20 距離
「……課題は山積みだな」
ミリアスが天井を仰ぐ。壁に掛かる時計は夜の明ける四時間前を指し示し、薄暗い部屋の三人は誰もが疲労を隠すことを止めていた。
「本隊は三万以上の大軍、侵攻予定日は遅くとも明後日……今回の奇襲をしてなかったら本当に不味かったね。先手を封じることが出来て一安心だ」
「だが、予想以上の戦力をここにぶつけてくるのには変わりない」
テレシアが釘を刺すように身を乗り出しながら言う。最後の元気を振り絞るような様子だった。
「明日……いや今日に集まるのはあって二千、中間拠点を経由する計二万の兵が集まるには短くとも三日は要する。都市間の防衛線や避難民の護衛、休む暇も無い状態でその全てを防備に回すことは不可能だ」
「相手は攻撃を察知しただろう。予定を早める可能性もあるとすれば、一つ戦線を下げる必要にも迫られるか……」
「いや、その心配は無いだろう」
「は?」
どこか確信のあるような彼女の発言に、男二人は疑問符を口にしていた。
「分団長、どうして分かるんですか」
「根拠は無い。女の勘という奴だ」
テレシアが机の上の資料を掴む。量だけでいえば十分以上の情報量がここに集まっていた。村の中から収集した皇国軍の情報。持ってこられるものはすべてここにある。
「先ず言っておくが、確信がない訳では無いぞ。この配置図が気になったんだ」
「本隊と偵察隊の部隊配置図だな……俺はこういう戦略的な違和感というものは分からん」
「僕はミリィよりかは知ってるつもりだけど、特に気になるものは無かったなぁ」
「……これだから」
「なんて言った?」
ほぼ口の動きだけだった発言にミリアスが問いかけた。彼女は特に慌てる様子も無く、肩をすくめて続きを話す。
「距離だ。本隊と偵察隊との距離。微妙すぎる」
「微妙?」
「そうだ、リア。今回の目的意識が何であれ、この距離は可笑しい。情報伝達には少しだが支障をきたすぐらいに遠く、かといって存在を秘匿するなら近すぎる。極めつけはこの…………部隊間の距離と地形だ。ミリアス、何か気付かないか?」
指が幾何学模様のような二つの陣地をなぞる。平地故に高等線は殆ど書かれておらず、視界はよく通った。
「地形……シナ村の林の端からならギリギリ視認は出来そうだな。隅の一部分だけだが」
「そうだ、『隅の一部分だけ』見える位置に構えているんだ」
テレシアのその言葉に、アストラリアは何か気付いたようだった。
「…………分団長、本気で言ってます? もしその通りだったとしても、余りに根拠が少なすぎますよ。突飛すぎる」
「だから有効に働くんだ。嘘は大きく吐くほどにバレにくくなり、騙すのならばまず味方からと言うものだろう? あいつらだってその情報をむざむざ残すほどに馬鹿でも無いだろうしな」
「テレシア、信憑性は兎も角、もう一つ聞きたい」
ミリアスが彼女を睨み付ける。
「相手の本当の目的地は、だろう?」
「そうだ」
「……女の勘に頼って良いのか? 黒豹よ」
「茶化すな……だが、心当たりはあるようだな」
決して変わらない雰囲気はテレシアの冗談らしいものを許容しなかったらしい。乗ってこないのを見て諦めたのか、彼女は指を立てながら答えた。
「裏に回り込むか、薄くなった膜を破るか、或いはその両方か」
二人はもう口を開かなかった。聞くだけ聞こうと決めたらしい。
「……何であれ、これから忙しくなる。ミリアスもリアも、今日はもう休むことにしようじゃないか。私も疲れた」
しかし、予想した以上に彼女の話は長く続かなかった。
続きは翌朝に持ち越されることになり、一足先にとテレシアは部屋を後にしていった。
夢を見たような気もするが、目が覚めたときには忘れていた。窓からは朝日が部屋の中程まで差し込んでいて、時計の針は七時前を指していた。
随分と静かなこと、一人であることに違和感を覚える。この状態が昔からの「いつもの」朝だったというのに、どこか違うような、寂しさというものだろうか。
原因に思い当たってしまうのが腹立たしい。もう手遅れだとでも言いたいように僕の気分は坂を転がっていて、その思いを振り払うようにベッドから飛び降りた。なまじ誰かを助けようとするからだ。関係を持つからこうなるんだ。分かっていただろう。
「お目覚めになられましたか」
ドアが開くと、柔らかい口調でデーズが部屋に入ってくる。
「ご朝食の用意がそろそろ仕上がりますので、お着替えになられた後に食堂まで参られますよう。アサナギ様のお召し物はただ今洗濯中ですので、こちらをお使いください」
部屋に据え置かれた机の上に衣類が置かれる。今羽織っているそれと同格かそれ以上の品位が生地から染み出してくるようだった。この一式を揃えるのに何十万と掛かるだろう。
着替えを済ませて廊下に出ると、微かに生活の音が聞こえてきた。使用人達が歩く音、何か会話をしながら仕事をする音、調理の音。
この屋敷にはどれだけの人が暮らしているのだろうとデーズの背中を追いながら考える。今更のことだが、炊事も洗濯も誰かに任せていることに気付いたのだ。
ずっとやっていたことを誰かにして貰うというのはここまで気分がざわつくものだったのだろうか。見知らぬ世界に来て更に数年前の出来事で、あの時の心境はもう僕の記憶から消えかかっている。
何が当たり前で何が非常識か、僕の物差しは一般人のそれから大きく逸れていることだろう。それが喜ばしいこととは全く思えないが、悲観はしたくなかった。
朝食の場には、ほぼ全員揃っていた。「ほぼ」というのは、僕が出会った中でおそらくは「使う者」であろう人物が一人見当たらなかったからだ。ナスタシアだったか、クラムの姉らしい女性だけはこの場に居なかった。
「主役がやって来たね」
アストラリアがいつもの調子で言うと、上座から四番目の席を指さした。既に料理は並べられていて、ベールのような湯気が静かに昇っている。
「……おはよう、カズ」
僕の座った隣にはイリアが居たが、小さな声の挨拶に戸惑いのようなものが見られた。僕自身も彼女との関わり方を考えざるを得なかったからか、妙な壁というか、お互いに探り合うための距離が出来たような気がする。
或いはただ単に僕が距離を作っただけなのかもしれないが。
「さて、カズマサ君に対して話さないといけないことがあるけれど、食事をしながらにしよう。龍の御霊に」
「龍の御霊に」とそう言いながら両手を合わせてしまうのが日本人だという所作だろうか。料理の品自体は上流階級のよくありそうな構成で、比較的短時間で食べられるもの、胃の負担が無さそうな食材が主に使われていた。味も少し薄めだろうか。
「さて、じゃあ早速なんだけど」
食事が始まって数分、随分と早い調子で食べていたアストラリアが話し始めた。
「まずしないといけないのは、昨日のカズマサ君に対しての謝礼だね。
君のお陰で僕たちはだいぶ楽して戦うことが出来たし、死ぬはずだった人たちを救ったのは正に英雄的と褒められるべき行動だ」
デーズに向けて何かを持ってこさせるジェスチャーをする。もう既に用意させていたようで、伝言ゲームのように言葉の無いやりとりの後、一人の使用人が盆に袋をもってやって来た。
「本来は依頼と仕事という形で、報酬は騎士団からのみなんだけど……ここまでやってくれたのにそれだけってのも失礼になりそうでね。
代理だけれど、ここの代表からのお礼って事で、これを受け取って欲しいかな」
そう言って僕の席の脇に袋が置かれた。中から金属の擦れる音がして、中身が何かの想像は難くない。難くは無かったのだが。
「……金貨?」
袋を持ち上げたときの重量感は予想を遙かに超えていて、中を覗くと見たこともない黄金色のコインが音を立てて崩れていった。
「マテラ金貨三十枚、いざというときに貯めてるへそくりのほんの少しさ。もっと渡したいところなんだけど……父に叱られなさそうな限度がこれぐらいでね」
「マっ、マテラ……」
イリアがフォークを落として、それと同じぐらい僕も驚いた。確か通貨として最高単位で、一枚で何ヶ月だったか……少なくない日数を暮らせたはずだ。それが三十枚。宝くじか裏の仕事でもしない限り一般人が一度に手に入ることの無い額には違いない。
「正直に言うと、ここの街を守り通せると思ってなかったりするからね。失礼な話だけれど、奪われるぐらいなら信用できる誰かに渡しておいた方が有意義に使ってくれそうだと思ったのもあるのさ」
「動機は騎士として問題があるが、正論でもあるのがどうもなぁ……」
「今の僕は代表として話してるから問題なし。分団長、あなたからも渡すものがあるでしょう?」
なんとも言いづらい表情のテレシアが懐から何かを取り出す。巻かれた紙と、キーホルダーのようなもの。計六本の細長い装飾が取り付けられている。
「金銭面は元から領主の負担だ。貴殿に装備の贈与は不要だろうから……私からの報酬はこれになる」
「騎士札か。特例だな」
ミリアスが呟く。騎士札。ドッグタグのようなものだろうか。
「軽く説明させて貰うと、騎士の代理的な証明品といったところだ。本来は腕に刻印するものだが、その腕を失ったり、或いは彫る暇が無い戦時中に利用する。
信頼性は刻印より落ちるのが難点だが、持っておいて損は無いはずだ。騎士団関係の取引や施設を利用するときに楽になるだろう」
ただ、と言い淀みながら巻かれた紙を広げる。中にもう一枚紙が巻かれており、何かの印となかなかに達筆な分が書き連ねてあった。大きい方は街中の地図のようだ。
「まだ名前の刻印が済んでいない。済まないとは思っているが、これを持って街のある場所に行ってきて貰いたいのだ。こちらは攻撃に対する対応で手一杯で、恥ずかしい限りだが……」
向かいからその一式が押し込まれる。受け取って確認すると、この札そのものもかなり手の込んだ装飾がされているのが見て取れた。何の金属かは分からないが、擦れて付いたであろう細かな傷ですら綺麗に見える。
「イリア、アサナギと一緒に出かけてきてくれ」
「えっ?」
唐突に会話に混ぜられたからか、イリアがまた驚いた声を上げる。
「ああ、その。アサナギだけでは向こうも困惑するだろう。ただでさえ混乱する状況だから、変に騒がれるのは避けたい。それに…………」
「……それに?」
「なんだ……今動けて、アサナギと一番長く接しているのはお前しか居ないから…………リア、変な意味じゃ無いぞ。その顔を止めろ」
「いやごめん。ミリィって女性相手に口下手なの変わってないなぁって」
「茶化すな、認めるが今は止めてくれ」
「アストラリア、その言葉は私に対しての侮辱と取っても宜しいか?」
「僕何か変なこと言いましたっけ分団長?」
どこか楽しげに二人をおちょくるアストラリアのお陰で、結果的にではあるが空気が和らいだような気がした。三人の学生のような言い争いを端から見ているのはイリアと一緒で、そういう意味でさっきの距離感は少し息を潜めてくれた。
食事を終えて少し休息をとりながら荷物をまとめ、久しぶりに二人で行動することになった。
護身用に拳銃だけを出して貰うと、五十枚の銀貨に換金された重い袋や必要な諸々を持って街へと繰り出した。
地図によれば目的地は商業区の中にあるようで、そこに行くまでの道のりが厳しいものになるということは大通りを見れば直ぐに分かった。
この街には城壁と呼べるものが二つあり、街中のそれが居住区と商業区をおおよそ区分けしているようだった。縮尺は不明だが、見える景色からそれなりの大きさがあるのは分かる。歩いて何分かかるだろうか。
ふと道の脇を見ると、割合としては四割ほどだろうか、荷物を外に纏めている家族が道の端を圧迫し始めていた。見た目から、どうやら騎士団の人材も手伝いに来ているらしい。横目に見ただけでも効率的に連携して避難する住民の手助けが進んでいる。戦うだけが仕事じゃ無いのは本当のようだ。
今一度住人のなりを観察してみるが、僕やイリアのような、いわゆる「人間」という外見の人物は殆ど見られない。誰もが毛むくじゃらで、獣の顔立ち、それぞれの体格差も元の動物のそれほどでも無いが大きく、表情は僕らよりもずっと豊かに見えた。
殆どと言うように、僕らに似た外見の人も何人かは見かけた。大体が僕より背が高く、顔は整って、西洋の彫刻に生命が吹き込んだような見てくれで、耳が長く尖っていた。エルフと言って良いものか僕に判断は難しいが、なるほどああいう目に遭わされる訳だ。
「ねぇ、カズ」
道を行きながらイリアが話しかける。街の中の城壁は直ぐそばにまで来ていて、見上げられるほどのその頂点には見張りが数人立っているのが見える。
「その、えっと……ごめん。何でもない」
見えない僕とはぐれないように手を繋いでいるものの、やはり距離感に迷いがあるのはお互いに同じようだった。ハリネズミのジレンマだったか、割り切ることさえ出切れば簡単なものなのだろうけれど。
壁を越えると、一気に騒がしくなった。居住区と同じように荷造りをしている人も居るには居るのだが、そのついでとも言えるように商売を続けている。売り手も買い手もまだそれなりに残っているようで、売買の声が空気を震わせていた。
目的地へ進むために大通りから一本脇に逸れると、左右の建物で空が一気に狭まる。それに反比例するように騒がしさは音量を増し、左右には目を奪われそうなあれこれが広げられるようになった。
食品や装飾品、書物や武器、防具、家具。一通りのものが市場には揃っているようだ。その合間に紛れて料理を出す露店も出ていたり、少なくともここの人たちに逃げるという意思は感じられなかった。午前中だと思えない熱気がここにはあった。
「……ここ、かな……?」
暫く人の波を共に乗り越えていると、恐らくは目的地であろう地点に辿り着くことができた。この喧噪とは無縁そうな年期のある建物で、看板には古くなった細かい装飾と剥がれかけの金箔の文字が書かれている。
ショーウィンドウと言うほどでは無いが、手の込んだ作りの小物やアクセサリーが差し込む日光を反射しているのを見るからに、装飾品とかの工房なのだろうかと推察する。金属に文字を彫り込む仕事などそのぐらいしか無いだろう。
「綺麗……」
イリアが小さく漏らした。確かに綺麗だ。加工技術の知識は全くないが、花や鳥がそのまま銀や鉱石になったのではと思えるほどに精巧そのもので、並大抵の技術では無いのは一目瞭然だった。現代の装飾店に並べても商品として言い通せそうだ。
先に書類と札をイリアに渡した後、何十年と人を通してきたような扉に手を掛けた。
店の中に入った瞬間に、外の騒がしさを完全に遮断したかのように沈黙に包まれた。外側と同じように、内装も年季が入っていて、狭いが僕には心地良い雰囲気だ。
「いらっしゃい」
閑古鳥すら飛んでいなくなったような静けさを破るように、奥から女性の声がする。二人して目をやると、店の奥のテーブルにその人物は居た。彼女もアニマリアらしく、犬か狼か判断の付けにくい、優しさと頼りがいが両立したようなというのが第一印象だ。
「あの、これ、お願いできますか……?」
イリアが僕を引きながらおずおずと二つを差し出す。
「ん、えっと…………へぇ、騎士札ねぇ。まさかこんな可愛い子がこれを持ってくるなんて。代理で来たの?」
「あの…………はい。そうです」
「ふふっ、こんなところまでご苦労様。ちょっと時間が掛かるから、何か欲しいものか無いか見て回っていて。欲しいのがあったらまけとくわよ」
イリアが一瞬僕の居る方を見やったのをその女性は愉快そうに微笑んで、店の奥に消えていった。
ただでさえ静かな屋内は、いよいよもって音すらも消えた。部屋の中の蝋燭が揺らめくのが唯一の動きとも言えて、僕たちが品物を見回るようになるまで少し時間を要した。
表での推察通り、主にアクセサリーや装飾の付いた小物を販売しているらしい。指輪、首飾り、髪飾りや腕輪、知っている限りの一通りのアクセサリーは揃っている。
そのどれもに妥協の余地無く装飾が込められ、同じ模様を彫り込んだものは何一つ無いのに、そのどれもが一定以上の美しさを持っている。簡単な装飾はそれ故のインパクトがあるし、細かいものは繊細さが良く引き立っている。
もっと言いようはあるだろうが、何分こういう類を見るのも初めてに等しいのだ。素人目に何がいいのか分かったものではない。
そこで素人にも分かる指標――――――――幾らだろうと値札を探すと、おおよその値段の目安表のようなものを見つけた。読み取れた限りだと、安くとも銀貨が数枚、高いものだと金貨でのやりとりになるらしい。相場というのもよく分からないが、ここまで手が込めば妥当だと納得は出来る。
商品の数もそれほど多くないため、全部を見るのに五分もかからなかった。あの女性は奥で何をしているのか、耳を澄ましても何も聞こえはしなかった。
イリアはと言うと、少し前から一カ所に付きっきりになっている。髪飾りが置かれている部分で、何を見ているのだろうと隣にそっと歩み寄った。
「………………」
イリアが手にとって熱心に見ているのは、手の平より一回り小さいほどの、彼女の被る頭巾と同じ真っ赤な花弁を持った花の髪飾りだった。その周りを舞うように細くしなやかな銀の装飾が取り付けられている。
詩的に表現するなら、風に散る寸前の咲き誇る瞬間といったところだろうか。僕には儚さと美しさを表現したように感じられる。
暫く見つめた後、イリアは溜息をついてそれを戻した。考えているのは値段のことだろう。少なくとも少女には厳しい金額だ。
僕の腰巾着の中身なら買ってやることも出来る。だが金に物言わせるのもどうかと自制が働いて、自分の目でもっと確かめようとイリアが別のところに行ったときを見計らってそれを手に取った。
よくよく見れば、花弁の内側に文字らしいものが彫られている。注意しないと花の筋にしか見えないけど、確かに意味のある記号が書かれている。一文字の大きさが小指の爪の半分ほども無く、装飾が過剰にあるために読むのは難しそうだった。
それにしても、何の花なんだろう。
「ごめんなさいね、久しぶりで結構手間取っちゃった」
そんな声に目を向けると、騎士札を持って女性が戻ってきていた。
「あ、ありがとうございます」
「礼なんて言われるほどじゃないわ。何か欲しいのはあった?」
「いえ、わたし、お金持ってないんで……」
僕の代わりに受け取ったイリアがそう言って一歩下がった。
「でも、とても綺麗でした」
「その言葉で何か一つ貴女に贈りたい気分よ。何せ今は全部私が作ってるからね」
女性がカウンターからこちら側にやってきて、品物の幾つかを手に取りながら話し続ける。その目は自分の作ったものへの愛着が感じられた。
「最初こそ上手くいかなかったし、その度に悔しくて、それ以上に材料に対して申し訳が立たないって思ってね。こうして褒められると、自分の子供が褒められたようにも思えちゃって……変な話でしょ? 私にも自分の子が居るのに」
女性は続けながら僕の居る場所に近づいてくる。
「作り始めた切っ掛けも、子供を育てるためなの。いろんな縁があるものでね、昔はこんな風になるなんて思いもしてなかったわ…………あら?」
僕が一歩下がり、彼女は髪飾りのあった場所を見て疑問を持ったようだった。
「可笑しいわね、あれが無くなってる……」
イリアの顔がさっと青ざめたのが分かった。こういうことに敏感なのは、多分似た経験があるからだろう。濡れ衣を着せたくはないし、これは仕方ないこととしよう。
「きゃっ! えっ!?」
女性が驚く声を出すのも仕方ない。視界に居るのは少女だけなのに、それ以外の誰かに肩を叩かれたのだから。仕方が無いのだが――――――――申し訳なさが先に立つ。
「あの、ごめんなさい……言いにくいんですけど、もう一人……その……」
「……なるほど、そういうことだったのね」
イリアがなんとか説明しようとしてくれるが、彼女が思ったほどに女性がパニックに陥ることは無かった。
むしろ、まるで前にも何かあったように、イリアが説明しきる前に落ち着き始めていた。
「ふぅ……こちらこそごめんなさいね。なんとなく気づいてはいたんだけれど」
「え?」
その予測が正しいと言わんばかりに女性は言った。
「入ってきた足音が二つあったような気がしたってだけなんだけれどね……あの髪飾りは貴方が持っているんでしょう? それに多分、あの子が持ってきた騎士札も貴方のもの」
確信を持ったように指を指しているが、妙にずれているのがもどかしい。
「姿が見えないなんて、なんて面白い方でしょう。それにとってもお目が高い」
買うつもりではいたが、ずっと自分が持っているのもあれだろうと女性の手を取って渡すことにした。もう驚くこともせず、彼女は目的のものを再度見られて安心したようだ。
「この花ね、アネモネって名前なの。この季節になると綺麗に咲いてね、ここで働く前はよく見に行っていたものだけれど…………もう何年も行っていないわね」
「えっと、好き、なんですか?」
「ええ。辛い思い出もあるけれど、幸せな思い出もこの花と一緒にあったから。私の人生もアネモネと一緒よ。切ない花言葉だけれど、中には美しい、幸せな花言葉の色もあってね…………」
遠くを見るようにカウンターの傍の写真――――小さな肖像画を見つめている。特に気に留めていなかったが、幸せそうな二人が描かれていた。
「……あっ。ごめんなさいね、おばさんの昔話に付き合ってくれて。……寡黙な方なのね、見えないお方は」
「あの、喋れないんです」
「あらあら、それは何かと大変でしょう。お話しするときはどうしているの?」
「えっと、紙とペンでやりとりしてます」
「筆談ね……会話に時間差があるなんて、傍にいるのにもどかしくてたまらないでしょう? 私だったらもどかしすぎて遠吠えでも上げちゃうかも」
彼女は会話をこなしながら、その髪飾りを持ってカウンターに戻っていった。
「さて。これは私の傑作でもあるから、欲張って銀貨十枚……と言いたいけれど、半分の五枚にするわね。貴女みたいな女性を飾ってくれるなら、この子もそれ以上の喜びは無いでしょう」
「ひぇっ!?」
「あらあら、そんなに恥ずかしがらなくても良いのに」
僕が銀貨を出す間にそんなやりとりを聞いていると、女性が僕に対してジェスチャーを始めた。片手は口元に、もう片方は耳を指さしている。
「大事にしてあげなさいよ。私みたいな女は少ない方が良いから」
その通りに耳を貸すと、諭すような口調でそう言われた。
そんな彼女には悪いのだが、僕の耳はそこにはない。髪の毛の内側が生暖かくて背筋が寒くなる。
「さぁて、早速付けてあげなさい。きっと凄く似合うわよ」
その言葉を誤魔化すような大げさで僕の手をまさぐり当てて髪飾りを手渡してくる。人に見られている前で異性相手にこういうことをするのは正直に言って恥ずかしいものだった。囃し立てられることなど人生で今回が初めてだ。
イリアは少し顔を赤らめながら僕を待っている。後ろの女性はそんな僕らを見て楽しそうに見守っている。退路は無かった。
本当に良いのか。後悔するだろう。そう問いかけてくる本心を押さえ込みながら彼女のフードを少し持ち上げ、ちょっとだけ苦戦しながら髪飾りを付けた。
青みがかった黒髪に柔らかく優しい赤が良く映えて、女性の言うとおりにとても似合っていた。そう思っただけなのに、僕の思考は警鐘を鳴らしている。これ以上はいけないと。
「……カズ、ありがとう」
照れくさそうに笑う彼女を見て、嬉しさと後悔と不安が僕に広がっていった。
大丈夫だろうか。僕は僕に問いかけるが、答えられるものでは無かった。
騎士札も受け取り、店を出た直後だった。喧噪の中に戻った僕たちの前に、騎士団の服装の男が立ち塞がったのだ。周囲に彼の取り巻きは見えないが、面倒事に巻き込まれたのは自明だろう。
「ちょっと悪いが、この後に予定ってあるか?」
外見は誠実そうにも見えるが、赤の他人だ。僕たちに信用なんて出来たものじゃないのは当然で、イリアの手に力が入ったのが分かった。
「…………私に、何か用、ですか?」
「おっと、言い方が悪かったな。そう怖がらないでくれお嬢ちゃん。用があるっちゃあるけど、お嬢ちゃんの方じゃ無いんだ」
両手を顔の前で往復させ、その目はイリアから僕の居る空間へ――――――――そう思ったが、直ぐにそうじゃないことを確信した。
「用があるのは……あんたの方だ、カズ」
間違いなく僕を捉えている騎士は、そう言って悪戯っぽく笑った。




