三
凍てついていた闘技場の空気は、異様な熱を帯び始めていた。
天鷹の跳躍と地獅子の震え。俺が放った起死回生の大嘘によって、観客席の武士たちはすっかり「魔人の戦い」という幻覚に呑まれていた。
俺の言葉に便乗した双子たちも、安堵と興奮の入り混じった息を吐いている。
「ふん……おかしな舞いで魔力とやらは高まったか? そろそろ抜いたらどうだ……? 貴様らの武器をな!」
先ほど俺に論破され、忌々しげに沈黙していた巌陀羅の絶叫が響く。それを合図に、翔刃と獅童は同時に、得物を包む重厚な封印布へと手をかけた。
「おお……!」
「抜くか!」
観客席がどよめく。伝説の双獣が抜くのは、空間を断つ魔剣か、魂をすする妖刀か。双子たちも身を乗り出し、誰もが瞬きを忘れ、歴史的瞬間に目を凝らした。
布が解かれる音が、闘技場に鋭く響く。
翔刃が天高く掲げたのは、先端に瑞々しい泥を付着させた、巨大で純白の――大根であった。
対する獅童が地を抉るように構えたのは、枯れ木のように細長く、不気味なしなりを持つ土気色の――牛蒡であった。
闘技場から、一切の音が消滅した。
風さえも凍りついたかのような、完全なる真空の沈黙。
俺は開いた口が塞がらず、危うく筆を取り落としそうになった。最前列の双子たちは目を丸くして硬直し、重臣たちも顔を見合わせている。殺気立っていた闘技場の熱は、巨大な疑問符によって急速に冷却されていった。
(……大根と、牛蒡ではないか)
いくらなんでも見間違えようがない。翔刃の握るそれには、青々とした葉の残骸すらついている。
「――ふはははははっ!!」
真空の沈黙を破ったのは、巌陀羅の腹の底から湧き上がるような嘲笑だった。
「見よ! 大根と牛蒡ではないか! これが武器だと!? よもや幕府の命運を懸けた御前試合で、台所の泥野菜を拝むことになろうとはな! なんという茶番、なんという屈辱か!」
巌陀羅の言葉に、武士たちがハッと我に返り、闘技場にどす黒い怒りが満ち始めた。
俺の心臓は、警鐘のように激しく鳴り始めた。
(……なんという悪辣な罠だ、巌陀羅殿)
このふざけた盤面を、俺は完全に理解した。巌陀羅は双子に恥をかかせるため、この聖戦を徹底的に茶番にしようと画策している。ならば、あの「武器」を用意したのも彼に違いない。「反逆防止のため、本物の武具はとうの昔に没収した。代わりにお前たちに相応しい武器を用意してやったぞ」とでも嘯き、代わりに台所から持ってきた泥野菜を握らせたのだ。
卑劣な。大根と牛蒡を武器とする『聖戦』なぞ、あり得ない。俺がどう取り繕おうと、茶番に成り下がった戦いを挽回するなぞ不可能――。
だが――その瞬間、俺の目は翔刃の横顔を捉えた。
彼の眼は、大根の白い肌をひと撫でするように、ほんの一瞬だけ細くなった。それは何かを堪えるような、奇妙な静けさを持つ眼だった。
獅童もだ。牛蒡の細い茎を握る指に、一瞬だけ力が篭もった。その表情は、どこか覚悟を決めた者のそれに見えた。
(……そうか)
彼らとて悔しいのだ。あのような野菜を握らされ、戦士としての誇りを公衆の面前で穢された。それでも彼らは戦おうとしている。その手に握る大根と牛蒡を、武器として。
彼らは侮辱を侮辱と知りながら、それを訴えなかった。屈辱に心折れたのではない。逆だ。野菜を武器に戦うことを覚悟したのだ。一族を守るために気高い沈黙を選んだのだ。
無論、これは俺の推測だ。俺には、彼らが無知なのか、それともすべてを知って耐え忍んでいるのか、確かめる術はない。だが、それでも。
「ええい、神聖な儀式を愚弄しおって! そのふざけた若造どもを斬り捨てい!」
怒り狂った武士たちが、刀に手をかけ始めた。
俺の胸の奥で、干からびたはずの何かが、音を立てた。
(……どちらにせよ、叫ぼう。彼らの代わりに!)
俺は、再び特等席から身を乗り出し、喉が裂けんばかりの絶叫を放った。巌陀羅の思惑などどうでもいい。一族の命運を懸けて「野菜」を構える彼らを、俺の嘘で守らねばならない。
「静まれ愚か者ども! あれがただの根菜に見えるとは、やはり貴様らの目は節穴か!」
「き、記録官殿!? だがアレは……!」
「見よ!天鷹族の小僧が持つアレは『白亜の巨根』!天の魔力を凝縮した塊よ!触れたものをたちまち消滅せしめし魔剣よ!」
「そして獅子の小僧が持つアレは! 『黒褐の鞭剣』! あれもまた地の魔力の塊! ひとたび抜けば周囲の命を根こそぎ吸い尽くす妖刀よ!」
俺の狂気に満ちたハッタリが、再び闘技場を制圧した。専門用語を並べ立てる筆頭記録官の絶対的な気迫に、武士たちは抜きかけた刀を止める。
「そ、そうだったのか!」
双子たちも、己の権威を守るためにすぐさま「お、おお……神話の記述は真実であったか!」と、俺の嘘に全力で乗っかった。
「いくぞ、獅童! この純白の刃に、貴様の血を吸わせてやる!」
「戯れ言を……! 俺の黒褐の鞭が、貴様の骨を砕く!」
放たれる殺意は本物であった。
俺が作り上げた『聖戦』という嘘の舞台の上で、彼らは大根と牛蒡を構え、地を蹴った。
「食らえ、獅子奮迅っ!」
「能鷹隠爪……っ!」
大根の白刃と、牛蒡の鞭剣が交差する。
金属が弾けるような甲高い音など鳴るはずもなく、「ボゴッ」という湿った鈍音が闘技場に虚しく響き渡る。二合、三合と打ち合ったのち、ふたりの足がもつれた。
翔刃の急降下の体重が獅童の上にのしかかり、「むぎゅぅ」という血生臭い闘技場には一切そぐわぬ悲鳴と共に、二人は泥まみれの地面へと無様に転がった。
『翔刃と獅童、互いに神造の剣を抜く。片や翔刃、白亜の巨根なり。片や獅童、黒褐の鞭剣なり。両雄激しく相撃ち、もつれ合う』
俺は奥歯を噛み締め、冷や汗を流しながら、ただひたすらに誇り高き「白亜の巨根」と「黒褐の鞭剣」の激突を歴史の一頁へと刻み付けた。




