15 書庫
目が覚めたことで眠っていたことに気付く。
どれぐらい眠ったのだろうと腕時計と部屋の時計とを見比べると、だいたい六時間ほどだというのと、およそ一時間ほど遅れていることが分かった。針を合わせると、今は午後の七時の少し前ぐらいか。部屋の中も窓の外もすっかり蒼然として、光源はベッド脇と机の上の燭台だけだ。クラムが点けてくれたのだろうか。
イリアはまだ熟睡しているようだ。僕にのしかかったままお互いに眠っていたのだと思うと、今更ながら僕らの距離感についてどうなのかと考え始めそうになった。
少し体をほぐしておこう、とイリアの下からそっと抜け出す。彼女をベッドの中央にずらした後、「少し歩いてくる」という旨を枕元にメモ帳ごと書き残していくことにした。
扉を開けると、大きく欠伸をしているクラムが真っ先に目に入った。目を擦りながら開いた扉を不審げに見つめるが、僕が部屋を出たということには思い至らなかったように動く気配は全くしなかった。
コミュニケーションの手段が限られている現状、特に彼女に頼み事も無いのもあって気にする程のものではない。変に外に出るのも危なっかしいので、悟られない範囲で邸内を散歩することに決めた。
屋敷は外見からして三階建てのようだったが、通ってきたところに上へと向かう階段は見当たらなかった。使用人達の部屋とかなのだろうか、主に使われそうなのは二階までに思える。
僕たちに割り当てられた客室は玄関入って二階、左手側に伸びる廊下の脇にある。部屋数は四つほどで奥には一階への階段も見える。逆も同じ作りだろう。
中央階段は昼過ぎに通ったのもあるので奥手の階段を降りていくと、同じような外観の一階廊下にたどり着いた。扉の数はぐっと少なくなるが、それ以外に相違点は見当たらない。
歩いていくうちに、それぞれの扉に名札が取り付けられているのが分かった。随分と凝った金字でそれぞれの役割の部屋が書き記されている。
「調理室に使用人待機室、地下倉庫、談話室……で合ってたかなこの単語」
記された単語をテスト確認のように読み上げていくと、最後の一つに引っ掛かった。
「……書庫?」
気のせいか他のものより年期のある木製の扉。扉の間隔と壁の残りからして随分と中に広さがありそうだ。
何かこの世界に関する情報が無いだろうか、という思いがこの文字に引っ掛かりを感じさせたのだろう。念のため人の目が無いことを確認してから、ノブにそっと手を掛けた。
これでもかと薄暗く、息苦しさを感じる部屋だった。
天井は見上げても真っ暗で目視するのは厳しく、少なくとも二階以上の高さはあるのが分かる。本棚が数段、それですら収納しきれない大小様々な本が積まれ視界を塞ぐために広さは分からずじまい。まさしく本の森とでも揶揄できそうだ。
薄暗いのは本の保存のためなのかもしれないが、さっきまでの開放感は微塵も無い重苦しさに同じ邸内とは全く思えなかった。扉近くに提げられたランタンから離れればみるみるうちに輪郭がぼやけ、気をつけないと本や棚梯子に足を取られかねない。
「誰?」
誰かの声が聞こえたような気がした。まさかこんな暗い部屋に人が居るとでも――――――
「誰かいるの?」
居るらしかった。だが、ここまで視界が通らない閉鎖環境ではどこから声がしたものか判別できようが無い。
森の中を彷徨い続けていると、二列先の本棚に橙色のぼやけた光が当たっているのが見えた。緩やかに明暗する光源に、不信からか音を殺して近づいていく。
棚の影に隠れるように覗き込むと、ほぼほぼ埋もれている小さな机に一本の蝋燭が灯っていた。
「リア? それとも…………お客様でしょうか?」
そして、座っている尋ね声の主らしい女性――――小柄さや顔立ちに幼さの面影があるが、蝋燭に照らされる瞳の冷たい思慮深さや薄紫の透けそうな長髪に、こんな場所での雰囲気も相まって随分と大人びて見える。
年はそう変わらないか少し上なのだろうが、だとしても雰囲気が成熟しすぎではないだろうか。ここまで静かに印象を持たせられる人物なんてそうそういない。
「…………居るのでしょう? 出てきて頂けないでしょうか」
性格と正反対そうにピンと立った兎の耳はしっかりと僕の方を向いている。少し言葉に棘が出てきたように感じられたので、致し方が無いと言い聞かせながら彼女へ足を向けた。
「……アロルド王国の方、でしょうか?」近づく足音に女性はそう尋ねてくる。
「透明化は国ぐるみの秘匿魔法とお伺いしていますが」
そうじゃない、と思ったところで弁解の道具は無い。
本の壁を挟んで触れられる距離に近づいても、彼女は動じる様子が無い。
「……目的は兎も角として、何かご用でも?」
彼女の手元を見ると、頭痛を引き起こしそうな分厚さの蔵書と数十枚に束ねられた無垢な羊皮紙、それに意味を持たせるためのインクとペンとが彼女の理想型として配置されていた。
彼女と本の壁に触れないようペンを引き抜き、インクを振り落としてから羊皮紙に置いた。
「筆談をご所望ですか、そうですか」
気だるそうにペンを戻し、本を幾らか片付けてスペースを作り、そこに会話の場を設けてくれる。本の上で書いても良いものかとは思うが、ここの主がこうするのだからきっと良いのだろう。
『私ハ喋れませン、アロるド王国の者でモありません』
「そうですか……え?」
書き連ねていく文字にも彼女は興味なさげな声だったが、書かれた内容には何か引っ掛かりがあるようだった。
「まさか、魔法はかの王国の特権でしょう。貴方が姿を消しているのはその恩赦によってではないとでも……」
『その通リ。そもそも魔法なンて使エません』
「……ちょっと待ってください、それって、もしかしてですけど……え、本当に?」
第一印象が間違いなく崩れる音が聞こえた――――単に彼女の傍にあった本が崩れたために起きた音だったが、それと共に彼女の大人しげな文学少女という一面も少し変更を加える必要があると言わざるを得なかった。
間違いなく語弊があるが、それを厭わず言うのであれば……オタクとか、そういうタイプの人格というか、行動というか。
「貴方…………ギフテッド?」
そういうタイプの友人も他人も近くに居ない以上、彼女がそれに類するかは分からない。だがしかし、そのように尋ねる仕草も輝きが生まれつつある瞳も、没頭できるものが何かしらある人のそれにそっくりだった。
『はい』
そう書いた瞬間すら、彼女の内に想像できない葛藤や逡巡があるように見えた。果たしてそれが真か嘘か、それをどう判断するべきかというまごまごした動きが止まる様子が無い。
「…………あの、触って良いですか?」
どういう結論にたどり着いたのか、好奇心を抑えきれない声で尋ねられた。
『はい』
先ほどの回答を囲むと、彼女は腕を差し伸べながら自身が積み上げたものを全く気にせずに近寄ってきた。亡者の行進では無いが、身の変わりように僕自身も追いついていけない。
「おぉ……」
伸ばした手が僕に触れた瞬間、感嘆の息が漏れた。
「すっごい、服装まで透明化しているんだ……良い手触りだなぁ。上着に手を入れても透明化は解けない、手が歪みすらしないなんて……」
独り言はまぁいいのだが、身長差のある相手が異性の体を撫で回す光景はどことない犯罪臭がしないでもなかった。好奇心に身を任せているからか、僕がどう思うかなど全く考慮していない行動を予兆無くしてくる。
イリアからのアクションは状況もあってやましい気持ちも抑えられたが、こうも純粋に体を愛撫されては落ち着けたものじゃない。適切な距離感というものがあるだろう。
「……匂いも本当に薄い。こんなに鼻をくっつけても気にしないと気づけなさそう。音自体は防げないみたいだけど、これならなんでもやりたい放題だなぁ……羨ま」
ひとしきり僕の体を物色していたが、それが急に止まった。
「わぁあああっ!!」
そしてこれでもかという速さで飛び退いた。感情を努めて押し殺そうとしている風だったが、白い肌も美しい髪も燃やさんとばかりに紅潮した頬は隠せない。
「ご、御免なさい……大変失礼なことを、あぁ私はなんてことを……」
もう彼女をどう評すれば良いか分からない。ひとまずは好奇心の強いだけの一般的な女性、と思っていれば良いのだろうか。
「本当に御免なさい……ギフテッドなんて殆どお目に掛かったことが無くて、姿も見えないってところにもの凄く探究心が芽吹いてしまって……こんなはしたない真似を……あっ、そう言えば私のことすらお話ししていませんでしたね」
かなり早口の弁明の後、僕に一礼をする。
「私、ナスタシアと申します。ナスタシア・ダブラング」
言うほどではありませんが、ここの司書を任されていますともう一礼。
「とはいうものの、ここの蔵書は殆ど私の所持品と言って差し支えないほどに利用されることは無いです。
何か調べ物をする際も、本ではなく私に訊くほどでして……えぇっと、お名前をお聞かせ願っても良いですか?」
僕も名乗っていなかったことに言われて気付く。こんな初対面の会話があってたまるかと言いたい心境だが、言ったところで誰にも聞き入れられまい。
『私はアサナギカズマサ』
「アサナギ様ですか、記憶の限りですと……ニホンという国のお名前、でしょうか?」
「えっ」
耳にするとは思わない単語に声が漏れてしまった。
『なぜ知っテいるのでスか?』
「ギフテッドに関する書物は物書きにとって魅力的であり、尽きぬ謎でもありますから。彼らの居た場所に関する記述は物好きな方ならご存じかと」
詰まるところ、自分はその仲間だと言いたいようだ。
「それよりも、アサナギ様も何か知りたいことがお有りなのでしょうか?」ナスタシアが話題を戻す。「先ほどの贖罪には程足りませんが、何かお力になれるのであれば是非」
ここの部屋に来た理由にこうして戻ってきた。元よりそのつもりで来たものの、起きたことと言えば女性に体を舐め回すように触れられただけだ。文面だけで言えばいかがわしさが半端じゃない。
とはいえ、何を調べたものだろうと考える。この世界の成り立ち、文化、勢力圏……それ自体は国境線で確認できたからいいか。他にも沢山あるだろうが優先するほどの物でも無いし、いの一番で知るべき情報とは何だろう。
「……まだいらっしゃいますよね、アサナギ様?」
申し訳なさそうなナスタシアの声に少しデジャヴを感じたのと調べ物の題材を決めたのはほぼ同時だった。数分間の沈黙は会話の間には長すぎたようだ。
『この世界の戦争ヲ』
「戦争を止めるって言うけどよ、どうすりゃいいんだ」
俺は知らないぞ、とガルシアが言う。戦禍の後方、新たに構えられた防衛陣のテントの中には二人の影が揺らめいている。
「戦争には目的がある」ラスティが赤黒い液体を啜る。「どれほど凄惨な戦争でも、静かな戦争でも、何かしらの目的が無ければ起きることすら無い」
戦争とは外交の延長線上だ、外交とはものの奪い合いだとラスティは続ける。
「土地、資源、権利、自由……戦争は何かしらを得るための暴力手段だ。それを得られれば自然と闘争意識は勝利の陶酔に取って代わられる」
「つまり、勝たせりゃあいい話なのか?」
ガルシアは不服げだった。戦争を止めるために相手側に手を貸すのはいただけない。
「いいや、今回は目的に限界を持たせられない。武力の拡大と目的の拡大は比例する」
お前も分かっているだろうとラスティが言う。ガルシアも勿論理解していた。
「剣と銃じゃ結果は見え透いているからな」
「欲は知的生命の根幹だ。最初は自由と権利、次に利権、最後には従属を手に入れようとする。昇華するたびに多数の幸福は凝縮されて少数にのみ行き渡るようになる」
このまま戦争が推移すれば、間違いなくそうなる。
外で足音が聞こえたために、会話が少しお開きとなった。
「……前にも言ったが、今回の戦争の目的は自分自身の存在証明とそれに追随する自由の獲得だ。今のところはそうだが、圧倒的な武力差はいつか相手の根絶にまで発展する。帝国主義の頃の植民地に銃と弾薬をありったけ与えてみろ、最後に残るのは自分こそが覇権をと加害者に成り代わった成れの果てだ」
「そうさせないために俺達は行動するんだろ? どうすりゃいいんだよ」
ガルシアのその質問を待っていたように、ラスティは彼を指さした。
「外側へ向かう力を強引に内側へと向け直すのさ」
半分からになったコップを置き、外の様子を確認した後に説明が始まる。
「前線に投射可能な戦力を内側へと引き戻す。そうすれば自然と戦線は膠着するし、次第に戦争を継続するに足る利益よりそこまでに出るであろう被害数を上回らせることが出来る。リスクとリターンの関係性だ。手に入れるまでの被害が高いほど、その手段は避けられるようになる」
その説明にガルシアが疑問を呈する。
「反乱でも起こすってのは分かったけどよ、たった二人でどこまで出来るよ? 虐殺の文法でもありゃあ楽だけど……」
「何だそれは」
「虐殺のミーム、まぁこの世界の奴らにあるかどうかは分からんし、知って無くてもいいや。それよかラスティ、方法を教えてくれよ」
ガルシアの言葉にラスティが疑問符を浮かべたが、考えても仕方ないと諦めたようだった。
「使える理由は知らないが、俺は死者を使役できる。指導力が無くとも付いてくる便利な駒だ。本来は俺だけでやろうとしていた計画だったんだが……お前が来たお陰でもっとやりやすくなった」
「確かに俺も操れるけどよ、絶対って訳じゃねぇぞ?」
「そうなのか?」
話が逸れることにラスティが少し嫌な顔をしたが、話には乗ってくれるらしい。
「まだ動かしたのは数十人だけどよ、思うとおりに動く奴と動かない奴がいるんだ。走るぞーってときに自分の足によく蹴躓いたり、撃つぞーって時に人差し指が動かなかったり。あんたにも乗り移れるか何度か試したんだけどよ、そればっかりは無理だったし」
「勘弁してくれ」
ラスティの鋭い視線にガルシアが慌てて両手を振った。
「いやいや、今はしねぇって! あんたとやり合ったときのことだよ信じてくれって!」
「……お前は死のリスクが無い分、やろうと思えば俺も殺せるんだ。頼むから信頼させてくれ、いいな?」
「わあってるって、そもそも俺が不意打ちしたところで死なねぇだろあんた」
「お前は死体を増やすだけで良い。五体満足で殺すなり死ぬなりしてくれれば手駒は増える」
「殺すほどに勢力を増す死者の軍、格好いいねぇ」
「まじめに聞いてくれ」
「いいじゃねぇかよ、格好良さは士気に直結するんだから」
ラスティが頭を抱えるが、ガルシアは特に気にしないようだった。
大変なことも楽しめればどうにかなる。あのときも、あのときも。どんなときだってそうだった。
この世界に来る前も、来てからも。
「……言ってなかったが、あの時の死体はもう近くで潜ませている。やるなら早い内に、確実に遂行する」
ラスティがコップの中身を飲みきった。
「夜明けまでに仕上げるぞ、出来るな?」
「アイアイ、サー!」




