【短編版】幼き女王の「重すぎる王冠」に転生したので、この特等席(頭の上)から陛下を甘やかします
連載版が始めました。よければ是非こちらもよろしくお願いいたします。
幼き女王と星天の王冠 ~泣き虫陛下は王冠からの入れ知恵を必死に朗読して国を救う~
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突如として、鼓膜をつんざくような怒声が響き渡った。
「陛下!交易路拡大の要求ですが、早急に結論を下すべきですぞ。さもなくば、我が東部領の民が飢えることになります!」
「同感ですな。諸外国の動きが活発すぎる今、まだお若い陛下にはいささか荷が重いのではないですかな?」
(っうお!?なんだ、すげえ怒鳴り声……ていうか、視界たっか!なんだこれ、俺の体、硬っ!)
覚醒したばかりの意識の中、混乱したまま視線を下に向ける。
大理石の床を踏み鳴らしているのは、ふくよかな貴族らしき男たち。
彼らは一段高い場所に座る少女へ向かって、次々と容赦のない言葉をぶつけている。
その少女は、白雪のような肌とアメジストを思わせる赤紫の瞳、そしてふわふわと波打つ光のような金色の髪を持っていた。
まだあどけなさの残る彼女は、必死に唇を噛み締め、涙がこぼれるのを堪えている。
投げかけられる言葉の端々には、「お前のような小娘に国が治められるわけがない」という明確な侮蔑が混じっていた。
ふと視線を横に向けると、階段の下で控えている騎士のピカピカに磨かれた甲冑が、鏡のように自分を映し出していた。
そこにあったのは、少女の頭に乗る巨大な蒼い宝石を戴く黄金の被り物。
(……王冠かよ!?)
主観を持った王冠は、見知らぬ玉座の間の光景と、己が金ピカの被り物になっている異常な現状にパニックになりかけた。
だが、その思考は眼下の異変によってすぐに掻き消される。
「っ……」
恐怖とプレッシャー。そして何より、彼女の頭にのしかかる巨大な国宝の重みに耐えかね、少女は細い肩をガタガタと震わせていた。
その震えが、被り物越しにはっきりと伝わってくる。
こんなに華奢な首でこんなに重いものを、どれだけの時間支えていたのか。
冷や汗で湿った金色の髪が、蒸れて額や頗に貼り付いている。
本来ふわふわと跳ねるはずの光の波のような髪が、汗と恐怖に潰れて重たく垂れていた。
(……待て、下の子、今にもぶっ倒れそうじゃねえか!)
目の前が白く明滅しているのが、頭上にいる王冠には痛いほど伝わってくる。
しかしその正面では、ニタニタと嫌悪感を煽る笑みを浮かべて言い寄る厚かましい大人たちがいる。
(寄ってたかってこんな小さな女の子を追い詰めるなんて……いい大人が恥ずかしくねえのかよ)
己が何者か、なぜ王冠になったのかなどはどうでもいい。
内に沸き上がったのは、理不尽な現状への猛烈な怒りと、可憐な少女に対する純粋な庇護欲だった。
王冠は直感的に、己の内に眠る『魔力』のような力の奔流に気づいた。どうすればいいかは分からない。
ただ、この少女を押し潰す理不尽な重さを消し去りたいと強く念じる。
――己の質量を、完全にゼロにするように。
「へっ……?」
倒れかけていた少女のアメジストの瞳が、驚きに見開かれた。
つい先程まで彼女の首を押しつぶすようにのしかかっていた黄金の重みが、一瞬にして羽毛のようにフワリと消え去ったのだ。
踏みとどまった彼女の脳内に、焦ったような声が直接響いてくる。
『お、おい!聞こえるか!?倒れるな、息を吸え!』
「(だ、誰……っ!?)」
『俺も自分が何なのかよく分かってねえけど、お前の頭に乗ってる王冠だ!ここは俺が助け舟を出してやる。とりあえずあいつら言い負かすから俺の言う通りに復唱しろ!』
脳内の直接の呼びかけに、少女は混乱しながらも小さく頷いた。
他に縋るものは、もう彼女には何もなかったのだ。
『「交易路の要求は却下します。東部領の不作は……関税のせいではなく、貴方たちの『税逃れ』によるものでしょう?」――カマをかけてやれ、ほら、言ってみろ!』
「――交易路の要求は、却下します」
少女は王冠の言葉を必死になぞる。
「東部領の不作は……関税のせいではなく、貴方たちの『税逃れ』によるものでしょう……?」
王冠は相手の具体的な思考こそ読めないが、大人たちの不自然な声色や態度から、醜悪な嘘の気配だけは直感で察知していた。
そこを突いたハッタリの反撃だ。
図星を突きつけられた瞬間、先程まで偉そうにしていた貴族の顔色がわかりやすく青ざめた。
「なっ……し、知った口を……!たかが子供が口出しを……!」
「控えるのは貴公だろう」
怒りで赤面して詰め寄ろうとした貴族の前に、静かだが重みのある声が割って入った。
白髪交じりの老臣である。彼は玉座の隣に立ち、鋭い眼光で貴族たちを射抜いた。
「これを見よ。玉座の陛下の背筋は一度も曲がっておられぬ。このような下劣な揺さぶりに屈するような女王ではないということだ。……そうですな、陛下」
「えっ?ぁ、う、うん……」
『「その通りだ」って返しとけ』
「……そ、その通りだ」
王冠には、この老臣がただ厳しいだけの男には見えなかった。
幼い彼女が舐められないよう、周りへの牽制も込めてあえて厳しく接しているだけのようにも思える。
貴族たちが己の欲のために陛下を追い詰めた過剰な状況が、内心酷く気に食わなかったのだろう。
そしてもう一人。階段の下で控えていた屈強な甲冑の騎士が一歩前に出た。
彼は剣の柄に手を当て、地を這うような低い声で貴族たちを威圧する。
「……陛下の御前で己の醜聞を晒すとは。我が騎士団の剣は、国の腐敗を斬るためにも存在していることをお忘れなく」
王冠から見ても、堅物で真面目すぎるほどの空気が漂ってくる騎士だ。
言葉に嘘はなく、この国と女王を守り抜くという信念だけは本物だと直感できる。
老臣と騎士の擁護(と、図星を突かれた動揺)により、貴族たちは舌打ちをしながらもそそくさと謁見の間から退散していった。
(わ、わたし、喋れた……。王冠さんが魔法で軽くして……言葉を……)
少女の心の声が、直に王冠へと伝わってくる。
表面上は冷徹な君主を演じながらも、彼女は内心で感動に打ち震えていた。
頭上に乗る顔も知らない相棒の存在が、彼女の震える背中をこれ以上ないほど強固に支えていたのである。
***
数時間後。謁見を終えた女王の私室。
重厚な扉が開くと、中で待機していた専属メイドの二人が深く頭を下げた。
「お帰りなさいませ、陛下。……大変お疲れのご様子。温かい紅茶をご用意しております」
「んふふ〜、ルゼリア様。今日も一日お疲れ様でしたねぇ〜」
淡々とした声で完璧な礼をするのは、無表情で少しダウナーな雰囲気を持つ金髪のメイド。
そして蠱惑的な笑みを浮かべ、ゆったりとした口調で出迎えるのは、赤髪のメイドだ。
(ルゼリアか。それがこの子の名前なんだな)
王冠は一つ得心しながら、メイドたちの細やかな気遣いを静かに観察していた。
少女が一切の警戒心を解いて身を委ねていることからも、この二人が城の中で唯一、幼い女王が気を許せる信頼できる人たちなのだろうと直感的に理解できた。
(おっと、お喋りできる件はルゼリア以外には秘匿しといた方がいいだろうし、ここは黙っておくか)
王冠はすぐに『意志を持たないただの装飾品』のふりを決め込み、事の成り行きを静かに見守ることにした。
メイド二人は手際よく、ルゼリアの頭からそっと王冠を外し、ベルベットのクッションの上に丁寧に鎮座させる。
「さぁルゼリア様〜、私の声に耳を傾けてぇ〜……だら〜っと力を抜いてくださいねぇ〜。重たいドレスなんて、ぜーんぶ脱いで楽になりましょぉ〜?」
「陛下。まずは重いお召し物をお脱ぎください。私が完璧に補助いたしますので」
赤髪のメイドが怪しげな催眠術のように甘い声をかけながら留め具を解き、金髪のメイドが淀みない動作で次々とドレスを剥がしていく。
何枚も重ねられた重厚なドレスの下から現れたのは、見ていて痛々しいほどに華奢な体だった。
(……こんな細い体で、あの重い王冠とドレスを毎日背負ってたのか)
その後、ルゼリアは二人に連れられて浴室へと向かった。
(なるほど、あっちは有能なクール系メイドで、もう一人は催眠術でも掛けそうな胡散臭いからかい系のメイドか……。まあ、あの子が心を許してるならいいか)
王冠はクッションの上で考え込んでいた。
自分は意思を持つアーティファクトとして目覚めたらしいこと。
そして、あの小さな女の子が本当に一国の女王として重圧に晒されていること。
メイドに着替えさせてもらう時、ルゼリアは為されるがままだった。
疲れ切っていたのもあるだろうが、自分で何かをする気力すら残っていないように見えた。
状況としては最悪に近いが、それでも不思議と焦りはなかった。
あの子のそばに、自分がいる。
理由なんて分からないが、それだけは確かだった。
やがて、湯気を立ててスッキリとした顔のルゼリアが戻ってくる。
風呂上がりの彼女の金色の髪は、謁見の間で見た時とはまるで別物だった。小動物の毛並みにふわふわと膨らんで、一本一本が光を弾いてきらきらと揺れている。
(……あの髪、すげえふわふわだな。もふもふってやつだ。あれを毎日あの重たい王冠の下に押し込めてたんか……そりゃ髪も可哀想だ)
テーブルには夕食が並べられていた。
「ん〜、美味です〜。もちろん毒なんて入ってませんよぉ。安心してお召し上がりくださいねぇ〜」
赤髪のメイドが一匙すくって自身の口に含み、ウインクをして見せる。
毒見役も彼女たちの仕事なのだ。
「栄養価の計算も完璧です。残さず召し上がることを推奨します」
金髪のメイドが淡々と告げる。
だが、ルゼリアはスプーンを一口、二口だけ口に運んで、そこで止まった。
「……うん。クロエ、シルヴィア、いつもありがとうね」
「(……全然食べてないな。あの量じゃ、あの小さな体を維持できるわけがないだろうに)」
王冠はクッションの上から、少女の食の細さを黙って見ていた。
メイドたちも気づいてはいるようだが、無理に勧めることはしない。
きっといつもこうなのだろう。胸が痛んだ。
温かい食事を終え、いよいよ就寝の時間となる。
「本日の業務はすべて終了しました。明日の起床時間は……」
「シルヴィアちゃん、今はリラックスタイムですよぉ〜。さぁルゼリア様、ふわふわのベッドに沈み込んでぇ〜……何もかも忘れて、ぐっすり良い夢を〜……んふふ」
二人に手厚く世話をされ、ルゼリアは天蓋付きのふかふかなベッドに潜り込んだ。
メイドたちが一礼して退室すると、広々とした私室は静寂に包まれる。
パタン、と扉が閉まった音を確認してから。
ルゼリアはベッドから身を起こし、真っ直ぐにクッションの上の王冠を見つめた。
「……王冠さん。まだ、起きてる……?」
不安げに揺れるアメジストの瞳。
それを見て王冠は魔力を声に変換し、初めて彼女に気さくなトーンで語りかけた。
『起きてますよ。今日はいろいろとお疲れ様でしたね、女王陛下。……俺はここでおとなしくしてればいいですかね?』
「ひゃ……っ。本当に喋った……」
メイドにも見せなかった完全な素の顔になり、大粒の涙をポロポロと溢れさせると、彼女は王冠をそっと胸の前に大事そうに抱きかかえた。
「だって……っ、ただの王冠だと思ってたのに……あんな怖い大人たちに怒鳴られて、わたし、どうしていいか分からなくて……っ。ぐすっ……助けてくれて本当にありがとう……」
『……怖かったでしょうに、玉座の上ではとても立派でしたよ。もう誰も見てませんから、今は声を出して泣いていいんです』
泣いていい。
その一言で、少女の中で何かが決壊した。
声を押し殺して、歯を食いしばって、ずっとずっと堪え続けていたものが一気に溢れ出す。
しゃくり上げる小さな肩。声にならない嗚咽。
王冠を抱きしめる腕に、どんどん力がこもっていく。
泣いていいと言ってくれた人は、今日が初めてだった。
生まれてこのかた、ただの一度も。
そんな彼女の頭を王冠が無意識に練り上げた見えない魔力の手が、親鳥の羽のように優しく撫で始めた。
指の形はない。手のひらでもない。
だけど確かに温かくて柔らかい「何か」が、少女の金色の髪をゆっくりと梳いている。
ふわふわとした小動物の毛並みの感触が、魔力越しに伝わってきた。
「っ……あたたかい……」
ルゼリアの声が、ほんの少しだけ穏やかになった。
まだ涙は止まらない。でも、さっきまでの怯えた泣き方とは明らかに違う。
安心して泣いている。そう感じた。
『怖かったですよね。俺のほうも自分がなんで王冠なんかになったのかサッパリだし、ここのルールとかもよく知らないんですけどね。けど、大の大人が寄ってたかって小さな子を追い詰めてるのは、理屈抜きに許せなかった。それだけです』
「……王冠さんは、優しいんだね」
『いや、普通ですよこれは。あんなの見て黙ってる方がどうかしてます』
丁寧さの中に、確かな温かさと怒りを持った声。
ただの被り物ではなく自分を肯定してくれる味方なのだと伝わり、彼女は気負わずに溜め込んでいた感情をぽつりぽつりと吐き出し始めた。
「わたし……この国の女王なの」
『……女王ですか。随分と大変な役目ですね』
「父上が……亡くなったからわたしが継いだの。毎日ああやって怒鳴られて……何をやっても、文句ばっかり」
魔力の手は、彼女が話す間もずっと頭を撫で続けていた。
『……お父さんは、どんな人だったんですか?』
「……優しい人だったよ。でも、あんまり覚えてないの。母上……王妃は、わたしが小さい頃に病気で亡くなったから」
『……』
「だから父上はずっと一人でわたしを育ててくれた。忙しくてもたまに頭を撫でてくれた……んだけど」
少女の声が、そこで途切れた。
「その父上も、もういない。頭を撫でてくれる人は、誰も……」
そう言いかけて、ルゼリアは自分の頭にある温もりに気づいた。
見えない魔力の手が、今もずっと優しく髪を梳いてくれている。
「あ……」
『俺は父親の代わりにはなれないと思いますけど。でも頭を撫でるくらいなら、いくらでもやりますよ。遠慮なく言ってください』
その一言に、ルゼリアの目からまた大きな涙がこぼれた。
だけど今度の涙は、悲しみの涙じゃなかった。
「さっきのメイドたちだけが味方。でもどれだけ辛くても本当のことは誰にも言えなかった。女王だから。泣いちゃいけない、弱音を吐いちゃいけないって……ずっと思ってた」
『……随分一人で頑張ってきたんですね、ルゼリアは』
王冠はただ黙って聞いていた。
この世界のことは何も知らない。政治も歴史も分からない。
だからこそ余計な知識がない分だけ、まっすぐに少女の言葉を受け止めることができた。
ルゼリアはしゃくり上げながら続ける。
「誰もわたしなんか信じてないんだ……っ。お飾りで何もできない迷惑な子供なんだ……っ」
『俺はそうは思いませんよ。現にあの老臣のおっさんは強がって立ったあなたを見てホッとしてたし、あのデカい騎士も本気であなたを守ろうとしてましたから。あなたにはちゃんと味方がいますよ』
優しく諭すようなその声に、少女は涙で濡れた顔をハッと上げた。
部外者からの客観的な視点と味方がいるという気づきは、孤独に怯えていた彼女にとって何よりも救いになるものだった。
だが、少女は少し黙った後、もう一つだけぽつりと呟いた。
今度はそれまでの涙声とは違う、透き通るほどに静かな声で。
「……あのね、王冠さん。わたし、ずっと思ってたことがあるの」
『はい』
「わたしが死んでも……きっと、誰も泣いてくれないんだろうなって」
恨みでも怒りでもなかった。
ただ当たり前のこととして受け入れている、透明な絶望。
この子はずっと一人でそう思いながら、毎晩このベッドで目を閉じていたのだ。
王冠の中で、何かが音を立てて砕けた。
『――俺が泣きますよ』
即答だった。
迷いも間もなく、当たり前のように。
『俺が泣きます。体もないし、涙なんか出ないかもしれない。けど、ルゼリアがいなくなったら俺はきっとこの世界で一番悲しい王冠になる。だからそんなこと二度と言わないでください』
蒼い宝石が、淡い青の光を灯した。
見えない魔力の手が、今度はもっと深く、もっとゆっくりと、少女の頭を包み込むように撫でる。
「っ……うううっ……」
少女はもう何も取り繕わなかった。声を上げてわんわんと泣いた。
女王としてではなく、ただの一人の子供として。
生まれて初めて――本当の意味で誰かに甘えて泣くことが許された夜だった。
魔力の手は彼女がしゃくり上げるたびに頭を撫で、肩を震わせるたびにそっと背中をさすった。
体温のない手だった。指の形すらない手だった。
だけど、誰の手よりもあたたかかった。
やがて。
泣き疲れた少女が、まだ赤くなった目で王冠を見つめた。
ずっと泣いていたせいで目元が真っ赤に腫れていて、鼻の頭もうさぎのようにピンクに染まっている。
「……あのっ。ごめんね……いっぱい泣いちゃって。ぐすっ……顔、ぐしゃぐしゃだよね……」
『謝らなくていいですよ。泣きたいときは泣けばいい。俺はいつでも聞いてますから。それと泣き顔も可愛いですよ』
「かっ……!?な、なに言って……!」
不意打ちの一言に少女は真っ赤になって慌てた。
今まで泣いていたのが嘘のようだ。
「もう……王冠さんって、ときどきすごいこと言うよね……」
『事実を言っただけですけど。ところで、さっきメイドたちがあなたのことを何て呼んでたか、ちゃんと聞いてましたよ。俺にも改めて教えてくれますか?あなたの名前』
「……うん。わたしね、名前……ルゼリアって言うの。二人きりの時はそう呼んでくれないかな……?」
『ルゼリア、ですか。いい名前ですね。俺みたいなよく分かんない奴がそう呼んでも怒らないですか?』
「怒らないよ。……それとね、王冠さん、じゃ変だから……クラウンって呼んでもいい?」
『光栄ですよ、ルゼリア』
名前を呼ばれた瞬間、少女の赤紫の瞳が大きく揺れた。
クラウン。たった今、ルゼリアが名付けた名前。
その名前で自分の名前を呼び返してくれたことが、言葉にならないほどに嬉しかったのだろう。
『あなたが泣く姿は見たくないんで、俺がそばにいる間は思い切り甘えさせてくださいよ。愚痴でもなんでも聞きますから』
「……うんっ。ありがとう、クラウン。わたし……クラウンが現れてくれて、本当に嬉しい……っ」
今日一番の年相応の無防備な笑顔で、ルゼリアは王冠をぎゅっと抱きしめた。
『ただ、俺はこの世界のことを本当に何も知らないんですよ。だからまずはルゼリアのことをいろいろ教えてくれませんか?』
「うん!わたしにわかることなら何でも教えるよ」
『助かります。俺も自分の知ってることなら何でも話しますよ。これからはお互い寂しくないようにたくさん喋りましょう』
「うん……っ!」
それから、二人はベッドの中で静かにお喋りを続けた。
ルゼリアがこの国のことをぽつぽつと教える。
王冠ーー星天の王冠は建国の時代から存在する国宝で、歴代の王が戴冠式で被ってきたこと。
伝説では「王冠が真の王を選ぶ」と言い伝えられていること。
でも今まで王冠が喋ったことなんて一度もなかったこと。
『へぇ、じゃあ俺が喋り出したのは相当なイレギュラーってことですか。……まあ、自分でも驚いてますけどね』
「うん。だからきっと……クラウンは特別なんだよ」
『特別、ですか。よく分かんないですけど、ルゼリアのそばにいるために目覚めたんなら悪くないですね』
「えへへ……」
少しだけ笑ったルゼリアが、ふと思い出したように聞いた。
「クラウンは……自分のこと、何か覚えてないの?」
『まったく。名前も、顔も、性別だって。王冠になる前の知識がうっすらとあるだけですね。ただ一つ分かるのは、小さな子が泣いてるのを見ると胸が痛むってことくらいですね』
「……それで充分だよ。わたしにとっては」
ルゼリアはそう言って、王冠をぎゅっと抱き直した。
『……あと、さっきの食事ですけど。もう少し食べた方がいいですよ。口うるさいオヤジみたいなこと言ってすみませんけど』
「あ……見てたんだ」
『そりゃ見てますよ、目の前にいたんですから。せっかくメイドさんたちが毒見までして用意してくれた食事なんだから、もったいないですよ』
「……うん。明日は、もう少し食べる。クラウンがそう言うなら」
『約束ですよ』
王冠に叱られるとは思わなかったのか、ルゼリアは少しだけ驚いた顔をした後、ほんのりと頬を緩めた。
叱ってくれる人がいるということは、気にかけてくれる人がいるということだ。
それすら、彼女にとっては久しぶりのことだった。
話しているうちに、少女の瞼がだんだんと重くなっていく。
返事の間隔が長くなり、声が小さくなり、言葉の途中でふにゃりと途切れる。
「……クラウン」
『はい?』
「……頭、撫でて……」
ほとんど眠りに落ちかけた少女の、たった一言のわがまま。
生まれて初めて口にする、甘えたお願い。
『分かりました。寝るまでこうしていますから。おやすみなさい、ルゼリア』
見えない魔力の手が、もう一度、優しく少女の頭を撫でた。
ルゼリアは安心しきった顔で、すぅ、と静かな寝息を立て始めた。
それまで彼女にとってこの広くふかふかな天蓋付きベッドは、重圧と孤独に震えるだけのひたすらに冷え切った場所でしかなかった。
だが、今は違う。
気さくな喋り相手がいて、あたたかな魔力の手が優しく頭を撫でてくれている。
その事実は、凍える少女の体と心を包み込む、陽だまりのような温もりへと変わっていた。
泣き虫な女王の実情を知り、彼女の力になることを決めたクラウンは、すーすーと眠りについたルゼリアの穏やかな寝息を聞きながら、ひっそりと蒼い宝石の光で満足げに明滅した。
(……こんな小さな子に国を背負わせるなんて。どんな世界だよ、ここは)
体は持たない。触れることもできない。
けれど、この子のそばにはいられる。
だから星天の王冠は眠らない。
この子が安心して眠れるように、ずっと。
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