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砂漠の迷宮ホテルの冷徹支配人に拾われました 〜最下層の洗濯係ですが、なぜか極甘に囲い込まれています〜

作者: まったくもー
掲載日:2026/05/12

連載用のプロットで短編を書いてみました。

次はこれで長編を書くかもです!

 肌を刺すような熱砂の広がる外の世界とは裏腹に、巨大ホテル『蜃気楼の宮殿カスル・アル・サラブ』の最上階は、静寂と心地よい冷気に包まれていた。

 朝の柔らかな光が差し込む寝室。巨大な天蓋付きベッドのシーツに沈み込みながら、私は背後から回された逞しい腕の拘束から逃れようと、そっと身をよじった。


「ん……レイラ。動くな。君の香りが遠のく」


 不満げな低い声と共に、腕の力がさらに強まる。私の首筋に顔を埋め、深く息を吸い込んでいるのは、このホテルの総支配人であり、絶対的な権力を持つザイード様だ。

 漆黒の髪の間から覗く黄金の瞳は、今はまだ眠気を帯びてとろんとしている。各国の要人から「砂漠の王」と恐れられる冷徹な完璧主義者の彼が、こうして無防備な姿を晒すのは私の前だけだった。


「あの、ザイード様。もう朝です。そろそろ起きないと……」

「嫌だ。もう少しこのままでいさせろ。……君を手放せば、またあの地獄のような不眠の日々に逆戻りだ」


 数ヶ月前、激務と常に命を狙われる重圧から深刻な不眠症に陥っていた彼は、ホテル中の寝具を調べ上げ、私の元へとやってきた。

 私が自分用に調合した特定のハーブ液で洗ったシーツ――その微かな香りが残る布地だけが、彼の張り詰めた神経を解きほぐすことができたのだ。

 その事実を知るや否や、彼は最下層の洗濯場から私をこのペントハウスへと引き上げ、専属の「癒し係」として自分の腕の中に囲い込んでしまった。


「……君の髪に触れているだけで、頭の芯の痛みが嘘のように消えていく。ずっとこの部屋に閉じ込めておきたいくらいだ」

「困ります。私、洗濯の仕事が好きなんです。今日も、私指名の特別なご依頼が入っているはずですし」

「はあ……君のその勤勉さには降参だ。だが、くれぐれも無理はするなよ。君の指先に傷でもつけば、私はこのホテルの業務をすべて止めて犯人探しをしてしまうかもしれないからな」


 冗談とも本気ともつかない言葉を残し、ザイード様はようやくベッドから身を起こして執務室へと向かっていった。

 彼を見送った後、私はペントハウスの一角に増設された私専用の作業部屋へと向かった。そこには、良質な水が引かれた洗い場と、様々な薬草や溶剤が並ぶ棚が設えられている。


 準備を整えたところへ、ザイード様の第一側近であるハキムが、青ざめた顔で重厚な木箱を抱えて飛び込んできた。


「レイラ様! 大変です、国賓である公爵夫人のドレスに、原因不明の染みがつけられてしまいました! 今夜の晩餐会までに落とさなければ、当ホテルの信用問題に関わります……!」

「落ち着いてください、ハキムさん。まずは見せていただけますか?」


 ハキムが震える手で作業台の上に広げたのは、白銀の糸で織られた美しいドレスだった。しかし、その胸元には赤黒い、泥のような不気味な染みがべっとりと付着している。

 私は顔を近づけ、そっと匂いを嗅いだ。

 ――瞬間、肺の奥がひやりと冷えた。

 ただの泥汚れではない。ツンとした鼻を突く酸の奥に、微かな甘い香りが潜んでいる。昔、スラムの裏路地で嗅いだことのある、甘く腐敗した果実のような、あの不気味な匂いだ。ホテルの裏方として、いわくつきの客の衣類を洗い続けてきた経験と、独学で得た薬草の知識が、即座に最悪の答えを弾き出す。


「……大丈夫です。落とせますよ」

 一瞬の沈黙を必死に飲み込み、私は努めて平坦な声を出した。

「ほ、本当ですか!?」

「はい。この染みはただの汚れじゃありません。『砂漠蠍の毒液』と『月見草の香油』が混ざったものです。普通に水洗いすると繊維が溶けてしまいますが、アルカリ性の特殊な薬液で中和すれば、跡形もなく消えます」


 私は手早く棚から薬品を取り出し、小瓶の中で手製の溶剤を調合した。それを染みの上に数滴垂らし、柔らかい布で優しく叩き込む。

 シュワシュワと微かな音を立てて赤黒い染みが分解され、本来の真っ白な繊維が蘇っていく。


「おおお……! 見事です、レイラ様! これでホテルの面目も保たれます!」

 ハキムが深く安堵の息を吐き出す中、私は首を傾げた。


「でも、変ですね。この二つを混ぜ合わせたものは、遅効性の接触毒になるはずです。以前、怪しい商人の服を洗った時にも似た匂いがしましたけど……なぜ、公爵夫人のドレスなんかに?」


 その言葉を口にした瞬間、背後から静かな足音が近づいてきた。

「ザイード様!?」

 振り返ると、執務室へ向かったはずのザイード様が扉の前に立っていた。騒ぎを聞きつけて戻ってきたのだろう。

 彼はすぐには言葉を発さず、作業台の上のドレスをじっと見つめた。先ほどまで私を甘やかしていた黄金の瞳が、仄暗い深海のように沈み込んでいく。重苦しい沈黙が降りた数秒の間に、彼の頭の中では無数の情報が瞬時に計算され、組み替えられているようだった。


「……なるほど。そういうことか」

 やがて、氷のように冷たく鋭い声が落ちた。

「公爵が隣国と内通しているという噂はあったが、まさか夫人のドレスに暗殺用の毒物が付着しているとはな。何者かが夫人を狙ったか、あるいは公爵自身が誰かを毒殺する準備をしていたか……。レイラ、君のその鼻は、とんでもない火種を見つけ出してくれたぞ」

「えっ? 私、ただ染みの原因を言っただけで……」

「それで十分だ。点と点が繋がった」


 ザイード様は冷徹な支配人の顔になり、ハキムに視線で合図を送る。

「公爵の滞在しているスイートの警備を倍にしろ。同時に、彼らの外部との通信記録をすべて洗え。もし当ホテルの敷地内で暗殺騒ぎを起こすつもりなら、徹底的に裏をかいて摘発する。私たちの『聖域』を血で汚すことなど、決して許しはしない」

「はっ! 直ちに手配いたします!」

 ハキムが一礼し、踵を返して足早に去っていく。


 私は濡れた布を持ったまま、呆然と立ち尽くしていた。ただドレスの染み抜きをしただけなのに、とんでもない陰謀の真ん中に放り込まれてしまったようだ。

「あの、ザイード様……お仕事の邪魔をしてしまって、すみません」

 静かになった部屋で、彼がゆっくりと私に近づいてくる。

 瞳の奥にまだ仄暗い殺意の熱を燻らせながらも、私の頬に触れるその手はひどく優しかった。


「謝る必要はない。君のおかげで、未曾有の不祥事を未然に防ぐことができそうだ」

「大げさです。私はただ、洗濯係としての仕事をしただけですから。それに……」


(待って、私まだ公爵夫人のドレスの染み抜き作業の途中なのに。さっき使った中和用の薬液、早く完全に拭き取らないと白銀の糸が傷んじゃうかもしれない……!)

 職人としての思考のノイズが警鐘を鳴らし、私は無意識のうちに、濡れた布を持った手をドレスへと伸ばそうとした。


 だが、その手首をぐいと強引に引かれ、私は彼の広い胸に再び閉じ込められる。

 ハッと息を呑んだ拍子に、指先から濡れた布がポトリと床に落ちた。職人としての理性が、音を立てて手放されていく。

 手に残る冷たく湿った薬液の感触と、彼から伝わる圧倒的な体温。先ほどまで部屋を支配していた死と陰謀の冷気すらも、むせ返るような彼の甘い熱に強制的に塗り潰されていく。


 ふっ、と耳元で小さく笑う吐息が、直接鼓膜を甘く揺らした。

「ただの洗濯係が、毒物の成分を嗅ぎ分けるものか。……君は本当に私の救いだな。君がいなければ、私は不眠で倒れるか、この陰謀に足元を掬われていただろう。ああ、やはり君をこの部屋から出したくない」

 低く掠れた声で囁かれ、首筋に甘いキスが落とされる。

 背筋がゾクゾクと粟立ち、私は身をよじった。


「だ、だめです。ザイード様はすぐに対策の指揮を執らないと……それに、ドレスの処理も早く終わらせないと生地が……っ」

「実務はハキムたちに任せておけばいい。ドレスなど、後で新しいものを用意させれば済むことだ。私にとって今一番重要なのは、見事な働きをした君に、たっぷりと褒美を与えることだ」

「褒美って……んっ」


 反論しようとした唇は、強引に、けれどどこまでも甘く塞がれた。

 シュワシュワと微かに鳴っていた薬液の音も、朝の静寂も、すべてが彼の熱の中に溶けて消え去っていく。

 冷徹な支配人は、私の前でだけはその仮面を外し、底なしの溺愛で私を甘く絡めとる。

 地下の洗濯係だった私が、どうしてこんなことになってしまったのか。

 答えは出ないまま、私は今日も彼の甘い拘束に抗うことを諦め、そっと目を閉じるのだった。


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