33 悪魔を騙る悪魔
空模様と同じように、その男の心情も陰りを見せていた。
予想にもしない速さの再侵攻、報告と違う皇国軍の動き。この街に残った戦力は元の半数にも満たず、訓練も不十分な人員ばかり。
「……何奴か」
この地と住民の保護を義務づけられた団長の参謀である山羊の耳に物音が届く。今後の行動を決めた後の会議室には彼以外の関係者は居ない。
実直な言い方をすれば、この部屋に入るためには相応の権力が必要なのだ。
なのだが――――今入ってきたこの男にはそう言う類のものを感じられない。
「どうやって入った。何が目的か」
山羊は柄に手を掛け、数メートルの間を置いてその人物と対峙する。彼には幾らか武の心得があり、それが目的を聞き出す余裕となっていた。
「何から答えれば良い。俺は誰? 入れた理由? しにきた事?」
ヒトの顔をした騎士は綽々と答えた。義務を背負わないような顔立ち、束縛されるのを嫌う者だろうと山羊は推察する。
「貴官、皇国の手の者か」
「皇国、うーん……あんたの回答次第ですなぁ」
「どう言う意味だ。私の答えで立場を変えると?」
可笑しい。彼は直感に近く思った。
この男に何かしらの目的があるのには違いない。だが、その行動には――――リスクというものが度外視されているようにしか思えず、先の発言は全くもって信頼するか否かの役目を果たしてくれなかった。
「答えるとしましょう」男はくるりと回った。
「先ずは私の素性。見た目は元浮浪者、中身は……悪魔」
「……ほう」
山羊は聞き手に回った。ただで喋ってくれるのならそれ以上のことはない。
「ここには代理として取引に来て、その際に邪魔なのは片付けてきた」
「外の警備のことか」
「それもあるし、それ以外もたっぷり」
男ははにかむ。共にあるのは純粋な笑顔だ。年を食えば出来なくなる笑顔だ。
「まぁ、言葉だけで信じるようなヒト……いや、『ヤギ』じゃないでしょう。お手紙は食われてしまいそうなので、口頭で伝えようとしたまでです」
男は手近な椅子に座った。敵意は全くないが、単に見せていないだけだろう。
彼は迷った。もう分かり切っていたが、それでも迷った。
この人物は危険だ。自分一人の手で負えるリスクを超えている。何をしにきたのかすら不明なままで、これ以上一対一のやりとりはこちらに不利だと。
だがそれを抑える自分がいることにも気付いている。団長付の参謀故のプライドか、慢心か、それ以外の何かだろうか。
「まず、あなた方は皇国のやり方にまんまと引っ掛かった。前の戦闘でやっていたことをまんまとやりかえされ、早期に発見できたものの思いついた対処法などたかが知れている――――ちんけで、穴だらけで、失笑を買いかねない代物。違いますか?」
「…………」
「だってそうでしょう? 先の大戦で皇国は全面攻勢に打って出た。こちらは陽動や欺瞞を駆使して戦力を一極集中、後方を脅かして戦線を後退させ、体勢を整えられる前に引っかき回した。で、その戦争の結果は?」
男はわざとらしく山羊を指さした。
彼は求めている答えを分かっていた。その上で言いたいことも。
「……『ルダウ皇国の存在を認め、同等の価値ある種としてこれを歓迎する』。こう言わせて満足か?」
敵の戦線を打ち破り、後方に浸透できた。確かにそこまでなら非の打ち所のない成功と言えた。
だが実際は、合わせ三万に近い損害を出して浸透したは良いものの、撃破できたのは攻勢の第一陣のみ。後方に構えていた第二陣が到着しただけですぐさま戦局は元に戻った。
僅か数ヶ月しか持たなかった優位。相手からの和平勧告が無ければ遅かれ早かれ蹂躙されていたことに変わりは無い。
謂われの無い屈辱を、こうも見知らぬ男にされたことを彼は腹立たしく思った。
「勘違いして貰いたくないのは、貴方を辱めたいと思って言わせた訳では無いこと。こちらの装備じゃああなって当然、では相手の装備ならどうなるでしょう?」
分かり切ったことを言ってくる。山羊はとうとう柄を握りしめた。
「そこまで言うか、私に何をさせたい!」
「そう! 私は貴方と交渉したいんです!」
対抗するように男は勢いよく立ち上がった。
「何が交渉だ! 私を乏しめ、紋章に泥を塗るような発言、行為! 何様のつもりだ!」
「先程も申したでしょうが! 私は悪魔だ! このすっとこどっこい! ラム肉!」
「この…………」
半ば怒りに身を任せて剣を振り抜こうとした。男は笑っていた。
彼の山羊が意識したのはそこまで。
ふと彼が我に返ると、絨毯の上に膝を折り、手に握っているのは柄ではなく刃の部分、そしてその切っ先は自らの喉元に向けられていることに気がついた。
「なっ……!」
理解しがたい状況を知覚した瞬間、手と喉の痛みに正気を取り戻す。
「だーから言ったでしょう。私は悪魔だと」
その言葉に山羊は顔を上げた。あの男が椅子に座っていて、目が合うと肩をすくめた。
「大丈夫です、もう交渉に乗り気なのは分かりますから。ついでにトリビアをひとつおまけしましょう……」
「き、貴様は……何を…………」
「私が居た世界での常識なんですがね。悪魔は嘘をつかないんです」
僕は走っていた。
あの男から頼まれた事は済ませた。後は戻るだけだ。
あの立方体からこちら側に戻ってきたときほどに既知の安堵を知った瞬間は無いだろう。それほど僕はあの空間に恐れをなしていて、一刻も早く逃れたいようにその場を後にした。
僕が走っているのは逃げるためだ。意味が違っているだろうが、今の僕は自分の意思で確かに走っていた。
だが、あの空間は僕の身体に纏わり付いたままだ。
脚に合わせて振られる右腕に、あの場所からはぎ取られてきたような異形が張り付いている。シンボルのように三角形のフラクタル図形が彫られ、一種の宗教的な道具と言われても信じられるほどに旧く遙か未来の物品。
それは僕の右手をすっぽり覆っていて、中ではグリップのようなものを握っている。後付けされたと思しきコードやパーツが肘までを囲い、中でも一本の太いホースのようなものが腰のタンクのような装置まで伸びている。
カロに「貸して貰った」二つを文字通りに身につけて走る僕はどれほど滑稽だろうか。
或いは――――奇妙なのだろうか。
そんな風に思うが、やはり空想を膨らませるには短い順路だった。
「おぅ、まずまず早いじゃないか」
すっかり人気を無くした施設の門にガルシアはいた。本来はそこに居るはずの衛兵すら姿を消していて、いよいよ大事なのだろうなと今更な事を思う。
「似合ってるぞ、エイリアンの武器を鹵獲した高校生って感じだ」
「そのままじゃないか」
思わず返してしまい、彼のにやけ顔を見物する羽目になる。
「そんな顔するな、マジで似合ってるし格好いいって。そのままお前が使え、これもやるから機嫌を直してくれって」
彼の右手に収まっていた質素な布の包みを投げ渡され――――思わず右手を伸ばしてしまった。
「…………はぇ~、すっごい便利……」
ガルシアが素面な言葉を漏らすが、彼の言葉そのままな事になっていた。
包みを受け取ろうとした際、僕は右手を広げた。
装置自体は腕に固定されていて、手を離しても外れる心配は無い――――逆に言えば「右手を広げても包みを受け取れるわけが無い」となる。
なのだが、僕の手の平には布の感触があり、それの心当たりは……浮かんでいた。
「どう言う理屈なんだか。どうやってるんだ?」
「言われても困る。こんなの聞かされていない」
聞かされていないが、僕は由来の不明な確信に至っていた。
包みを浮かせて、結び目に集中して、感触を頼りにほどく――――
「……マジか」
「俺の台詞だ、なに簡単に使いこなしてんだよお前」
はらりと解けた布の中には、結構な量の具材が挟まれたサンドイッチが鎮座していた。野菜に肉、チーズのようなものも見える。サイズもなかなかだ。
「これは?」
「これから大仕事があるんだ。腹が減っては戦が出来ぬ、だろ?」
「それはどうも」
宙に浮いたサンドイッチを左手に収め、包んでいた布は丸めてガルシアに投げ渡した。
「……それで、大仕事ってなんだ。これも聞かされてないけど」
目一杯に頬張り、咀嚼しながら尋ねる。勧められたものではないが、相手がこいつなら気にしないだろう。
「ああ、そうだったな。つってもよぉ、今更じゃねぇの?」
僕の食いっぷりから視線を外すと、右腕に移動させる。
確かに彼の言うとおりだ。こんなものを無理矢理持ち出させておいて何をすると尋ねるのも馬鹿らしい。
だがこれは一種のけじめだ。納得できずに仕事が出来るか。
「仕事は仕事さ。俺達のだーいすきな事さ」
「同類にしないで欲しいが」
「似たもの同士だろうが。普通に育った日本人ってのはな、社会的に殺すのは大好きだが実際に殺すのには躊躇するものだろ? 実際に手を下すのは駄目だが、精神的に追い詰めて自殺させるのはOkらしいからな」
そうして殺しておいて、自分は清廉潔白だと主張するもんだから馬鹿らしい。とガルシアは大きく背を逸らした。話題を逸らすためか、先程からずっと空を見上げる仕草が多い。
「……何見てるんだ」
サンドイッチを平らげ、仕方なく尋ねる。思っていたよりも旨かった。
「空さ。それ以外に何を見る?」と想定内の返しをしてくる。
「で、ソース付いてるぞ。唇の右の端っこ」
言うとおりに右を指で拭うが、何も付かなかった。
「俺から見てだ、悪ぃ」
「分かって言っただろう」
「来たぞ、休憩終わり、閉廷!」
もう反応するのも疲れ、ガルシアと同じように空を仰いだ。
変わりの無い曇天だ。灰色の濃淡以外に何もない、凹凸のあるキャンバスのような空模様。数羽の鳥が羽ばたいている以外に見るものなど無いように思える。
と、その影の二つがこちらに進路を変えた。サイズを予想を遙かに超えて大きくし、地上に近づくほどに色彩が戻っていく。
「うおわっ!」
身長の倍はある翼が湿った空気を煽り、地面に押しつけられそうな気すらする。
「あいよー! おっまたせー!」
底抜けに明るい声とかぎ爪が石畳を引っ掻く音に視線を戻すと、そこには二人のアニマリアが立っていた。
胴体はヒトで、それ以外は動物だった。肩まで剥き出しの腕は羽毛に覆われ、太腿から先も鳥のそれだ。
同じ種なのだろうが顔だけは違いが明確で、女性の方がヒト、男の方は猛禽類のものだった。
ハーピー。この街に来るときも空を飛んでいたのを思い出す。思ったよりも鳥に近い。
「あんたらが頼んだ運び屋で間違いねぇんだな!?」
負けじと大声でガルシアが返す。狡猾さは誰よりも酷いが、こういう所はどこか幼げな活発さを想起させる。
「あたしゃケーリティ、こっちの『だんまり』がバルシィ。自慢じゃないがあんたの二倍はある野郎を運んだこともあるんだ!」
女性の方がガルシアに近づき、足先よりかは人間らしい手を差し出す。
「こいつは頼れる、あんたみたいな男勝りは嫌いじゃない」
「男勝りじゃあないさ、野郎たちが軟弱なんだよ!」
ぶんぶんと振り回されそうな勢いで握手を交わすと、ケーリティは快活に笑った。
「それで、あたしとバルシィに運ばせるってことは、よほどの難儀ものだね?」
「あんたらにゃあギフテッドでも任せられそうに見えるからな。依頼はめちゃんこ大変だぜ? あんたらがやってきた仕事の中でマックスなデンジャラスさだ」
ガルシアの道化に拍車がかかるが、彼女はむしろ愉快そうに高笑いする。
「そりゃそうだろうよ、前金で金貨一枚、後払いでもう一枚だもんな! 良い餌だよ!」
「それで分かるならベテランだな。後は頭の痛くなる機密事項を了承してくれれば依頼成立、運んでって貰うぜ」
「きみつじこう? なんだいそれ」
第一印象通りなのか分からないが、途端に彼女の顔が疑問符に満ちあふれた。
「他人に話すな、俺が言う以上に詮索するな、ビビるな。お二人とも大丈夫か?」
ガルシアは相方の方にも話しかけるが、バルシィと呼ばれた男は顔色一つ変えずに睨み返すだけだ。
「なんか話すと不味いことなのかい……ならあたしに喋らない方が良いね。お喋りだからさ、酒が入ると何でもかんでも話しちゃうんだ。中身の分からんブツなんて何度も運んだし、別に気にしないさ」
「ならケリちゃん、透明でムッツリスケベで……そうそう、快楽殺人主義でもある死神様でも載せられるかぼすっ!」
気付いたときには顎を打ち上げていた。
流石に堪忍袋の緒が切れたらしい。
苛立って物に当たったのも何度かあるが、流石に言った相手にこんな仕打ちをした覚えは無い。それほど彼の言葉は僕の癪に障ったのだ。
「おいあんた、大丈夫……というか、何が起きたんだい?」
「あぐ、うぐ。よし、顎は砕けてないし外れてないな……」
ケーリティに見下されながらも、ガルシアはふざけることに余念が無い。
「まぁ、こういうことさ。さっきのに加えて妙に短気かつ腕っ節が強いと来た。変にからかったりしない方が賢明だな」
「ぬぐぐ……ちょいと面白そうな荷物だと思ったけど、止めとくかな……」
起き上がるのを助けながらケーリティが歯ぎしりする。
「バルシィ、あんたに任せて良いかい? こっちもこっちで厄介な荷物だからおあいこだ!」
尋ねられた本人は微動だにせず、彩色された像にすらなれそうな具合だった。
「……おし! じゃあ旦那はあたしが運ぶぞ、いいかい?」
何を読み取ったのか、ケーリティはそう言った。
「おぅ、あんたに運んで貰えるのかい。そいつは最高…………そういやさっき俺が厄介とかなんとか」
「忘れたね! で、行き先は!」
「場所を言うのは簡単だが、それだとなんかつまらねぇしな……」
二人の会話を横目にバルシィの傍まで近づくが、呼吸以外で動く気配が無い。
「まぁいいか、時間もねぇし空で話す!」
「なんか釈然としないが、まァいいな!」
すっかり意気投合したような雰囲気とは相対的に、こちらは沈黙と泰然さで潰れそうだ。 地上に降りてきたときから分かっていたが、見上げられるほどに大きい。
「あんた、バルシィだったか? 姿は見えねぇが一応は人間の姿だ! 振り落とさないよう気をつけてくれよ!」
ガルシアも僕もそれなりに身長があるはずなのだが、ケーリティが立ち上がるだけでつま先と地面とに五十センチの空間ができた。女性でもああなのだから、それより大柄なこの人物に乗ったらどんな視界になるのやら。
「死神さまとやら、背中に乗ッかる前に腰に付いてるフックを何処かしらに付けときな。流石に落とした荷物は地面に落ちてからしか取れないしさ、そんなの嫌だろう!」
あまり考えないようにしていたが、やはり行くしか無いのか。
バルシィはあまりにも静かすぎる。
屈んでくれた彼に触れても、フックを引っ張っても、飛び上がるように背にしがみついても一言も漏らさなかった。
何かしらの反応をしてくれた方が多少は安心するのかもしれない。彼からは不安も敵対心も配慮も何もかもが感じられないのだ。
「さてと、先ずは東に飛んで貰えるか?」
おんぶされた子供のように顔を見せるガルシアがケーリティらに指示をする。
「東ィ? ヤバい仕事だってのは承知の上だが、なんでわざわざそっちへ行くのさ」
「何でって、行かなきゃならないからだよ。金は払った、何ならもう一枚加えてもいいぞ!」
「……分かった、どっちにしろ上客には違ぇねぇ! だけどよ、空にいる間はあたしの言い分に従って貰うからね、命あっての物種だからな!」
「わあったよ、俺達と違って換えが効かないからなあああああぁぁぁぁ……」
話の途中でケーリティは腰を入れて飛び上がり、それだけで城壁を優に超えた。
「えっ、あっ、わあああああああああああっ!!」
遠く消えていくガルシアの間抜けな絶叫。それは未来の僕自身を俯瞰した図であり、僕の身体は地面に押しつけられるような重力に襲われた。
「ああああ! クソ! どうしてこんな目に! ああああっ!!」
聞こえていなくて良かったと、それが思考の限界になっていた。
背筋が凍るように寒い。耳元に風の音が纏わりつく。
「ヨオゥーーホーーゥ! ヒャッッハーーー!!」
彼の言葉は悲鳴なのか歓声なのか、或いは奇声なのか。
残念ながら、それを軽蔑できるほどに僕に余裕は無かった。




