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02 遭遇

結論から言えば、人には出会えた。

とはいえ、着の身着のままの僕を助けてくれそうな善人には見えなかった。


 そこでは、数人の男が焚き火をしていた。人に会えたのは喜ばしい限りなのだが、ここが元いた世界ではないということもほぼ確定してしまった。ここが広大なコスプレ会場でも無い限り、そういうことになる。

 見たこともない服装をした屈強な男たちの後ろには何かが積み上げられているようだ。夕日の差し込まぬ窪地に目を凝らす。

 それは、車輪の外れたボロボロの幌馬車だった。荷台を覆っていたのであろう幌はあちらこちら切り裂かれており、動力である馬によく似た動物は黒ずんだ土の上に横たわり、転々と赤黒い染みが焚き火の炎に揺らめいている。収奪品であろう木箱や樽、袋の山がその前に積まれていた。馬車に積んであった荷物だろう。

 様子を見ているここからではとても見えにくいが、人間の手か足のような影が馬車の後ろに転がっているらしい。誰のものかは分からないが、生きた者のではないだろうことは確かだ。


 盗賊、というものなのだろうか。焚き火に照らされた男たちの服装は薄汚れて、大小の修繕の後があり、ステレオタイプな中世のそれのような雰囲気を感じる。よくあるファンタジー物のアニメやゲームなんかに出てくるものとはいくらか違うところがあるが、誤差の範囲内だ。

 どうするべきだろうか。こちらは丸腰なうえ、この場所に似つかわしくない服装だ。見つかればどうなるかはあの影が教えてくれている。とはいえ、やっと見つけた人間でもあることに間違いは無い。

 もう少しだけ観察すれば、何か情報が手に入るかも入れない。町の場所でも、この世界の情報でも、治安の善し悪しでもいい。僕は身を潜めるためにさらに茂みの奥に入り、男たちの動向を見守った。

 盗賊たちはこれから晩餐にするところらしい。獲物が手に入ったからか誰もが上機嫌だ。持ち主のいなくなった荷物が焚き火の周りに積み置かれ、わいのわいのと騒がしく開けられていく――――どうやら晩餐の前の楽しみにとっておいたようで、中身を覗き込みながら一喜一憂と楽しげに見える。中身は主に食料や衣服、本、嗜好品らしいものも出てきていた。家族の引っ越しには見えない中身と量だから、恐らくは商人かそれに準ずる誰かが襲われたのだろう。

 詳細が見える場所とはいえ、葉が風に擦れる音や自分の呼吸のせいで彼らが何を話し合っているのかはさっぱり聞き取れない。それなのに聞き取れそうな、意味が分かりそうなのがかなり歯痒い。

 意味が分かる保証はないが、そうだとしても知りたくなるのが人の好奇心というものだろう。行き過ぎは猫も殺すので自重するべきではあるが。

 荷物を大方開け終えた盗賊たちは、意気揚々と手に入れた食料を焼き始めた。火に炙られるパンらしいものや肉を見ていると、こちらに来てから何も食べていないことを思いだす。

 本来ならばそろそろ夕食を作って食べている時間帯だ。こんなところで草むらに身を沈めていることなどしていたくはなかった。こんな世界に来てしまったことに今更ながら後悔に似た感情を覚える。

 この場所には不可抗力で来た訳なので、後悔するも何もないはずなのだが。


 楽しそうな宴を眺めていると、何か別のものが視界の中で動いた気がした。何が動いたのか確かめようと目をさらに細めると、さっき開けていた荷物の中で一つだけ開けられていない、というよりも運ばれてすらされていない麻袋のようなものがあった。それがもぞもぞと動いているのだ。中にいるのは動物か、でなければ人間だろう。

 動いていることに気が付いた一人が億劫そうに立ち上がり、じたばたと暴れているそれに近づいた。蠢くそれに一発蹴りを入れると、数回痙攣したように動いた後に静かになった。それを確認した男はまた宴に戻ってくる。蹴られておとなしくなるのだから動物の訳が無くなった。


 こんなことを見ていたわけだが、ただ見ているほど能天気でいられるわけがない。比較的冷静になるよう努めつつ周囲の地形を確認し、彼らの獲物の一つや二つ頂くことが出来ないかと学生並の頭を巡らせていた。

 自慢ではないのだが、隠れることと足音を消すことは生まれつきの得意技である。自然の中に身を隠すのは小さい頃の日常だったし、砂利道でも気付かれずに背後に回れる自信はあるのだ。自惚れていると言われればそれまでだし、今この場では絶対にそんなことを考えてはいけないのは重々承知している。

 人と関わるのが面倒故に、厄介ごとを見つけては隠れ、面倒ごとに立ち会う前に逃げ去ることで身についた特技だと言うことを隠せば、立派な特技といえるのだろうが。

 もう一つ言えば、深刻な状況の時にどうでもいいことを少しだけ思い出すのも経験から得た技だ。現実からほんの少しだけ目を反らし、余裕をなくさないようにするための。



 今、自分は窪地の端、ちょうど体を隠して顔だけを出すことが出来る場所にいる。目の前の盗賊たちはこちらを向くように半円を描いており、獲物は背中側にある。傾斜がちょうどよく裏側まで続いているため、馬車の後ろまで行くのは簡単だろう。

 次にどう盗み取るかだ。いくら視線が無いからと言って、音を立てれば、或いは何気なしに振り替えられでもすればあっという間に見つかってしまうだろう。そこばかりは運を頼るほかない。何か一つでも手に入れることが出来れば、それから何か分かるかもしれないし、食料も手に入れば万々歳だ。冒すリスクはあるし、十分なリターンもある。やるしかないだろう。


 そうと決まれば後は行動するだけ。出来るだけ音を出さないように、ゆっくりと後ずさる。向こう側が見えなくなるが、あれだけのどんちゃん騒ぎだ。変に音を立てない限り、焚き火の周りから動くことは無いだろう。たまに顔を上げ自らの位置を確認しつつ、匍匐前進で進む。見つかるかもしれないという思いが恐怖と不安になって身体に纏わりつく。どうか見つかりませんように。動かないでくれますように。

 しかしそんな心配も杞憂に終わり、無事に馬車の裏側までくることが出来た。だが、そこで厄介なことに出くわした。というのも、向こうから見たときには分からなかったが、ボロボロになった馬車は予想以上のやられっぷりで、荷台も幌も隙間が多く、隠れたとしても見つかる可能性が高かったのだ。

 やっぱりやめるべきか。しかし、何か食べないと死ぬことには変わりない。せめてパン一つでも手に入れておきたい。十数秒の逡巡を経て腹をくくり、慎重に進むことにした。最悪、馬の死体の陰に隠れればいい話だ。血だまりに身体を浸すのは気が進まないが。

見つからないように、また匍匐前進で少しずつ馬車に近づく。向こうからも見えていた影の近くを通り過ぎることになったが、暗かったお陰で鼻につく鉄臭さを我慢するだけで済んだ。

 これはどちらの臭いなのだろう、血の臭いか、武器の臭いか。馬車の陰にもう一人見つけたが、こちらは別の生臭さがひどかった。女性らしい姿から、そういうことなのだろうと結論付けた。

 獲物の裏、馬車の影まで来たときに、さっき動いていた麻袋を思い出す。誰が入っているのかは分からないが、単なる被害者なら助けたいところだ。余裕があればの話だけれども。

「…………………」

 今気が付いたことだが、ここからならば盗賊たちの会話を聞き取ることが出来そうである。少しここから聞いてみようと耳を澄ましてみた。

「……だぞ、ガルシ……も残しとけってんだ」

「うっせぇ…………りだろうが」

「…………めとけ、…………じゃねぇか。今は楽しもうぜ…………に乾杯だ」

 驚愕した。聞き取れそうだとは思ったが、言葉が理解できる。盗賊たちが日本語を話しているのか単にそう聞こえるだけかは不明だが、少なくとも意味が分かる。内容はとりとめのない談笑だが、この事実は予想していなかった。心配事が一つ減ったのはいいのだが、何故認識できるのかという疑問が頭をもたげつつあった。深呼吸をして忘れる努力をする。

 隙間から覗いて様子を伺うと、集団のうちの何人かで歌っているのが見える。他の盗賊はそれに聞き入っていて、異変でもない限り目を放すことはなさそうだ。何かを掠め取るなら今のうちだろう。

 激しくなる鼓動を抑えつつ、膝立ちになろうとした時、手に何か当たった。目を落とすと、手のひらに収まるサイズの小石がそこにあった。これは使える。

 落とさないようしっかりと握り、馬車の反対方向、少し前に自分がいた所に向けて思い切り投げる。物を投げるのは得意ではなかったが、運が味方し、茂みの中、突き出ていた岩に当たった。自分の耳にも届くほど高い音が響き、盗賊たちの動きが固まる。

「誰だ!」

「シッ! 静かにしろ! 獲物が逃げる」

「今日は運がいいぞ……誰だが知らんが、獲物が自分から捕まりに来やがった」

「きっとあいつらのお友達かなんかだ。自由に出来る女が増えるなら最高なんだが」

 盗賊たちは音のした方向から目を反らすことなく、腰につけた山刀を抜いて取り囲むように動き始めた。動くなら今のうちだろう。一人がこちらに視線を僅かに寄越し、明後日の方向へ戻したのを見届けてから、僕は陰からそっと抜け出した。

 開かれている木箱を覗き見てみるが、めぼしいものはあらかた取り出され、用途が分からない、或いは価値の無くなったガラクタがいくつか残っているだけだった。悩んでいる時間はない。使えそうなものを取り出してポケットに詰め込み、首から下げられるものは首にかける。古びた短剣らしきものも見つけた。護身になるといいが。

 十五秒ほどの物色を終えて盗賊たちを見ると、そろそろ岩の所へたどり着きそうだった。ここまでしっかりと引っかかってくれるとなかなか嬉しいもので、表に出しはしないもののほくそ笑みたくなってしまう。今のうちに逃げ出そう。


 踵を返そうとした時、何かが動く音がした。あの麻袋だ。

 どうする。両手は空いている。担げそうならあれも持って行ける。助けられるか?

 盗賊の動向を気にしつつ、もぞもぞ動く麻袋の前に辿り着く。それを抱え上げると、動きは一層激しさを増した。中から声もする。猿轡でもされてるのだろう、間違いなく人間だ。

「むぐー! うー!」

「静かにしてくれ、助けようとしてるんだ」

「うー! んー!」

「頼むからから静かにして! 見つかる!」

 誰かに向けて何かを懇願するのはいつぶりだろうか。そんなことが浮かんだが、今考えることじゃない。布袋は未だ暴れている。僕を盗賊の一味と勘違いしているのだろう。無理も無いのだが、どうしてこうも言葉を理解してくれないものなのだろうかと苛立つ。

 思っていたよりも軽いからこのまま逃げることも出来なくは無い。ここで拘束を解く時間も無い。仕方がない、このまま連れていこう。

 腰のところが折れるように左肩に担いで立ち上がるのと同じくして、後ろから大声が聞こえた。それは一番聞きたくないもので――――

「女が逃げたぞ! 探し出せ!」

 見つかったか。確認することなく一直線に走り出す。あの声を聴いてか、袋は暴れるのをやめて静かになってくれた。担ぎやすくはなったが、これだけの荷物を持って逃げられるわけが無い。

 声がどんどん近づいてくる。がさがさとまばらに生えた草を分けて走る音が聞こえてくる。

 盗賊はあっという間にすぐ後ろまで迫ってきていた。人一人背負って逃げられるわけなど無いのだ。

 ならば命を懸けるほかない。

 背後に視線を向ける。こちらに向かって一人がやってきている。剣は抜かれていない、捕まえようという魂胆なのだろう。

 さっきポケットに入れた短剣を右手に引き抜く。人を殺すのは気が引けるが、殺されようとしてるなら仕方がないだろう。逃げられる程度に傷つけるだけでいい。いや、殺した方が安全か?

口に鞘を咥え、刃をむき出しにする。逆手に握り、後ろに迫る盗賊に向けて振りかざしながら振り向き正対しようとする。



 直接的に響く嫌な感触。鶏肉を切った時のような柔らかいものと、石にでも当たったような硬いものの二つが混ざったような感触。空を切った訳では無いことが見ずとも分かった。


 振りかざした短剣は、ものの見事に盗賊の首に突き刺さっていた。

 走ってきた勢いのまま、それに僕の力が加わって男が地面につんのめる。背中側から入った短剣は、その役目を果たさんと首を横一文字に切り裂いていく。それだけはよく見えた。

「あ……がっ……」

 声にならない声を上げながら首元の傷を抑えようとしている。もう片方の腕が腰に伸びるのを見て、このままではまずいと顎をあらん限りの力で蹴り上げる。爪先に鈍痛と骨と骨の隙間に気持ち悪くめり込む感触が走り、ほぼ直角に折れ曲がった男の首からは真っ赤な鮮血が脈動に合わせて地面に垂れ流されはじめた。


 死んでいるのは言わずもがなだった。手足を痙攣させ、虚空を見つめる瞳は土で汚れていた。

 周囲に目を走らせる。こちら側に来たのは何故かこの男だけらしく、他の仲間の声はすれど姿は見えなかった。何故、それは考える必要のないものだ。

 ここに誰もいないからと言って、突っ立ってる暇はない。十数秒前まで生きていた肉塊を後にして、僕はより遠くを目指して走り出す。

 袋の中から、微かにすすり泣く声が聞こえるような気がした。


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