第3話「唯一の取り柄」
ゴブリンは、成人した大人と同じくらいの背丈の魔物である。
武器を持ち、人間や他の弱い魔物を襲う面倒な輩たちだ。数が多いうえしょっちゅう見かけるので、知名度で言えば頭にのぼる存在である。
そんなゴブリンたち3匹が今、サラピを執拗に追いかけている。
アズルはしばらく呆然としていたが、やがて少しずつ理性が戻ってきて、大きく叫んだ。
「おいサラピ! なんだよこいつら!」
「お前、まさかゴブリンを知らないとか冗談っぴよね!?」
「いや、さすがに聞いたことはあるけど、こんな気持ち悪い奴なのかよ!?」
アズルが育ったのは完全なるド田舎。魔物を今まで見たことがない。初めて見るゴブリンの気味の悪さに、心底ビビりまくっているだけである。
「ぴぎゃっ! こいつら、オイラを食おうとしているっぴね!?」
サラピは成長すれば、巨大な体と豪快な炎を誇る鳥となるのだ。腹が減っているアズルに言うと危険なワードかもしれないが、サラピは魔物にとって栄養豊富な存在だ。
「くそっ、雨が降ったから、空が暗くなって襲ってきたんだっぴ」
「そいつら、炎で燃やしちまえよ」
「馬鹿言うんじゃないっぴ! オイラの炎じゃ限界があるっぴよ! あーもー! 今までは姿を隠して過ごしていたのに、見つかったっぴよ! お前が叫ぶせいだっぴ!」
責任をアズルに押し付け、サラピは文句をまき散らしながら、ゴブリンたちの攻撃を避けている。
「ほれほれ、空には攻撃が当たらないっぴよ〜」
サラピはドヤ顔を決めて空からゴブリンたちを見下ろす。なぜこのタイミングで、フラグを立てるような行為をしてしまったのだろうか。
――ゴブリンたちは、空にいるサラピに向かって、石を投げ始めた。
「ちょ、まっ、反則だっぴよ……ぎゃっ!」
完全に自業自得。煽り散らかしていたサラピの羽に、石ころが直撃する。
羽を痛め、彼は地面に落下した。
ゴブリンたちがヨダレを垂らしながらサラピを囲む。
「あはは……なんでみんな、オイラを食おうとするっぴか……?」
「グオオオオオオオオオオ!!」
「ぎゃああっ、助けてっぴよ――!!」
ゴブリンの雄叫びを聞き、サラピは思わず助けを求める声を上げた。
誰に言ったのかは――彼自身、意識していないままに。
細い剣を握り、やみくもに突っ込んでくる青年が現れた。
「うわああああああああああ!!」
絶叫し、アズルは剣を振り――近くにいたゴブリンを斬りつける。
「えぇええぇぇええ!?」
サラピは目を真ん丸にして驚愕した。
アズル自身にも、どのように動いたのかはよくわからない。
剣術は昔、父に教わっていた。しかし上達が遅く、父からは何度も呆れられていた。このような状況の実戦なんてしたことがないし、相手を見極めて着実に倒せるほどの実力もない。
ただ、彼の中の何かが、瞬時にして目覚めた。そしてそれは、彼を動かす唯一の原動力となる。
強くなく、賢くもないアズルが、持っているもの。そして己を誇れる――
「お前ら全員、寄ってたかってサラピをいじめてんじゃねぇよ!」
純粋な怒りを叫び、アズルは体当たりで他の2匹を蹴散らす。そして地面に倒れていたサラピを片手で拾い上げ、胸ポケットに突っ込む。
斬られたゴブリンは、傷ついた肩を押さえながら立ち上がった。他の2匹も、標的をサラピからアズルに切り替える。
酷く驚いているのはサラピだ。
「ちょ、おま、何して――」
「あいつら、倒せばいいんだろ!? どうせやらないと、お前の次に俺もやられちまうだろうし。……やってやろうじゃん、死なない程度にな!」
アズルはびしょ濡れの顔をキッと上げ、激しい雨の中で挑発的な笑みを浮かべた。
死なない程度、と言ってはいるが、おそらく彼は命を投げ出す行為に出ている。
魔法もろくに使えない、剣術もさほど強くはないこの青年が、いきなりゴブリン3匹を相手にするだなんて無謀すぎる。
彼の取り柄。それは、物理的な強さなど関係ない、無限大の勇気と度胸、そして、仲間を思う心の強さ。
そしてそれが奇跡と結びついた時――かつてない力を、振り絞ることができるのだ。
ゴブリンの1匹が、持っていた斧を振り回す。
「うおっと!」
アズルは慌てて剣を前に出した。鉄と鉄がぶつかり合い、雨の中で激しい火花が散る。剣にものすごい力が加わるが、弾き飛ばされないよう、なんとか姿勢をこらえてみせる。
武器同士が交差する感覚。父との練習以外では、初めての経験だ。
しかしいざ実戦となると、体は案外順応して動いてくれるものだった。
今まで剣術が未熟だと思っていたのは、何かを守るため、一度も本気で戦ったことがなかったからだ。
毎日、何かを求め続け、必死に素振りをしていた成果を、今ここで出してやる。
「すげぇ、俺、結構まともに戦えてね?」
少しばかりの優越感を覚えた。しかしすぐそこにサラピの警告が入り――
「おい、左を見ろっぴ!」
「え、左?」
左と口に出しながら、右を向くアズル。ここでもかと、方向音痴の炸裂だ。
左から別のゴブリンが走ってきて、容赦なくアズルの左頬を殴った。
「――った!」
ここで初めて、ゴブリンからの攻撃が当たった。頭から倒れそうになり、何とかバランスを取るアズル。殺意を込めた手で殴られたことなんて、生まれて初めてだ。強い衝撃が頬を伝って体に走り、鈍い痛みが走る。思わず涙が出そうになった。
「い……痛いんだよ! あっち行け!」
あっちは苛立った声を上げ、殴ってきたゴブリン目掛けて足を乱暴に振り上げる。その蹴りは――なんと、股間に直撃した。
「ギャオオオオオ!?」
情けない叫び声を上げ、運よく1匹がノックダウン。
意図していない攻撃だったが、敵が減ったなら本望だ。
一瞬だけポカンとした様子の一同だったが、すぐにゴブリンたちは戦闘態勢へと戻る。
連携の取れた2匹(元3匹)だ。アズルは今、1匹と武器を交差させているため、もう1匹への注意を払えない。
別の方角から、ゴブリンが攻撃を加えようと、タイミングを狙っている。
しかし、こちらも連携なら負けてはいない。
サラピが大きな声で叫んだ。
「そのまま押し返しちまえっぴーっ!」
その声を確と聞き入れ、アズルは剣を握る手に力を込める。
「うおおおおおおおおおおおお!!」
単純な力勝負だ。剣を器用に振れと言われると困るアズルだが、力を込めるだけなら、難しいことではない。
全体重を前に。斧を掴んでいたゴブリンの顔に、焦りが浮かんだ。
「おらあああっ!!!」
そして、ゴブリンの体を完全に地面へと叩きつけた。
斧を持っていたゴブリンは頭を強打してしまい、気絶する。
「よっしゃ、あと1匹だぜ! どうよ、俺の剣さばき!」
剣で敵を本当にさばいていたのかは謎だが……
調子に乗ったアズルは、自慢げに剣の先を最後のゴブリンに向けた。
他の2匹は気絶した。これほどまでの実力があれば、アズルの勝ちも同然だろう。
タイミングを図り損ねたこのゴブリンは、あたふたと困惑する。
そして、小さな木の実を取り出した。
「……? 何してるんだ?」
アズルはキョトンとした顔になる。
ゴブリンが取り出した木の実は、手のひらに収まるほどのものだった。黒色で、毒々しい色をしている。とても食べたいとは思えない見た目だ。
そんな木の実を、ゴブリンは口の中に入れて丸呑みした。
次の瞬間――ゴブリンの姿が、急変したのだった。
巨大な1本の角が生え、体がひと回り大きくなる。おそらく、2メートルは軽く超えているだろう。
手足が大きくなったかと思えば、爪も伸び、背中からは悪魔のような翼が生える。
突然の変貌に、アズルは硬直してしまった。
「な、なにが起きて!?」
「……最悪っぴよ……あの木の実を食べたってことは……! 一気に力が増幅して……!」
サラピはあの木の実が何かを知っているらしく、顔に戦慄が浮かんでいる。
「えーと……今のは、パワーアップ的な何かで……?」
「あれはクロの実っぴよ! 食った魔物は手に負えないっぴ! 早く逃げろっぴぃぃぃ!」
これは……さすがに勝てない。
アズルが頭でそれを理解し、脳が体に逃走命令を出すより、ゴブリンの動きの方が早かった。
サラピの悲鳴も空しく、巨大化したゴブリンは、その大きな手でアズルの胴体を軽々と掴み上げる。
唾液を垂れ流し、アズルに顔を近づけている。漂う口臭にアズルは顔をしかめたが、いやいやそれよりも。
「お、俺を食う気?」
「ギャオオオアアアアアアアアアッ!!」
「ひいいっ!!」
耳をつんざくような叫び声をもろに浴び、アズルは悲鳴を上げる。サラピというと、もはや声も出ず表情だけが固まってしまった。
そのまま巨大な牙に噛みつかれるかと思いきや――
突然、雨が止んだ。
灰色の雲が少しずつ開いていき、草原に陽光が差し込まれていく。
一度は見捨てたお天道様が、再びやってきてくれたのだ。
するとゴブリンは、よほど光が嫌いなのか、目を閉じて暴れ、アズルを放り投げた。
そして倒れたままの小さなゴブリン2匹を両手に担ぐと、どこか陰になる場所を求め、慌てて逃げて行ってしまうのであった……




