彼女の脚
1
今年の夏は、いつも湿気と喧騒に満ちていた。花火大会が近づき、街は浴衣姿の若者たちで溢れかえっていた。可愛らしい女の子も多い。そんな女の子たちに「俺のこと知ってる?そこそこ有名なカメラマンなんだけど。」そんなふうに聞いて回りたい誘惑に駆られた。いや、今日はそんなことをしに来たのではない。俺は群衆の中でカメラを握りしめ、ただ一つのものだけを追いかけていた。俺の友人の打ち上げる花火。友人から頭を下げて頼まれたらしょうがない。最高の1枚を撮ろう。俺は気持ちを引き締めた。
それにしても人が多い 特に若い女の子。
女の子の足。女の子の足。素足に下駄を鳴らして歩く、あの白く細い足首。浴衣や着物の裾から覗く、かすかな爪先の曲線。普通の男たちが胸や尻に目を奪われるなか、俺は何故か地面に近い場所を見ていた。
その日、俺は寺の境内を歩いていた。観光客の波に紛れ、カメラを構える。レンズは望遠。友人の花火を写真に収める そして本人に見せてやろう きっと喜ぶだろう 被写体との距離を保ちながら、決定的な一瞬を盗む。それが俺の流儀だった。
そこで、彼女を見た。
赤地の着物に、淡い藤色の帯。長い黒髪をアップにまとめ、首筋が白く輝いている。年齢は二十歳そこそこだろうか。彼女は一人で歩いていた。友人とも恋人ともつるまず、ただ静かに境内を散策している。
だが、俺の目を奪ったのは、その足だった。
白い足袋を脱ぎ、素足に草履を履いた姿。着物の裾が少し捲れ上がり、くるぶしから爪先までが露わになっている。肌は陶器のように白く、足の甲に浮かぶ静脈が薄く青く透けていた。歩くたびに、草履の鼻緒が、足の指の間を優しく擦る様子。爪は陽光にきらめいている。
完璧だった。
俺は息を呑み、シャッターを切り始めた。一歩、また一歩。彼女が石段を上るたび、足の裏が少し見える。汗ばんだ足の裏が草履に張り付き、離れる瞬間。俺の心臓は高鳴った。これは、ただの写真じゃない。芸術だ。
彼女は、俺の存在に気づいていないようだった。境内をこれといった目的もなさそうに、ぶらぶらと歩いて行く。俺は距離を保ちながら追いかけた。群衆に紛れ、レンズを向ける。彼女が屋台の前で立ち止まり、足を少し上げて草履を直す瞬間。指先が優雅に曲がり、足の裏が完全に露わになる。
シャッター音を消したカメラが、静かにその瞬間を捉えた。
寺の、門の下で彼女は立ち止まった。風が吹き、着物の裾が舞う。足首が完全に露出する。俺は膝をつき、地面に近いアングルから撮影した。これは、奇跡だ。こんな完璧な足を、俺は今まで見たことがない。
彼女が振り返った。
一瞬、目が合った気がした。俺は慌ててカメラを下げ、群衆に紛れた。心臓が爆発しそうだった。だが、興奮が勝った。もっと撮りたい。あの足のすべてを、永遠に残したい。
その後も、俺は彼女を追い続けた。境内を抜け、川の方へ。夕暮れが近づく頃、彼女は橋のたもとで立ち止まった。川面を見つめ、風に髪をなびかせている。
俺は、橋の欄干に隠れながら、最後の撮影をした。
彼女が片足を少し上げ、草履を脱ぎかける瞬間。素足が完全に露わになり、川の風に触れる。足の指が自然に開き、夕陽がその白い肌をオレンジに染める。
夕方、橋のたもと。
彼女は欄干に寄りかかり、川を見下ろしていた。夕陽が川面を赤く染め、その光が彼女の素足を妖しく照らす。俺は橋の陰に隠れ、最後の撮影に挑んだ。
彼女が、ゆっくりと片足を上げた。
草履が外れ、素足が完全に空気に晒される。足の裏が夕陽に透け、薄紅色の肉が脈打っているように見えた。足の指がゆっくりと開き、汗と風で冷えた爪先が震える。そして、彼女はだけた着物の裾の奥、太ももがわずかに覗いた。
俺は震える手でシャッターを切った。
やがて、彼女は小さな竹林の入り口に立った。
こんな場所があったのか。
川のすぐ裏手に、鬱蒼とした竹が群れをなし、風が吹くたびにざわざわと淫らな音を立てる。人の気配はまったくない。彼女は躊躇いもせず、草履の音を響かせて竹林の中へ入っていった。
俺は、迷わずその後を追った。
竹の葉が頭上を覆い、夕陽が縞模様になって地面に落ちる。空気が急に冷たく湿った。彼女の赤い着物が、緑の闇に溶けそうになりながらも、裾から覗く白い素足が、かえって妖しく浮かび上がる。
足跡が残る。
湿った土に、彼女の足の裏の形がくっきりと。汗と土が混じり、柔らかい肉のひだが刻まれた跡。俺はしゃがみ込み、指でその跡をなぞった。まだ温もりがあった。
彼女は立ち止まった。
竹の奥、誰も来ない小さな空き地のような場所。風が強く吹き、竹が軋む。彼女はゆっくりと振り返った。
初めて、真正面で目が合った。
驚きも怒りもなかった。ただ、静かな瞳で俺を見据えている。俺はカメラを握りしめたまま、動けなかった。
彼女は、微笑んだ。
そして、片足をゆっくりと上げた。
草履が外れ、素足が宙に浮く。足の裏が、完全に露わになる。汗と土で薄汚れ、竹の葉の欠片がくっついている。それでも、完璧な曲線だった。足の指がゆっくりと開き、土の粒が谷間に落ちていく。
俺は膝をついた。地面に這いつくばるようにして、レンズを向けた。
彼女は素足を俺の目の前に差し出した。まるで「撮って」と誘うように。
竹の葉ずれの音だけが、淫らに響く。
俺は狂ったようにシャッターを切った。
足の裏のひだの一本一本。汗で光る爪先。土にまみれた踵の柔らかさ。彼女は少しずつ足を動かし、俺にさまざまな角度を見せてくれた。風が強くなり、着物の裾が大きく捲れ、太ももの付け根までが影の中にちらつく。
俺はもう、獣だった。
彼女は最後に足の裏を、俺の顔のすぐ前で止めた。
土と汗と、女の匂いがした。
その瞬間、俺は唇をその足の裏に押し当てた。
熱かった。震えていた。彼女は小さく息を漏らし、竹の陰で俺を見下ろしていた。
どれだけの時間が経ったか。
彼女は静かに草履を履き直し、着物の裾を直した。そして、何も言わずに竹林の奥へと消えていった。
あのとき、俺の唇が触れた場所に、小さな土の粒が残っていたことを誰も知らない。土と汗と、竹の匂いを。
そして、思い出す。
あの竹林の奥で、誰にも奪えない、2人だけの時間があったことを。
数年後。
俺は、あるギャラリーで個展を開いていた。テーマは「彼女の足跡」。すべて、あの日の写真だった。ある一枚が、特に注目を集めていた。
「この写真、素晴らしいですね」
ギャラリーのオーナーが言った。
あの日、竹林の中まで追いかけたあの女性。あの完璧な足の持ち主。
使われた写真は、まさに俺が撮った最高傑作。夕陽の中、川辺で片足を上げたあの瞬間。着物の裾が風に舞い、素足が輝く一枚。
俺の撮った、俺だけの宝物だった足を。
今でも俺は思い出す。
あの夏の日。街の喧騒の中で、俺が追いかけた幻の足。
そして今、永遠に残ったその足跡を。
彼女はもう、二度と現れなかった。
けれど、あの足の裏に残る俺の痕は、永遠に消えない。
花鳥風月の向こう側で、俺だけが知っている。
あの夏、竹林の奥で、俺たちは確かに交わったのだと。
風の噂では、後にその写真が
スピッツのアルバム「花鳥風月」のジャケットに
使われたとか、
使われてないとか、
多分使われてない。




