第18話「生きていた怪物」
アズルたち一行は、村の近くにまで帰ってきていた。
再び井戸のそばに座ったアズルは、大きく息を吐く。
「はぁ……。で? 結局、入れないんだっけ?」
「グランビットを倒したなら入れるって約束でしたけど……倒した証拠がないので困りますね……」
アズルが耳の一本でも持ち帰っていれば話は違ったはずだが、ここにいるのは、ノアとサラピと、ライミーと手負いのアズルだけ。
とてもじゃないが、グランビットを倒したという事実は到底信じてもらえないだろう。アズルだけが戦って、負けて、誰かが死ぬ前に引き返した——という印象。
アズルはノアを見上げ、軽く笑った。
「君は村に戻って寝てきなよ。わざわざ俺と野宿しなくても」
「……いや、あのっ……ごめんなさい。いろいろ私のせいで……」
「大丈夫だっぴよー。どうせノアと会わなくても、アズルは野宿してただろーし」
そう言って笑う彼らを、ノアは静かに見つめた。
たとえ彼らがどれだけ現状を軽々しく笑おうが、ノアの中で膨れる罪悪感は収まらない。
一緒に倒すと決めたのに、結局はアズルが討伐をしてしまった。自分はチビウサギたちを倒した以外、特に役立ったわけでもなく、アズルに相当の礼が返せない……
憂鬱な思いを抱えたまま、ノアはライミーと共に、黙って村の中へ戻って行った。
村の中は、波の音が聞こえるほど静まり返っている。
そんな中でのノアの足音は、恐ろしいほど単調に響いた。
腕の中を見つめると、ライミーはすやすやと寝息を立てている。
(すごいですね……アズルさん、グランビットを倒しちゃったって。本当はノアもちょっと、倒すのに協力したかったですけど。一緒にって……言ったんだし……)
一瞬、そんな思いが頭をよぎった。だが誰が倒したかより、グランビットが倒されたという事実が最善だ。彼女はすぐに首を振って考えを改める。
なぜだろうか。アズルも助かって、グランビットも倒せたのに……素直に喜べないのは。
(でも、このあとどうしましょう? アズルさんをどうやって村に入れるのか……あぁ、わからないです)
彼女は頭を抱え、その場に座り込んでしまった。
脳を限界までねじれば、無理やりな方法の一つや二つは出てくるだろう。彼女の思考を制限しているのは、整理できずに渦巻いている数多の感情だった。
(なんか、こう、ノアって……本当に、悩む必要のあることに悩んでいるのでしょうか?)
彼女の両親は、今日も明日も村にはいない。都会に出て、盛んな商売を営んでいるのだ。ノアが幼かった頃から、2人は殆ど彼女に構ってあげられなかった。
生まれつき強大な魔力を持っていた彼女だが、性格は支配的ではない。自分の力を謙遜して、自信がないばかり。狭い村で何年も生きていたはずなのに、彼女に心からの親友はできなかった。
ある日から、彼女は知った。
村の外には危険な魔物もいて、自分の魔法は、魔物を倒せる力を持っていることを。
それをおこなった方が親や大人には褒められるし、村は守られる。自分も強くなった気がした。
村の子どもたちはノアの魔力を嫌うようになったが、何も気にしなかった。自分が正解だと思っていたから。
自分が少しずつ、人間の子じゃなくなるような気がしても——気づかないふりをした。
(胸が苦しい……気のせいじゃない……)
こみ上げてくる気分の悪さが、幻覚ではないことに気づく。
家の前で、彼女は小さくうずくまってしまった。
一方で——
「りんご」
「ごま」
「まくら」
「ライミー」
「みかn……あっ」
「ぎゃははははははっ! 雑魚だっぴー!」
——村の外では、井戸の壁に寄りかかったまま言葉遊びをしているアズルたちがいた。
夜は刻々と過ぎていくが、興奮しすぎているのか、なかなか眠りにつけないのだ。
「サラピー、腕が痛い。ここ怪我したんだよな」
「えぇ? そんなこと言われても困るっぴよ。村に入れるまでは我慢すれば? それとも、オイラの炎で燃やして殺菌するっぴか?」
「いや、ちょっと遠慮しとく」
村の外で火事を起こすのは大問題なので、断っておいた。
アズルは静かに月を見上げた。
三日月の形をした光は、ゆっくりと、気が遠くなるような時間をかけ、東へと向かう。
そんな月をぼんやりと見つめながら、彼はため息をつく。
「寝たくねぇな……あの夢、見ててもあまりいい気分しないし」
「他の夢は見ないんだっぴ?」
「見ないんだよ。医者に見せてもどうにもならないんなら、やっぱり夢に出てきた翠勇っていうのを調べないとな」
あてもない旅はいつまで続いていくものなのかと、彼は考えていた。
ふと、彼は崖の方を見つめた。
相変わらず高い岩壁が並ぶ光景だ。その隙間を、チビウサギたちから逃げるために全力で逃げた記憶がよみがえる。
今思えば半ばスリル感があったものだと、危機感のない考えを浮かべていた時——
「……あ?」
視界に、白いものが薄らと映っている気がする。
白いかたまりが群れを成して、崖と崖の間を全力でこちらに——
「……サ」
「え?」
「サラピィ! あれ見ろおおおおおおおお!」
アズルは絶叫して立ち上がった。
一瞬、目に入る事態を疑うところだった。
倒したはずのグランビットが——狂ったような笑みを浮かべ、血を噴き出したまま、大勢のチビウサギたちを連れてきたのだ。
「オラアァ! チビども、村の奴らぶっ殺してやれぃ!」
グランビットは牙を見せつけて叫び、チビウサギたちは甲高い声を上げた。
その雄叫びを聞いて、アズルは背中が凍り付く感覚がした。
グランビットが生きていたこと自体が、とどめを刺しきれていなかったアズルの失敗だ。それなのに、このままでは村までもを巻き込むことになってしまう。
サラピが切羽詰まった様子でアズルを問い詰める。
「アズル、どういうことだっぴ!? なんで生きてるっぴよ!?」
「マジで……ごめん! 殺しきれてなかった!」
「ごめんで済まないっぴよおおおお! 馬鹿ぁ!!」
「ひとまず、村の人たちに急いで伝えねぇと!」
自分が倒し損ねた魔物が人の命を奪うなど、起こってはならない最悪の結果だ。
村に入る許可はもらっていないが、緊急事態である。
アズルはすぐさま体の向きを変え、村の入り口に向かって走っていった。
村の砂場でうずくまっていたノアは、ハッとして顔を上げる。
「今の——アズルさんの声?」
グランビットを殺しきれていなかったというのは聞き間違いだろうか。
ただ、声が聞こえたこと自体は空耳ではなかったらしい。窓の中が暗かった家から、眠っていた大人や子供たちが少しずつ外に出始めた。
「今、うるさい音が聞こえたような……」
「なに? 誰の声?」
「ノアはまだ起きてたのか。早く寝た方がいいぞ」
状況を理解できていない人々は、言いたいことを好き勝手に発する。
すると——
村の入り口から、激しく息をしながらアズルが入って来た。
彼は地面に転がりそうな勢いで立ち止まる。村人たちが口を開けて固まっている中、彼は、訪れる危機を伝えるために必死に叫んだ。
「聞いてくれ! ぐ、グランビットが来てる! この村にっ!」
それは、本能的な正義感からの訴えだった。
激しく喘ぎながら、彼は真剣な眼差しで周囲を見渡す。
だが、急に唐突な事実を言われたところで、秒で理解ができる者など存在しない。
村人たちは顔を見合わせた後、怪訝そうな目をアズルに向けた。
「……は?」
「グランビットが来てる……? 待って、どういうこと?」
「ノアが倒しに行くって……えっと、あれ?」
「ていうかお前、チビウサギかもって言われて、村から追い出されてたよな。もしかしてお前が呼んだとか!?」
話の内容が都合の悪い方向へ進展しそうになり、アズルは慌てて止めようとする。
今すぐ人々を非難させなければ、どれほどの犠牲が出るかはわからない。
「違うって! 話を聞いてくれ——」
「うわぁっ、見ろ! 村の外!」
男の1人が声を上げ、人々は一斉に振り返った。
もう村のすぐそばまで、白い毛の魔物の群れが迫ってきている。
実際に群れの姿を捉え、村人たちは初めて恐怖に襲われた。
「……きゃあああああっ!! 本当に来ているわ!」
「逃げろ、みんなぁ!!」
身勝手な村人たちは、急にパニックを引き起こす。己の命だけは守ろうと、彼らは競い合うように村の奥へと逃げていく。
騒ぎが大きくなり、格別に大きな家から、杖をついた村長が出てきた。
「うるさいわい! 何事じゃ!」
「村長! 魔物が村に迫ってるって!」
「なんじゃと!?」
村人からの報告を聞き、村長は青ざめた表情をした。
一方でノアは、逃げずによろよろと立ち上がっているだけだった。
騒音を聞いて眠りから目覚めたライミーは周囲の状況に焦り、ノアに逃げるよう促す。だが、彼女は動かなかった。
村の中心で必死に叫ぶアズルを見つめ、何かの思いにふけるように、黙って立ち尽くしている。
そして、群れの先頭にいるグランビットが村に入った瞬間——
「ああああああああああああああ!!」
「助けてええええええええ!!」
耳が裂けるような人々の悲鳴が、村中に響き渡った。




