第12話「少女の恩返し」
崖の壁にめり込むほど強く叩きつけられたアズルは、ぴよぴよと目を回していた。
「あひゃあぁ……?」
「ほら、さっさと起き上がって何があったのか確認するっぴよ」
辛辣なコメントを添えて、サラピが無傷で飛び上がる。小柄な彼は、壁に叩きつけられてもアズルほど強い衝撃を受けなかったのだ。
しばらく行動不能なアズルを放置し、サラピは岩の残骸が広がる場所へと戻る。
「まったく、誰があんな岩をぶち壊すような魔法を——あっ」
ふと目をやると、もともと岩があった場所に少女が立っているのが見えた。
こちらに背を向けた状態で、腕に抱えた何かを撫でているようだ。
背丈はアズルよりも頭二個分ほど小さい。おそらく、10歳前後の女の子だろう。
「まさか、あの子も今の爆発に巻き込まれたっぴ? おーい、大丈夫っぴかーっ!」
サラピが声をかけると、少女がようやく振り向いた。
その少女は、亜麻色の髪を二つのおさげに分けていた。長い前髪が瞳を覆い隠しているので、表情が口元からしか読み取れない。
ボロいワンピースを着ていて、その上から、サイズの合わないフードを被っている姿だった。
少女の腕には、先ほどアズルたちの前に現れたスライムが抱えられており、「ライムゥ~」と甘い鳴き声を上げている。
「え? なんでスライムがその子と……」
サラピがキョトンとした表情をすると、少女が冷静な声で言った。
「何か勘違いしてませんか?」
「は?」
「岩を壊したのはノアです」
そうつぶやき、少女は——腕輪のように手首にはまった、岩を壊したのと同じ魔法陣を見せつけたのだった。
「……うんっ……?」
ようやく、アズルが目を覚ました。
彼は揺れるように痛い頭を押さえ、よろよろと立ち上がる。確か、急に魔法陣が出てきて、岩が爆発して、吹き飛ばされて……
記憶をたどりながら、彼は無意識にサラピを捜す。すると少し離れたところから、賑やかな会話が聞こえてきた。
「なるほどーっ。さっきのはノアの魔法っぴねー」
「はい。威力の調整が下手なので、さっきは必要以上にやりすぎましたけど……。サラピさんが怪我していなくて、本当に良かったです」
(なんだ? 誰と誰が話してるんだ?)
アズルが早歩きで近づくと、割れた岩を椅子の代わりにして、サラピと少女が座っていた。少女のそばでくつろいでいたスライムが、アズルの存在に気が付く。
「スラッ!」
「どうしたの、ライミー?」
少女はスライムに声をかけると同時に、アズルに視線が移動した。そして、口元だけでもわかるくらいの無表情を浮かべて固まる。
風の吹く音が聞こえるほどの虚無の時間が流れていくので、アズルはだんだんと気まずさを覚えた。
「……えーと、君、大丈夫そう?」
「誰ですか? この汚いにーさん。不審者ですか?」
「はっ?」
「ノア、こいつはアズルっていって、オイラの相棒だっぴ」
「あっ、サラピさんの相棒ですか! 失礼しました!」
曇っていた少女の顔が明るくなり、おそらく笑顔でアズルを見上げた。
アズルはげんなりした顔で、何をどうすればいいかを理解できずにいる。
「ごめん、何もわかってないの、俺だけ?」
「アズル、お前が気絶している間にオイラとこの子で話していたっぴよ。この子はノアっていう名前だっぴ」
「初めまして、ノアです。このスライムは、ノアの友達のライミーです」
名前を呼ばれたスライム……ライミーは、「ラッ!」と元気よく返事をした。
先ほどの不審者とかいう問題発言は置いておき、ノアは悪い性格ではなさそうだ。
アズルは近くの岩に腰掛け、ノアに話しかける。
「この岩を壊したの、もしかして君なのか?」
「そうです。この、腕についている魔法陣でやったんです」
ノアは自身の腕をアズルとサラピに見せた。
彼女の両手首に、先ほど岩を砕いた魔法陣がはまっている。だが、岩を囲っていた時はおそらく直径五メートル近くはあったはずだ。今はまるでブレスレットのように、形は同じだが大きさが縮小されている。
「ノアは三原色の中で、雷属性を使えます。魔法陣はノアの魔法の源です。これのサイズを好きに変えて、電撃をバリバリ流せるんです。岩が邪魔だったので、ぶっ壊しちゃいました」
「あぁそゆことね……威力おかしいだろマジで」
自分の水魔法(排尿未満)と比較してしまうと、比較対象にすらならないが、ノアの岩をも破壊する魔力は底知れぬものであるように思えた。アズルと10歳近くも年齢が離れていそうだが、この歳で恐ろしい才能である。
「それはすみません、ノアも気にしてるんですが、威力の調整が下手なんです。ところで、ライミーがさっき、助けてくれた優しい方がいたと伝えに来てくれたのですが。もしかして、アズルさんですか?」
ノアの言葉に、アズルは一瞬だけポカンとした。
(助けてくれた……? あぁ、もしかして水のことか? ていうかこの子、スライムの言葉わかるんかい……)
スラ~とかライム~だとか言われても、何が言いたいのか理解できるわけがない。ノアの意思疎通能力は謎だが、ひとまず気にしないことにした。
「ライミーは水分不足になると、弱って動けなくなっちゃうんです。ノアが今日、水筒を持ってき忘れたので困っていました」
「あー。確かに俺、さっきこのスライムに水をあげたよ」
「それです! ライミーはアズルさんたちに祝福を与えろと言っています。ノアもアズルさんにお礼がしたいです。アズルさん、何を望みますか?」
「いや、俺は別に何も……」
アズルが苦笑いをして首を振った瞬間……
——彼の腹が、こらえきれなかった低い音を出した。
「!!!」
アズルは赤面し、慌てて腹を押さえるがもう遅い。
気が付けば、目の前の少女が意地悪な笑みを浮かべて笑っていた。
「あははっ! アズルさん、腹ペコだったんですか?」
「〰〰〰〰〰〰〰〰」
「そうだ!いいこと考えました」
ノアが何か思いついたように顔を上げると、笑顔ではしゃいだ。
「ノアが住んでいる村に、アズルさんを案内してあげるのです! 村の人は優しいので、美味しい食事を食べさせてくれるはず! それがお礼、どうですか?」
「うおおお、それは燃える! ノア、マジ!?」
「アズル……? お前、指名手配……」
サラピが冷めた目で見下ろしてきたので、アズルは慌ててノアに対し首を振った。
「いや、あのね? ちょっと一つ聞いていい? ……最近、変な盗賊の話題、その村に広まったりしてない?」
「……盗賊? いや……特にそのような情報はないですけど」
ノアは質問の意図がわかっておらず、首を傾げながら淡々と答えた。
アズルは宙を飛んでいるサラピを強引に掴んで胸ポケに戻し、ひそひそと小さな声で言う。
(サラピ、これは運がいいぞ! 村に案内してくれるみたいだ。それも、俺の噂が広まっていない村! 腹減ってたんだよなー! ついでにほら、あれ! 翠勇について何か知らないか、聞けるじゃん!)
(幸運かつ急すぎて、嫌な予感がするのはオイラだけっぴかね? 何かうまくいかない気がするっぴよ)
(大丈夫だって。何かあったら、サラミの鉄板頭脳で何とかなるだろ)
(ん……?)
一瞬だけ不愉快な感情が沸いたが、聞き間違いだとサラピは首を振った。
「おーい」と言われ、顔を上げると、お礼をしたくてうずうずしている少女とスライムの姿が映る。
「アズルさん、村に向かってもいいですか?」
「あぁ。案内頼む」
「りょーかいしました!」
ノアは満開の笑顔でうなずき、ステップを踏みながら細い道を歩き出した。
彼らは気づいていなかった。
複雑に割れた崖の隙間から——赤色の瞳がいくつも、アズルたちを見つめていたことに。




