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10 逃避行




 墓の前に、一人の男が膝をついていた。

 その墓は真新しく、手向けられた数本の花はまだ傷の癒えぬ時間の鈍間のろまさを朝露に反射させている。


 男は泣く様子も無く、心ここに在らずの表情でそれを見つめていた。


「少年よ、どうしたのか」


 その声に男が振り向くと、男とも女とも判別つかぬ顔立ちの、見知らぬ誰かが立っていた。 男には、その存在が何かを薄ら知っているような気がした。


「私の半身が、それ以上の存在が眠っているのです」


 男が言うと、その者の、深く被られたフードの奥に不思議な光をたたえた瞳が細くなる。


「その者は、何を代償にしようと取り戻したいか」


 男は頷いた。

 ここで初めて見る誰かを、記憶の隅に焼き付けられたような感覚に歯痒さを感じながら。


「私は賢者なり。この世において不可能なし」


 賢者はローブの奥から腕を伸ばした。


「少年、君が望むのならば試練を課そう。君が望むのならばそれを叶えよう」


 何も持たぬその手に、何時の間にか裸の短剣が携えられている。

 どうすればいいのかと、男は戸惑っていた。


「君に己をも喪う覚悟があるならば、自らを断つべし。

自らに報いを求めぬならば、全ての痛みを受け入れ、信じるものに忠誠を絶やさず尽くすならば。私は彼の者を甦らせよう」


 賢者の言葉に操られるように、男の手は短剣の柄を握っていた。

 男の脳裏には、賢者の言葉の意味するところが刻まれていた。


「ただし、全てが戻るとは思わぬこと。彼の者が真に大切にしていたもの、それはきっと戻らぬだろう」


「構いません。あいつが戻ってくるのなら」


 男の喉仏に刃先が僅かに差し込まれた。

 朝の冷たさに血の熱さが混じり、そこで男は初めて恐怖を知覚した。


「次に目覚めし時、君は君では無いだろう。これからもずっと、永遠に。君は誰かのままだ。

それが君に課す試練であり、なお仲間のために尽くせたならば、悠久の時が過ぎようとも必ず叶えよう。我が世界に懸けて」


 息が荒くなり、男は躊躇ためらっていた。

 本当に、あいつが戻ってきてくれるのかと。


「少年よ、君の死は終焉では無くなった。君は永劫休まることは無い」


 賢者が男の手に触れると、それが嘘では無いと男は「信じられるように」なった。



 それから、まもなく。


 幾筋かの朝日が差し込む静寂の中、僅か広がり続ける赤い大地の真上。



 中身の消えた抜け殻がただ一つ、静かに眠っていた。









 特に追撃されたり敵対勢力と出くわしたりといったこともなく、無事に逃避行は続いていた。見えているのがミリアスだけで、その彼が慎重に道を選んでいる時点で見つかる可能性というのはほとんど無いようには感じる。

 すでにあたりは暗い緋色に染まっている。そろそろ夜になるだろうか。


「……そろそろ休むべきだな」


 ミリアスが速度を緩める。数時間イリアを抱きかかえて歩いて走る羽目になった訳だったが、我ながらよく倒れなかったと不思議に思う。

 正直数十分走り続けた時点で限界らしいものが来ていたのだが、不思議と無理とは思わなかった。苦しいのは分かるが、本当に苦しいかと言われれば違う。


「カズマサ、イリア、付いてきてるな?」


 念のためのような質問に、感覚の消えかけている脚で土を蹴り飛ばして答える。

 これだってそうだ。ストライキを起こしても可笑しくない筋肉の疲れようなのに、動かそうと思えばちゃんと動いてくれる。違和感を通り越して気持ちが悪い。

 これは与えられたものなのだろうか、それとも。


「よし、一度小休止しよう」


 ミリアスが周囲を見渡し目星をつけている間に、イリアを下ろしてみる。いくら体が動くとはいえ、数十キロの荷物を抱えた強行軍はもうごめんだった。

 イリアをゆっくり下して立たせると、彼女から手を握ってくる。まだ色々と麻痺しているようで、歩けるようだが見ていて不安になる状態だった。




 道から更に外れたミリアスとともに休める所が無いかと探し始めるが、それから数分とせず景色に既視感を感じはじめた。

 この世界に既視感など無いのが普通である以上、きっと最初に往復した地域を通っているのだろう。シナ村があった林に通じる道は一つしかなかった。可能性としては五分だ。

 そうだとすれば、イリアにとっては思い出したくもない場所に行ってしまうかもしれない。


 黙って僕に連れられるように歩いているイリアを見るが、暗くなった今ではそのうつむく顔がどんな表情をしているのか見ることはもう出来なかった。





 こういう時のこういう予感は、大抵当たったりする。

 ということで、月明かりが変わらず明るい時間帯、前を歩いていたミリアスが例の場所を見つけてしまった。僕が初めて人と出会った場所。イリアを助けた場所。


「……盗賊が居たみたいだが……にしては物が残っている」


 イリアの息が少し荒くなっているのを感じる。月明かりに照らされたこの場所と同じように、その顔は変わらずとも恐怖や怯えが伝わる。


「……そうか。イリアに付いていてやれ、直ぐ戻る」


 足音が止まったのに気付いて振り向いたミリアスが、察したようにすぐに顔を背け何やらし始める。見つけたであろう二つの死体の処理のためか、残っている何かを集めるためか。

 あれから結構な時間が経っていると感じていたが、思い返せば昨日一昨日の出来事だとミリアスの作業を眺めつつ思う。時間間隔がかなりあやふやになっていた。

 彼は切り裂かれた幌の無事な部分を切り取って、陰の二人の骸を丁重に包み、残った幌を肩に担いで残り物を漁り始めた。


 静かに涼しい風が吹く。ミリアスが幌に諸々を詰めて戻ってくるまで、僕らはただ呆然としていた。


「もう少し歩けるか」


 その言葉にイリアは答えず、僕が彼の隣に歩み寄るほか無かった。






「……酷い有様だ、仲間割れか?」


 それから数十分。今度は洞穴を見つけたが、そこも漏れなく僕とイリアがいたところ、つまりは死体だらけの使えない所だった。

 再び僕らは立ち呆け、ミリアスが一瞥して戻ってくる。


「次だ」


 どうやら複数の当てがあるらしく、たまたま連続して惨状に当たっただけらしかった。


「…………」


 先を行きながら、ミリアスが聞こえない声で独り言を呟いている。時たま耳が後ろに向き、僕らが付いてきているのを確かめながら、冷たく照らされた広原を進んでいる。


「この辺なら良いか」


 洞穴から十数分の、周囲より少し小高くなった場所でようやくミリアスの荷物が下ろされた。

 遠目では数本の木立だけのような立地だったが、その中央あたりが凹んでいるのに気付いたのは到着してからだ。周囲を見張るには好立地で、凹みに入ればそれほど周囲の目を気にしなくても見られることはなさそうだった。


 ミリアスがその凹みに持ってきていた幌を広げ、集めた物と一緒に簡易的な休憩所を設けてくれたので、早速休むことにした。

 地面以外の場所で靴を履いているのは性分が許さないという感じで、一足分の革靴が寂しげに幌の隅に置かれた。そのまま腰を下ろすと、今日はもう立てないなと直感する。


「しっかり食って、ちゃんと休んでくれ」


 ミリアスが木立の一つに寄りかかって言う。自分は寝ずの番、とでも言うように視線をやってきた方に向け、こちらを意識する様子は無くなった。



 粗めの布に纏められていたのは、おおよそ消費期限の長いものだった。黒パンの他は基本的に乾物で、あのとき食った干し肉もある。

 食事と言えるかどうか怪しいレパートリーだったが、無いよりかはマシだと口に入れる。二日平原に晒したまんまの食料だと言うことに目をつむりつつ、腹の中に納めた。


「…………」


 やはりというのも悲しいが、イリアは自分から食べる様子が無かった。パンを手にしてはいるが、見つめるばかりだ。

 流石に何も食べないのはまずいだろうと彼女の手の内のパンを取って千切り、半開きの口に突っ込ませてみる。

 数秒して彼女の口が動き、喉を通るのが分かった。


「…………」


 何をやっているんだろうと、一口大に千切ったパンをイリアに食べさせながらそんな思いが膨れあがった。

 知らぬ世界で、訳も分からないうちに一緒に行動する羽目になって、こうやってものを食べさせている。何がどうなってこの子の世話をすることになったのだろう。


 そうするしか無かった。それがきっと結論なのだろうが。

 交友が無いからと言って助けられるものを見捨てる理由にはならないし、そう思っている時点で仕方の無いことだ。自分の意思でこうすると決めた以上、深く考える必要はない。


 分かっていても、達観したような空しさは消えてくれなかった。







 暫くしてミリアスがやってきた。少しずつ自発的に食べるようになったイリアを見ながら、彼は干し肉を咥えていた。静かだが、心地の良いものでは無かった。


『何が起キた?』


 気まずい状態をどうにかしようと、そう書き込んでみる。


「ああ……カズマサ、その前に聞いて良いか」


 ミリアスが返してくる。


「あんた、この世界に来て何日目だ」


 ざっくりと振り返ってみる。目覚めてイリアを助けたのが一日目、そこから村に行ったのが二日目で……


『三日目』

「……そうか。なら一つずつ確認しておこう」


 予想と違ったような間があったが、思い過ごしだろうと質問を聞く。


「まず、サージャスからルダウ皇国は教えて貰ったか」

『教えテ貰った』

「ならいい。さっきの連中はその皇国の最先行偵察隊の一個小隊だ。一昔前に戦争があってな、四年前にミクサマルとは一時停戦したんだが……あの有様だ。時間の経過は恐ろしい」


 俺は伝達役としてあの村に居た。ミリアスが語る。


「元々あの村は近くの町にすら知られないような閉鎖環境だった。国境沿いに絶好の監視所と鳴り子があった、皇国も隠密に行動したいならあの林の周辺を占拠したいと思える場所に。もし何かあれば数時間で後方の騎士団に報告に行くことができる距離で、本来なら住民も一緒に避難させるはずだったんだが」


 そこで一度途切れる。横目見たイリアはやはり反応しない――したくないと言うべきだろうか。それは分からない。

 しかしあのときの会話と彼の行動には合点がいった。数十人の村人より後方の数十万を。苦しい生より一刻も早い安らぎを。そう選択した彼の心情は察しきれないだろう。


「……とにかくだ。こうなった以上最速で後方都市に向かわないと状況は不味くなる一方だ。休めるだけ休んで、夜明け前にはここを発つ……今更な話だが、もう暫く手を貸して欲しい」


『理解しタ』 


「あと、これを食っておくといい。上の方は虫にたかられてたが、下の方は無事だった」


 ミリアスから小袋を手渡される。中身がなんなのかと開くと、六角形の何かが十数粒、挽いた麦のような香ばしい匂いはそれが何かのヒントにはならない。


「甘いぞ。いい栄養補給になるし、それに……」


 言いかけて、止めたようだ。とにかく食ってみろと言葉を濁される。

 彼を信用して一粒放り込むと、すぐにかなりの甘さが舌を包み込んだ。歯を立ててみるがかなり堅い。石でも噛んでいるようで、保存食の乾パンですらもう少し顎に優しいほどだ。


 名前を忘れたが、何かの菓子によく似ている。一時期よく食べたような風味が口に濃く残っていて、それに止められた答えにもどかしさを感じた。何であれ、糖分補給には丁度良い。数粒で事足りそうな甘さと堅さだった。確か和菓子だったっけか。

 イリアにも何粒か手に握らせると、今度は自分から口に入れて転がし始めた。








 デザート付きの食事を終えると、気絶するようにイリアの意識が抜けた。

 顔を寄せて呼吸が安定しているのを確認すると、同じように睡魔がどっと押し寄せてくる。

「お前も寝ておけ、二人も担いで歩けないからな」


 ミリアスが言いながら立ち上がる。月光が彼の真っ黒な体毛に白く反射していた。


 その言葉は彼なりの冗談で、思いやりなのだろうか。

 そのまま木立の向こうに彼を見送ると、ブレザーを脱ぎ、イリアと分け合うように体に掛け、横たえた。




 どうしようも無い無常感の中に懐かしさを覚えていた。それが小さい頃、近くの山に野宿をしたときのものだと思い出し、少しだけ思い出に浸ろうと記憶を辿り始める。

 月もない日だったか。突発的な提案でまともな準備もせず、半ば遭難したような状態で眠ったっけ。一人じゃ無かったから別に命の危険も不安も感じなかったが、地面が固くて寝付くのに時間が掛かった覚えがある。

 そういや、あんなことを提案したのは誰だ。あんなことを一緒にする羽目になったのだから覚えているはずなのだが、とても曖昧に頭を揺らめいて像を成さなかった。



 元気にしているだろうか。

 あのときの誰かの、距離のあった温もりを隣の少女に重ねつつ、最期に夜空を見上げて目を閉じた。


 地球とは全く違う月が、まぶたを通しても明るかった。

 










 男は目を覚ました。喉元の熱さも、鉄の冷たさももう感じていなかった。


 代わりに男は動けなかった。上に誰かが覆い被さっているようだ。

 ここはどこだ。天国か、地獄か。


「おいあんた! 怪我は無いか!」


 焦点の合わない空に誰かの陰が現れ、押さえつけていた重さが消えた。


 男は立ち上がり、まず自らの両手を見つめた。

 紛れもなく自分は自分で、それは間違いないはずだった。


「一度下がれ、射られるぞ!」


 助け起こしてくれた者の声が遠く、男は自らの境遇を認識した。

 遠くで小さな爆発音のようなものが連続して響いた。


 今の私は、私ではない。

 見知らぬ誰かの体の内、男はつわものとなっていた。


 彼が目覚めたのは生きた世界で、しかし最も死に近い場所。



 肩に熱を感じてまた倒れた男が居るその場所は、彼にとって異質すぎる戦場だった。




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