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27 痛みの許容量

「民間人含めて死者七十名以上、負傷者は二百名を超えるって?」


 そう報告を受けているのは、数時間前に別れた人物だった。


 あの空の影はやはり街からの増援であり、その殆どが数メートル――――今話している人物など学校の屋上より高い位置から敵兵士に向かって飛び降りてきていた。


 そんな人外のような奴らが――――事実なのだが――――陸路から来たのはそれに遅れて数分程度で、どちらにせよガルシアの言うとおりに事は収束に向かっていった。


「そこに入っていない奴もまだ居る。かなり手酷くやられた」


「うーん……でも、皇国軍の人数はたったの数十人だけだったみたいだろう? 一体何が起きていたんだい」


「ギフテッドさ、アストラリア。限定的かつ半強制的な催眠だ」


 状況の整理をしている上官らの合間に荷物を抱えた一人の下っ端が割り込んでくる。

 周囲はまだ騒がしいままだが、まだ無事な荷台の修理や逃げた龍馬の捕獲、負傷者の処置など、もう平和な音しか聞こえてこない。


「ええと…………君は?」


「ガルシアだ。彼もギフテッド……駄目だ、自分で説明してくれ」


「俺もそれ以上出来ねぇよ。まぁ、久しぶり…………つっても分かんねぇよな」


 ミリアスと彼の反応にアストラリアは困惑するほか無さげだった。


「……まぁ俺のことは今はいいんだ。こんなことになったのは皇国側のギフテッドのせいで、こっちに鞍替えするつもりも無さそうだったから始末した。それで多分催眠も解けたはずだ――――よなミリィ?」


 彼がそのギフテッドに何をしていたのか知る権利が僕にはあったが、結局の所しなかった――――――と言うより、あそこまで聞けば何をするのか分かっていたようなものだったし、そんなことに首を突っ込む気は呆れに上塗りされていた。


「確かに、唐突に敵の統率も悪くなった。催眠にかかっていたのは敵の兵士もだったのか……もう知る由は無いが」


「そう。分かったよ」アストラリアが眉間を抑える。「何はともあれ、負傷者の護送が急務だ。この人数になると重傷者だけでこっちは手一杯になりそうだし、ここの穴も応急的に塞いどかないといけないし……ミリィ、そっちは任せても大丈夫かい?」


「元から任されているからな。念のために彼らを何人か追随させたい」


 ミリアスが準備の整った馬車を見やった後に空を見上げたとき、脇腹の古傷に違和感が出てきた。


「急がないと怪我人を雨晒しにすることになりかねなさそうだ」









 そんな言葉が現実になって何時間ほど経っただろうか。


 時計ではまだ夜になっていないはずなのだが、空は既に黒一色に染まっていた。それでもなお闇は広がり続けたいようで、雨とともに荷台の中へと忍び込んでくるように思える。

 バケツをひっくり返したような、という比喩はありきたりなものだが、こうしてその最中にいれば成る程と納得できるものだった。雨粒というより水そのものがまとまって降り落ちてくるような天候だ。



 車列はたったの四台に減っていた。最初に乗っていた顔は漏れなく全員いるが、一人当たりの空間はかなり狭くなっている。


「いあぁうっ!!」


 車体が跳ね上がると同時にイリアが悲痛な声を上げる。今の僕の周りには彼女以外にも傷に苦しめられている人物ばかりなのだが、全員が騎士の格好だからか、努めて声を押し殺しているように感じられた。


「ぐうぅ……うっ……いたい、カズぅ……!」


 その我慢強さを彼女に強いるのは無慈悲と言うものだろう。覚悟しているわけでも、慣れているわけでも無い、しかも子供に耐えろと言っても仕方の無いことだ。


「おい、そろそろ緩めろ」


 僕に背中を預けているガルシアが小声で伝えてくる。寒かろうと彼女に掛けているブレザーを少し捲って、数十分ごとに圧迫を緩めて血を流すのが時間の過ぎている唯一の実感のようにすら感じる。外は暗く、車内は沈痛さで溢れ返りそうだった。

 光源は雨風から隠れるように揺れるランタン一つだけで、傍に横たわるイリアの顔すらまともに確かめるのが難しい。


 それでも取り替えた布にべっとりと付いた彼女の血の色は分かる気がした。

 少しは出血も落ち着いてきたのだろうか。それとも出るほどの量が無くなってきたのだろうか。



「痛むかお嬢ちゃん。結構痛いよな、辛いよなぁ……」


 ガルシアが息の荒いイリアに声を掛ける。その声色は他人を痛めつけて笑う人格を微塵とも感じさせず、本心から言っているようにすら錯覚させそうだった――――どれが彼の本心なのか分かったものではないのだが。


「でも大丈夫だ。その痛みはカズも分かってる……お嬢ちゃんよりも酷い怪我を負ったことがあるからさ。その痛みも辛さもこいつは分かってるから…………大丈夫だって、今は我が儘言っていいんだぞ? それがお嬢ちゃんのするべきことだ」


 途中からイリアの耳元に近づけた為に聞き取れなかったが、何やら企みがありそうだと思うのは彼の動向を見知ってきたからだろうか。


 それとも、「僕が彼を知る」以上に「彼が僕を知っている」ように思えたからか。



 そんな思考は鈍くとも鋭くともいえない痛みに停止させられる。


「ッ…………クソ、苛つく」


 脇腹と太腿の傷の痛みが治まりそうにない。今回は随分と長引きそうだ。



「はぁ……ねぇ、カズ……きこ、える?」


 また圧迫してから握り直した彼女の右手に少し力が入った。


「お願い……いっ、もう、ちょっと……」


 只でさえ痛むであろう身体をこちらにすり寄せてくる。場所だけに呼吸も痛いはずなのだ、そこまでして僕の傍に来たいのか。


「やってやれよ、死なせたくないんだろ?」


 五月蠅い。そう言い返したかったが――――ガルシアはどうもそれを許してくれない言い方をよく使ってくる。反論したくとも余計にボロを出すだけに留まりそうな話の動かし方で、結局はその言いなりにするほか無いのだ。きっと人を動かすのが得意なのだろう。



「……これでいいのか?」


「んっ、ふぅ……うん、ありがとう。カズ……」



 彼女の頭を膝に乗せたときにそう言われたので聞こえたのかと一瞬ぎょっとしたが、単にタイミングが合っただけのようだ。


「くふ……んっんー、しかし、まぁ、カズと会話できねぇのはこういうとき面倒だよなぁ」ガルシアが吹き出しかけたのを誤魔化すようにぼやいた。


「俺が通訳できるが、本人から直接聞いた方が効果があるだろうし、ねぇ?」


 ガルシアが分かっているような言い方とともに視線をある人物に向ける。カロだ。


「……はい?」


「そうだよ、あんたウィズネア教団だろ? なんかひみつ道具とかねぇのか?」


「あ、えっと……そうですね。ありますし、きっとイリアさんが使うべき、ですよね?」


「お、あるのか」あくまで知らない風を装うつもりらしい。


「すっげぇ助かるな。流石はカロのおっさんだ」


「えっ?」


 彼の耳に付けていた無線機をガルシアに渡すとき、予想外の発言に少し驚いたようだった。


「えっと……どうして名前を?」


「ん? ああそうか、言ってなかったか……ほい、付けてやれな」


 ガルシアは僕に無線機を手渡すと、その手で彼を指さした。


「覚えてねぇか、あんたを色々助けたお人好し……ってそうだそうだ、あの時も名乗っちゃいなかったなぁ……まぁいいや。俺が知っててもそいつが知らないなんて今じゃザラだ」


「そ、そうなんですか。えぇっと、それってイリアさんたちも……?」


「そうだな。おっさんにお嬢ちゃんにカズにミリィに、まぁ他人が友人だと偽ってるようなもんだし当然の態度なんだがな」


 どうだ、とガルシアに問われた頃にはなんとか耳に付けることが出来た。やはり他人に触られるのも慣れないものを取り付けられるのもくすぐったいらしく、二、三度身動ぎして痛みに声を上げられてしまった。


「……聞こえる?」


 同じものを耳に付けた後、自分でも分かるほどにおどおどした声が出てきた。会話そのものを苦手と思っているわけではない。が、こんな状況は考えたこともなかったし、それはつまりどう話せばいいのかが全く分からないのである。



 イリアからの答えを待ったが、先に彼女の髪の毛とズボンの布地とが擦れる音を聞いた。


「うん、聞こえる…………なんだか、ちょっと不思議な声、なんだね……」


 苦しそうだが、それでも微かに笑ってくれた。機械を通した声だから厳密には僕の声そのものではないだろうが、それでも確かに彼女は僕の声を聞いて笑ってくれたのだ。


 その事実に僕は喜びを感じたし、もうこれ以上は嘘を通せそうに無いとも思うようになっていた。やはり「もうなっていた」と、そう諦めが付いたような気がする。


「ねぇ……いい、よね?」


 彼女が僕の方に身体を傾けてくる。ガルシアにそうしても良いんだとでも言われたのだろう。彼の方を見るが、その考えが間違いでは無いと確信できただけだった。


「お嬢ちゃん、眠るのはもうちょい後にしとけ。いま口が利けなくなるとカズが不安がっちまうからな。こうみえてかなりビビりだし、そんなの見たくないだろ?」


 やはり反論させるつもりはないらしく、そう言って彼は前方の幌の隙間から外を確かめに行った。






「…………ミリアス、一つ頼まれてくれ」


 少し静かになった車内で、視界の外からそんな声が聞こえてくる。


「パシェル、まだ口を開くな。もう少しの辛抱だ」



「良いんだ……良いんだ。念のために言っておいた方が、ふぅ、我が身に専念できるからな……」


「そうか。分かった、手短にしろ」


 パシェル。僕が見てきた限りでミリアスの一番近くにいた人物だ。そう言えばあれから姿をよく見ていない――――声からして調子が良いとはとても思えないが。


「大丈夫だ、俺にそんな気は更々無い……が、どちらにせよこの腕だと弦はもう引けない。残ったとして、姉や弟、老いた両親と抱き合うこともどうだか……あぁ、最後の戦いがこんなのじゃあ笑いものにされるかもなぁ」


「お前らしい最後だったと俺は思う。大軍同士のぶつかり合いじゃない、小規模で、守るべきものが直ぐ傍にある戦いだ……勿論、『最期』ではあるまい。お前はあの時から、そしてこれまでも同じような場所で戦っていくのだろう?」


「……カハッ、そう、かもしれないな。あの後輩が暴れた時にゃあ……思いもしなかった。今じゃ代表諸侯の代理まで務めて、追い抜かれるのは堪ったものじゃ無い……」


「今から慣れておけ。随分早いが、これからは見守る側になるぞ」


「…………ミリアス、もし治療が長引いたら、その時は……その時だけで良い……」


「もう黙っていろ。ここで安心させるつもりは無い」


 冷酷とすら思える口調だったが、パシェルは最後に乾いた笑いを上げて口を閉じた。


「あと十五分の辛抱って所だな、ミリィのご友人さんよ」


 ガルシアが口を挟んだ。彼が捲った幌の切れ端の向こう、塗り潰したような闇に、地平線の上で光が灯っているのが見える。


 どうやら光源は城壁の上にあるようで、ようやく目的地が見えたときのような安堵が車内中に――――僕の中にさえも広がっていった。




















「今更だが、一気にこんな人数が押し込まれて大丈夫なのか?」


「アーラキアは対皇国における要衝の一つだ。これぐらいの人数なら問題ない」


「そうだっけか。まぁセリスの数倍近い都市だから当然か」


 ガルシアとミリアスのそんな会話が始まって終わったのは、その都市――――アーラキアの内側に入ってからだった。ここでようやく僕らがいた街の名前を知ることになったが、ここで知ったところでなんだと言うぐらいに価値は無かった。



 遠くから見えていた光ほどの強さは無いが――――夜も更け始めの頃合いだから尚更だろう――――街並みの明るさは街路をも照らさんとばかりに灯っていた。四台の車列の中身や天候の荒れっぷりと対照的すぎて、聞こえてくる喧噪が僕らへの皮肉にすら聞こえてきそうだ。



 まだここは戦争が始まったことを受け入れたように思えなかった。軍人はともかく、民間人に不安感や怯えという感情は声の楽しさの底に埋もれている。



「診療所に着いたら重傷者から運び込む。動ける奴は率先して手伝ってくれ」


 ミリアスが全員に向けて声を掛けるが、それに反応を示したのは二割ほどだった。気のせいか再出発したときより静かで、それは深く考えてはいけない類に思えた。


「パシェル、お前も肩を――――――――」


 平静な声が途切れる。きっと悲壮感に沈まないよう努めてそう話していたのだろうが、だからこそこの一度の動揺のみで聞いていた全員が察することが出来てしまうのだった。








 何度か身体が左右に大きく揺れ、その度にイリアの身体が無駄に動かないように抑えた。ガルシアが眠らないよう注意したものの、呼吸は浅く眠っているようで、瞳も七割方閉じたり開いたりを繰り返している。


「…………着いた、の?」



 少し心配になっていたが、これまでに働いていた慣性が止まったのと同時に意識が戻ってきたようだった。まだ気を抜けないが、ほぼ助かったと胸を撫で下ろしても良いだろう。



「……重傷者から移動させます。動ける方は無理の無い範囲でご協力をお願いします」


 すっと通る女性の声に入り口を見やると、身軽に乗り込んできた看護師らが手際よく負傷者を運び始めていて、出入り口の直ぐ傍にいた人物――――パシェルが最初に運び出された。奥側にいたクラムやカロも狭い車内で手助けを始め、驚くべき速さで荷台の中が広くなっていく。


 建物からの光で一瞬だけパシェルの状態が確認できたが、左肩の関節の部分が妙な反射をしていたのが見えただけだった。


「カズ、任せとけ」


 イリアを運ぼうと手を回したとき、僕の肩に手を置いてガルシアが制止した。


「お前が運ぶと厄介になるだろ? 俺が代わりに運ぶ。変な場所には絶対触んねぇから、そこだけは信頼してくれ、いいな? じゃあ持ち上げるぞお嬢ちゃん。少し痛むかもな」


 掛けていたブレザーを押し渡され、僕に付きっきりだった彼女が彼の腕の内に収まった。それでも繋ぎっぱなしだった手だけは名残惜しそうに暫く放そうとしなくて、看護師の一人に急かされた時にはもう僕らしか残っていなかった。



 これほど近くに建物があるにも関わらず、土砂降りと漆黒のせいで輪郭が危ういぐらいだった。おおよそ平屋の建物で、入り口から見える範囲だけでもかなりの奥行きと幅がある。


 その広い空間に整然と簡易的なベッド――――と呼んでもいいのか分からないぐらいだったが――――が並んでいた。少なくとも数十台はあるように見えるが、もう半分ほど埋まっている。負傷者の搬送、怪我の処置、生死判定、医療関係者たちがその合間を忙しなく駆け回っている。



「隅を使わせて貰おう……カズ、下ろすから手伝え」


「分かり……分かった」


 こんな場所で口うるさくされるのは堪らないと言い直しながらゆっくりとイリアを寝かせた。意識は完全に覚醒しているようだった。顔色は真っ青で貧血なのは目に見えて分かるが、まだちゃんと「彼女」である意識は残っている。


「必要なモンを揃えてくるから、取り替えられる準備をしておいてくれ。おいメイドさんとおっさん、他の奴を助ける前に手を貸してくれ!」


「は、はい! 今行きます!」


 自由にできる人手を引き連れ、「じゃ、頑張れよ」と言い残して人混みの向こうに消えていった。




 視点をイリアに戻す。揺れで傷に響くのも無くなり、ようやく安心できる場所にやって来れたからだろう、痛みに強ばっていた顔も少し緩んだように見える。


「……えっと、少し脱がすよ?」


「うん」


 こういう場合にどんな会話が好ましいのか分からないので、自分に課せられたことのみを考えることにした。ボタンをへその上ほどまで外し、紅色から錆びたような臙脂色になったネクタイを緩ませる。


「……ああ、クソ、やっぱりひっついてる」


 可能な限り取り替えていたものの最後に替えてから二時間は経っていて、当てていた布は血でしっかりと癒着してしまっていた。これを剥がすのはかなり痛いが、しなければ傷口が化膿しかねない。


 この世界に消毒液があるのかも分からないが……持ってきてくれるのを期待するしか無い。剥がすのは準備が出来てからにしよう。


「その……結構痛むかも知れない。少し待ってて」


 名前を口にしようとしたが、なんだか抵抗があった。僕は彼女の名前しか知らない。どんな名字なのかを聞いた覚えはなく、つまりは異性を名前で呼ぶしか選択肢が無いのだ。


 少し腹が立った。こんな時にも面子を気にするものかと。



「お待たせ。最低限のものしか持ってこれねぇ雰囲気だったけどいいかな?」


 ガルシアらがトレーと共に戻ってきた。ガラスの中に透明な液体、数枚のガーゼと思しき布、包帯、ピンセット……その他治療に必要そうなあれこれ。思ったよりも道具は充実しているらしい。



「さて……覚悟を決めて、始めるとしますか」


 濡れたハンカチで手を拭いながらガルシアが言う。


「ほれ、おまえも拭いとけ。腕までな。傷の調子はどんなだ?」


 渡された布からは結構な刺激臭がした。先ずは手の消毒からだったか。


「かなりくっついてる。剥がして消毒して……また圧迫?」


「そんなとこだ。先ずは剥がす前にまわりを綺麗にしてやろう。その後が正念場だからな……ちょいと待ったメイドさん、あんたも残って手伝ってくれ」


 近くで呻いた騎士の処置をしようとクラムが動くのをそう制止した。


「一人よりも二人、カズはまた・・片腕が使えなくなるし、居てくれた方が助かるんだ」


「はい、わ、分かりました……でも、私なんかで、そのぉ」


「あんただからこそだよ、ビビらずに俺の言うとおりに動いてくれるだけで良いさ」


 そう言いながらも僕と彼とでイリアの腹部を拭いてやった。乾いたものも新しく漏れてきたものもほぼ全て拭き取ったが、完全に一枚は使い物にならなくなった。


「おっさん、これだけありゃあ血液型は分かるか?」


「えっと……はい、十分です! 急いで用意してきます!」


 手持ち無沙汰だったカロにそれを渡すと、ガルシアは首の骨を鳴らした。


「よし、と。お嬢ちゃん、ちょっと口開けてくれるか?」


「え? はい、えっと、あー……」


「良し、カズ、舌噛まないように塞いでやれ」


「は?」


 クラムとの会話で聞こえた一説は聞き間違いだと思いたかったが、どうやら本当にやらせるつもりらしい。

 やはり僕には彼の言動の真意が読み切れなかった。咥えさせるなら別に僕の腕じゃなくても良いだろうに。


 とはいえ、トレーの上のもので汚して良さそうなものは見当たらない。どうしてこんな目に遭わせるのかと憤慨したくなるが、ここもまた従うしか無さそうだった。


「むぐっ……ガルヒアはん、これって、カフの……?」


「そうだ、また痛かったら思いっきり噛んで良いぞ。カズ、そのまま肩も抑えてくれ。メイドさん、包帯持って全力でお嬢ちゃんの両足を抱えてくれ」


 こうやって指示を出した後、準備が出来たのを確認するまでに数秒の沈黙があった。本当は意識させずにやる方が良いのだろうが、こうなったからには一段と覚悟を決めなくてはいけない。

 意図せずにやられるのと、意識してやられるのと、一体どちらが良いのだろうか。



「…………四十秒だ、それでヤマは超えるぞ。さん、にい、いち……」


 ガルシアが焦りを抑えた声で言い、意識せずとも僕の両手に――――それに添えられたイリアの手にも――――力が入るのが分かった。



「……んぐううううっ!!」


「ぐぅっ!」


 躊躇せずに布を引き剥がし始めた。腕の骨すらも砕く勢いでイリアが歯を立て、視界の端でクラムが少し持ち上がったのが見えた。


「よし、第二波いくぞ」


 露出した傷口は膿み始めていた。それを強引に拭き取り、アルコール臭い液体が垂れるほど染みた布を押し当て、十五秒ほど掛けて丹念に汚れを拭き取っていく。


 剥がすよりもきっと痛いはずなのに、腕を噛む力は変わらない。最初からこれ以上込められないほどに力んでいたのだろう、それほどに痛かったのだろう。皮膚を貫通し、彼女の鋭い歯が筋肉に突き刺さり、骨に食い込んでいっているような感覚もある。僕のことを心配する余裕など端から吹き飛んでいるのだ。


 彼女の肩を抑える手も、それを握っている手もまた震えるほどに力んでいる。



 大丈夫だ、あの時より痛くない。

 やはり痛みに違和感があった。ここまで痛いのに我慢が出来る。腕に意識が集中するはずなのに、体中の古傷の痛みの細部まで感じ取ることが出来た。それほどに思考もクリアで――――つまりは、いろんな傷の「痛さ」を比べることすらも出来るのだった。



 それはある意味で地獄だった。痛みに集中することが出来ず、些細な心配事すら忘れることが出来ないのだから。


「もうちょいだ、もうちょい……脚はもう大丈夫だ! 身体を持ち上げてくれ!」



 綺麗にしてもまだ鮮血はたらたらと溢れてきていて、また一筋彼女の腹部を赤く彩っていく。しかし、それがシーツに滴る前にクラムの体毛に吸われ、そうしない内に真っ白な包帯で覆われていった。



 僕の腕からも流れているのだろうか。そんな疑問が沸き上がる。

 きっと出ていないのだろう。そんな妙な確信が僕にあるにも関わらず、彼女の流れる血を見て僕は漠然と思っていた。一種の現実逃避なのかもしれない。






 時間の感覚など吹き飛んでいたが、ガルシアの言ったことはほぼ守られたらしかった。


「終わりだ。まだすっげぇ痛むだろうが、さっきのが一番痛いからな。これからは次第に落ち着いてくるさ……マジで頑張ったよ、お嬢ちゃん」


 取り替えたどす黒い布をトレーに乗せながらガルシアが言う。


「片付けてくる。メイドさんよ、それを水に溶いてお嬢ちゃんに飲ませてやりな」


 そのまま言葉通りにどこかへ行くかと思ったが、その前に僕の耳元へとやって来た。


「……なんだ」


「馬鹿かお前、こういうところでちゃんと点数稼ぐんだよ。頑張ったなの一言も言えねぇのか?」


「え?」



 言わんとすることは理解できたが、何故わざわざ言ってくるのかが分からなかった。僕とイリアの仲が良くなれば何か得することでもあるのだろうか?





 が、その答えを聞く前にずらかられてしまった。


「ふぅーっ、ふぅう…………んっ、ぷはぁ」


 腕から押し込まれた歯が抜ける感覚で、今の今まで噛まれっぱなしだったことに気がつく。直ぐに歯形を確認しようとしたが、やっぱり何も無かったかのように綺麗なままだ。血が出るどころか、薄暗い屋内の光はぬめった皮膚だけを照らし出している。 


「カズ……ごっ、ごめん…………痛かった、よね?」


 痛むだろうが、ちゃんと大きく呼吸は出来ている。落ち着かせればもう安心できるだろう。

 ガルシアが言っていたのはこういうことなのかも知れない。不本意でもあるが、今現在で彼女とは僕が一番近い位置にいるのだろうから。


「……平気だよ。僕の傷は僕のものだ、君が気にすることは無い」


 名前を呼ぶのはやっぱり気後れがあった。

 処置の間に零れてしまったのだろう涙の跡を指で消した。これが今の好意の限界だ。


「でも……わたし、力いっぱい噛んじゃって……」


「大丈夫だって。あとで看て貰うし……それに、これよりもずっと痛い傷も知ってる」


 こういう時に彼なら気の利いた言い回しが出来るに違いない。僕には気取った言葉なんて無縁そのものだし、独り言でも言った覚えは無い。


「だから……自分の心配だけしてくれればいいよ。今は君のことが第一だから」


「……ごめんね、わたしの為に…………」


 君のためじゃない。彼女の言葉にそう直感で思った。


 僕が君に優しくしているのは、僕が傷つかないためだと。



「…………イリア様、飲めますか?」


 クラムがおずおずと僕らの傍に近寄って、イリアの口元にコップを近づけた。


「……焦らなくていい。ゆっくりと一口ずつ飲み込むんだ」


 軽く咽せたのでそう忠告する。僕も心配性な質があるのかもしれなく、気づけばクラムの手に何ら意識すること無く手を添えていた。


 量にすれば喉を湿らせる程度しか無かったのだが、全てを飲ませるまでに二分はかかったと思う。クラムが水滴の残るコップをトレーに戻したとき、また別のものを持ったガルシアが戻ってきていたからだ。



「鎮痛剤も飲ませられたな。次第に眠くなってくるだろうから、今度はそのまんま寝ちまって良いからな。痛みを忘れられる内にしっかりと休んでおくんだぞ?」


 ガルシアが枕元にしゃがみ込み、そう言った後に僕の方へ向き直った。


「俺達も休むぞ。輸血はここの奴らがやってくれるし、落ち着いてきたら個室にも移してくれる。

 ミリィの名義で部屋は借りられるらしいから、俺とお前と、あんたも一緒に来る……よりももう一部屋頼んでおいた方が安心か?」


「えっ、ええっと……贅沢すぎます。私一人で部屋を使うなんて……」


 クラムはそう遠慮がちに下がるが、場の雰囲気をあえて無視したような笑顔に捕らえられた。


「俺とカズで二部屋頼んだところ、うら若いご婦人方がお一人でいらした。騎士道精神に則って、ここは一部屋お貸しする。それで納得しろ、いいな?」


「え、えぇ…………っと、そこまで言うんであれば、良いんですよね? その、ミリアス様にもお礼を言っておきたいのですが……」


「今は止しとけ」


 すぐさま口調が変わった。彼はそれ以上何かを言うこと無く、ただ屋内の一角へ視線を向けるだけでそれを説明しようとした。





 大部屋の奥の方、薄暗がりに真っ黒な人影と反射する黄色の瞳が見えた。横になっている誰かの腕を握っており、彼の直ぐ傍ではもう一つの影が――――彼のアイデンティティーである大きめの盾と共に項垂れているようだった。


 例え最悪のケースじゃ無かろうと、あそこに事情を知らない人物が近寄れる雰囲気で無いのは明白で、横たわっているイリアにはあの風景が見えていないだろうことに少し安堵を覚えた。こんな時に知人の不幸など見るものじゃない。



「…………まぁ、今日はめちゃんこ大変だったんだ、全員ゆっくりと休もうぜ」



 ガルシアのその言葉に僕とクラムも従い、既に半分夢の中のイリアの頭を数度撫でてからこの場を後にした。


「おやすみ……また明日」


「うん、カズ、おやすみ…………」



 たった一言多いか少ないかだけの挨拶だが、きっと違うのは僕の方なんだろうなと思った。







 踏みしめられた土すら穿つ雨は何もかもを流そうとしているように感じられた。








「休んどけ、後々後悔するぞ」


 一人では少し手広で、二人では狭苦しく感じる部屋の中にそんな声が響く。


 彼の言うとおりに休息を取るべきなのだろう。

 しかし、僕を取り巻く環境は余りに強引かつ不鮮明で、こう身が落ち着くとその事実が不安がらせようと頭をもたげ始める。



 そんな僕を見かねたのか、既にベッドに寝転がっているガルシアが話しかけてきたのだ。


「そんな悩んでも世界は変わらないぞ? いろんな事が起きるが、全部なるようになるし……お前は他の奴と違って『やりようがある』だろ?」


 一つしか無いベッドはガルシアの方から僕に譲ってきた。簡素だがちゃんとした作りで、少し硬く感じるがしっかりと寝具の役割は果たしてくれそうだ。



「それともあれか? お嬢ちゃんのことか?」


 半分聞き流していたが、そんな言葉に思わずびくりと反応してしまう。


 彼はそんな僕を見て楽しげに笑みをこぼした。小馬鹿にした笑いでは無く、失笑に近いものだった。


「お前なぁ、お嬢ちゃんとタメの女の子じゃ無いんだからさぁ……そんな分かりやすい反応返すなよ。そう言う奴だったっけかお前さぁ?」


「……五月蠅い」


 分かったように話を進めてくるが、僕以外の誰かに分かったものじゃ無いだろう。誰にも自分の内心など話したことはないし、そもそもこうして気さくに話す人物など周囲に居なかった。



 何者なんだ、この男。


「冷てぇなぁ……つっても、他人相手なんだし当然か。わぁった、俺が悪かった」


 ガルシアが背もたれに寄り掛かって机に脚を乗せた。謝意は全く感じられない。



「何であれ、お嬢ちゃんを護るにゃあお前がしっかりしてねぇと駄目だろ? こうして休んで良いときにガッツリ休んで、いざって時に備える。お前なら分かるだろうが」


「………………」


 その通りだ。イリアの容態は今もまだ不安な部分があるが、もう出来ることはし尽くしたし、これ以上心配しようとしまいと結果は変わるまい。

 きっと心配してくれているのだろうが、見知らぬ人物に色々と知られているような気がするのはやはり気分が良くなかった。


「そういやカズ、お前が目を覚ましてからまともに休んだのって数えるほどもねぇんじゃねぇか……ベッドで眠れたのは何回だ?」


 答えるのが面倒だと思ったが、現状をうじうじ考えるよりマシだと思って旅路を振り返ることにした。


 ベッドで眠ったのは……シナ村で一回、セリスのバルト邸で二回、計三回。記憶が正しい限り今日は六日目のはずだから、少なくとも二回は何も無い場所で眠ったことになるのか。


 こんな無茶をするのも久しぶりな気がした。野宿は両手で足りないぐらいに試したことはあるが、こうも連続してやった覚えはない。


「…………三回」


「……そっかぁ。三回、ねぇ…………」


 どうも引っ掛かる答えだったらしく、質問の意図に少し興味が湧いた。ベッドで眠った回数から何を知ろうとしたのだろうか。



「……まぁ、休息は大事だってことさ。あんなどったんばったんの大騒ぎのあとだ、お嬢ちゃんもお前もゆったりと落ち着いて休むべき、間違ってるか?」



 答えを待つこともせず、机の上で揺らめいていた蝋燭の火を消された。光源が一つ消えたことで、部屋に少し闇が迫ってくる。


 僕もガルシアも一言すら喋らず、何度か寝返りをしている内に瞼が重くなってきた。使い古されているが他人の匂いのしない毛布の内側の温かさに意識が薄らいで、


「…………おやすみ」


「ああ、おやすみ」


 どういう訳か僕は彼にそんな挨拶をしてから帰ってきた言葉と一緒に闇の中へとすべてを沈めていった。


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