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30 自由時間 前半

「うっ……」


 つんと来た痛みに目が覚めた。何か夢を見ていた気がするけど、もう思い出せない。


「痛むか?」


 そんな声が聞こえた気がしたので目を開けた。カズの声じゃない。


 それだけのことに、少しだけ寂しく思った。


「皇国弩の傷は大抵酷いものになる。内臓に当たらなかっただけ幸運だったが……痛みに耐えられるかどうかは別の問題だ」


 少し遠回しで、もしかしたら自分よりずっと不器用なのかもしれない人。

 わたしの傍に居たのはミリアスさんだった。


「いえ、痛いですけど、まだ……」


「そうだな、鎮痛剤を飲めるまでもう少し時間を空けないといけない」


 彼とわたしの言葉の間に入った沈黙が、言葉を選んでくれていることを教えてくれる。


「薬は毒だ。全てのことに言えるが、閾値を超えれば悪影響しかない。

 耐えられそうか? もしアサナギが傍に居て欲しいのなら…………」


「ううん」


 カズのことを聞いた瞬間、わたしは否定していた。


「大丈夫、ですから」


 近くの丸机にあるたった一本の蝋燭が、ミリアスさんの驚いたような顔を照らしている。

 その顔はわたしが見たことのない顔で、めずらしいな、とぼんやり見つめた。




 そうか、とミリアスさんが答えると、静けさと痛みとがゆっくりゆっくり広がってきた。



「…………戯れ言だが、友人から一つ聴いたものでな」


 ミリアスさんがぽつりと話しだす。


「一種のまじないかも知れないが、意中の人に口付けされると痛みが消えるそうだ。それを自慢げに話す奴がいてな……酒の席でその相手がどれだけ素晴らしかったかを何度聞かされたか分からん」


「意中の、ひと?」


「そうだ。その相手が誰かだけは最期・・まで聞かせてはくれなかったが、まあ要するに、なんだ……」


 廊下の向こうから何かが聞こえてくる。

 苦しそうな声、耐えるような声、何かを誰かに呼びかける声。


 わたしだけじゃないんだと、ぼうっとする頭で考えた。


「…………そうだ、思い出したことがある」


「なん、ですか……?」


 ミリアスさんの表情は滅多に変わらない。いつもまじめで、かっこいい。


「音楽だ。アサナギが懐かしいものを流しててな……」



 声がだんだん遠くなってきた。





 表情。顔。




 カズの顔って、どんな感じなんだろう?










「……何やってんだろう」


 走ろうにもそこまで気が急かされず、かといって落ち着くこともままならなかった。


 僕は開かれた二重の鉄門の向こう側に出ていた。この街の匂いと言うものなのだろうか、古くなった木材や土、雨の残滓、それ以上に濃い獣臭さが雲に押し込まれるように鼻を突いた。





 取りあえず外に出たものの、はてさてどうしたものか。



 考えてみれば、こうして一人で自由に行動できる時間はほとんどなかった。ガルシアとの約束がある以上正午までだが、それまでは自由意志で行動することが出来る。



 それが理由ではないが、僕は少し浮ついているようだった。



 やれ盗賊だったり皇国軍だったり、奇襲したりされたり。あれだけ人を殺しておいてそれを隠匿することもなく、おおっぴらに道に突っ立っているのだ。そう思うと少し寒気がしたが、単に風が吹いてきたからだろうか。


「そう言えば……」


 どうも身体が軽く思っていたが、ブレザーを羽織っていないことを思い出したのは今になってからだった。


 寝汗は下着どころかシャツにまで染み込んでいたようで、緩く不規則に吹く風によってどんどん冷やされていく。空気の湿度も相まって、気持ちの良いものではなかった。


 取りに戻ることも出来たが、あの雰囲気で出た後にそうするのは気後れする。

 詰まるところ、僕には耐える選択肢しかないという訳だ。


 幸いと言うべきか、金貨と銀貨の入った袋はベルトに固く括り付けられ、拳銃と短剣は手に入れてからずっと身に着けていた。

 僕の状態で買い物が楽しめるとは思えないが、どれも無いよりはある方が良いに決まっている。


 服が乾くことを祈りつつ、滑りそうな石畳を歩き出した。









 それほど歩かずとも、周囲の建物を観察すれば特徴に気づくことは出来る。


 騎士団の敷地に近いからか、ここらの建物はほとんどが店を営んでいるようだ。酒場、賭場、もしかしたら娼館もあるのかもしれない。


 なんであれ、騎士たちの憩いの場となっているのだろう。需要がある場所に集まるのは至って自然なことで、今の僕の状況にもずいぶん都合が良かった。



 とはいえ、まだ午前中である。非番らしい騎士の姿こそあれど、どこもかしこも営業中、という雰囲気でもなかった。


 昨晩の一連の出来事も一因なのかもしれないが、数少ない人影から聞こえる声も暗いものだった。空模様と同じく、どうも楽しげには見えない。



「…………五月蠅いな」



 のだが、一カ所だけ様子が違う。何やら騒がしい――――少なくとも悲観的ネガティブな様子でなく、あるべき陽気さが屋根の下に籠もっているように見えた。



 別に行く当てもない、この辺りも知らない。

 遠くまで行って迷うよりかはこの辺で時間を潰しても良いだろう。








 気まぐれに近い心境で扉を開けると、ただでさえ騒がしい店内から歓喜の一声が聞こえてくる。


 内装自体は以前ガルシアに連れて行かれたあの酒場とそう変わらない。あそこよりいくらか広く、小綺麗で、より他人アニマリアの匂いが立ちこめていることぐらいだ。



 透明人間が扉を開いたとしても誰も気にしないぐらいに、客は複数に分かれ、それぞれの集団の中央に視線を集中させていた。


 人混みの少ない所を見ると、中央の丸テーブルの周囲に一回り小さな長テーブルが囲うように置かれているのが分かる。前者は飲み食いというよりも、何かしらのゲームをするための場のように思える。

 人混みの多い所に目を移せば、中央で何かしら――――見世物になるものとしかまだ分からない――――が行われているらしく、周囲のテーブルにはグラスやら酒瓶やら小皿やらが負けじとひしめいているのが見えた。


「まただ! またあいつの一人勝ちだぞ!」


 先程から聞こえてくる言葉から、何かしらの賭け事をしているのは自明だった。


 こういう場所は好きじゃない。別の場所で時間を潰そうと入り口に戻ろうと踵を返したが――――



「ハッハー! これで当分は寝首を掻かれないかだけを気にすりゃいいな!」


 ――――通りがかった直ぐ傍の人混みの中から、ひときわ大きい、聞き覚えのある声が聞こえた。


 こういう場所が好きそうな男、第一印象もなかなか信用できるものなのだろうか、或いは行く場所がこういう所ぐらいしかないのか。


「……って。マジかマジか!!」


 それとも腐れ縁とでも言うのだろうか。


「おい! ちょっと悪ぃ! どいたどいた!」


 コンパクトなモーセの奇跡の向こうからやって来た男が、僕の腕をしかと掴んだ。


「おい、逃げようったってそうはいかねぇぞ」


 ガルシアが言いそうな台詞だったが、それ自体は彼の背後から聞こえてきていた。


「あ?」


「お前のワンサイドゲーム、見てる分には楽しかった。が……このまま勝ち逃げされるのは許せない。あれだけの大勝ちを成し遂げたんだ、分かるよな?」


 ガルシアの肩――――少しずれれば首根っこだが――――を掴んだ手は、その人の真意を良く表現していた。少し力を込めれば服にも皮膚にも穴が空きそうだ。


「たりめーだ、これからもうちょい稼ぐんだからな」


 そんな感情を向けられて楽しいのか、ヘラヘラと答える。


 あれだけの大勝ちと言っていたが、人混みの隙間からでもしかと確認できた。



 テーブルの上には一山のカードと、三辺にある心許ない数の銅貨。それのある辺に座っている三人の騎士は完全に項垂れており、空いている辺には一枚も残っている様子は見られなかった。


「悪いけど、これはとある方への献上金にするつもりなんだ。五人抜きはもう二度と叶わねぇだろうし、俺はもう切り上げるのさ」


 ガルシアが握っていた革袋を持ち上げる。厚手だが、それでも貨幣の輪郭が見えるほどに中身が詰まっていて、脅迫じみた声も成る程と納得させる重みがあった。


「献上金、切り上げる? てめぇの生活費をもう少し稼ぐって言ってなかったか」


「そうさ。別に俺が稼ぐなんて一言も言ってないんだがな?」


 そう喋った瞬間、その男の目が完全な狩人のそれになった。


「誰がやるんだ、この中に知り合いでもいるってのか?」


「知りたいか?」


「さっさと言え、殺すぞ」


 もしかしなくとも、幾らか酔っているのが分かった。賭け事とアルコールはどこか共存しているようなイメージを持つのは単に同じ嗜好という括りにされているからだろうか。


「わあったわあった、勿体ぶらずに教えてやるからよ」


 そう言うと、僕を引きずるように席へと戻っていく。


 音を立てて革袋をテーブルに落とし、僕から手を離し、零れた銅貨や銀貨の小山の中から一枚を手に取った。


「あんた、殺すって言ったよな。俺にさ」と先程の男の元へまた戻ってくる。


「何だよ、文句あるのか」


「いいや、ただな……」


 先程の自分の発言を忘れていく質なのか、銀貨でコインパームをしながらガルシアがわざとらしく口ごもる。

 随分手先が器用らしく、意思を持っているかのようにガルシアの指の間を踊り、隠れ、そして姿を現したかと思うと、親指に弾かれて宙を舞った。


 野次馬の半分はそちらに目を奪われたが、目の前の男ともう半分はガルシアの顔を睨みつけたままだ。


「……これからのことを考えると、ちょーっと訂正した方が安心できるかもなって思ったのさ。よっと」



 落ちてきた銀貨をキャッチし、間を開けずにまた弾いた。






 天井ではなく、僕の顔に向けて。


 辛うじて反応が追いつき、銀貨は僕の手の中に収まった。



 その後に見たガルシアの顔は、何を言うかも、僕の立ち位置も予測させたいように分かりやすかった――――



「なぁ、『死神さま』と一勝負したいって奴はいねぇか?」



 ――――詰まりは、ここに居る全員がどうにも彼の遊び道具にされている、ということだった。


 それほどに彼は楽しそうだった。

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