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22 薄暗がりの沈黙

 二人がいなくなって暫く、ガルシアが酒もジュースも飲み干した頃だった。


「おぅ、待たせたか」


「思ったより早いけどな。下は良いのか?」


 ガルシアが答えた相手は、この店の主人だった。手には瓶が一本、高そうなグラスが二つ、どちらともランプの火を搦めとって輝いている。


「俺だって一人で切り盛りしてる訳じゃあねぇよ。若手を大事に育てるのも上の仕事さ」


「俺の居た国の奴らに聞かせてやりたいね。まぁ、聞いたところで変わるはずが無いだろうがな」


 それで、とガルシアが尋ねる。その目はグラスに注がれる透明な液体に釘付けのまま。


「こんな真っ昼間から酒を盛って、俺に何を吐露させたいんだ?」


「そりゃあ、お前。ここからトンズラした後さ」主人がグラスを持つ。「例の人助けはレノの旦那が最後じゃ無いんだろ?」


「ああ、今はもうする必要は無くなったがな。取り敢えずは乾杯だ」


 グラスを鳴らし、競うように飲み下した。


「……強っ! なんだこれ!」


「ガッハハ! 秘蔵の蒸留酒さ! お前相手じゃこんぐらいじゃねぇと素面のままだろ?」


 竹を割ったように笑う主人相手に、ガルシアはただ笑って返すだけに留めた。前も言い返そうとしたが敵わなかった苦い思い出があるからだ。


「まぁ、聞きたいんなら話すさ。何が良いかな…………」


 既に頭がふらつくが、単に「今の自分」が酒に弱いだけの話だった。三年前のあの時ならこのぐらいが丁度良かったと言えるのだが、もう昔話でしか戻れない世界だ。




「よし、そうだ。おやっさん、来訪者のギフテッド診断って知ってるか? あの教団がやってるやつ。そこで一人同じ故郷の奴を手助けしたことがあってな…………二年前だったかなぁ……」




「アネモネ?」


 バルト邸、書庫。僕とイリアはここの主と対面していた。


「花の名前、だったかしら。植物関連なら……そこの角を右に、二つ目の右手のあたりに纏めてあるはず。余り量は無いから、目的の本は直ぐ見つかると思うけど……」


 読書の最中であったナスタシアが力なく片腕を上げ、本にあふれた世界の一角を指さす。その仕草が自分の本心を抑えるように見えるのは、彼女の本質を垣間見た後だからだろうか――――――――それとも、これが本来の彼女なのだろうか。


「……貴女、学術書レベルの本は読めるの?」


「え? あ、えっと……多分」


「珍しいわね。貴女みたいな年でそれだけ読めるなんて。読書は好き?」


「まぁ、はい。好きです」


「そう……その、引き留めちゃってごめんなさいね。右に行って二つよ」


 少しだけ言葉に詰まったナスタシアが照れ隠しのように顔を手元の本に戻す。このような聞き方である以上、この世界の識字率はそれほど高くはないらしい。


「その、ありがとうございます」


 イリアがおずおずとお礼を言うと、相も変わらず薄暗い空間に踵を返していった。彼女の他人行儀さに引け目を感じたのか、少し不安げというか、心細さを感じているように見える。


 僕もその後に続こうと思ったのだが、ナスタシアがそれを許さなかった。


「あの、アサナギ様」


 そう小さく言われた瞬間には、叩くような勢いで僕の腕が掴まれていた。当て推量で握ったのだとしたら、とても良い勘を持っている。


「お引き留めして済みません。その、一つお願いと言いますか、聞いて頂きたいことが……」


 彼女に引き戻された視線をイリアに向け直すが、もう姿は本棚の向こうに消えていた。


 イリアの傍に居ろ――――あの男が囁いた言葉が足を動かそうとするが、この場で何かあるとも思えない。それ以上に、今の行動が僕の意思を決めてしまうような気がした。それが僕を思い留まらせた。


『何?』


 僕のために用意されていたらしい筆記用具を用いて会話を始める。準備していたという点では、僕に聞かせたい理由があるように思えた。そう行動の理由を正当化する。


「その、戦闘の翌日と言うこともあり、お忙しい中での事なので迷惑だとは思っているのですが…………私が話すよりも、見て貰った方が早いかも知れません」


 ナスタシアが机の脇に押しやられた紙を一枚、僕の文字の上に重ねた。丁寧に折りたたまれたその紙には当然のようにこの世界の文字が書かれているが、使われている単語は僕でも容易に読めるほどに簡単だった。


『この手紙が届く頃にはそちらに到着します。新しい発明品をお見せします カロ』


 手紙の挨拶や不要そうな記述を省けば、その程度の内容だった。


「私の友人からの手紙です。ウィズネア教団の選出技術院長でして、私よりも物好きな方です。彼もアサナギ様と同じく、ニホンという国から来たらしいのですが……」


 日本から来た。それで文章の拙さには納得がいったが、同時に驚き困惑した。もう来訪者とは会っていて、自分以外にも存在するのは完全な事実だと分かっていた。


「そこでお願いがあります。彼と会って頂きたいのです」


 とはいえ、一日に二人も顔を合わす羽目になるとは考えられただろうか。


「その、彼も同じ場所からやって来た人が居ると分かれば喜ぶでしょうし、興味もあるかと思いまして……。私からお願いするのも筋違いでしょうし、心苦しいものですけど……」


 ナスタシアは俯きながら続ける。彼女にとってカロと言う人物がどのような存在かは知り得ないものだが、会って欲しいと勝手に頼み込む関係性とは如何様なものなのだろうか。





 暫くの間、互いに気まずい沈黙が流れた。ナスタシアはきっと自分の非のことを考えているだろうし、僕は僕でどうするかを悩んでいた。


 この際、日本人とか来訪者とか、そういう部分はどうでも良かった。

 気になるのは、「僕に会ったときに相手がどう出るか」だった。どう好意的に考えても今の僕が信用に足る印象を与えられるはずが無いし、十中八九微妙な空気になってお開きになるだろう。会わない手よりも、会う手の方がデメリットが大きいように思える。



 それとも、単に会いたくないと、そのためだけに理由の肉付けをしているのだろうか。

 誰かと話すのが面倒、絡まれると面倒、仲良くなるのは避けたい――――あれ以来の僕の生き方そのものが「会話を交わす」事にまで影響を及ぼしてきているのは前から自覚はしていたつもりだ。


 喪いたくないと思っている間に、面倒くさくもなってしまったのだろうか。いつか無くなるものに努力など注ぎたくない。人はどうせ最後は一人なのだからと。












 こちら側に来た僕は、何があって変わったのだろう。


『分かった』と書き記した後に後悔の念が当然の権利として浮かんでくるが、そのせいでどうして同意したのかを忘れてしまった。何かしらの考えがあって答えたはずだが、今となっては無意識に書いたと同義になっている。


「……! ありがとうございます!」


 椅子から腰を浮かしてまた僕の両腕をがっしり掴む。自分の友人に僕を紹介できることがそこまで嬉しいものなのか、友人の居ない僕には理解しかねる。




 僕にした行いをまた遅れて認識したらしく、ささやかな赤面と共に真っ白な手が腕から離れていった。


















 ナスタシアからの拘束が解けた後、イリアを探して少しばかり本の森を彷徨った。最初に聞いた指示を思い出しながら歩いたのだが、そこには誰も居なかった。


 イリアが居たのはその一つ先の棚で、蝋燭の明かりだけを頼りに座って本を読んでいた。随分と大きい本のせいで、彼女の小柄さが一層際立って見える。



「ひにっ!!」


 積まれた本につま先が引っ掛かって二冊ほど崩れると、五センチは浮いたのではと思えるぐらいにイリアが飛び上がった。熱心に見つめていた本が勢いよく閉じられ、蝋燭の乗る燭台が倒れそうになる。


「カっ、カズっ!? 来てたの?」


 必要以上に驚かせてしまったみたいで、彼女の胴体ほどもある本をしっかり抱え込んで身を守ろうとしているように見えた。

 落とした本を積み直し、足音を立てながらイリアの元へと向かう。近づいて分かったが、彼女の顔は蝋燭に照らされた以上に赤くなっているようだ。何があったのだろう。


「あの、えとっ」


 どぎまぎしたままの彼女と会話するための一式を取り出したところで、少し戸惑った。


 どうして普通に会話をしようと思ったのか。彼女から何も問われていないのに? ただ「そうだ」と答えるためだけに取り出したのかと言われれば、決してその通りとは言えないだろう。



 会話をしたいと思った。今の僕の行動は間違いなくそれに尽きるのだ。


「…………クソ」


 聞こえないのが分かっていて、僕は悪態をついた。そもそも僕が彼女に余計に関わる必要なんて無い。ただ成り行きで守ってきただけだ。見殺しにするのは目覚めが悪いから、ただそれだけの理由で守ってきただけなのに。なんで情なんか移しているんだ。この馬鹿。


 分かってる。分かってるけど。














 こちら側でも長い沈黙が場を占めたが、ナスタシアの時のものとは違った。


「……ねえ、カズ」


 俯いたままイリアが沈黙を破る。


「守ってくれて、ありがとう」


 唐突な感謝の言葉だった。


「初めて会ったときも、わたしのことを何も知らないのに助けてくれた。それからだって、何度も何度も助けてくれた。それなのに、まだお礼の一つも言ってなくて……ごめんなさい」


 嫌な気分だった。礼など言われたくない。対価なんて欲しくない。

 自分の行動に、その相手が何かしらの恩義を感じてしまうのは嫌だ。怖い。






 何で怖い?


「ねぇ、カズ。わたし…………」


 イリアが顔を上げる。僕を見上げて、偶然にも目が合った。

 蝋燭の火が下から照らすその瞳に、暗闇以外の何も映っていないのが見えた。


「わたし……その…………ずっと守ってもらってばかりで……だから」


 止めてくれ。踏み込まないでくれ。踏み込ませないでくれ。


 僕は逃げ道を探すように周囲を見渡した。どうすれば良いのか、どんな選択が最善なのか。見える場所に答えがあると思い込みながら。








「………………」


 来た道の棚の端、暗がりでも誰かがいるのが分かった。隠れているつもりなのだろうが、生来の耳がそこまで主張していては意味がない。

 見える限りで、彼女の瞳はきらめいていた。傍観者として何かしらを楽しみにしているような目で、その口はだらしなく歪んでいるのも見える。



 何を期待しているのか、恋愛沙汰に興味津々そうな視線を送るナスタシアがそこに居た。


 妙な話だが、そのお陰で現実に戻ってくることが出来たように思える。本来なら空気ぶち壊しとするべきところなのだろうが、僕にとっては渡りに船だった。



「んぅ…………」


 少しぐらいなら。そんな常套文句で沼に足を踏み入れた。

 イリアの前にかがみ込み、頭巾越しに頭を撫でる。せめてこれで収まってくれれば。


「……ありがとう、カズ」


 そうだ。このことに対しての礼だと思おう。それでいい。




 僕との距離は、これでいいんだ。






「……って感じさ。まさか俺もあんな能力だとは思わなかったね」


「なぁるほど、あんたは今でも自由人のままとみた」


 ガルシアが三十分ほどの長話を終えた時には、瓶の中身は殆ど店主の口に入っていた。


「しっかし、ギフテッドとはいえ良い能力を貰えるのは一握りなのか。全員が英雄になれるとは限らないんだな」


「そりゃそうさ。みんな使い勝手の良い能力ばっかりだったら例の診断なんざありゃあしないだろ? 俺だって元はもっと使い勝手の悪い能力だったしな。診断に行かなくて正解なぐらい」


「そりゃ、おい。今と昔で違……」


「勿論秘密だ」ガルシアは店主が尋ねる前に答える。「言うと怒られちまうからな。何処かから見られてたりでもしたらたまらねぇ」


「見られっ、ひっく、おいガルシア。茶化すのは止してくれよ」


 一杯だけでも十分に酔えるというのに、店主は一瓶開けてようやく酔いの症状が出てきたらしい。


「まァ、いいか……そうそう、坊やと会うかい? すっかり手の掛かる子に育ってるよ。俺の手にも余るぐらいにな、ハッハハ!」


「本当に酒強いよなおやっさん。会いたいのは山々だが、レノが俺のことを話してるかどうかだな……」


「話してたさ! あんたみたいな奴は他に居ねぇ! 色々と難しい話だけどよ、だからって除け者にするような奴じゃないし、子供だってそれなりに考えて納得するもんさ」


「……分かったよ」久しぶりに顔を出した親戚の集まりでの会話じみてきたのを感じ、ガルシアは苦笑しながら答える。


「居るのは明日の朝までだからな。避難が始まったら探すのも面倒だし、今の内に感動の再会といこうか」

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