31 自由時間 後半
「はぁ?」
「死神と勝負をする」というガルシアの妄言に一斉に声が上がった。
至って当然の反応であり、声の調子は予想外と嘲笑とをない交ぜにしたようなものだ。
もう「勿論」と言って頃合いだろうか、ガルシアは全くと言っていいほどに気にしていない。むしろその反応を待ちわびていたかのように満足げな顔だ。
「そうだ。文字通り、意味通りの死神さ。楽しそうだろ?」
「……ぷっ、くくく……」
ガルシアに掴みかかった男が吹き出すと、それを皮切りに屋内が一気に騒がしくなった。
「なぁ、お前よぉ、頭イッちまってんじゃねぇのか! ぶっ、びゃははははっ!!」
恐らくはアルコールのせいだろうが、ガルシアの言葉は会心の出来だったらしい。ここの集団の狂的な笑い声にそこかしこの席から人が寄ってくるのがちらほらと見えた。
「ハハハッ、ハーッハッハッハッハ-!」
そしてまたその本人も高笑いしているのがこれ以上に理解しがたい。
嘲笑の標的にされていると微塵も思わせない余裕っぷりが――――誰よりも傍にいるからこそよく分かった。
口も目も笑顔そのものだが、その視線はしっかりと――――何をするか検討が付かないものの――――獲物にする相手を見定めている。単に僕が思い込み過ぎているのかもしれないが、どちらにせよ。
「どうもさっきのを信用してくれねぇみたいだな?」
と、ガルシアは僕と正対するように向き直る。
どちらにせよ、この男がすることにまともなことなどないと確信をもって言えそうだった。
「んじゃ、これでどうよ」
その後の動きは素早かった。
僕の背後に手を回したのが見え、何を取るつもりかと身を引いた――――のだが、その時点でもう手遅れだったのだ。
分かっていたはずなのだが、避けられなかった。
テーブルの木目が裂ける音と固いものを叩きつける音とが一度に響き、観客の笑い声が二秒とせずに静まる。
「さーて、皆さん? よぉーくご覧になって下さいな」
短剣の柄から手を離し、手の平を上にして周囲に促していく。
そのまま四分の三回転、僕を手の先に据えたところで、ガルシアは恭しい仕草で突き立てられたそれへ進むようにと勧めてきた。
「……何のつもりだ」
馬鹿らしい、と思いながら尋ねてみるが、もう一度進むように繰り返されただけだ。
腹立たしい。どうして付き合わねばならないのか。
そう憤慨したところで、彼の舞台装置の一端としかなれないことに変わりは無かった。
「……おい、それ、どこから出したんだ?」
誰かがおずおずと口にするのを聞きながら、僕は足を踏み出した。
一歩、一歩。どうせ効かないと分かっているものの、ガルシアを睨み付けながら。
本当に一度殺してみようかと考えながら、意外と深く刺さっていた得物を引き抜いた。
その一瞬で、場の空気が変わったのが実感できた。
足並み揃えて直近の人物が数歩退き、それに押されて中間の人だかりが一歩引き、その煽りを受けた外縁の何人かが尻餅をつく声や音が聞こえる。
「これで……ハハッ、信じるよな?」
不本意ながら、今の僕と彼とで同じ心境を抱いていることだろう。
恐れられることに対する優越感。僕がまだ青いままだというのが実に分かる。
「死神『さま』はちゃあんとここに居る。今すぐにここに居る奴ら――――お前らを皆殺しに出来るのさ。自慢の腕を切り落としたり、生皮剥いで壁を装飾したり、頭蓋骨を店の前に並べることも、金を全て奪って去ることも出来る。意味分かるよな?」
僕の肩に手を置いて、ガルシアが群衆の一人に近づく。
「なっ、お、お前、何モンだ……」
先程の威勢は消え失せ、ガルシアのお遊びにまんまと付き合わされる様には少し同情を覚えた。誰であろうと、こう勝手な人物に弄ばれるのは見ていてそう気持ちの良いことではない。
「俺? 俺ァ……何なんだろうな?」
「ひっ」
にんまりとして胸ぐらを掴み、互いの息が混じる距離にまで顔を近づける。
「俺はなぁ、代弁者よ。殺しに来る奴が見えてたら仕事にならないやん? だからこうして代わりに喋ってるんだなぁ…………死神様、ちょいと失敬」
そう言うが早いか、また短剣がガルシアの手元に渡る。彼の行動は唐突で、対策しようにも反応が追いつかない。
「まだ信じないってんなら、見せてやっても良い……どっちが速いかねぇ? 俺が死ぬか、あんたが死神様の正体を見るか」
「ひゃひぃっ!」
刃を首筋に押しつけながら、柄に掛けようとしていた手を――――何故か恋人握りで拘束する。
「別に俺はこの身体にご執心でない。ここに依り代は何十人と居るだろ?
まぁいいんだ。そんでよぉ、死神様が言ってるんだ。勝負してみないかってさぁ……」
「し、勝負……?」
「ああ。死神様はあんたの魂が気に入ったらしいんだなぁ」顔をより一層近づける。
「勝てば見逃してやるし、おまけではした金もくれてやるってさ。もし負けたり、そもそも勝負もしないってんなら…………他の奴も分かるよなぁ!?」
にわかに出した大声で、少なくない人物が頭を引っ込めた。耳が下がっているし、尻尾は丸まって股下を潜っている。
酒が入っているなら激高して袋叩きにでもしてきそうな予想をしていたのだが、ガルシアの迫真の演技はそこまで恐ろしいものなのだろうか。
とはいえ、立場が変われば僕だってこういう反応を返すのだろう。
粋がって素知らぬ顔を繕うだろうが。
「ヒャッハ、良いぞこれ…………まま、そうビビりなさんなって。実を言うと無闇に魂を刈り取るものじゃないんだな。管理が実に面倒くさいって、前に愚痴ってましたもんねぇ?」
服から手を離し、笑顔のまま、声色を正反対にして話しかけてくる。
「はいこれ、お返ししますよ。さぁさぁ座って下さいって。ここの遊びも楽しいものですから!」
「ちょっ、おい待っ……!」
どうにか言い返そうとするが、ガルシアの行動が変わる様子はさらさらない。
「大丈夫ですって、ルールは私が覚えました! いつも通りに直感に任せれば良いんですよ! たまには遊びに興じて下さい、いっつも仕事仕事で私は堪ったものじゃないんですから!!」
ガルシアに強引に移動させられ、まだ見えているらしい短剣が動くたびに集団が離れていく。
椅子に座らされた時には、僕とガルシアの周りに誰も居なくなっていた。
「さぁてさて、他に勝負したいお方がいるなら後二席ですがぁ!?」
怒鳴るように言うが、その空いた席に居た騎士はいつの間に逃げ出したのだろうか。
「……え? ああはいはい、一人ずつで宜しいと」
僕は何も言っていないが、元から聞こえない以上こうして捏造するのは容易いことだ。
「んじゃ、先に報酬をお話ししますかね」
とガルシアがテーブルを時計回りに巡り出す。彼が近づくほどに波が引くように群衆が下がるのは、上手くすればコメディの一幕に出来るのではと言う具合だった。
「勝負は一度きりじゃつまらない。三回勝負が良いとのこと。異論は?」
席の背後に立ち、殺気を仄めかしながら言う台詞だ。やられた相手はただ首を縦に振るしかなかった。
「うむうむ、宜しい。で、報酬は……懸けるものがものだ、とのことで」
ガルシアが懐から何かを取り出す。
天井からの光をそのまま反射するそれが見えた瞬間に……彼を除いた全員がどよめいた。
「これを一枚、貴方が勝つ度に差し上げることにする。で、我々が勝つ度に……死へと近づいて貰う。これでまぁまぁフェアでしょう?」
彼以外、というのも、僕も驚かざるを得ないものだったからだ。
視線を釘付けにされたまま、腰の巾着袋に手をかける。口は固く縛ってあったはずなのに、するりと指は中にある貨幣の感触を伝えてきた。
いつの間に。
「そうそう、どうします死神様?」
僕が口を開く直前にそう尋ねてくる。
「盗んだのか」
袋の内から手を抜き、拳銃に添える。流石にこれは度が過ぎているし、許せることでもない。
「違う違う、元から渡す気なんてねぇから」
耳元に近づいて囁くが、予想通りに罪悪感は影も形もない。
「置いておくだけさ。お前のものを無断で使ったりしねぇって……信じられねぇなら殺しても良いって何度も言ってるだろ? こう、さ? 質問する前に一度撃ってみろって」
「意味が分からない」
僕は率直に言った。彼の言動、思考、全くもって狂い人のものだ。
どうしてこうも事を荒立てて楽しむ? どうして死にたがる? 殺したがる?
問いかけたとしても答えが返ってくるはずがない。かといって、彼の言うとおりに殺すことには躊躇いがあった。
「分からなくて良いのさ、楽しけりゃ問題ナッシング。大丈夫だって安心しろよぉ…………ああ! それは良いですなぁ!」
耳元から離れ、大きな声でそう話を切られた。
「こちらが勝つ度に、貴方の大切な部位を貰い受けることにしましたよ! 先ずは腕か脚かを一本、二回勝ったら両腕か両足、或いは両目。全勝したら……またお借りしますよ」
「なっ、おい!」
今度は短剣でなく――――気を緩めて手を離した拳銃を持っていかれた。
つくづく僕は舞台道具のひとつだ。虚空の裏方から道具を持ち出し、役者が用いて場を盛り上げる。
彼は僕を何だと思っているんだ。
「誰か、これが何かを答えられる方は?」
しかし、こうして辛抱強く耐えているのが正解なのだろう。
確信がないが、もし彼の行動に我慢ならなくなって殺したとして、その時の混乱こそが真に望んでいるような状況のような気がしてならない。
「……沈黙、正にご名答。いやはや人は勤勉なもので。どんなことでも便利、便利、便利の連続。より速く、より確実に、より良いものを。
これは正にその極地。構造さえ覚えりゃ人差し指を引くだけでサクッと殺せるわけで、その簡単さに死神傀儡も重用させて貰ってるんですなぁ。上手くやれば痛くないし、大鎌を振り回す腕力も必要なくなる。あら便利!
科学の力……コホン、あんたらの敵国ってすげーっすわ。こんなもんを効率化させるほどに怨恨の塊がゴロゴロってぐらいですもん。何百年と何やってんだか」
全て仕込んでいたものか、或いは即興なのか。
どちらにせよ、この男は人を操るのが実に上手い。言いなりになればそれで良し、反抗すれば望む結果となるのでこれもまた良し。一体何者なんだろうか。
「話を戻して、三回勝てたらこれで貴方をズドンと。流れ弾にはご注意を……まぁ、逃げたところでちゃんと当てるんで、そこだけは『ご安心を』」
そう締めくくって、拳銃をテーブルの上に置いた。これを持ち出したのも「見えるようにする」意図があってのことだろう。僕が持ち上げれば、その行為自体が僕の存在証明になり得る。
「さぁてさてさて。そろそろ始めましょう。お喋りは嫌いじゃないんだが、自分ばっかりが楽しんでいても仕方が無い……皆さんもそう思いますでしょう?」
ガルシアが同意を求めるように周囲を確かめる。
この場に居ても全く理解できなかったが、ここは完全に彼のものになっている。
誰も彼を止めようとしないし、止められそうにもない。
「……否定の言葉がないと言うことで。ほらディーラーさんよ、あんたが来ないと始まらないんだよ!」
「うわっ! 駄目! 止めて許して!」
そう思っていた。
にやけ顔の男が一瞬で加速し、人混みに隠れていた店員らしい人物を捕らえたその時。
「んお?」
店外から重厚な音が響いてくる。
低く重く、長く、背筋を凍らせるような不安を掻き立てる単音。
それが鐘の音だと思い当たるまでに暫くかかるほど、その音は常識から外れていた。
「……長鐘…………だよな?」
全ての動きが止まった店内で、誰かの声は音色に負けず良く響いた。
「ひっさびさに聴いたなぁ」
それに続いたのはガルシアだった。
「さぁ騎士たち、お遊びの時間はここまでらしいな? 憎悪と怨嗟の使途が軍を成してやってくるそうじゃないか。急がないと……」
ガルシアがそこまで行ったとき、店の扉が壊れそうなほどに勢いよく開かれた。
全員がそちらに目を向けると、対抗するように入ってきた騎士がこちらを見る。
「……何をしているか! 鐘の音が聞こえなかったのか!」
イヌ科の顔が直ぐに怒りに染まり、叱咤の声が収まってゆく鐘の音を上回る。
「…………!」
条件反射かどうかは分からないが、それからの動きは速かった。
「やべぇ! 裏口から行け!」
「何でよりによってあの鬼教官が来んねん! 目ぇ付けられんようにせんと……」
「あっクソ! 押すな置いてくな!」
狼に追い立てられた羊の群れ……と言うには草食動物の姿はあまりに少ないが、これでもかという勢いで騎士の格好を纏った連中は店を飛び出していく。
ものの数十秒で、騒がしい店内は両手で数えられる人数になった。
「おい!!」
睨む相手が殆ど消えたため、必然として残った一人にその敵意は向けられる。
「へい?」
「何を突っ立っている、騎士の本懐を忘れたか!」
ずかずかと間を詰めながら怒鳴りつけるが、神経を逆撫でしそうな笑顔は少しも陰らない。
「いえいえ、こうしてちゃあんと仕事はしてます。それに貴方は私の上官でもないでしょうに」
「む、確かに見ない顔だが……しかし、それは関係なかろう! 今の貴様が何をしているというのだ!」
「言えないであります、サー」
首を締められようとしても、やはり変わらない。
「何分、重要な情報と人物をこれから向かいに行くところでありまして。あっがが、そうそう! その前にここの一番上の階級の人と話をしながががぁ…………」
とはいえ、実際に命が関わる事態になれば多少の妥協をせねばなるまい。
「……フム、どうも怪しいな。手の甲を見せろ」
腕に力を込めつつ、今にも噛みつきそうなほど牙を剥き出しにして言う。
「むぐぐぐ…………ああ! めんどい!!」
それを引き剥がせないと諦めたのか、ガルシアがそう叫ぶ。
のと同時に、彼の力がすっと抜け、だらんと腕が垂れ下がった。
気絶させた彼の首から手が離れると、敵意剥き出しだった男は身体を大きく仰け反らせる。
「……のるるぁあ!!」
――――これでもかという勢いで振り下ろした先は、テーブルの角だった。
そして、脳天を血で濡らしながら倒れるのと入れ替わるように、ガルシアはすっくと立ち上がる。
「これでよし」
何が起きたのかを全く気にしない口調で僕に目を合わせてくる。
「さぁて、カズ。金と銃を仕舞って、ちょいと準備をせにゃあならんな」
呆然としたままの僕は、あれよあれよと立ち上がらされ、手に紙切れを握らされた。
「時は金なりだ、あく行け」




