26 情報は力なり 後編
人差し指を軽く引く。肩に衝撃が掛かるとともにぼやけたサイトに重なる影が仰け反る。
トリガーから指を離して、小気味よい音で排莢される薬莢を視界の端で捉え、今度は望遠鏡とも比喩できる長さのスコープの焦点に目を合わせる。あと二発、計七発。
十字の右下に着弾し、首が半分ほど吹き飛ぶのを俯瞰しながら舌打ちする。照準自体を調整したいが、この大騒ぎの中では出来るはずがない。
まぁ楽しいので問題は無い。
こういうのも含めて人生だし、的撃ちというものだろう。
「戻ったぞ。中は結構不味い状態だったが、あと十数時間は大丈夫だ。お前が漏らした奴がしたことじゃないからそこは安心していいぞ」
僕の肩を引っ掴んだまま、ガルシアはミリアスらの元までやってきた。拘束が外れたのもほぼ同時で、荷台の中に心残りがありながらも僕は彼らの方に振り向いた。
「妙な話だが……そう言う奴が多い。俺達を無視して民間人に手を掛けようとしている」
ミリアスが刀を構えて戦場の一点を凝視したまま言う。この塹壕の中には同乗していた計三人の騎士が布陣し、それぞれが別の装備を持って戦闘に参加していた。
「成る程なぁ……そりゃ変な話だし、まぁ納得だわ」
ガルシアがその一人、村でも弩を手にしていた騎士の視線を見やり、同じ方向へと小銃を構えた。一瞬遅れてそちらを見れば、足を撃ち抜かれ額に矢が突き刺さり、その二つのエネルギーで可笑しな倒れ方をする兵士が居た。
「グッドショット。そんでだが、それ以外にも妙な感じしねぇか?」
一瞬だが印象に残るほどの睨みを受け流してガルシアが言う。回転しながら宙を舞う薬莢がその騎士の顔に落ちたものだから余計に恨みを買っていそうだ。
「聞こう。手短にしてくれ」
ミリアスが言葉とともに一瞬の間で動いた。
何の意味がある行動なのか直ぐに理解は出来なかったが、彼の得物から軽く火花が散り塹壕の壁が小さく抉られたことで「何をしたのか」は把握することが出来た。
「まず、同じ理念の元に居たはずのお仲間が簡単に寝返るのかってこと。まぁあり得ない話じゃ無いんだろうけど、今だって信じちゃいないだろ? 斬り掛かってきた奴ら全員峰打ちしてるしってあぶっ!? 受け流す方向考えろ!」
「……済まない。口を挟ませて貰うが、それに心当たりがあるのか?」
もう一人の騎士、胴ほどの大きさの盾を構えた騎士が尋ねてくる。彼もミリアス同様、弾丸を「逸らして」いるらしく、僅かに見える外側の塗装は引っ掻いたような傷だらけだった。裏側にもその跡が見えるが、一つも直撃を貰った様子は無い。
「無かったらもっと不思議がってるっての…………っと。ここでお仲間登場まで籠城するのもありだが、俺たちが居なくなってもここを守り通せるってんならもっと速くことを収集させられるかも知れねえぞ」
喋りながらまた一人の肩を吹っ飛ばしたのが最後の一発だったようで、やはり手慣れた手つきで弾薬を弾倉内に押し込む。まるで片手間のように戦っているが、この間に五回以上は二人が銃撃を逸らしているし、弩持ちは塹壕から応戦している兵士を三人は仕留めている。
「……「たち」か。何をするのか聞いても無駄そうだな。信じていいのか?」
「俺に聞く事じゃ無いと思うが、上手くいきゃあ同士討ちもさっさと終わらせられるな」
「待て、同士討ち? 洗脳されてるとでも?」
四人目を仕留めた後、近くの土が跳ね上がるのを見て頭を引っ込めた騎士がガルシアに目をやる。さっきもきつい目線だと思ったが、疑問符のある眼差しからしてきっと生来のものなのだろうと思い直した。出来るなら目を合わせたくない。
「ちょいと違うが……まぁそれも確認してくるんだよ。どっちにしろ走り回らないといけねぇし」
「……どうします、ランさん?」
盾の影から、刀で跳弾を繰り返しているミリアスに尋ねてくる。そうしている間にも彼の盾はまた弾頭の方向を変え、狙ったのかどうか知らないが近くのせめぎ合いの片方に命中させた。
「…………パシェル、矢の残りは」
「三十八本」
「なら持って三十分だ。それ以降は保証できない」
その言葉にガルシアの口がにっと笑った。
「おっし。善は急げだ、行くぞカズ!」
「えっ?」
あまりの突然さにそう返してしまうと、塹壕から抜け出そうとしたガルシアの足が滑った。
「ちょ、ウッソだろお前!? 話聞いてなかったのか!?」
「いや、僕も行く必要が……」
「あるに決まってんだろ! あと忘れてたけど、残ってるなら弾くれ弾! もうこん中の弾しか残ってねぇんだが、まぁ走りながらでも渡せるだろ!」
大声でまくし立てられ、胸ぐらをつかまれ、かと思えばその手を放して掌を差し出し、何を受け取ることもなくその手で付いてこいとジェスチャーをする。
彼の勢いには到底付いて行けそうになかったし、とはいえそれ以外の選択肢もないように思えた。
「…………分かりましたよ」
「敬語も止せっつってんだろぉが!」
臍ほどまである塹壕から身を乗り出しながら、そんな突っ込みを横に聞いた。
「……それで、どうするんで……どうするんだ?」
「やっと分かったか。それでいいんだ。俺に敬語なんて使うもんじゃない」
塹壕を走って飛んでを繰り返し、何度かの押し問答も繰り返してようやく話が進みそうだった。
僕にとってタメ口というのは苦手だった。年下ならともかく、親しくない間柄や年上に関しては絶対に、敬語ですら親しく会話出来ないだろう。よくもまぁ気兼ねなく話せるもんだと観察しているのがせいぜいだ。
「人を探す。絶対に前線には居ないし、簡単に行ける場所にも居ないのは分かってる。俺だけでもなんとかなりそうなんだが、お前が居た方が何万倍もマシになる上、楽をさせてもらえるのさ」
「楽って…………わっ!」
ガルシアが左側、僕がそれに遅れて右側に付くように走っていたのだが、僕の居る側の塹壕から騎士が一人、ガルシアの背後を襲う形で飛び出してきたのだ。彼もそれに気付いて足を止め、結果として――――――――僕がその一太刀を受け止める羽目になった。
騎士の顔は獣らしさもあるが、どちらかと言われればヒトに近い。彼はどちら側だ。
「な? 言ったとおりだ。ちょいと落ち着けってあんた」
済ました声が背後から聞こえ、視界の端に彼の差す指が見え隠れする。
「俺は騎士団の側だ。あんたは裏切り者か?」
「黙れッ……この卑怯者らが!」
剣先が目の前から離れ、今度は腰元から振り上げてくる。同じように散弾銃の木製部分で受け止めるが、地面が少し滑り、刃が装飾にめり込むほどに威力があった。
「だーかーらー! ちょっとぐらい落ち着けっつうんだよ! なーにに苛立ってんのか十分に分かるから、味方なら手助けしてやるから! だから答えろって、どっちだって聞いてるんだ! 狗か! 豚か! ……この例え通じねぇか!?」
こうしたほうがいいかと、かの騎士の視界の中に居る誰かに向けて発砲した――――僕の視界は彼の行動に釘付けになっているので、「どちらを」やったのかは分からない。
が、これでもかと込められていた力が不意にすっと抜けたので、きっと彼にとっての「敵」を撃ったのだろう。
「これでいいか!」
「……ぐぅ…………クソ、分かった」
食い込んだ刃先を抜くと、その切っ先は地面に向けられた。
「オーケイ、分かったのならいい。同士討ちほど馬鹿らしいことはないからな」
僕を間からどかし、彼は初めて相対する。どちらを撃ったのか確認しようと周囲を見渡すのだが、どこもかしこも死体ばかりで分かったものじゃなかった。
「あんた、今どこか守ってたりするか? そうじゃないなら付き合って欲しいんだが」
「何をするんだ?」
一人、誰かがこちらに走ってくる。恐らくは僕たちを――――彼らを見たのだろう、慌てて進路をずらして塹壕の中に滑り込み、頭と銃のみを出して狙いを付け始める。
一瞬だけ二人に目をやって気付いていないことを悟り、すぐさま照準を定めることにした。この散弾銃の照準器はチープなもので、大雑把な狙いが付けられる程度の丸穴がグリップの上部に付いているだけだった。
これで当たるか疑問だが、やってみなければ分かるまい。
「人捜しだ。このどんちゃん騒ぎを終わらせるために……おい待て撃つな!」
にわかに荒くなったガルシアの声に引き金を引く指が躊躇したのと、ぼやけたリングの向こう側で発砲炎が見えたのはほぼ同時だった。
「撃つな、撃つなよ……」
彼は低く繰り返す。向こう側は計三発発砲し、しかしその声は途切れていない。僕に向けられたものなのだろうとどういう訳か信じて、構えたまま彼に視線を移すことにした。
彼もまた撃つ気は無いらしい。小銃を天に掲げて無抵抗の立ち姿、その顔は安堵にも期待にも――――少なくとも本心によるもので無いのは確かだ。
視線を戻すと、さっきの男がこちらにやって来ていた。周囲の戦闘が気になるからか、拳銃はガルシアに向けたまま、顎で近くの塹壕の下へと促してくる。
「……悪ぃな、助かったよ」
得物を傍らに置いてガルシアはそう言った。さっきまでの騎士への態度は何処へ行ったのか、振る舞いは完全に敵方のそれになっている。
「お前、誰を撃った?」
兵士が抑揚のない声で問いかける。拳銃はまだ向けたままで、語気からも信頼の欠片すら感じられない。
「誰って、そりゃあ…………敵だよ。遠いしよく見えねぇしで当たったかも分からないが」
「嘘だ。お前は分かって撃ったはずだ……違うのか?」
「ああ。違うな」
一つ聞きたい、とガルシアが話の主導権を握ろうとする。
「あんたもあの女狐の傘下なのか? どうも俺と違う気がすんだが……」
「あんたも……? 当然だろう。ここに居るのは全員が部隊長選りすぐりの隊員たち…………」
「やっぱりな」と言ったのは同時で、しかし動作の速さは段違いだった。
兵士が引き金を引ききる前にガルシアがスライドに手を掛けた。雷管を叩かれることなく弾き出された弾が踏み固められた土に落ちた頃には、完全な優位がどちらにあるのか明白だった。
僕が会話の不穏さを察して構えていたにも関わらず、撃つかどうかの判断が終わる前に事が片付いていたのだ。
「ありがとさん、お陰で尻尾がつかめた。礼としてチャンスをくれてやろう……あと、ナイフは太腿に付けといた方がいい。こういうときに背中にあると使えねぇだろ?」
片手で首を締め上げながらガルシアは楽しげに笑った。男も必死に脇腹を殴ったり鳩尾を叩き上げたりと抵抗するが、まるで何もされていないように彼の表情は変わらなかった。
「ぐ……このっ、がぁっ…………」
「まぁまぁ、あんたの気持ちはよぉく分かる。あんたのご主人様の居場所と、俺への復讐権を等価交換しようじゃねぇか。このままずっとポカスカしてるよりマシだと思うんだが?」
「し、信じるかよ、そんなの……ぎぃっ!」
気道ではなく頸動脈を締め上げにかかっている。あそこまで指が食い込んでいるとさぞ苦しかろうと同情の念が僅かにこみ上げる。あくまで他人に対する人道的な感情の動きで、何かをしてやるようなエネルギーは全くなかった。
僕に出来ることはないと周囲を見渡し、脅威になりそうな相手を先んじて倒しておくことにした。確か三人、いや四人だったか?どちらにしろ、シリンダーの中のシェルは残り二発か一発だ。使い切って再装填しておいた方が後々楽だろう。
「元から選択肢なんてねぇんだよ。本来なら聞いて終わりのところを生かしてやるって言ってるんだ。俺を信頼しなくて結構、だが決めるのは俺なんだ。俺の機嫌が悪くなりゃあ……分かるだろ?」
散弾は何処まで届くのだろうか。的を幾つかに絞りながら考える。猟友会の人はなんて言っていたか。尋ねた記憶はないが、聞いた覚えはある。思っていたよりも遠くまで狙えたような気がするけど……まぁいい。当たりそうなあれにしよう。いや、向こうの方がいいだろうか。
「ああ…………殺せよ、どうせ何処かで死ぬんだ。お前みたいなのに殺されるのは心外だ、だからって吐くか。この臆病者が、殺せよ!」
「随分と強気ねぇお前さん。じゃあ気付けのいっぱーつ」
「ぐぁ……あああ! あああうああ!!」
「おっほっほ、元気だ。どっちが先に落ちるか勝負するか? 気を抜けば頭がパーンだ、ほれ頑張れ頑張れー」
真剣なのか冗談半分なのか分からない背後が気になって仕方がない。耳にはまぶたが無い、というのは何処で見た記述だっただろうか。
本当に言葉というものは塞ぎようのない嫌なものである。お陰でどれほど傷ついたことか。
「……なぁ、カズ、へ、ヘルプ、ヘルプヒム……」
そんな悲痛そうな声によって、結局は一発も撃つこと無く視界を二人の方向に戻した。
声色から立場が逆転しかけているのだろうと思ったのだが、光景に差違はそれほど無かった。変わらずガルシアが馬乗りになって、男の方もガルシアの首を締め上げながら迫る銃口を必死に引き離そうとしている。
恐らくは力が拮抗しているのだろう。僅かにだがガルシアの手が押し上げられているように見えた。
「……ヒム?」
「そう……ヒム、さっさとしてくれ…………」
隙間風のような声なのだが、彼の顔と合わせて聞くとどうも緊張味に欠ける。死んでも死に切らなさそうな振る舞い方で、すなわち不死人のような余裕がまだあるのだ。
念のためにガルシアの顔に銃口を向けて横に振ることを確認してから、彼に誤射しないよう脇に回り込んだ。対照的なのは当たり前なのだが、男の方はこれ以上無いほど切迫した、死の概念を直視しているような形相になっている。
少し同情できるような気がした。
「うへぁ……ふぅ」
目の前で人の頭半分がもぎ取れるように吹き飛んだことには流石に嫌悪感を感じたらしい。跳ねる身体から身を下ろしながらガルシアは息をついた。
「まったく、これは骨が折れるし疲れるわ…………まぁ、慣れるほかねぇかな」
何のことだろうか。それを聞くのは面倒に思えた。
「居場所は分かった、それに際して一つアイディアがあるんだが」
そう思ったのだが、彼は許してくれなさそうだ。
「やあやあ部隊長殿。この曇天の最中ですが、ごきげんよう」
銃火や苦痛の声遠く、しかし戦場では無いと言い切れない場だった。聖王国側の兵力が全くないという訳でも無いが、明らかに皇国の支配の方が勝っている。それに……兵力がないだけで、「姿がない」という訳でも無かった。敵同士だというのに、まるで争うような雰囲気がないのである。
ガルシアが声をかけた最高指揮官であろう人物は女性で――――別に性差に関してとやかく言うつもりは無いのだが――――あり、さらに皇国人とは思えない相貌だった。ガルシアが女狐と言っていたが、あれは比喩では無かったらしい。
「誰? あたしの下僕じゃ無いわね」
「そりゃあ当然です。お忘れになりましたかな?」
外見通りに高圧そうな言葉すらいけしゃあしゃあと会話できるこの男には一種の尊敬すら感じられそうだ。彼女の護衛か近衛か、彼らの殺しにかかってきそうな目つきにすら笑顔で対応している。
「知らないわ。貴方みたいな男、見たところで直ぐ忘れるでしょうから。こうして図々しく話しかけられるのだから、同じ所属なのだろうけど」
「籍だけ置いてるようなもんで、知らなくて当然なんですがね。スパイ、観測者、仲介人、エトセトラ、エトセトラ……まぁ詰まるところ、『私は誰か』なんて重要でないんですよ。まぁガルシアとだけ……それで思い出せたらなと期待して言っておきます」
彼の態度がよほど気に入らないのか、彼女の表情は拒絶や敵愾心で溢れかえっている――――かえって人の顔でないことが幸いしたのかも知れない。フィクションのような姿と状況のせいで、更に第三者というフィルターも相まってそれほど恐ろしさを感じない。
しかし、本当にするつもりなのだろうか。理由を濁されているのでどうも納得できない。
「……それで、何の用なの? わざわざここまで来て、ただ駄弁りに来ただけとは言わないでしょうね?」
「まあまあそう怒らないで。恨み辛みはこっちの方が多い……じゃなくて、一つご忠告をしに参ったんですよ。どうせなら始まる前に言っておいた方が良かったかもしれないですがね」
「ふぅん? 一応聞いてあげる」
まともに話すのが許せなくなったのか、彼女はこちらに背を向けた。
「貴女が相手なので端折りますが、面倒な相手が敵側に居るんです。自分のことじゃ無いのは予め言っておきますが…………貴女の催眠に引っ掛からず、見えないので対処のしようも難しい奴で実に面倒い。見てきただけでも二桁はやられてましたねぇ」
「ふん。それで? その一人にあたしの下僕が負けるとでも?」
「いえいえ、どちらかと言えば……」
ガルシアが周囲を見渡し、そのついでのように目配せしてきた。やはりやるつもりらしいし、僕をどこか道具扱いしているような気にさせてくる。結果に同意したものの、過程はやっぱり疑問符しかない。
とはいえ、彼の言うことを信じることにしたのは僕自身だ。この人物が死ねば消化試合だという――――そんな嘘みたいな話を。
抜いた短剣を逆手に持ち直す。
殺さないと終わらないというのに、この時点でそうしないのは彼なりの目的があるのだろうか。
「…………『危ない』!!」
決められた言葉通り、僕は女性に飛びかかった。背後で二発ずつの連続した発砲音が響き、それが六セット響くまでに僕は最初の仕事を終わらせた。
「あぐっ、むううううっ!!」
厳密に言えば、彼女の長い鼻先を握りしめた後に、人を見下すことしか知らなさそうな瞳を順に刺し潰したのだ。その後逃げないよう拘束するまでが一段階目の僕のすること。
仰向けに倒してちゃんと潰せたかを確認し、両手を拘束するように座り込んだ後にガルシアの方を確認した。
「クソっ、何しやがる! あんたの催眠解けてんじゃねぇのか!」
声とは裏腹に彼の動きは滑らかで、銃声を聞きつけてやって来た兵士を早撃ち勝負のように撃ち抜いていた。
相手も撃ってきているのが分かっているはずなのだが、撃つ前に――――速いと構える前に――――ほぼ脳天を撃ち抜かれているのだ。その腕前には――――ここまで矛盾している言動にも――――舌を巻くほかない。
「ちょっと待ってろ! こっちが片付いたら直ぐ助けるからな!」
「むぐぅっ! んんっ!」
ガルシアの演技に何か感じ取ったのか、抵抗が一段と激しくなった。僕も必死に押さえつけているが何時まで持ったものだろうか。
彼が来るまでこれ以上何もするなと言われているが、本当に何が目的なのだろう。
「…………おい、おい!」
「わっ!」
少し考えに耽ってしまっていたらしく、直ぐそばに来ていたガルシアに気付かなかった。
「思ったより数が居た。悪いがもうちょい時間がかかる。自分でやれないのが残念だが……『脱がしといて』くれるか? 出来るよな?」
「は?」
そんなことは一言も聞いていない。本来はここで役割交代のはずだ。
「いいからいいから。お前だって男だろ? こういう機会は殆どねぇんだからやっとけって。強気な女が恥じらう姿は見ていて損はしねぇ。俺が言うんだから安心しろって」
「いや、ちょっと待って……」
「暴れるなら腕の腱だけ外していいから。終わるまでに仕上がってなかったらお前も動かなくしてやるからな、男は度胸さ!」
そう切り上げられてしまった。塹壕の縁を削る銃弾が彼の後に追随していくと、さっきまでの敢闘している声が再び聞こえ始めた。
「………………やるしか、無いんだろうな」
彼の言うとおり、興味が無い訳がない。確かに気になるものだし、見てみたい気もする。
とはいえ、それは僕の欲しい結果とはまるで違う。あの男がしたかったことで、それを僕が代行するのは気がまるで進まなかった。他人の欲望に付き合わされるのは誰だって嫌いだろう。
僕は、あくまで彼の代わりとしての仕事をすると割り切った。恨むなら彼を恨んでくれ。
「――――ッ! 何をっ、何をするつもりだ! この根腐れ野郎!」
口の拘束を外すほか無くなったので、これからはこの罵詈雑言を作業用の音楽にするしかない。軍用の服って意外と頑丈だ。
「このっ、どけ! あぐぅうっ……うぅあ…………殺す、殺してやるからな! ただで死ねると思うな!」
彼のアドバイス通りに腕の腱を切ったが、両目から真っ赤な涙を流し続ける彼女は元気そのものだった。獣の生命力というものなのか分からないが、気を緩めればあっという間に逆転してしまいそうなほどだ。
「いっ……!」
上半身をあらかた開けさせた後、身体を反転させるときに足首を掴まれた。爪がかなり鋭く、あの時の――――包丁を差し込んだ時と同様の鋭さが背筋を凍らせる。
これは血が出るだろうな。
掴んできた手の甲に一本の亀裂を作りながら、努めてそう思うだけにした。それだけでは足りなく、結局は親指をほぼ切り落とす羽目になった。
「くそ、くそぉっ! 許すか、こんなの許すかああああっ! あああっ! がああああああああっ!!」
五月蠅いので目先のことに集中することにした。
ベルトは切るより外した方が速そうだ。ズボンは脱がせられそうにないし、縫い目に沿えば切りやすいだろうか。武器は手の届かないところに置いて、靴は履かせたままでも良さそうだ。
不本意だがこうしてみるとなかなか来るものがある。やはり男はこういうしょうもないものなのかもしれない。単純で、短絡的だ。
ガルシアの思考に染まりそうになりながら下半身も全て露わになった。多少毛皮に覆われているが、局部に欠けては体毛が薄くなっている。完全なヒトではないが、異性の裸体を直に見るのはこれが初めてなのだと思うとなんともこそばゆかった。
「……離れろおおぉおっ!!」
「えっ……うわっ!」
そんな声が聞こえたかと思うと、抱きかかえられるように吹き飛ばされた。
「……ご苦労さん」
そうしてから囁かれる。こういう性格とはどうも反りが合いそうにない。
「おい! あらかた片付いたから先に逃げてろ! 後で追いつく!」
「ぐっ……逃げろ? あたしに逃げろって!? ふざけないで! そいつを連れてきて! この手で嬲って弄んで苦しめてから殺してやる! それからよ!」
見事なマッチポンプの構図だった。この男が満面の笑みなのも今なら共感できる。
「な、どうだ、面白いだろ? お前は事情を知らないからそんなもんだが、俺は今めっちゃくちゃ楽しい…………胸がスッとしたし、これからきっとムラムラしてくる。仇を仇で返すのはやっぱ王道なんだなって思った次第さ」
彼女はだらりとした腕で何かを探っている。目的のものはきっとガルシアの手の内にある拳銃だろう。これもまた滑稽な光景だった。
「よし、コホン……『クソッ! 早く逃げろ! 流れ弾に当たるぞぉっ!』」
声は受け、顔は攻めのもので彼女の傍を狙って撃つ。手を伸ばした先に、跳ね返った土がふわりとした体毛にかかる位置に、鼻面を掠めるように――――そしてたまに遅れてきた兵士の顔面に。
ガルシアが引き金を引く度に身体全てを跳ねさせ、辛うじて羽織っている状態だった服すらも地面に落ち、彼女は完全に愛玩動物に成り下がっているように思える。
「クカカッ…………面白いよなぁ。こんな目に遭わせても、大切じゃない奴ならこんなに面白いんだよなぁ……カハハハハッ……マジで最悪だよ、ハハ…………」
変な笑い方だった。ガルシアは息を漏らすことなく笑っていた。喉の奥で声が塞がって、ただ笑った顔だけが感情として出力されている。
その笑い方には身に覚えがあった。僕もこれほどに奇妙で狂気的な笑い方をしているように見えるのだろうか。
「……ふぅ。腹筋が疲れた。やっぱ楽しいわ」
マガジンを交換しつつ十数発撃ちこんだ頃だった。あの強情さも死の恐怖には僅かに敵わなかったようで、四つん這いから辛うじて立ち上がり、盛大に躓いて倒れながらも僕たちからとうとう遠ざかり始めた。
「って、ありゃりゃ。そろそろ仕舞いにするしかねぇな」
ガルシアが遠くの空に目をやったかと思うと、素早く二発。塹壕から抜け出そうとする彼女のふくらはぎの辺りが赤くなったのが遠目にも分かった。
「……カズ、俺はササッとここで楽しむつもりだ。『つきあいたい』ってんなら混ぜてもいいが……まだそこまで性根は腐っちゃいねぇよな。まぁあと十五分もすりゃあ俺もここも落ち着くだろうよ」
ガルシアの戯れ言を話半分に聞きながら彼の視線の先を追った。
鉛灰色の空、名前すら知らないあの街の方向。見間違いかと思えるほどまだ遠いが、もしも居るのであればかなりの数の影が向かってきている。
「ガルシア、あれって……」
訊こうと顔を下げたが、既に仕留めた得物へ意気揚々と向かっているところだった。
僕はあれ以上する気は無い。彼に何があったか知らないが、恨みも無い相手に、自分が納得できる理由すら無い人物に手荒な真似などする必要がどこにあろうか。単なる労力の浪費だし、実際に掛けた時間で何人を殺せたかを思ってしまえば無気力感に打ちひしがれても可笑しくない。
この後僕に残されたのは、僕らの見た影がここに来るまで兵士を的に射撃の練習をすることと、そのついでで僅かな人命を救うことぐらいだった。




