12 街と騎士団
「まともに自己紹介していなかったな」
道中、唐突にミリアスが語り掛けてきた。歩き始めて半時間もしない、朝日もやっと顔を出したばかりだ。
「名前はミリアスだ。ミリアス・ラン。聖王国騎士団の剣騎士所属」
そう言って右手にはめていた手袋を外す。その手の甲には剣と盾、十本の横線に羽と爬虫類に近い生物の頭部のマークが合わさったエンブレムが毛深い手に彫り込まれていた。青黒い彼の体毛に、明るい紫と水色が優しく映えている。
「これが騎士の証だ。一度彫られたら消すことは出来ない……その義務と自由の象徴だな」
イリアは起きているような眠っているような、そんな静かさで僕の背中に居る。リュックサックを前に背負い、それとは全く違う感触に少し悶々としているところだった。気分とまでは行かないが、意識せざるを得ない。
「騎士団……と言っても、来たばかりじゃあ分からないよな」
ミリアスが僕の横に並ぶ。改めて彼の顔を見る機会が回ってきた訳だが、猫と言うよりも豹に近い顔立ちだった。二十代から三十代といったところだろうか――――細く鋭い目は黄色く、縦に開く瞳孔は相応の冷たさと理性とがあった。
「存在意義はお前の世界の軍隊と一緒だ。然るべき時に戦い、人々を守る。街の依頼を受けて仕事をして、平和で円滑な日常生活を支える。そのための組織だ。向こうの軍は雑用をこなさないらしいが……生憎ここ以外の世界は見たこともないから何も言えない」
手袋をはめ直し、目は前を見据えた。
「あくまで提案だが、騎士団に入団する気は無いか」
唐突な誘い文句だった。彼は続ける。
「技量と志のある者決して拒まず、そこに人種の垣根無し……お前のようなギフテッドなら大歓迎だろう。お前の能力は有用だ。悪い待遇には絶対にならないし、それは俺が保証する」
今話す内容なのだろうかと思案する。それどころじゃ無い状況で、まだ危険が無くなった訳でも無い。そんなときにスカウトなどしている場合じゃないだろう。
「……あまり言えた事じゃ無いが、騎士団は今ギフテッドの買収に躍起だ。一騎当千の能力は当然、それ以外のギフテッドも積極的に組み込もうとしている。敵が厄介だからと言う理由も在るが、他の同盟国に取られるよりはという一面もある。逆に言えば、今のお前はそれだけの立場と支援が受け取れる存在ということだ」
他に行く当てが在るか、と尋ねられる。昨日までならあの村がそれに当てはまっただろうが、そんなことは言えなくなった。
「身寄りが無くとも、自分が何者であろうと、実力と働く気概さえあれば入団は容易だ。直ぐに決められることじゃないのは判っているが、所属した方がお互いのためになると俺は思っている。決めるのはお前自身だ、その決定に不満は言わない」
もうそろそろだとミリアスが言ったそのとき、前方を遮っていた丘を登り切った。向こう二キロほど先だろうか、遠目でも判る数段階の円形の壁がそびえ立っている。
「いいかカズマサ、お前の状態は武器だ。極力存在を悟られるな」
ミリアスの言葉に自分の異常さを再認識しながら、少しだけ力の戻ったイリアを背負い直す。今のイリアも見えていないのなら、ミリアスは一人で喋っていたように見えるだろう。
ここに僕がいるのは僕と背負われているイリアしか判らない。変に関わらない限り僕は知られることがない。その事実にどことない安堵を覚えた。
数十分もせず街に到着した。太陽は上りはじめの位置から変わらず壁を照らし、入り口の周囲に屯する人々は平和そのものだった。
雲の途切れた空からの光は全員に影を落とすが、僕の立っている地面にそれらしいものは見えない。本当にその場に居ないように、僕を表すものは消えているようだった。
「そこの騎士、一つ聞きたい」
街に続く門の前に来ると、ミリアスが門の前に立つ衛兵らしき人物に話しかけた。平和と怠惰を体現しているようなだらしなさで、詰め所のような建物の傍にある椅子に槍とともに腰掛けている。
「ぁあ? ……って、十線!? まさっ、あのっ」
少し不機嫌そうな応答をしながらミリアスの右手に兵士が目をやった瞬間、彼の怠惰さは尻尾を巻いて逃げ出したようだった。飛び上がるように立ち上がり姿勢を正す。
「分団長以上の階級の者に至急の伝達だ、何処に居る?」
「は、はっ! 今頃は基礎訓練の最中かと思われ、バルト辺境伯の邸内かとォ!」
「そうか。そこの龍馬は誰のだ?」
椅子の反対側、建物の影に四足の動物が脚をたたんで休んでいる。龍の馬というだけあって、どちらかとも判別できない微妙な融合具合だ。顔立ちは間違いなく龍だが。
「近隣街伝令用の龍馬であります! 現在は私の管理下にあり……」
「悪いが借りさせて貰う。後々指示が来るだろうが、今のうちから周囲に居る民間人を壁内に誘導してくれ」
「えっ、あっ、はいぃっ! このダルバル、我が命に代えてでもォ!」
随分な反応で会話する兵士は、逃げ出すような素早さで突っ走り始めた。十線と言っていたが、会話からして階級とはまた違うような指標らしかった。役職による上下関係とは関わりの薄いものだろうか。
「カズマサ、今のうちに上がれ」
兵士を見送っている内にミリアスはすでに騎乗していた。彼の存在も龍馬も十分にファンタジーな代物だったが、合わさるとこうも憧憬を感じさせるようになるとは思わなかった。
先に背負っていたイリアを預け、リュックを背負い直してから乗せて貰う。ミリアスの背中の間にイリアが収まって、先程と場所が反転した形になった。
「悪いが急ぐ、挟むようにしてしっかり掴まってろ」
「ちょっ、うあぁっ!!」
手綱が硬質の鱗に当たる音が響いた瞬間に体が後ろに持って行かれそうになる。かなり強引に彼の背に体を引き寄せるが、まるで固定されているかのようにミリアスが揺らぐ様子が無かった。体の下でイリアが縮こまっているのが分かる。手はしっかりとミリアスの服を掴んでいるようだった。
二人がしがみつこうと微動だにしないミリアスに、腰が浮きそうな揺れに落ちる心配はしないでも良さそうだと思わせられた。
まだ朝とするにも少しばかり早い時間帯だが、街路にはちらほらと人影が見えた。しがみつかなければ振り落とされそうな速度でも避ける必要の無い閑散さだが、それは道の中央を歩く必要が無いだけだった。
街の入り口と言うだけあって、商業目的の家屋が建ち並んでいるらしい。看板は多種多様なフォントで目を楽しませる作りに傾注し、商品をいそいそと並べているらしい影がその下で動いている。
ミリアスの操る龍馬が通り過ぎれば必ずその影はこちらに顔を向け、散歩途中の人も巡回中らしい騎士の身なりの影もけたたましい僕らに視線を寄せてくる。きっと周りからは二人か一人しか見えていないだろう。異世界の住人を乗せているなんて誰が思うか。
「済まないが通らせて貰う! 手を離すな!」
遠くからも見えていた邸宅と道とを分ける壁――――シナ村と同じぐらいの高さのそれを龍馬はいとも簡単に飛び越えた。門に立つ警備らしい人物の見上げる顔は想定外の一言で表現できて、着地しなお速度の緩まない僕らが数メートル進むまで硬直したままだった。
邸内の庭に目を移すと、細部までよく手入れされた生け垣や花園に彩られていて、そこを抜けると本館と広大な芝生が出迎えてくれた。そこには甲冑を着た者とそうでない者と合わせ数十人は居そうで、にわかに現れた馬上の騎士に殆どの目が集まっていた。
訓練中という門の騎士の言葉を思い出す。これが騎士団か。
「活動中済まない、分団長以上の者はおられるか」
「なんだきさ……いえ、その。いかがなされ……」
前足を高く上げ停止したミリアスが手袋をまた外し尋ねるが、現状を上手く飲み込めない騎士がしどろもどろに答えるだけだった。周囲を見渡すが、まだそれらしい人は見つけられない。
「カズマサ、俺の後ろに付いていろ」
耳元で囁いてから龍馬を降り、イリアを下ろしている間に僕も飛び降りる。意識していたものの僅かに足音を立ててしまい少し肝が冷えたが、幸い不審がられることは無かった。
「誰でも良い、現在の分団長以上の者とその所在を答えろ」
「……はっ、現在分団長はテレシア・アズラスト殿であります。が、現在どちらに居られるかは……」
「……いや、大丈夫だ。有難う」
騎士が答えに窮しているところにミリアスが制した。
彼の目の先には一人の人物が立っている。尻尾がある点以外はイリアと同じ、僕にとっては見慣れた姿なのだが、周囲の異様さが多数なために浮いて見える銀髪の男性。紅い瞳は奥まで光が透き通るようだった。
「やぁミリィ、お疲れ様」
ミリアスをおそらく愛称で呼ぶその男は、練習用であろう木製の長槍を手にしていた。
「リアか、テレシアは?」
「騎士達のローテーションの確認をしてる。明日は久しぶりの休日みたいなものだからね」
「悪いがそうもいかなくなりそうだ。対で話せるか?」
「……ああ、分かったよ。別棟で話そう」
今より訓練を中止とする、各自休息を取れの言葉に多数の騎士が糸の切れたように肩を下げる。どんな職であれ、重そうな甲冑を着込んで動き回るのは骨が折れるものだろう。
龍馬はこちらに走ってきた警備に任せ、リアと呼ばれた男について行くことになった。
「ミリィ。君が来たって事は、そういうことなんだね?」
屋敷の右手にあった二階建ての建物、その一部屋に僕たちは腰掛けている。
「ああ。来たのは昨日昼、少なくとも一個小隊。別働隊で複数居ると想定すればそれ以上の勢力だ」
「まだ壁からの報告も無いし、今すぐに来るって事は無いか。余裕があるのは不幸の中のなんとやらだね……」
そう言ったとき、男の口が一瞬詰まった。
「……村の人たちは」
「間に合わなかった。俺以外にはイリアと……外の奴が一人だけだ」
「そう、かい。イリアちゃんだけでも無事で良かった。きっと彼も泣かずに済むだろうね」
ミリアスの目がイリアと僕を順に見て、男も同じように目を動かした。
「で、外の奴って? 来たのは二人だろう?」
「ちがっ……」
イリアが唐突に声を上げた。が、すぐに元に戻ってしまった。
「……いいや、もう一人居る。お前を信用して話すし、これからの情勢の鍵にもなりかねない重要なことだ。信じてくれ」
ミリアスが答えると、男は納得のいかないような顔をした。
「ギフテッドだ。名前は……カズマサ。アサナギ・カズマサ」
「カズ……マサ? もしかしてミリィ」
「いいや、こいつは四日前に来たばっかりらしい。同じ奴かは分からない」
そうか、と男が浮いた腰を下ろした。ギフテッドが珍しいと言うよりも、僕の名前に反応したような感じだった。同名の別人が何かしらやらかしたことがあるのだろうか。
「それで、そのアサナギさんは何処に?」
「そこが面倒な話になる。与えられたモノがモノだけにな……リア、見ていてくれ」
ミリアスが外していた手袋を僕の居る――――こちら側で唯一座られていない「ように見える」場所に放り投げてくる。受け取るのは造作も無かった。
「ん!?」
男がまた身を乗り出した。瞳が鋭くなり、僕の握る手袋を凝視している。
「こいつは姿が見えないし、会話も出来ないらしい。頼りに出来る匂いすらも希薄で掴みづらい。それがこの男の力だ」
「…………」
再び椅子に深く座り込み、顎に手を当て熟考の姿勢になった。机の上と僕とを行き来するその視線は三往復でミリアスに戻る。
「本当に居る、ミリィはそう信じるんだよね?」
「ああ、現に彼には何度も助けられた」
「なら僕も信じよう。常識に縛られない方が良さそうだ」
男が椅子から立ち上がって、机を挟んだ僕の反対側に歩み寄る。
「初めまして、でいいんだよね。アストラリア=ファル=バルト、気軽にリアって……ごめん、話せないんだっけ」
でも気軽に接してくれて構わないよ、宜しくねと手袋を外した左手がさしのべられる。その甲にミリアスのと同じようなエンブレムが彫られているが、デザインと色が少し違うのと横線が九本だった。
握手するべきだろうとアストラリアの手を握ると、一瞬だけ硬直されたのが分かる。
「……確かに、これからの情勢を変えかねない力だね。使いようによっては全てをひっくり返せる」
「その通りだ。だからこそ知る必要のある者だけに留めておきたい」
「たとえ漏れたとしても直ぐには信じないだろうけど……ええっと、カズマサ君って読んでも大丈夫かな? どうも堅苦しいのって苦手で」
大丈夫だ、と答えようにも手段が筆談だけに限られてしまうのが面倒なところだった。せめて声ぐらい届いたらと筆を走らせ、メモ帳ごと机に置く。
『大丈夫、リア』
「うん、分かった。良い手帳だね」
椅子を引き、手帳を中心に正対する。
「率直に聞くよカズマサ君……僕は君の力が有用だと確信してる。君が望んでいるなら万々歳なんだけど、僕らに協力してくれる気はあるかい?」
まっすぐに椅子を見つめている。こういうときに目と目が合わないと緊張感の欠片も無くなってしまうことが分かった。
そう簡単に答えられる問いじゃない。けど、成り行きでした行動から選べるのは一つだけだ。
『あル』
そのたった三文字の答えに、アストラリアとミリアスとが緊張の糸を解いたのが感じられた――――どちらかといえば警戒を解いたのだろう。それが彼らの信頼の証なのかは知る由が無い。
「有難う、騎士団の代表として感謝するよ」
「俺からもだ。本当に助かる」
どうしてミリアスまでと疑問に思ったが、多分礼儀というものだろう。
「さて、この問題はひとまずおいとこう。ミリィ、食事は?」
話題が変わったのを聞いて、こわばった空気が元に戻ったのを確信する。
「俺は大丈夫だが……二人はそうもいかないだろう」
「よし、なら用意しよう。当主不在とは言え貴族の端くれだ、客人が疲れているのにもてなさないわけにもいかない」
「済まないな、何もかも」
「遠慮するようなことじゃないさ。君と僕の仲でもあるし、誰だろうと辛そうなのは見ていて良いものじゃないよ」
アストラリアの目がイリアに向けられる。彼女はあれからずっと黙ったままだ。十分に危険な状態だというのは彼も分かっているらしい。
「時は有限だ、行こう」
「ああ」
アストラリアが前に立ち、ミリアスが僕らの背後に付くように部屋を出た。
何度死に、幾ら殺しただろうか。
死ぬよりも多く殺したのは覚えている、殺すたびに死んだのは覚えている。
男は初めから数えてなどいなかった。
あれほど興奮していたお遊びも、少し中だるみがやってきたらしい。彼の手は少し鈍っていた。
既に部隊の体を成していなかった。男が手を下さずとも、少なくない兵士が疑念に駆られていた。
「なぁ、あんた」
それが自分に向けられた呼びかけだと男が気づくまで少し間があった。
無実同士の殺し合いとは如何に無様で滑稽だろう、と男は柄になく考えていたのだ。
「あんた、この世界の奴じゃないだろう」
呼びかけている者へ振り向くと、顔を包帯か何かで覆った兵士が座り込んでいた。
負傷兵というにはいやに落ち着きがあり、同士討ちの混乱にも動じていない様子だ。
「誰だよ」
男は持っていた小銃を鈍器として構えた。撃つ為のもので殴り殺すのも面白そうだと思い至ったらしい。
「誰だっていい、あんたがより楽しめるよう協力したいだけだ」
包帯男は答えた。よく見ると座っているのは仲間の成れの果てで、彼を崇めるかのように周囲に五体投地を行う兵士ばかりだ。土に浸み込んだ赤黒さだけが彼らが生者でない証拠だった。
「あんたが来なかったら何も考えずにこいつらの虐殺に手を貸していただろう。だがあんたが来た。俺もやりたいようにやれると思ったからこそ、今あんたに声をかけた」
「面倒くせぇ」
男が殴り掛かった数秒後には、別の兵士に意識が潜り込んでいた。
「……目的は知らないが、今やっていることは俺の目的と合致しているんだ。あんたにも都合のいい条件が揃っているし、話だけでも聞かないか」
戻ってきた兵士に包帯男は言う。
彼を信仰する死体が一つ増えていることに兵士は何故か興奮を覚えた。
死体に対するものなのか、包帯の化け物に対してかは判別しかねた。
「……誰だよ、答えろ」
兵士が言うと、包帯男は首を振った。
「俺の名前はもうない。あるのは犬の首輪に付いた名札みたいな、識別するだけのものさ」
「俺にだってない。もともとの名前は俺のものじゃない」
兵士の背後に狂気に染まった兵士が突っ込んでくるが、討ち取ったのちに冷静さを取り戻した。
「なら自分の名前から決めよう、ラスティだ」
包帯男が言う。俺はラスティ、錆びた男だと。
兵士は答える様子無く先ほど殺した仲間を見下ろしている。
「決められないなら、俺はガルシアって呼びたい」
ラスティが言う。男は少し逡巡した。俺に名前はないが、あいつのもう半身であるのは忘れたくない。
その思いに意味はなく、単に彼がそうしたかったから、その程度のものだった。
「分かった、ガルシアでいい」
だからこそか、名無しの男はラスティの提案に乗ることにした。




