。先程のように溶けてはいないが、この被害ならまさしく「火炎放射器」と呼ぶに値するだろう。
辛うじて見える群衆は炭になったのと灰になったのとで大別でき、身体の大部分が燃え溶かされた残り、燃えて蠢く身体はんぶん、寸断されたもう下半身が燃えるのを見つめる上半身に、飛んだ火の粉を払いきれずに火が付いた五体満足と言った具合に被害は縮小していた。
随分な兵器だが、最初のあれを見た後ではどうもすっとしない。
これでは精々百メートルほどしか加害半径は無いし、何より時間がかかりすぎる。
出力を「まだ低すぎる」ぐらいに上げた。
右腕を身体の中心に収めて、照準を僅かに下に下げる。今度は動かさず、少し長めに照射してみよう。
「うおっ……と」
紅色の光に押し込まれ、思ったよりも後ろに飛ばされる。歩いてきた三分の一は戻され、抉れた地面に足を取られかける。
その際に足を捻って鈍い痛みを覚えるが、思い切り地面を踏んで痛くないことを「分からせる」。思わなければ痛みは直ぐに消える。
死ぬ以上の痛みを味わう羽目になる。それを代償と思えばすこぶる便利だ。
しかし、これは。
出力をまた少し上げ、「まだまだ低い」ぐらいにする。
さっきと同じ要領だ。着地をミスって転がってもなんとかなる。
鈍い橙色の軌跡を見ながら、内臓が押しつけられ、浮き上がる感覚を味わう。
あの時のトラウマで高いところが苦手になっていたが、何、痛くなければなんと言うことは無い。そもそも死にもしないのだから恐ろしい物など何も無いに等しいのだ。
「…………やっちゃったなぁ」
少し飛びすぎてしまった。数秒間の滞空時間でそう思う。
「ぐっ!」
「うぎっ!」
脇腹に鋭い痛みと、僕の悲鳴に重なるもう一つの声。
勢いを相殺するように転がる事が出来なかったが、代わりに誰かが――――ガルシアのようにクッション代わりとなってくれた。
「あうっ、クッソ……冗談じゃないぞ……」
痛みの根元を見てみれば、何とも見事に、深々と小銃が突き刺さっていた。厳密には「銃剣」が刺さったのだが、射出の勢いと体重とで銃口が体内に押し込まれていることに、最悪なことだが理解できた。
この数分間でどれだけの痛みを経験しただろうか。
落下、燃焼、蒸発、刺突。もう五回ぐらいは死んでいても可笑しくない。
歯を食いしばって引き抜いた銃剣に血は付いていなかったが――――下敷きになった犠牲者のものだろうか、背中と手にしっとりとした感触を覚えた。
「……おい、何が起きたんだ。分かるか?」
誰かの声でようやく周囲に気が向いたが、直前までの自分の間抜けさに笑いたくなった。
イヤホンが片耳外れていなければまだ呆けていた所だろう。
「いや、お前の銃が吹っ飛んだかと思ったら、マティの奴が……」
「何に押しつぶされ、うぷっ。悪い、吐く……」
僕の周囲は人だらけだった。同じ軍装、武装、表情。
「……俺達どうすりゃいいんだ? 隊長は警戒して待機しろとしか言わねぇし、アレ見ただろ?」
「ああ、何もない所から光が伸びてた。向こうの新兵器か……?」
年齢はある程度の幅があるものの、平均と中央値は二十代から三十代といったところか。
「……考えても仕方なさそうだろ。それよりマティをどうにかしないと。さっき動いた気がしたんだ……まだ生きてるかもしれない」
囲まれてどうしたものかと悩んでいると、集団は最悪の選択をしてきた。
不味い。避ける隙間なんてない。居ることがバレる。
思考はそこで止まっていて、ほぼ無意識に身体が動いていた。
慌てていようと落ち着いていようと、行動自体に変わりはなかっただろう――――が、前者の場合は間違いなく目も当てられない結果が待っている。
「いつぅ!!」
今回は言うまでもなく前者だ。
後頭部が地面に引っ掛かり、上半身が眼前に一瞬として迫ってくるように見えた。
勢いで首が分離することも無かったが、その引っ掛かった場所が問題だった。
「あつっ、なぁあくそぉっ!」
熱した砂糖水の如く、人を殺せる土は僕の後頭部をコーティングした。
照射の勢いは収まらず、地面が十数メートル頭上に見える。
風が耳元で騒がしいが、それ以上に頭が熱い。比喩抜きで脳味噌が沸騰――――蒸発しかねない。
恐怖はなかった。抵抗も考えられなかった。
必死に先駆物の射出口を顔に向け、出力を気にすることなく引き金を引いた。
言葉じゃ足りない、経験しろとしか言いようのない感覚が顔を包み、一瞬見えた空色が目に焼き付いて離れない。
「…………ああ。畜生、踏んだり蹴ったりだ」
照射の瞬間、地面の染みになりかねない衝撃が右半身を襲う。
光は瞬きで消え、あの説明し難い痛みは全身を焼かれるそれに置き換わった。
もう叫ぶ気力すら起こらない。滅茶苦茶だ。
意識を向ければ、出力は「結構それなり」になっていた。咄嗟に親指が動いてしまったのだろうか。
今のところ一番の出力で、その威力は――――僕の半身が埋まっていることを考えれば分かるだろう。
「んんっ、クソ……がぁ!」
ずぼりと頭を抜き、粘っこい土を順番に払い落としながら立ち上がる。
右耳のイヤホンは文字通りに消滅し、第四楽章の音色も共に姿を消していた。が、悲鳴や怒号の類はそれほど聞こえてこない。あるにはあるのだが、一番被害の大きいはずの僕の周囲からは全く声が上がっていなかったのだ。
見渡せばそれも当然、そう納得できるだろう。
「全力出さずに、この様なのか……」
僕は感嘆を通り越して困惑した。
地面が抉れて赤熱していることに変わりは無いが、幅が文字通りに桁違いだ。
反動で上手いこと全周を薙ぎ払ったのだろう、僕を中心に半径五メートルほどを除いて溶岩地帯のような有様になっていた。数歩歩けばマグマの海に飛び込める。
照射のブレで被害を免れた部分もあるが、それでも三百メートル内に炭化していない物質が無かった。
そこから先も地獄の鏡写しのようで、延焼に巻き込まれた兵士や、助けを求める――――巻き添えにしようとしているようにも見える――――彼らから逃げる兵士が眺められる。
乾いた破裂音すらもこの大騒ぎから聞こえてきた。苦しませまいとする鎮魂の言葉か、死にたくないという生者の叫びか。
暫く眺めていると、ふと感覚に違和感を覚えた。
熱気しかないはずのここで、冷凍庫に入ったような肌寒さを感じたのだ。
既に身体の痛覚は滅茶苦茶で、痛いのも痛くないのも一緒くたになってしまっている。その為に「どこが冷たいのか」という簡単なことの為に体中に意識を回す必要性が出てきてしまったのだ。
上半身、下半身、左脚、腕、右脚、腕。
向ける度に姿を現す激痛にも慣れつつある中、ようやく突き止める。
右手だ。先駆物だ。
体中火傷を数倍酷くしたような痛みの中でここだけが冷たい。
理屈はさっぱり分からない。カロが説明し忘れたのか、或いは機器の異常なのか。知識が無ければ判断が付かない。
温度がどうこう作用したわけではないが、なんとも熱意が削がれてしまった。
無線機を何処にしまったか、と探り始める。
先駆物も先駆物だが、こんな状態で燃え上がりもしない革靴とズボンもどうなのか。そんな事を考えていたが――――。
「…………何だ?」
重い音が重なって響いてくる。聞いたことが無い音ではあるが、この爆発に近い音の主が何であるかは想像できる。
「砲撃音」から一秒経たない内に「落下音」が、そしてすぐに「着弾音」が届いた。
懸念はこの時点で確定事項になった訳なのだが、こうなってからではもう遅い。
「うっ…………」
悲鳴が上がるかと思ったのだが、爆風やら破片が体内を通過する痛みやらでそれどころではなくなった。 轟音で耳鳴りがして、吹き飛ばされて三半規管が使い物にならなくなって、どうにも体内に破片が残ったような痛みが実に不愉快である。
「あつっ」
背中から落ちた先はまだ固まってない地面だった。練り飴の中に飛び込んだような柔らかさで僕を抱き留めるが、その熱意は尋常じゃなく僕を焼き殺しにかかってくる。
痛いことよりも動きにくいことが頭にくるようになったのはどの時点だろうか。
沈んだ体で藻掻いてる内に二度目の砲撃が聞こえ、また砲弾が降り注いでくる。
空を見上げていたために分かったが、見えただけでも二十発は飛んできていた。
「………………はぁ」
そろそろ何も考えたくないと思うようになった。
熱いのも寒いのも痛いのも気持ち悪いのも、全部考えなければどうとでもなることだ。
「…………どうせなら直撃させてみろ、この野郎」
パラパラと破片が奏でる不定期なリズムに耳を傾けながら、僕はそう呟いた。
もう沢山だ、僕は何のために戦ってる? ただあいつに連れてこられただけだ。
こうなった張本人は既に死体で、その仕事は僕一人に押しつけられて。
三度目の着弾。残念ながら至近弾。
そもそもだ。
何で僕はここに居るんだろう。誰に連れてこられたんだ?
この世界に連れてきたのは、こんな目に遭わせたのは。
何の因果で僕は溶けた土に浸かっているんだ。どんな罪で僕は死ねなくなってるんだ。
「やってられるか…………クソ、ちゃんと狙え」
四度目の着弾。大ハズレ。
分かってる。馬鹿らしいほどに分かりやすい現実逃避だ。
僕がどれほど愚痴って不満を露わにしたところで、この現状が変わることはない。もし変えたいというのなら、これ以上地面に沈む前に身体を起こして、残ってる皇国軍をまた殺して回るしかない。
何で殺す必要があるのか。これまでは自分の意思で殺してきた自負があるが、今回はどうも違う。
ガルシアにあれよあれよと連れてこられ、右手にあるブツも彼が指示した物品だ。
彼が引き受けた仕事のはずだろう。なぜ僕が率先してやらねばならないのか。
「……止めだ、考えるのは終わり。何のために曲を聴いてたんだ」
面倒でもやるしかない、と上体に力を入れる。温かい布団の中に潜っているように思えてきた地中から抜け出して、また戦うんだ。
五回目の砲弾がやって来たのだが、それどころではなくなった。
右腕がびくとも動かない。どれだけ力を込めようと、まるで地球を持ち上げるかのような感覚しか返ってこない。
まさか、と思って見てみれば、予測は大当たりだった。
「マジかよ、固まってる」
先程の冷気は現実だったと言うことだ。先駆物のある部分を中核に真っ黒な塊が出来上がっている。対流が起きているのか、周囲の土がねっとりと潜り込んでいくのも観察できる。
が、それもまたどうでも良くなった。
何が起きたのか。気づく前に五感の全てが消失した。
考えることしか出来なくなったが、現状を把握しようとは思わなかった。
理解が追い付かないことや、理解などしたくないことばかりだ。疲れたし、痛かった。
暫く休みたい。心身の疲れが取れたら考えればいい。
飛ばされているような、浮いているような。何にという訳もなく流されているような気がする。
微かな浮遊感に纏われ、無の世界を暫く揺蕩った。




