四
「空」と「地」の支配者たちの「聖戦」は、すでに泥仕合へと堕ちている。
大根と牛蒡を押し付け合い、泥の床を取っ組み合いながら転げ回る。特等席の最前列で、双子たちの顔から血の気が引いていくのが見えた。
「……何をしている。あの小童どもは」
ついに、観客席の重臣の一人が忌々しげに声を漏らした。同調する怒号が天啓院の空気をどす黒く染め上げる。数名の武士が抜刀し、闘技場へ乱入しようと腰を浮かせた。
その時である。
膠着する翔刃と獅童の間に、信じ難い異変が起きた。
「しゃあっ!」
獅童が獣の如く跳躍し、翔刃の構える『白亜の巨根(大根)』の先端に、思い切り噛み付いたのだ。
――ガリッ!!
瑞々しくも硬質な、生の根菜をかじる音が闘技場に響く。獅童は泥ごと大根の一部を食いちぎり、喉の奥へと強引に嚥下した。
「なっ……! よくも俺の武器を……!」
翔刃は驚愕した。だが、天鷹族の誇りにかけて引き下がるわけにはいかない。
「ならば、貴様の武器も喰ろうてやる!」
翔刃もまた猛禽の眼光を放ち、獅童の握る『黒褐の鞭剣(牛蒡)』に喰らいついた。
――ボリィッ! ゴリゴリゴリッ!
およそ人間の顎から発せられるべきではない、生の牛蒡を粉砕する咀嚼音が静寂を切り裂く。凄惨な形相で睨み合いながら、互いの武器を貪り食う二人の戦士。ボリボリ、ガリガリと、無機質な咀嚼音だけが響き渡る。
「ふざけるなァ!! 神聖なる決闘の場で、なぜ生野菜を食い始めた!」
「我らを愚弄するのも大概にせよ! 斬り捨ててくれる!」
数名の武士が刀の柄に手をかけた、その瞬間。特等席から巌陀羅の嘲笑が轟いた。
「ふはははは! 見たか、双子の総帥候補殿! 貴方たちが用意した聖戦とやらの正体は、泥野菜の食い合いだ! これのどこが聖戦か!」
巌陀羅の言葉が引き金となり、武士たちが殺意を剥き出しにして闘技場へなだれ込もうとした。双子もこの事態を収められず、絶望に顔を歪めている。
俺の心臓は早鐘を打った。このままでは、あの二人は処刑される。
(……黙れ。それ以上、彼らの誇りを汚すな!)
俺は、弾かれたように立ち上がった。そして、己の腹の底から、今まで出したこともないような大音声を闘技場に響き渡らせた。
「静まれ愚か者どもォォ!!」
幕府筆頭記録官の一喝に、抜刀しかけた武士たちがビクリと動きを止める。巌陀羅の嘲笑も止まった。
俺は頭をフル回転させ、ありったけのハッタリを絶叫した。
「貴様らの目には、あれがただの食事に見えるというのか! よく見よ! 奴らの獲物は丹精込めた魔力の塊! それを喰らうということは相手の『魂』を直接体内に取り込み、己の肉体を呪術の苗床として魔力を中和・吸収しようとしているのだ! 敵の力を喰らい、血肉に変換する究極の絶対秘術『蟹刃里寿夢』……! これこそが、あの武器が『可食部を持つ有機物』でなければならなかった真の理由なのだ!!」
一瞬の静寂。そして、最も早く俺の言葉に飛びついたのは、最前列の双子だった。
「そ、そうか……! 己の胃の腑を破壊してでも、敵の魔力を奪うというのか!」
「泥のついた武具を洗わずに食らうとは……! なんという凄絶な覚悟……!」
双子たちは、この戦いが「茶番」になることだけは絶対に避けねばならない。ゆえに、俺の嘘八百に死に物狂いで乗っかったのだ。巌陀羅の顔が屈辱に歪むのを横目に、俺は息をついた。
だが、俺の冷徹な観察眼は、闘技場で野菜を食らう二人の真実の姿を捉えていた。
大根を食らった獅童の目には、うっすらと涙が浮かんでいる。生の先端部分の、強烈な辛味にやられたのだ。牛蒡を食らった翔刃は、顔を真っ青にして時折「オエッ」とえずいている。泥のえぐみと、硬すぎる繊維質に喉を傷つけているのだ。
(……魔力だと? 秘術だと? 馬鹿を言うな)
俺には、二人が野菜を本物の武器だと信じているのかどうか、いまだに判断がつかない。
だが一つだけ確かなことがある。獅童の目に浮かんだあの涙は、辛味のせいだけではないはずだ。大根の先端を噛み砕きながら、それでも構えを崩さず、一族の誇りを守ろうとしている。その姿の中に、無知とは別の何かがある。
なんという純粋さか。あるいは、なんという気高い意地か。
彼らは魔人などではない。俺の罪と幕府の悪意が生み出した舞台に立たされながら、それでも最後まで戦士であろうとしている、若者たちだ。
考えれてみればおかしな話だ。
巌陀羅は、双子の権威を落とすために「大根を食う茶番」を仕組んだ。
そして若者二人は、必死で「泥野菜」を食っている。
俺はそんな二人を嘘八百で持ち上げた。
双子は、己の権力を守るために俺の嘘に無理やり感動している。
(……狂っている。ここにいる全員が狂っている。だが、なんという完璧な喜劇だ!)
誰も彼もが自分の都合の良いように勘違いし、見事にすれ違っている。だが、俺が叫んだ大嘘のおかげで、彼らは殺し合わずに済んでいるではないか。
俺は、和紙が燃え上がるような速度で筆を走らせた。
『両部族の代表、己の胃の腑を破壊する激痛に耐え、敵の魔力を貪り食う絶対秘術を披露す』
ただの生野菜による消化不良と辛味の苦痛を、俺は嬉々として「魔力の暴走に耐える誇り高き姿」へと変換していく。俺はこの日、初めて、権力者のためでもなく、自己保身のためでもなく、己の意志で『偉大な嘘』を歴史に刻み始めた。




