第6話「血を操る者との対談 前編」
「ぶえっくしゅん!」
水滴を地面に滴らせ、アズルは盛大なくしゃみをした。
水も滴るイイ男、とはよく言うが、アズルの場合は服装がボロいので単なるびしょ濡れの浮浪者にしか見えない。せっかく雨で濡れた体が太陽で乾いていたというのに、再び全身が冷え切ってしまった。
「ドンマイ、アズル。財布を盗られたらどうしようもないっぴね」
「はぁぁ……めちゃくちゃ怒鳴られたじゃん、奥から店長出てきてさ」
もはや死ぬことを覚悟していたアズルの前に現れたのは、ゴリラ……ではなく、丸太のような腕を持つ巨漢の店長だった。
呆然としているアズルに、店長は猛獣のごとく怒鳴り、全力で水をぶっかけ、首根っこを掴んで外に放り投げてしまったわけだ。
あの時の恐怖はおそらく、ゴブリンと対峙した時よりも強烈だった。いや、むしろ怖すぎて、何も感じていなかった。あの時、水を飲みすぎていなくて幸いだった。もしトイレに行く前だったとしたら、間違いなく――いや、これ以上は言及しないでおこう。
サラピに関してはもちろん、アズルの金銭問題とは無関係なので、今度こそ完全に他人事扱いだ。
「というか、これからどうするっぴ? 財布がないんじゃ、医者に相談どころか、宿にすら泊まれないっぴよ」
「うっ……弱ったな」
大きな街中で野宿などしたら、夜中に街を巡回する兵士に見つかり、叩き起こされるのがオチである。
「医者に相談したらちょうど、夜になると思うんだ。だからとりあえずは医者を探すつもり」
「びしょ濡れで無知で問題ばかり起こす奴を、しかもタダで診察してくれる神のような医者だなんて、この世にいるっぴかねぇ……まぁでも、他に方法がなさそうだから、オイラもついていくっぴ」
「お前、本当にどこまでもついてくるんだな……」
いちいち癪に障ることを言いながら、結局は同行を選ぶサラピ。
アズルはため息まじりにつぶやきながら、街道を歩き始めた。
先ほどまで騒がしかった子どもたちや、街を歩く人の姿はほとんど見当たらない。帰宅し始めている頃合いのようだ。
「すみませーん、この街の医者って、知っていますか?」
アズルは通りかかった厳つい感じの男性を適当につかまえ、話しかけてみる。
やみくもに医者の場所を探していたら、一生終わらない気がしたからだ。
男性は急に話しかけられて怪訝そうな顔をする。尋ねる相手を間違えたかと、アズルは一歩後退した。
しかし男性はすぐに腕を組み、案外真面目に考えてくれた。
「この街の医者だぁ? あー……、だったら、ロリーゼの奴を訪ねるといいぜ。あいつぁ一人前の医者だ。しかも、すんげぇ優しいって評判さ。この街どころか、王城にも精通していて、名が知れ渡っている権力者だぜ」
「えっ、そんなにすごい人がこの街に!? ど、どこにいますか?」
「ほら、あっちの屋根、青い屋根の家だ、見えるだろ? あそこで個人営業してるぜ。あいつの腕前は確かだ。俺もお世話になってるからな、保証してやる。あいつの使う特別な魔法には、きっと驚くと思うぜ!」
男性はニカッと笑って答えた。ここまで自信ありげに言うのなら、嘘ではなさそうだ。
確かに聞く価値があったと、アズルは安堵の息を漏らす。
「ありがとうございました」
「ところで兄ちゃん……あんた、濡れてね? 魔物のションベン食らったか」
「いや、ほんとマジで違います。気にしないでください」
サラピが胸ポケで爆笑しているが、当の本人にとっては何も面白くない冗談だ。
すると男性は、少し考えてから続ける。
「あと、関係ねぇ話だけど……ここ最近、世の中は物騒だから、兄ちゃんみたいな若もんは気をつけた方がいいぜ。つい一週間くれぇ前だったか? 王城に盗賊が侵入して、王家の宝を盗んでいったとか言われているしよ」
「あ……はい、気をつけます」
アズルの不憫さを見ての、男性なりの配慮なのだろうが、急に事件の話を持ち出されてもアズルにはピンと来ない。
男性の助言をあまり深く留めず、彼は青い屋根の建物に向かった。
「ここか。さっきの人が言ってた場所」
アズルの目の前には、青い屋根の一軒家がある。
滑らかな木材が建てられたその家には小さな看板が立っており、「Doctor Lolise 用があればお尋ねください。営業時間 9:00〜22:00 高性能の血液魔法 実施中」と手書き文字で書かれていた。
「ロリーゼさん……だよな? なんとなく女性名っぽいけど……まだ営業してるっぽいぞ」
「なら訪ねてみるっぴ」
サラピに促され、アズルは少しぎこちない様子で玄関の前に立った。
ロリーゼ。ライトシティの中で有名な医者であり、王城にも知れ渡る権力者。特に優しいとの評判。看板に書かれている「血液魔法」とやらが何か気になるが、今のところそれしか情報がなく、どんな人物かわからない。
果たして、アズルが毎晩見るという「夢」を理解してくれる相手だろうか。
そして――お金がなくても許してくれるのだろうか。
扉を何度かノックする。
「すみませーん、ロリーゼさんはいますかー? ちょっと、用事があって来たんですけどー……」
アズルが不安げな声をかけると、しばらくしたのち、優しげな返答が来た。
「どうぞ、入りたまえ」
「あ、ありがとうございます。……失礼しまーす……」
玄関の扉をそっと開き、アズルは恐る恐る一歩を踏み入れる。
家の中は、高級な装飾が施されている綺麗な空間だった。
一面の壁に、美しい花々の模様が描かれている。心なしか甘い香りまで漂い、鼻をくすぐってきた。
そんな部屋の中心で、ソファーに腰掛けている長身の男がいた。
名前からして女性だと思いこんでいたので、アズルは一瞬驚く。だが、高貴な印象を与える名前としては、彼にぴったりだと納得した。
おそらく20代半ばほどの年齢で、アズルよりかは年上だろう。朱色の長く、滑らかだがクセの強い髪を持っている。前髪に隠された紫紺の宝石が2つ、見透かすような眼光を放っていた。茶色のトレンチコートがやけに似合う、大人びた青年だ。
「あ、えと、その」
「緊張しなくて構わないよ。ほら、僕の向かいに座りなさい」
普段から客にこういう態度なのだろうか、それともアズルに対してのみの振る舞いなのか。アズルが会いたかった医者、ロリーゼは、慣れ親しんだかのような態度と共にアズルを迎え入れたのであった。
第6話まで読んでくださり、誠にありがとうございます。
次回もぜひ読んでくれると嬉しいです。
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