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34 遊覧飛行


「ところでさ旦那、聞いてもいいかい?」


 空に上がって十数分経った頃、背に乗せたガルシアにケーリティが問いかける。


 眼下の景色は自然だけになっていた。思っていたより規模の大きかった街も、それらを繋ぐように広がっていた塹壕も、振り返ったところでもう見ることは出来ない。


「おっ、なんだい?」


「あんたさ、バルシィの背負ってるのが『死神』だって言ってたけど……あんたは何者なんだい?」


「あ、やっぱり気になる?」


 まだ数度しか会話が進んでいないが、あの二人が気の合う友人になりそうなのがそれとなく分かった。彼女も法螺話が好きで、きっとそれを肴に強めの酒でも煽るのだろう。


 対照的に、僕を乗せているこの男は全くもって喋らない。群青色の瞳は揺らぐことなく前のみを見つめ、回した腕からは力強い筋肉の流動が伝わってくる。


「そうだな……言ってもいいんだが、絶対に落とさないでくれ?」


「ハッ、そこまで肝っ玉は小さくねぇから安心しなね」


「そっかい。身の丈に合ったディナーと宿を見つけたら相手してくれるか?」


「バルシィが許してくれたら、だね」


 前方上空を飛ぶ二人がこちらを見るが、話題の本人は表情も動きも全く乱れない。


 寡黙なのか無頓着なのか。どちらにせよ見習いたいものである。


「まぁ冗談だ、どうせこの身体であんたらと会うことは無い上、言ったところで冗談半分でしか受け止めないだろうからな」


 どうせ、皇国のスパイか何かだと思ってるんだろ、とガルシアが大げさな素振りで言う。


「聞いたら殺す、なんてことをしないで欲しいね。やられる前に振り落とすよ」


「大丈夫、俺たちゃどっちの側でもねぇからさ」


「は?」


 ケーリティが疑問符を浮かべるが、それは僕にも幾らか当てはまる。


「今は訳あって聖王国側に付いてるが、国家なんていうでかい枠組みはなんとも実感し辛い。俺みたいな小物は一人に付いていくのが一番まともなのさ」


「それが、死神さまってことかい?」


「そそそ。俺も俺で人間じゃ無いからな。この身体は一種の依り代だ」


 また戯言だろうか。彼の言葉はどれもこれも事実だと言いたげだ。


「俺はな…………悪魔なのさ。そこの死神様に仕えて、許される範囲で好き勝手したがる――――自覚はしてるんだ、だから諦めてくだせぇ!」


 話し相手を急に僕へと変える。元から常識人とは思っていないが、ますます関わりたくない人物へと天秤が傾いていく。


 僕に付け入って何をしようというのだろうか。


「悪魔、ねぇ……旦那の喋り具合だとまぁそれは信じるけど。教えてくれ、どこまでが冗談なんだい?」


 ケーリティが高度を下げ、バルシィもそれに続いた。

 頭上を雲の末端が通過し――――見たくもない眼下の色彩が少し戻る。


「その言葉が出た時点で一つトリビア、悪魔は嘘をつけない」


 あれだけ言っておいてそれは無いだろう、というケーリティの顔を見てまた愉快そうに笑みを浮かべる。


「分かったよ、旦那の言うことは話半分に聞いとく」


「そうだな、誰に対しても一定の効果がある対処法だ」




 満足げなガルシアの声から数十秒、風を切る音だけが響く。




 高度がどれほどか、正直に言えば分からない。近所の山頂から見た景色すら地上に靄がかかることが無かったし、飛行機になんて乗ったことも無い。



 飛ぶことがこれほど不安に感じるのは、命綱がフック一つしかないからだろうか。

 それとも、これからすることの規模の大きさがのし掛かっているからなのか。


「旦那。あんたの口からちゃんと聞きたいんだ」


 少し戸惑いのある声でケーリティが口を開く。


「何をするつもりだい、たった二人でさ」


「死神と悪魔が手を組んでるんだからな、やるこた決まってる」と比較的真面目に。


「俺たちゃ生死に関する仕事をしてるが、自分の生死には無頓着だ。死神様は死ぬわけが無いし、俺はあんたやあいつや皇国軍どもがいる……いっそあんたに乗り移るのも良いな!」


「わっ! ちょい待った! おい旦那、何処触ってやがるゥ!」


 誠実と馬鹿の中間を取る選択肢が無いものか、二人の影が一気に急降下した。

 それでもバルシィは安定した飛行を続けている。視線だけが二人に注がれて、そこから感情を感じることは出来ない。


「…………!」


「うあっ!」


 が、彼の眼が一度前に向いたと思ったら、視界が急にせり上がった。

 身体が振り落とされそうになり、必死に彼の首に腕を回す。気圧差で耳が詰まり、雲海の中に入ったからかシャツが湿ってくる。それが風で冷え、気温もますます下がっていく。






 上がっていく高度に背筋を凍らせる思いを感じながら、目も開けられない突風に耐えていた。












 感覚でしか無いが、空間が開けたような気がした。

 瞼の向こう側が明るく、風の音は左右で違っていた。




 おそるおそる目を開ければ、雲の狭間に出ていることが分かる。

 左右には雲の壁があるものの、下に立ちこめる厚さと比べる程でもない。開いた上方からは断続的に日光が差し、その壁にグラデーションをかけていく。



 僕らの上に一羽の鷹が飛んでいる。ハーピーではない、見慣れた獣の姿だ。



「居た! …………あれ、あたしらなんでこんな所に?」


「慌てすぎて記憶喪失起こしたか? ひとまず隣に着こうぜ」


 後方から声がして、あの二人が来たことに気付く。


「カズ、大丈夫か?」


「大丈夫も何も…………」


 別に言う必要は無い。彼の顔からそう思った。


「なぁ旦那、あたしゃどうしちまったんだ? あんたがふざけて、バルシィが上がってくのが見えて……気付いたらこうなってた。元から物覚えの良い頭だと思っちゃいないが……」


「俺がセクハラした瞬間に事が起きたからな、条件反射みたいに動いてたんだろうよ。何処かで聞いたが……そうそう、『危ないと思ったら上に逃げろ』だっけか?」


 前の戦争での教訓なんだってな、と少し自慢げな顔。向こう側は本当に感情豊かだ。


「……バルシィ、見えたのかい?」


 その言葉に彼は頷き、僕の身体が前へと引っ張られる。


「はぇ。ハーピーの眼は随分と良いって聞いたが、ここまでとはなぁ。あと何キロ?」


「あいつの眼はピカイチだ、十キロは先だろう」


「うあわっ!」


 バルシィが首を振ったせいで重心がずれ、吊り下げられるかと思った。


「相方が死神様を落としそうだ。なんであいつは喋らねぇんだ?」


「別に喋らないといけない決まりなんて無いからね。で、違うのかい?」


 今度は頷く。別の所にしがみつくべきか。

 羽毛に半分埋めた視界で、バルシィの指が折られたのが見える。自由に動かせるのは四本で――――人のそれと同じように考えればだが――――中指と薬指が折られ、二人を指さすような手になった。


「へぇっ!? あんた、それマジかい!?」


「ぬぉ! 落ちる落ちる! 落ち着けって!」


 何処までも対極を目指しているのか、同じ状況になってもこちらは「だんまり」のままだ。


「悪い旦那、でもあの調子じゃもう真下に…………」


 歯切れの悪い調子でケーリティが続ける。


「そういや、何処で下ろすか聞いてなかったね。一度引き返して下りるかい?」


「いや、別に地上まで下がる必要は無いな」


「えぇ?」


 二人の方に近づけてくれ、という彼の指示に従って距離が縮まってくる。


「もう何が何だか、あたしの頭じゃ追いつかなくなってる。けど、あんたらがとんでもないことをしようとしてるのはなんとなく分かるさ。こんな客初めてだよ」


「そいつは……光栄と言うべきか、迷惑客と言われるべきか……」


「旦那、何してるんだい」


「あんたが不安に思ってることだろうさ。一つ聞いておきたいんだが……」


 フックが外れる金属音が妙に響いて聞こえ、風を感じたいように彼は上体を反らせた。


「あんたが俺の二倍大柄な奴を運んだのは聞いたが、相方も同じぐらい持てるか?」


「質問の意味が理解できないぞ。一体どうするつもりだい?」


「見れば分かる。どうなんだ?」


「そりゃ、あたしよりもビッグなんだ、一度は怪我したあたしと荷物ごと運んでくれたこともあったけど……何するんだい! 冗談じゃ済まないよ!!」


 ケーリティが叫んだときには、雲の底に映る影が三つになっていた。



 間違いなく、彼の奇行は誰もが予感していて、実現して欲しくなかったことだろう。



「……うおっしゃいけたぁああああああ!!」


「んぐぐっ! なっ、何してっ」


「何って死神様、下りる準備しなきゃですやんか」


「ちょいと旦那! あんた本当に狂ってるんじゃないんかい!?」


「そりゃそうさ! じゃなきゃ悪魔を騙れるかこの……この……トリ頭!」


「ふざけないでくれ! 離れろ! クソっ!」


 僕の上に覆い被さり、必死に抵抗する僕の腰からフックを取り外そうとする。

 正気がどうとかというレベルじゃない。快楽主義者のクソッタレだ。


「急いで下さいよ全く! もう予定地なんです、怖くてしがみついてるんじゃ死神の名が廃れちゃいますよ! こんな抵抗するほどですか!?」


「止めっ……このぉっ!」



 らしくなく――――と言うのはナルシズムに尽きるかもしれないが――――思考をすっ飛ばした行動だった。



「あっ」



 一瞬の時間が二秒ほどに伸びたような気がしたが、僕らを背負っていた二つの影は緩むこと無く前へ上へと小さくなっていく。




 彼の行為に堪忍袋の緒が切れて、振り落とそうと組んだ腕を外したのがいけなかった。




「やっとだ! 落ちるぞおおおおおおおおっ!!」


 ガルシアの嬉しくてたまらなそうな声に並んで視界が半回転し、頭から雲へと落ちていく。浮かんだ内臓が脚の方へと押し込まれる感覚が襲う。



「なっ…………」



 頭が思考を放棄しかけていた。




 落ちている。空から落ちている。




 地上から何メートルだ? あと何秒で地面に叩きつけられる?




 そんな疑問が一瞬で浮かんでは答えを待たず消えてゆき、そして一つの行動を決めた。



「…………なにしてんだこの野郎があああああっ!!」


 僕はあらん限りで怒鳴った。とても久しぶりに喉が震えていた。


「何って、落ちてるんだよ! あと二十秒もねえぞぉ! フー!!」


「馬鹿か! 阿呆か! そこまでして死にたいか! なんてことしてくれたんだ!!」


 考えずに声を張り続けていた。ここまで残っていたものかと思えるほど、感情がそのまま口から漏れ続けている。


「別に良いだろ! 俺は死ぬがお前は死なない! 下りるよりも落ちた方がある意味安全でスピーディなんだよ! 痛いのはやだからお前がクッションな!」


「はぁ!?」


 僕が振り返っても、ガルシアは背中に張り付いたままだ。雲を抜け、視界の端に地平線が見える気がする。


「ああダメダメダメ! 俺が下だと壊れちゃう! サンドイッチのスパムにゃなりたくねぇよぉ!」


 神経を逆撫でするような声で再び僕が地面に近くなる。負けじと再び空を向く。


「どうしてこうなるんだ! どうして僕を巻き込むんだ! お前は一体何なんだよぉ!!」


 結果として、どちらが地面とキスするかのチキンレースが始まった。


 上下感覚などあっという間に消え失せ、入れ替わるように見える地面がどんどん近くなっているのがひたすらに怖かった。

 避けられない運命を誤魔化すために、僕は彼に罵声を浴びせ続けていたのかもしれない。


「もう時間がねぇ! ひとまず足止めしてからなぶり殺……あっこれ俺が」




 声が唐突に途切れた。代わりに重く鈍い音が身体全体に響いた。






 右腕が潰れて感覚が消えた、ような気がした。



 三回転か四回転半、遠心力で伸びた左腕が叩きつけられ、肩から先が無くなった気もする。胸に何本かのナイフを突き立てられもしたようだ。





 もう一度小さく跳ねて、土をコーティングするように僕は転がり続けた。



 下を向く度に奥へ刃先が突き立てられ、腕や脚があらぬ方向へ振り回されている感覚を味わう。











 止まって暫く経ったのだろうか。


 声どころか、呼吸すら出来なかった。


 考えることも出来なかったが、意識だけは明瞭だった。



 痛いのを見て見ぬ振り、というのが正しい表現なのだろうか。僕はそんな状態だった。








 瞑っていた目をおそるおそる開くと、僕は曇天の空を仰いでいた。


 それを待っていたかのように、体中の芯が悲鳴を上げるのに気がついた。あの崖から落ちたときの痛み。


 あの時は軽い全身打撲と骨にヒビで済んだが、今の僕の身体はどうなっているのだろうか。きっと酷いことになっているのだろう。関節が何処かも分からず、くしゃくしゃにした紙人形の有様に近くなっているのかもしれない。




 何故死ななかったのだろう、と思い至ったところで、ある物を思い出す。


『今の僕は生きても死んでもいない』という、差出人が不明の紙切れ。





 風が頬を撫で、冷えた身体が身震いをしたが、痛みが激しくなることは無かった。


 痛覚は生体の危険シグナルだ。怪我をすればあらゆる面で不利になる。それを避けるために痛覚はあって、あえて不快な感覚としてあるはずなのだ。



 今の痛みは、単に「それぐらいのダメージを受けたんだ」と思わせたがるぐらいにしか感じていなかった。思い返せば、これまでのことも全てこの例えで表せる。



 右手を握った。先駆物のグリップを握る感触が戻ってきた。


 左手を握った。虚空を掴んだ。


 一度深呼吸をした。肺も心臓もまともに動いている。



 そうしてようやく、僕は身体を起こした。

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