19 僕を変えた過去の僕
月を追うように壁の内まで戻る。住民はとっくに寝静まっている時間で、僕自身もここまで夜更かしするのは久しぶりだった――――――――何しろ、向こう側で夜になってもやりたいことなど無かったからだ。クラスメートが何をして睡眠時間を削っているのか僕にはさっぱり理解できない。
「報告を頼む」
そう切り出したのは、壁の上でずっと陣頭指揮を執っていたらしいテレシアだった。帰還した騎士達に対して労いの言葉は少なく、そうして事務的な作業を優先できるのは人の上に立つ者の特権だ。
「こちらは負傷十六名、戦死八名。ミリィの方は戦死も負傷も無しだって」
アストラリアはそんな特権など匂わせないような軽い口ぶりで、むしろそのぐらいに割り切った方が楽なのかもしれないと考えさせられる。
「皇国軍の方だが……捕虜として残せたのは二桁以下だ。それ以外は殺したか、網をすり抜けて逃げたかだ」
「情報源となりそうな将校は村長の家の中で凄いことになってたから、こっちからの情報収集は当てに出来なさそうだね」
「そうか。全体を通せばこれ以上無い戦果だ、流石は十線と九線か」
三人が平行して進む。
「情報として価値のある物は全て持ってきた。休むのはそれを吟味してからにするべきだろう」
「正直、お風呂に入りながらしたいぐらいだけどね。久しぶりの実戦で体も心もクタクタだ」
「後回しだ。一兵卒ならまだしも、私たちは指揮官だ……ミリアス殿は違うが」
「早く終わらせればより長く休める。もうひと辛抱しろ、リア」
「はーい」
歩き疲れた子供のように振る舞うアストラリアの背後の列が別れた。眼前にはもうヘルベルト邸が迫っており、後ろの隊列が脇に逸れる騎士達に続く。
遅れた最後の一騎が慌てて後を追い始めたときには、僕らはもう庭の中に入っていた。
「アサナギ、今回はお前の働きで全てが上手くいった。本来なら祝宴でも開いて祝いたいところだが……もう夜分も遅い、まだこの世界に慣れない状態だと辛いだろう」
ミリアスが背中越しに話す。彼の賞賛に合わせるように他二人も頷いたり親指を立てたりといった具合だ。
「もうお風呂の準備は出来てると思うし、先に入ってきて。一番の戦果者をもてなさないわけにいかないからね、拒否はさせないよ」
「お前はもう少し地位に見合った言葉選びをだな……言っても無駄か」
当然ながら、出迎えは無いものだと思っていた。邸内の庭をゆっくり進み、玄関のぼんやりとした光が遮られていることにようやく気付いたのは、そんな心理も働きかけてのことだったのかも知れない。
「イリア……」
僕の代わりにミリアスが呟いた。彼女が立っている。傍にはあの気の抜けた使用人も居て、どちらもどこか気が気でない顔をしている。
「起きてたのか。もう休めたのか?」
「あ、えっと、はい。大丈夫です。けど……」
全員が龍馬から降りると、二人は最後に降りた者の足音に目を向けた――――僕の居る場所だ。
イリア達がそう見るものだから、この場にいる全員の視線が集まってくるのは自明というべきだろう。目立つのは好きじゃないが、こればかりは性というものでもあろうと割り切ることにした。
「……えっと…………カズ?」
視線が集まって落ち着かないのか、声も若干震えている。
落ち着かせようなんて崇高な意思かはともかく、僕の存在を知らせるべく手を伸ばしたが…………止まった。分からなくなったからだ。
「……おかえりなさい。カズも、皆さんも」
僕は彼女のどこに居るべきなのだろう。こうも触れて良いものだろうか。
何よりも迷ったのは、「おかえり」などと言われることがそれこそ数年ぶりのことだったからだ。その事実がより僕を困惑させて、あやふやだった距離感を強引にでも線引きせねばという思いに駆らせる。
馬鹿馬鹿しいが、僕もまだ少年だと言うことだった。彼女を腕の中に抱き留めたというのに、こんなことでうじうじ悩みそうになるのだから。
そんな思いを振り切ることは出来ず、僕の手は彼女の手を握ることしか出来なかった。
人を殺したことがある。
それは今の僕を作った要因でもあり、「おかえり」のない世界を迎える間接的な切っ掛けだった。今から五年前、もうそろそろ六年前になるだろうか。年齢がようやく二桁になった頃の出来事だ。
当時の僕はまだ普通だった。どう普通かというと、周りと同じように自分の好きなことをして過ごしたり、自分の正義に酔ったり、自分の存在意義について無駄にひねくれて考えたりと、お年頃の子供のまんまだったと思う。
さて、その頃の人間関係というものは専ら学校内で完結するものであり、そういう意味では社会の縮図と言って然るべき空間だといえるだろう。現に過去の僕がそうだったように、子供の頃は学校の出来事や立場に全てがあるのだ。
その場で優位に立つことは、すなわち全ての上に立てるということ。子供の考える範囲なのでたかが知れているが、相手が同格の子供の場合は尋常じゃない恐ろしさが垣間見える。権力があれば虐げる事が出来ると言う点は、難易度や機会の多さが違うだけで、大人も子供もそう大差は無い。
その点において、僕の学年には絶対君主とも言えそうな人物とその従者達が揃っていた。
子供の頃の記憶なので詳しくは覚えていないが、親が兎にも角にも威厳を効かせられるお偉い方だったこと――――何をしでかしても、例え誰かに傷を負わせたとしてもお咎め無しに出来るぐらいには――――と、親譲りらしいその持ち前の残虐さは、当時でも独裁者と形容できたほどだった……それぐらいにしか語彙が無かったことは認めよう。
彼らはやりたい放題だった。児童に対しても、担任に対しても。誰かの持ち物を隠したり壊したり、授業中に騒いで叱られれば親が出てくる始末。その時の決まり文句はいつも「ここのトップは誰だ?」という内容だった。蛙の子は、という言葉を実に上手く体現しているものだと他人行儀に思っていたのは覚えている。
被害が来ないように立ち回るのは難しいことじゃない。視線に入らないこと、目立たないこと。とにかく理由を作らないこと。
僕に友達と呼べる人は居なかったから、誰かを庇う必要も無かったし、逃げるのも隠れるのも容易かった。勿論、狙われて助けに入ろうとする勇気を持った人は居たけど、入ろうとする「だけ」だった。みんな我が身が一番なのだ。望んで痛めつけられたい変態はまだ目覚めてすらもいないだろうし。
そうやって低学年、中学年とやり過ごしてきた。被害はクラス内に留まるわけじゃなかったから、どれだけ警戒しても足りないぐらいだった。廊下ですれ違うだけでも、逃げようとするだけでも処罰の対象にされたのだから。
何度も言うが、彼らは学校の小さな独裁者だった。
行動を起こしたのは、僕が対象になってからだった。運悪く同じクラスになってから。
丁度高学年へと切り替わったのもあって、独裁者達の暴力は勢いを増していた。標的にされたくないがために下っ端になった奴らは、機嫌を取るために虎の威を借りて低学年に手を出し始めた。
それまで手を出していなかった六年生にすら威張るようになり、一度喧嘩で負けていたのを見かけたが、その相手はもう顔を出すことが無かった。尾鰭の付いた噂では、人気の無い場所で病院送りにされたとか、家に火を付けられたとか。一個上の学年なので真相は分からないままだが、まともな生活など送らせてはくれなかっただろう。
僕がそういう噂にかじりつくようになったのも、ようやく魔の手が僕の腕を引っ掴んだからだ。覚悟はしていたが、生け贄にされる感覚は今でも有り余るほどの苦痛があった。
こうなるのなら、面倒でも代わりを渡せるぐらいに人間関係に手を出すべきだった。と、そう後悔するぐらいには。どうせ助けになど入ってこないだろうが、そうだったとしても。
とは言うが、僕の状態などどうでも良かった。何より嫌だったのは、こんなのが上に立っているという事実だったからだ。それを思えば、むしろ行動する理由が出来たと捉えられるだろう。
正直に言えば、犠牲になったその上学年の誰かのお陰で決意できたとも言える。彼が先立って対策するべき事を提示してくれたからこそ、僕は行動に必要なことを子供なりに纏められたのだ。
でも、何が決め手となったのか。今になっては分からなくなっている。
純粋な正義感からか、殺人というものに対する好奇心か、自己防衛によるものか。どれか一つだけということも無いだろうし、しかしどれが一番の理由なのかも決められない。
誰かが痛めつけられているのが気にくわなかったのかもしれないし、或いは大義名分を持って誰かを痛めつけるのに憧れを抱いたのかもしれない。
ただ、やらなければという使命感だけは確実にあった。それだけはあったのだ。
どちらにせよ、無知さというものは如何にして人間の本性を晒し出すかが今になって分かる。学ばなければ感情の獣と化すし、大人になっても理性を手にしていない人が居るのは、独裁者の親を見ればよく分かった。
僕も例外じゃなかった。違うのは、幼い理性によって制御しようと試みたことぐらいだ。
放課後になると、決まって彼らは一人の生け贄を所望した。近くの山の、道すら寂れた廃神社の近くの公園が処刑場で、そこで飽きるまで誰かを玩具にするのだ。もう何人も犠牲になって、誰もそこに近寄らなくなっていた。一度先生に誰かが言った気もするが、別段何も変わることは無かった。むしろそのチクった本人が服の下を痣だらけにされただけだったような。
何であれ、誰も助けに来ない、今回はそれがとても有利な条件になった。
家に使わなくなった包丁があったので、それを決行日の朝にビニール袋と共に持ってきた。その日だけは特別で、「処刑場」へと連れ出されるために挑発を繰り返した――――――――手元に凶器があると幾らか安心できるもので、やることを考えれば殴る蹴るの暴行は正に子供の癇癪ぐらいに捉えられた。
勿論、ここまでコケにされて僕を選ばないわけが無かった。誕生日に買って貰った高価そうな腕時計をわざとちらつかせ、見事に食いついた鯉に続いて例の場所に行くまで、僕の思ったよりも簡単に事は運んだ。
いつもの日課になっていても、楽しいことは楽しいらしい。独裁者とその両腕になった二人は意気揚々と草藪を掻き分けていった。僕が抵抗するかなど最初から問題にしていないようで、ランドセルの中を漁ることすらしなかった。
そこからのことは断片的だ。事の成り行きは覚えているが、その細部はもう忘れつつある。
先ずは、三人の声を奪ったはずだ。誰も来ないとはいえ、叫ばれると厄介になる。持ってきた包丁をどう取り出したかは覚えていないが、一番最初の、手の内で柄が滑る感覚と喉元に深く差し込む感触はまだ思い出せる。先に手を出せればこっちのもので、残りは呆気に取られている内に大怪我を負わすことが出来た。
逃げようとしても、全員が腰を抜かしていた。まだ元気のある奴の腹から横一文字に切り開き、とびきり大きなミミズを掴んだように中から臓物を引きずり出していくと、今度はそれを押し込もうと躍起になっていた。同じ事を他の二人に繰り返すと、威勢の良さはどこへやら、まだ明るい森の中は蝉の声だけが煩く響くようになった。
とても呆気なかった。もっと抵抗されて、上手くいかないものだと思っていたからだ。
こんなにあっさり殺せるものだと思っていなかったので、ハメられているのではと疑ったぐらいだった。周りを警戒して誰かが出てくることも無く、数分ほど身を隠して待った時間は無駄になった。
普通はそこでおしまいにするだろう。殺したのだから。
とはいえ、それだけでは足りない。そう僕は判断した。理由はもう曖昧になっていて、捜査の撹乱が元々の目的だった気もするが、単なる憂さ晴らしにも、好奇心からの奇行にも思えてくる。何のためにしたのか、それももう思い出せはしない。
小学生向けの人体についての本、それだけの知識で僕は三人を解体しようとした。そのためだけに数日前から調理場に立ち、家庭実習で触れただけの包丁の取り扱いや肉の裁き方を練習したのも覚えている。発想が子供らしいが、あの時はそれが一番の方法だったのだ。
とはいえ、理想と現実は違うもの。僕の思っていたとおりに肉は切れなかったし、腱は外れなかったし、骨はしなやかで折れにくかった。一人目の出来は酷いもので、切り口はずたずたで引き千切ろうとした跡が残り、骨はバキバキ、内臓はでろでろ、野犬に食い荒らされたようになった。
二人目に取りかかるときには、その経験を基にやってみた。筋肉の筋に従って切ったり、関節を引っ張って外してから試してみたり、腸がどれだけ長いのかを実際に引きずり出したり、思い返せば解剖実験のような有様だっただろう。一人目よりかはマシに分解できた。
三人目に掛かる頃には、少し空が赤みを帯びてきた気がした。人気の無い神社やツタの絡んだ公園の周りに時計などあるはずが無く、僕もそれを気にせずに没頭していた。
手の内の肉の感触、切るときの手応え、さっきまで動いていたものを好き勝手に弄ぶのはとても楽しかった。もう誰も傷つけられないのだと、誰も苦しませられないのだと思うと、胸のすくような気分で充ち満ちた。まさに、正義に酔いしれていたのだ。
全員をばらばらにした後、もう一巡してもっと細かくした。腕、手、指の関節まで。顔の皮に切れ目を入れ、みちみちと音を立てて剥ごうともした。眼も抉ってみようとしたが全部失敗に終わって、耳をそぎ落とすのは四回上手くいった。
子供がやったとは思えないぐらいに。その意気で出来るだけ残虐に土を染めていった。もう人の残滓は洋服とパーツに残る僅かな曲線ぐらいで、ひとまとめにすれば廃棄された肉塊にしか見えなくなった。木漏れ日の夕日に、燃えているようにてらてらと光っていた。
暫くそれを見てから、持っていた包丁の刃を咥えた。
僕も被害者だ。
そう演じるために、刃の方に沿って思い切り引き抜いた。指のささくれを思い切り引っ張ったときの何倍とも知れない痛みが脳まで直接響く。体中に染みついた血の中に、自分の血も溶けていく。口は一気に鉄臭くなった。
次に脇腹に添える。一思いに食い込ませ、振り下ろすようにして刃を出す。一気に左半身に力が入らなくなって、ぐらりと視界が傾いた。
右の二の腕にまっすぐ傷を付けたら、左手の指の付け根も順番に切った。指が長くなるほどに深く、握りしめるのも辛くなるほどに。痛みは熱さに取って代わってくる。
最後に力のない右腕で、左の太腿に切れ込みを入れた。ますます力が抜けて、意識も少し遠くなったのをはっきり覚えている。荒くなった息と一緒に血が止めどなく吐き出されて、首を温かく濡らしていった感覚は今でも思い出せる。
それが限界だった。何処かを切り落とせるほどに僕に気概は無く、傷口から血液が溢れる感覚は奇妙なほどによく分かった。それがとても気持ち悪く、鼓動に合わせて痛むのが更に苛立ちを覚えさせた。
死ぬほどじゃない。そう言い聞かせて藪を下っていった。
帰り道に深さが膝下ぐらいの小川があるのを利用して、包丁に付いた血痕や指紋や、服にこびり付いた血の塊をある程度洗い流した。川に入る前から靴は血でぐしょぐしょと音を立てていて、せせらぎに倒れるように横たわると傷にとても沁みた。
体の下で刃物を洗い、古い橋桁の下でビニール袋に仕舞えば、後は体を引きずりながら家まで歩くだけだった。
何せ車すら通ることの少ない田舎の畦道だ。夕暮れには大人も畑作業も切り上げるし、子供達はまだ遊び惚けているか、家で涼んでいるかだから、特に人の目を気にする必要は無かった。
とはいえ、夕焼けに視界もぼやけてきて、末端の感覚はもう無くなっていたから悠長にもしていられなかった。
もう死んじゃったのではと思いながら家路を行く僕は、端から見ればどんな姿だったのだろうか。血と泥に汚れて、ナメクジのように道路を水と血で濡らして、夕暮れを一人、ロメロのゾンビのように歩き続ける…………構図が良くても被写体が駄目か。
帰って、隠す。その時にはそれ以外に考える余裕すら無かった。危ない橋を渡っていたものだ。
母さんは根っからの利他的な人だった。自分が苦しむよりも、見ず知らずの誰かが辛い目に遭うのが耐えられない人で、例の暴虐にも色々と口にしていたし、僕にもあれこれ心配をしてくれた。
そんな人だったから、結構血だらけ服泥だらけ、体のあちこち傷だらけの僕を見て真っ先に電話に突っ走っていった。傷の様子を見るより先にそちらに向かえるのだから、きっと聡明な親を持ったのだろう。
予想通りの行動を横目に、救急箱を取りに行く振りをして包丁を元に戻し、袋を台所のゴミ箱の中に突っ込んだ。もうその頃には自分の鼓動が嫌に大きく聞こえて、輪郭はとうに姿を消していた。
次に目覚めたときにはベッドの上に寝ていて、気がついた途端に傷口が痛みを叫び始めた。匂いで病室だと分かって、瞼の外の明るさから日中だと考えた。
口を開こうとしたが、頬の左側が痛くて動かなかった。まだ焦点の合わないまま腕を動かそうとしたら、右腕は力が入らないし左手は動かすたび燃えるように痛んだ。
峠を越えると痛みが出てくるのは本当のようで、悶えながらよく頑張ったと自分を褒めたぐらいだった。痛かったが、後悔はしなかったのは間違いない。
近くには母さんが座っていた。動き始めた僕を見て嗚咽して、一緒に見守ってくれていたらしい看護婦がそれを慰めていた。後で聞いたらほぼ二日眠っていたらしく、助からないんじゃないかと不安で仕方が無かったらしい。
傷は処置が早かったお陰で化膿もそこまで酷いものでは無く、傷口がくっつけば退院は出来ると医者が話してくれた。筋肉が引きつる感覚はどうすることも出来ないらしいが、次第に落ち着くと言って聞かせてくれた。随分と優しい医者だったのは変に覚えている。
ようやく脇腹の痛みを我慢して起き上がれるようになった頃、警察を名乗る大人が三人ほどやって来た。数日前の殺人事件の唯一の生存者として――――――――という名分だったのかは知らないが、にわかにやって来た困難に僕は少し動揺してしまった。
その動揺を誤魔化そうとした結果、その警察関係者の一人が犯人像にそっくりだったという嘘と、それを元にした犯行の推移を真実を交えて話す羽目になった。即興ながら上手くいったようで、その後何回かに分けてその物語を真剣に聞いてくれた。親に頼んで持ってきてもらった新聞には、僕の言う通りの記事が掲載されていた。田舎の凄惨な児童殺害事件、犯人は逃亡中、とかそういう見出しだったと思う。
夏休みに入っても、学校の同級生がやってくることは無かった気がする。クラス全員分の寄せ書きを担任が持ってきただけで、随分と退屈な夏休みだったというのがその年の感想だ。鎮痛剤でも治まりきらない痛みを無視して窓際に行き、肉塊の片付けられたであろう、霧が掛かるほど遠くなったあの山を眺めるばかりの日々だった。
宿題は左手の調子が良いときに気晴らしにやっていた。これほどに暇だと勉強すらも楽しく思えてくるのだ。どんなものでも、気を紛らわせられるものは何でもやっていた気がする。
クラシックを聴くようになったのも、父さんが聞いていた骨董品のレコードを強請って病室に置いてもらったからだ。音楽の力はこれほどかと大人ぶった思いを重ねながら、旋律に痛みを持って行って貰えるように日々を過ごした。
そうして数週間、筋肉の痛みも日常生活に支障を出さなくなった頃だった。退院の日を決め、少しだけ療養の日々に楽しみが生まれてきていた。夜に一人で目を覚ましたときの鈍く残る心細さや痛みを愚痴ることの出来ない苦悶がようやく終わると、純粋に子供らしく喜んでいたと思う。
そう、まだ「子供らしく」喜ぶことの出来た最後の日々だった。
当日は雨が降っていた。台風が近づいていたのは覚えているが、過ぎる前か過ぎた後か、それとも真っ只中だったのかは覚えていない。何かがあって遅れることになって、待ちきれなかった僕は荷物を纏めて入り口でずっと待つことにした。
外は少し寒いと思えるぐらいに冷えていた。雨足が強まったり弱まったりを眺めて、温度や気圧差で痛む傷口をさすりながら、一時間は待ったと思う。
僕は両親が来たことに気付かなかった。二人がやって来たのは見慣れた車の中では無かったからだ。
二人が居たのは緊急外来の前に止まった救急車の中で、僕はそれを他人事のように見送っていた。
入り口で慌ただしく行き来する医者や看護師を遠目に見て、それがもう虫の息の母さんと、手遅れになっていた父さんを乗せてきていたなんて思いもしていなかった。
僕にそれが伝わったのは、母さんがもう助けられないと分かった後だったらしい。
子供を殺した罰だとでも言いたいのか、自分の親の死に目に間に合うことは無かった。
三人を殺したときも実感が湧かなかったが、このときはそれ以上の空虚さだった。
生死という物差しが完全にねじ曲がって、僕はただ心停止した母さんを見ていた。どんな凄惨な事故だったのか、シーツの下、全身のあるべき場所は不自然な凹凸が出来ていた。
医者が電子音を切ると、全てが消えたかのように静かになった。静かになったのに、あの煩い蝉の大合唱と三人分の肉塊とが母さんに重なった。
父さんの方にはとうとう会わせて貰えなかった。どうしてと一度だけ聞くと、医者は長く口をつぐんで迷いの表情を見せた。
「まだ見せられないんだ」医者はそう絞り出した。「お父さんはまだ手術の最中で、頑張って治そうとみんなが頑張ってる」と言って、僕の目から視線を外した。
もう分かっていた。変に誤魔化されても、もう受け入れざるを得なかった。
僕は一人だ。完全な孤独になったのだと。
どうすれば良いのか分からなかったが、その日の夜には知らない男が親戚と言って僕を知らない家に連れて帰った。そこでも僕は孤独だと実感する羽目になった。
思ったよりも沢山の親戚が数日掛けて両親の死んだ後の手続きを聞いていると、僕をどうするかという話が本人の居ない場所で話し合っていることを知った。それまでの話から僕の親は実家のある都会から離れて暮らしていたことを知ったし、互いの仲も、可も無く不可も無く、と言う具合だったらしいのも子供なりに理解できた。
それに加えて殺人事件の被害者で、酷いトラウマを抱えていると勘違いされている。誰からも腫れ物に触れるような扱いをされていた。それが一番正しいと思っているような笑顔で、誰も自分が世話をするなどと言い出すことも無かった。
それに腹が立ったのか、もう信用もしたくなくなったのか、僕は一人で暮らしたいと言い放っていた。両親と一緒に暮らしていた家に、まだ僕は住んでいたいと。何処にも行かないと意地を張ってみると、思った以上にその意見は受け入れられて、じゃあどう支援してやるかという話に移り変わった。
今になって思えば、親戚一同は揃いも揃って随分と放任的な判断をしたものだ。それで救われた部分もあるかもしれないが。
そんなゴタゴタも、四十九日を除けば夏休み中に片付いてしまった。
親戚の中で一人僕に深く同情してくれた人が居て、色々と工面してくれた。前から僕のために両親が残していた遺産の管理や生活の仕方――――それこそ重要なところから生活の知恵のようなものまで――――を教えると、自分で行けるところまで行ってみろと背中を押してくれるような人だった。
それでも、僕はその人を信用しきれなかった。その人はそれでもいいと言ってくれたが、そう言われても一寸たりとも気を許す気にはなれなかった。癇癪を起こした子供のように単純な不信感と、それしかない空っぽの頭がその時の全部。どうして面倒を見てくれたのか分からないままだったが、礼儀としての恩義はちゃんと感じていたのは確かだ。いくら大人ぶっても、未成年は未成年なのだから。
そうやって五、六年だ。高校生になってからは基本的に保護者の同意が必要な場合を除いて全て一人でやるようになった。大切なものは元から少なかったが、その全てを、僕のどうしようも無いところで奪われたのだ。何かを得ようとする努力はさっぱりしなくなった。
もう喪うのはうんざりだったから、これまでに大切なものは作らなかった。顔に刻んだ傷跡を有効利用して人を遠のけて、両親が残してくれたお金だけを大切に切り崩して質素に暮らした。贅沢と言えば高校生になって携帯を買ったことと、有名どころを纏めたクラシックのアルバムを一つだけ音楽サイトで購入したことぐらいだ。
得た物は無いが、喪ったと思えることは何一つ無い人生。それが今の僕の全てだ。
多分きっと、これからもその生き方を貫いていくことだろう。喪うことを根本的に恐れている限りは。
怖い。恐ろしいのだ。不幸に引きずり落とされるのはもう堪らないんだ。
もうこれ以上不幸になりたくないから、幸せから逃げるように生きてきた。
生きてきたのに。今まさに過ちを繰り返そうとしているのだ。
もう十分に苦しんで学んだと思っていたのに、僕の子供のままの心は誰かを欲してしまうらしい。それを抑えるのはまだ楽だが、これからどうなるか分からない。それが怖い。
どうするべきなのだろう。どうすればいいのだろう。
僕はまだ、両親の死んだあの時に取り残されている。
幻聴か、誰かの声が聞こえた気がして意識が戻る。
「…………あのー、アサナギさまー?」
湯気の昇る天井を見つめている。体はもう温まりきって、のぼせかかっていた。
それほどまでに長湯をしたのも久しぶりで、一人では広すぎる湯船から体を起こした。何時の間にか入り口にクラムが待機していて、腕にはバスタオルが掛かっている。
「あっ、お拭きしま……」
タオルを取ろうとするとそう言われるが、自分の体ぐらい自分で拭ける。悪いがもう疲れていて、他人がどう思うかなんて考えたくも無かった。
頭を拭きながら脱衣所まで戻る。通りすがりに姿見の鏡があるが、やはり僕の姿は見えなかった。頬の傷も、一番大きな脇腹の傷も、本当に何も無いかのように映っていなかった。
脱いだ血塗れの制服や物騒な武器一式は姿を消して、代わりに上品な寝間着が用意されていた。慣れない繊維の感触にぞわぞわしつつ風呂場を出て、静かな廊下を歩き、僕に割り当てられた部屋の前に辿り着いた。
一瞬イリアの部屋の扉に目が行くが、今は一人で塞ぎ込むか全てを忘れて休むかしたかった。これからどうするかも考えないと。
たった三人殺して親が死んだんだ。
これだけ殺したらどんなものを喪う羽目になるのだろう。
そんな心配を塗りつぶすように、疲労は暖かな闇に溶け込んでいった。




