祖父
「のう、きいちゃんや」
これが、祖父の口癖だ。
当時、もうすでにかなりの高齢だった祖父はしゃがれた声で紀を呼んだ。
何とも可愛らしい渾名である。
「なあにおじいちゃん」
「きいちゃんは、王様についてどう思う」
「おーさま?」
「そうじゃ。この間買ってあげた絵本にもおったじゃろう」
そう言われ、思い当たったのだが当時の紀はまだ未就学の幼い幼女。
祖父の、王様についてどう思う、などという質問には理解しがたい年頃だった。
何と答えたらよいかがわからない。
困っている紀を見兼ねた祖父はまた質問を重ねた。
「王様は、偉いと思うか」
「そりゃあえらいよ」
「何でそう思うんじゃ」
「だっておーさまだよ。好きなこといっぱいできるじゃん!」
無邪気に答える紀を祖父は優しい目で見つめていた。
祖父は、すごく優しい人だった。
孫である紀の話をいつも聞いてくれるし、祖父の部屋に行けばいつも温かいお茶をいれてくれる。
ついでに、せんべいやおまんじゅう、大福もくれた。
また、とても包容力のある人物でもあった。
父に怒られ、泣いている紀がいつも向かうのは祖父の場所。
泣きながら訪ねる紀を、やっぱり祖父は温かく迎え入れるのだった。
嫌なことがあっても祖父の元へ行くと気づけば忘れている。
そんな祖父を、きのはいつも不思議な人だと思っていた。
そして、不思議な人である祖父はほとんど泣かなかった。
それは祖母が亡くなったときでさえも。
息子である父も見たことがないという。
だけど紀は一度だけ見たことがある。
夜の散歩と称して近所のお山に祖父と出かけていたときだった。
街全体が見渡せるその場所で、祖父と小学生になった紀は空を眺めていた。
その日は別に、流星群の日ではなかった。
もしそうならばこの場所にはたくさんの人が訪れているだろう。
だが、見間違いではない。
黒塗りの夜空に、次々と星が流れていくのだ。
「じいちゃん!流れ星だよ、流れ星!」
初めて流れ星を見た紀は興奮して祖父の肩を叩く。
優しく笑いかけてくれると思っていたが、隣にいる祖父からは何の反応もない。
「…じいちゃん?」
「…遂に、こうなったか」
何がどうなったのかは分からない。
が、満天の星降る夜の下、しわくちゃな祖父の頬に涙が零れ落ちるのを確かに紀は見た。
「…じいちゃん?」
泣かない、と言われる祖父の涙を見た紀を何事かと思った。
僅かに震える声。
そんな紀に気づいた祖父は、悲しげに微笑んだ。
「のう、きいちゃんや」
いつもと変わらない口調の口癖。
「人は、何故戦をするんじゃろうな」
しかし、その声は確かに震えていた。
「いくさ?」
「争いのことじゃよ。この国も昔戦をしておったのは知っておるじゃろう」
「うん。学校で習った」
「この国は愚かだった。上に立つ者が下の者を考えていなかったのじゃ。勝つことばかりにこだわって、苦しむ民の姿なんか見ていなかった」
「へー」
「…あの国もそうなってしまったとは…」
「あの国って?」
祖父の小さな呟きは紀の耳にも届いていた。
「いいかいきいちゃん」
紀の質問に答えることなく、祖父は言い聞かせるように言葉を紡いでいく。
「何があっても戦はしちゃいかん。どんなに相手が攻撃してきても、武器だけは持ってはならんのじゃ」
「じゃあどうやって戦えばいいの?相手は紀たちを攻撃してるんでしょ?」
「心で戦うんじゃよ」
「こころ?」
「相手の心に語りかける。うそいつわりなく、真心をもって事に当たるのじゃ。つまりは、────誠心誠意じゃのう」
「…紀には、よくわかんない」
「いずれわかる時がくる。いいかいきいちゃん。その時はどうか、このじいちゃんの言葉を忘れないでおくれ」
大好きなじいちゃんの頼みだ。
断る筈がない。
「もちろんだよ!」
「…ありがとう」
感謝の言葉を述べる祖父の頬に、また一筋涙が伝った。
─────────今思えば、祖父はこの時からこうなることを予想していたのかもしれない。
つい一ヶ月前、祖父が亡くなった。
幸か不幸か、病気ではなく死因は寿命。
「のう、きいちゃんや。…お前に全てを託したぞ」
いつもの口癖と共にこんな意味深な言葉を残して、祖父は旅立った。
眠っているその顔は、とても穏やかだった。