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23 カロ

「そういや、どうして『ラスティ』なんて名前なんだ?」


 何度目かの襲撃の後、官給品の嗜好品を囓りながらガルシアは尋ねる。「流石に本名じゃ無いだろう? 言えない事情でもあるのか?」


「事情、事情か…………」


 ラスティは略奪品を物色し続けている。食品、弾薬、より質の良い銃器。二人の最初の目的として、長期間の旅の準備と能力の慣熟を設定していた。


「上手く言えないが、元の名前は今の俺に似合うものじゃ無くなったからな」


「どういうこったよ。厨二病か?」


「なんだそれは」


 スティック状の簡易食を食い終えると、ガルシアは缶切りを手に取った。焚き火に照らされた含み笑いは、ラスティの疑問すら嘲笑する意味合いを持っている。


「厨二病とは何か知らないが……言ったところで信じないのはもう分かり切っている。与太話は好きそうだが、それを信じるという質じゃない」


「そりゃあ、嘘は嘘として楽しまねぇと身を滅ぼすからな。で、信じるかはともかく、話してくれよ」


「…………」


 ラスティは暫く考え込んでいた。ガルシアが缶を開けるのに苦戦し、ようやく蓋を開けて火に掛けたところで口を開く。


「名前なんてものは、その個人が分かれば何だって良い。ニックネームだってそうだ。本名をもじっただけだが、本来の呼称とは違う。本名を名乗らないのは、単にもう『ラスティ』と呼ばれ慣れただけのことだ。実際、名前の頭文字から付けられている」


「ふーん……ちょっと待て。その、気になったんだが……頭文字? え?」


「何を困惑することがある?」ラスティは検品していた銃を下ろし、視線をガルシアに移した。「何も変な部分はないと思うが」


 ガルシアは言い淀んだ。どう尋ねれば良いか、文面が頭に思い浮かばなかったのだ。


「…………ラスティ、あんた何人? アメリカ?」


「今更だな。お前もそうだろう?」


「え?」


「ん?」


 火の粉が飛ぶ音だけが暫く響いた。






 そうしない内に缶の中身が煮えだし、ガルシアの意識は少しだけそちらに向けられることになった。気まずいと思うことすら出来ず、互いに困惑から沈黙を守った。



「……俺も一つ気になった。ガルシア、生まれと育ちはどこだ?」


「いや、生まれも育ちも日本だよ。ジャパン」


「ジャパン……冗談だろう、そこまで饒舌に英語を使いこなしておいて。何処かで小耳に挟んだだけだが、先進国で唯一英語が使えない国だと聞いていた」


「はぁ? お前こそアメリカ人じゃねぇだろ。俺が思うに、生粋のアメリカ人が知ってる単語はスシとサムライぐらいだ。そんなにペラッペラ日本語を喋らねぇぞ」


「何を言っているんだ?」


「そっちこそ。意味が分からねぇぞ?」


 互いに困惑が増すばかりだった。その答えを外部に求めようと、この場に生きているのはこの二人のみ。死人に口なしである。


「……少し整理しよう。ガルシア、お前には俺が日本語を話しているように聞こえるんだな?」


「ああ。で、あんたにゃあ俺が英語を使っているように聞こえると」


「その通りだ…………信じられない。どう言う理屈だ」


 そう言われても、と言いたげな顔でガルシアが対抗する。


「俺もあんたも、この世界のことを知っちゃいない。ここが何処かも、ここに連れられてきた理由も、方法も。何もかもが分かっちゃいないんだ。俺が先輩だからって全部知り尽くしてるなんて期待されても……」


「……まぁ、現地人との会話に苦労しないところから疑うべきだったか」


 ラスティが疑問を闇に押しやろうとするかのように言い放つ。


「確かに俺も変だなとは思ったな。ケモノが日本語を話すもんだし、何よりそんな風貌の奴が闊歩してる時点で、俺達の常識なんて当てにならないのは当然だ」


「ああ。悩み込むより『そういうものだ』と留めておくべきだろう」


 一応の結論らしいものが共有されたので、二人は食事を進めることにした。


「この世界をどうするかはさておき、考えるためには平和が欲しいところだ」


「ああ、こっちも人助けをしていく必要があるからな。そういう意味じゃ今も悪くない状況だが、平和な方が面白そうだ」


 お互いの言い分に両方が頷いた。







 目を本から時計に移すと、そろそろ深夜と言えそうな針の位置だった。


 あれから、忘れかけた日常というものを思い出すように時間は流れていた。食事を取り、風呂に浸かり、また別の寝間着を貸して貰って、割り当てられた部屋でこれまた貸して貰った本を読み耽る。今日の出来事だけで言ってしまえば、見知らぬ土地への一人旅、とでも題することが出来そうだった。


 そうじゃないことは、これまでの日々と――――――――机に座る彼女が証明している。

 特に何を言ってくる事もなく、ネグリジェ姿のイリアは僕の部屋に居座っていた。理由を尋ねることも出来ただろう。だがそれも自分の意思表示であることに変わりはないのだ。訊くだけの理由、心境。

 思い込みすぎかも知れないが、現に僕自身がそう思っている。それだけで躊躇する理由にはなるはずだろう。


 食事をし、順番に風呂に入った後、僕らは同じ部屋にいながら会話というものをしなかった。お互いに書庫から持ってきた埃っぽい本を傍に積み、熱心に読みあさるばかりだ。


 イリアがどんな本を持ってきたのか、遠目に見る限りでは分からない。表紙にはゴテゴテと装飾された文字しかなく、読みづらいそれでは僕に判断のしようがなかった。



 ベッドに腰を据えながら、僕は視線を本の文面と電子辞書に戻した。ナスタシアに尋ねて借りてきたこの本は、外見からひときわ特別な雰囲気を放っている。


 そこまで厚みの無いこの本の何が特別かと言えば、印刷されたに違いない文字列の並びと、綺麗すぎる装丁だ。他の書物が一つ一つ手作りで出来たような不確定さと多様さがあることからすれば、まるで現代の技術で作られたような異質さがあった。


 様式からすればこちらに慣れているはずなのに、まるで異世界の文献でも触れたかのように――――「異世界」の基準からすれば正しいのだが――――新鮮さすら覚えるようだった。





 肝心の内容だが、これから来るであろう人物に関わるもの。正式には「ウィズネア教団」なるものがどのような存在かについて書かれている。


 それを知るに十分な情報がこの本には記されているらしいと読み進めれば分かってくるし、電子辞書を使ってどうにかさわりは理解することが出来そうだった。






 端的に言ってしまうと、考古学と最先端技術を掛け合わせたような組織らしい。


 教団は、「先駆物」と総称するものを専門に扱う国営規模の組織で、文面が正しければ、ミクサマルの先駆的――――後々分かるが、「近代的」とも言い換えられる――――なものやシステムの管理や修繕、先駆建造物の探査や発掘など、そういった類を一手に引き受けているらしい。


 先駆物。言葉のままの意味らしいが、その内情は科学や近未来の塊そのものだった。

 身近なもので言えば、電卓に似た計算器、物質の状態を模倣するゲル、外見以上の容量を持つ箱などが例に挙げられている。

 全体的なもので言えば、上下水道や主要都市のインフラ、送電設備、利用中の先駆建造物や国家内における全ての人員の管理まで執り行っているらしい。簡潔な人員管理システムの図解の中には、騎士団のあの刻印と、僕とイリアとで文字を堀りに出かけた騎士札まであった。あれも教団の作ったものなのだ。




 組織内の部署も紹介されていたが、先ほどの役割が分割され、僕みたいな人のための「来訪者課」なるものが加えられただけだった。印象的なのは、最高指導者の位置に「ウィズネア」と一言、それ意外には一文字すら添えられていなかったことだ。統率者なのは自明だ、ということなのだろうか。








 本腰を入れずに二時間、逆さのアルファベットと知らない単語、文法に踊らされながらではこの程度だ。我ながらよく頑張ったと思うし、これだけ分かればひとまずは十分だろうと思った。




 思った瞬間だった。


「ん?」


 イリアの耳が扉に向く。夜更けにノックの音は予想以上に響いた。


「……カズマサ君、まだ起きているかい? 君に会いたい人が来てるんだ」


 アストラリアの声。内容からして、ようやく来訪者がやって来たらしい。


「カズに会いたい人? 誰だろう……」


 イリアが呟くのを聞きながら、僕の手には本の代わりにむき出しの拳銃が握られた。あの男の言葉を信じるわけでは無いが、杞憂で済めばそれでいい話だと納得した上での行動だ。安全装置は直ぐに外せるように持っている。



 僅かに蝶番を軋ませ廊下を覗うと、合わせて四人分の姿がそこにあった。 


「……見てるかな? ごめんねカズマサ君、こんな夜分遅くに。どうしても会いたいって言うもので……ナスタシアから話は聞いていたらしいけど、中に入っても大丈夫かな?」


 アストラリアが言う影に、恐らくは今回の主役が潜むように立っていた。不安げな顔の男、豊かとも無精とも言えない長さの髭に、髪はポニーテールほどにもいかない程度の長さで後ろに纏められている。


 間違いなく日本人だ。僕にはそうとしか見て取れないぐらいに見慣れた顔立ちで、目つきで、臆病さだった。




 目的が不透明とはいえ、ここの主をずっと廊下に立たせるわけにもいかない。

 安全装置を掛けたまま扉を引き、外にいる全員が部屋の中を見渡すことが出来るようにした。


「あれ。イリアちゃん」


「あっ、アストラリアさん……その、えっと」


「いやいや、邪魔をしてごめん。こっちに来てるとは思わなくて。気にしなくて良いからね」


 そう言いながら一人ずつ入ってくる。アストラリアを筆頭に、ナスタシア、来訪者、クラムの順。最後の彼女が扉を閉めると、部屋の中が一気に賑やかになった気がする。


「それで、君に会いたい人って言うのがこの方で、ウィズネア教団の……技術員長だっけ?」


「選抜技術員長、教団でも選りすぐりの秀才のトップです」


「…………」


 アストラリアが紹介し、ナスタシアが補足するその男は、落ち着きなさげに部屋中を見渡し、両手を不安げに組んでいる。


 全体像が見えてはっきりしたが、彼の服装はミスマッチも良いところだった。妙に装飾の入った白衣擬き、その下は大正モダンのような古めかしさのシャツにズボン、肩に掛けているショルダーバッグは不可思議な光沢感のある素材で出来ている。


 時代の両取りと言うよりも、歴史の欠片を継ぎ接ぎしたと言った方が彼の容姿を上手く説明できるだろう。


「……あの、居るんですよね?」


 男はアストラリアに問いかける。その語気のなさも日本人ならではの雰囲気を纏っていた。


「ああ、うん。居ると思うけど……カズマサ君。手間かけさせて申し訳無いんだけど」


 その先を聞くまでも無かった。絨毯の上から努めて足音を立てながら歩き、カロの前に立って――――


「わひっ!」


 彼の肩を軽く押した。予想通りの反応を返してくる。


 が、直ぐにそうじゃないのは分かった。


「……凄い、マジもんで見えてないんだ。ナスタシアさんの言っていたよりも凄いじゃ無いですかぁ!」


 玩具を見つけた子供の如き素早さで僕を捕らえる。体の輪郭をなぞり、服の材質を確かめるように撫で、髪の毛の一本一本すら彼には素晴らしいものに思っているらしい。


「……成る程、光学迷彩かと思いましたが、全身を繊維で覆っているわけでも無い。それ以前に屈折が殆ど確認できないなんて。こうして触れられる以上存在はしているわけで、しかし……だとすると、本人そのものに透過能力があるのか、その周囲に不可視空間があるのか。

 触った感じだとそれに類する機器は無さそうですし、だとすると体内に、いやそれ以前にこの空間上に居るのかも視野に入れるべきなのでしょうか……?」



 ほぼ口が追いついていない速さで直感する。違いようも無くナスタシアと同類だ。



「……カロさん。少し落ち着かれては?」


「触れても分からないとなると。本体に、或いは空間に、そのどちらかという限りでは無く、両方をも操作できるのだとすれば…………はい? ああっ!」


 やはりと言うべきか、同じようなリアクションで僕から離れる。

 僕は安堵した。変に近寄られるのは気分が悪いのもあったが、何より拳銃に触れられることが無かったからだ。もし持っていたのが発覚したら余計面倒になっていただろう。


「どうも済みません。此方側の作法に慣れてしまうと、どうも昔の礼儀というものを忘れてしまいまして……いやはや、本当に済みません」


 何度か頭を上下させた後、雑に服装を整えた。


「ちゃんと自己紹介しませんとね。アサナギさん、でいいんですよね? あの、カロと申します。本名もちゃんとあるんですが、もうこの呼び名に慣れてしまいまして。向こう側でもそう呼ばれていたので、もし宜しければ、『カロ』とお気軽にお呼びください」


 そうしてまた一礼。何度も頭を下げるのはやはり同国民の性というものだと十二分に理解できる。僕が見えていれば何度やりとりを繰り返していただろうか。


「私、アストラリアさんらの言うとおり、ウィズネア教団の技術員を取り纏めています。と言っても、あれこれ指示するタイプじゃ無いんですがね……。

 えー、それはさておき。ナスタシアさんから貴方のことをお伺いしたのですが、少しだけ気になったことがあるので一つ試させて頂きたいのです。何でも、会話すら不可能だとお伺いしまして、もしかしたらどうにか出来るかも知れないんです……あれ、どこだっけかなぁ……?」


 彼の発言は何もかもが藪から棒に感じられる。落ち着きが無い人間は好きじゃない。


「ああ、ありました」鞄から何かを引っ張り出す。「アサナギさん、これを耳に。付けたら何でも良いので喋ってください」


 差し出された手にあったのは、ワイヤレスのイヤホン、或いは補聴器のようなものに思えた。受け取って分かるが、金属ともシリコンとも言いがたい材質で出来ている。極端に力を入れない限り柔らかいが、潰すような勢いで握りしめると途端に柔軟性が無くなる。手触りもどれに似たと例えられないもので、生理的な拒絶感が微かに湧き起こった。



 少し不安に駆られながら耳に取り付けると、緩く締め付けられるような感覚の後に付けた感覚が消失した。触れれば付いているのは分かるが、付けた際の閉塞感も耳を痛めそうな感覚も全くない。


「さて、と……付けられました?」


 同じものを付けたカロが言ってくるので、仕方ないと思いつつ声を出す。


「……あー、あー」


「お! ……アサナギさん、もう一度!」


 耳を弄るカロに全員の視線が一気に集まった。全員の心境は一致しており、しかしカロはそれに気付く素振りすら見せない。


「……その、もしかして……」


「やっぱり! 幻聴じゃ無い! 『その、もしかして』って言いましたよね! 言いましたよねぇ!! やった聞こえた! 聞こえましたよ皆さん! うやっひゃああぁ……あぁ…………」


 天井まで飛び上がりそうな喜びようの後、周囲の呆れにも近い視線に萎縮した。


「……済みません、大人げなく」


「あぁ、いや……素晴らしい、ね。流石は先駆物と言うか。カロさん、ちょっと僕からも話があるんだけど、いいかな?」


「ああ、はい。一応の目的は果たせたので、どうぞ」


 微妙なフォローの後、全てを無かったかのように話題は変わった。


「カズマサ君。外を歩いて分かっているとは思うけど、明日の早朝から希望者の退避活動を始めることになっているんだ。もう戦争は始まっていて、ここだって既に戦場であると言ってしまって差し支えなくなってしまった。そこで……」


 アストラリアがイリアの方に視線を流す。


「……君たちがどうしたいか、聞いておきたいと思ってね」


「わたし……『たち』?」


 会話に混ぜられたからか、少しつっかえるようにイリアが尋ねる。


「そう。カズマサ君の存在は有用だし、出来るなら一緒に戦って貰いたい。イリアちゃんだけじゃ無いけど、戦う意思のない人たちには安全な場所に居て貰いたい。僕はそう思ってるけど、君たちが同じように思ってるかは分からない。だから聞いておきたいんだ」


 アストラリアが思い出したようにカロを見る。


「カロさん、少しそれを貸して貰っても良いかな?」


「はい、どうぞ」


「どうも……よし、ちょっと付け心地が妙な感じだけど、聞こえるようになったかな。カズマサ君」


 君はどうしたい。彼は僕にそう尋ねてきた。


「一度協力の要請に応えて貰っているけど、成り行きで決まったも同然のものだ。ここでもう一度真意を確かめておきたい。共に戦ってくれるかい?」


 その問いに僕は悩んだ。確かに、これまでの一連の行動は成り行きでしてきたものだ。見つけたから保護して、辿り着いたからそこに居て、必要だったから行動してきた。


 白状すると、僕はこれからの事なんて考えたくは無かった。何も知らない世界で将来を決めろと言われても、判断材料が著しく乏しい中でどう選択しろというのか。

 今の僕には暫くの生活には困らない財源がある。必ずしも戦うという選択をしなくても良い。それは自明のはずだ。


 だからこそ訊いてくるのだろう。助けてくれるか、と。


「……少し、答えかねます」


「答えかねる。そうだね、急に尋ねられても難しい話だ」


 僕の苦し紛れの回答に、そこまで驚いた返しをしなかった。


「君のことはよく知らないけど、見ず知らずの世界に命を賭けられるかなんて問いに迷って当然のものだし、むしろ拒否しても不思議では無いんだから。

 僕の問い方が不味かったし、気に病むことは無いよ。早いほど助かるけど、強要は出来ないからね」


「……ありがとうございます」


 一応の礼儀としての返答しか僕には残されていなかった。


「それで、イリアちゃんの方はどうしたい?」


「…………どうしたいって、どういうことですか?」


「えっと……ここに居るか、もっと安全な場所に行くかってこと。まだ起きていないだけで、ここに戦火が来るまでにそう時間も掛からないんだ。恥ずかしい限りだが、ここが安全とは言い切れない」


「…………」


 彼女も悩んでいるようだった。安全な場所に行きたいのは山々だろうが、頼れる誰かが居るわけでも無い、一人で生きる算段があるはずもない。きっと彼女が躊躇っているのはそこなのだろう。

 今更だが、彼女にはもう失える物が無いのだ。それはつまり、選択を広げる何もかもが無いに等しい状態。その状況には僕も心当たりがあった。



「…………わたしは」



 数分の沈黙。ナスタシアとカロが気まずそうに部屋のあちこちを見渡したり自分の所持品を弄ったりしている間に、イリアは何かを決めたらしい。


「わたしは……出来るなら、カズの傍に居たいです」


「カズマサ君の……?」


「はい、我が儘だって分かってるんです。迷惑かもって。それでも、わたしにはもう…………そこしか」


 言わせるべきでないと悟ったのか、アストラリアの顔が苦虫を噛み潰したように歪んだ。

「ごめん。そう言わせるつもりじゃなかったんだ。駄目だなぁ……本当に」


 少しだけ硬直した時間の後、分かったと彼は言う。


「カズマサ君、イリアちゃん。明日の早朝の避難民に同乗して欲しい。もしカズマサ君が協力してくれるという前提になるけれど、君に居て貰いたい場所があるし、同じ前線でもここより守りやすいし逃げやすい場所だ。それなら……良いよね?」


 申し訳なさそうにイリアの方を見る。どこか道化を演じたがるような彼とは思えない表情だった。


「……カズが、良いなら」


 その言葉は、実質的な僕の敗北でもあった。


 僕のことは僕が管理できる。逆に言えば、他人をどうこうするなんて芸当は不可能だ。僕が求めていようといまいと、イリアは僕がしてきたことのみを判断材料にして答えを出すに決まっている。僕はそんなこと望んでいないと伝えればいい話だろうが、僕の状態はそれを許さないし、ここの人たちもきっと許してはくれない。


 悔しくて、苦しかった。

 手にするかしないかの問題じゃ無くなった。もう既に「させてしまっていた」のだ。


「分かりました。これからも協力します」


 右手に握るそれをヤケで撃ち切りたくなるのを抑えるように僕は言った。

 言うしかなかった。じゃないと今度は銃身を咥えたくなりそうだったから。


「……ありがとう。ミリィも一緒に同行することになるから、もし困ったことになったら彼を頼ってくれればいい。それと…………いや、何でもない」


 夜分遅くに来て、これ以上湿気た空気にするわけにもいかない。アストラリアはそう言って扉に向き直った。


「それじゃあ、僕はこれで。おやすみ」


「……おやすみなさい、アストラリアさん」


 耳に付けていた補聴器をカロに渡し、この邸の主は姿を消した。



 どちらとも話しかけづらくなった部屋の中で、口を開いたのはカロだった。


「あの、アサナギさん。そのイヤホン、『無線機』なので、電波が届く範囲に居ればお話しは出来ますので。そちらはお譲りします。あの、私も蜻蛉返りになりそうなので、その時も宜しくお願いします。その、じゃあ……失礼しますね。お休みなさい」


「私も書庫に戻ります。クラム、少し話したいことがあるから貴女も一緒に」


「えっ、分かっ、いや、分かりました。お姉様」


 よそよそしさの溢れるやりとりを残しつつ、また部屋は二人だけのものになった。


















 ベッドは一つ。イリアは自分の部屋に戻る気はさらさら無いようだった。

 広さは十分にあるものの、隅と中央では距離感というものにも限界がある。そんな状況にも自分自身にも嫌悪しか感じないし、その時点で逃げ出したい気分だった。


 思春期の思考なのだろうか。彼女に背を向けて蝋燭を見つめながら考える。傍に置かれた無線機に髪飾り、それと同じように僕も照らされているのだろうか。この蝋燭は何時頃に燃え尽きるのだろうと。




 僕が思っているより、僕は幼いのかもしれない。達観した気になっているのも、自分が他人と違うと思いたいのも。それが嫌だった。思おうと思うまいと、そう考えている時点で僕は子供のままなのだから。




 僕と彼女と、どっちが人として成熟しているのだろう。


「…………あれがあれば、カズと……」


 背中の囁きが気になって、枕で外界を遮断した。

 もう嫌だ。何にも縛られたくない。

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