第11話「スライムとアズル」
「もっ……申し訳ございません! ロリーゼさん! 盗賊を見失ってしまって……」
ライトシティは、混沌に陥っていた。
兵士たちの徹底的な捜索に人々は怯え、民家に逃げ込んでいる。
捕らえるべき対象を逃してしまった兵士たちは、依頼者である医者、ロリーゼに頭を下げていた。高度な魔法と医療を行えるロリーゼの権力は、街の中でも高位だ。
ここでの「盗賊」とは、アズルのことを指す。
もっとも、この兵士たちは盗賊という極悪人を必ずや捕らえるという純粋な正義感で動いているのだ。アズルに対しての悪意は微塵もない。
ただ、一週間前に王家の宝を盗んだという盗賊は姿を見せていない。盗賊がどんな容姿かわからない今、権力者ロリーゼの言う「アズル盗賊説」を信じるのは当然である。
すべてはロリーゼの思惑通りだ。
ロリーゼは落ち着いて首を振り、冷静に指示を出す。
「結構だよ。君たちはよくやってくれた。いきなりですまなかったね。朝に急に呼び出して、たった五分でやってきてくれる君たちは実に有能だよ」
「ありがとうございます。……こ、今後、どうしましょうか。私たちが盗賊の逃走を国王様に報告しましょうか?」
「いや、僕が直々に国王様に伝えておく。君たちは捜索網を広げて。発見次第拘束して、身柄は君たちの方で判断しておいてくれ。その際、必ず連絡を入れてくれよ」
そして彼は、低い声を出す。
「最悪——殺してしまっても構わない。処刑の手順がなくても、彼は王家の宝を盗んだ悪漢だ。王も許すだろう」
「……わかりました」
兵士のリーダーが短く返事をし、軍勢をまとめ、歩き去っていく。
一人、静かな街道に残されたロリーゼは、小さくつぶやいた。
「アズル……僕らの為に、死んでくれ」
そして少しだけ悲し気に——赤い液体の入った試験管を見つめたのだった。
一方、アズルとサラピはというと……
ライトシティより遥か南へ進み、なんとか広大な草原を抜けることには成功したのだが。
崖と崖の間に挟まった巨大な岩に、地味ないじめを受けていた。
「通れないじゃんかああああああああ!」
シンプルに邪魔だ。崖の下部分を歩いていたアズルは、高さ5メートル近くの巨大な岩に行く手を塞がれていた。今更引き返すとしても、一体何歩戻ればいいものか。
つまり、行き止まりというやつである。太陽はアズルを真上から照らしているが、それは希望ではなく絶望の存在を際立たせる皮肉だろう。
腹時計はただいま昼時を示しているが、周囲を見ても、ろくな植物も生物もない。朝から何も食べていないアズルは、泣きたい思いだった。
「うぅっ……最悪だ、昨日も腹減ってたよな。俺はいつどこだって、ひもじい思いをするさだめなのか」
「とりあえず、オイラのことを非常食とか言わないことは褒めてやるっぴ。——えーと? ここが通れない? オイラは鳥だから、余裕で通り越せるっぴよ。さっさと登れっぴ」
「はぁー!? 登れだぁ?」
アズルは試しに、岩のかたまりに手を置いてみた。
表面はザラザラしているが、形状が登るのに適していない。指をかける部分が全然見当たらず、登ろうとしても無様に滑り落ちるのは目に見えている。
「すまん、サラピ。無理だ。これを登るとか頭おかしい」
「世話が焼けるっぴねー! なら、今すぐ魔法で何とかするっぴ! 岩をぶっ壊すっぴよ!」
やけくそに叫んだサラピ。
しかしその瞬間、アズルの顔が蒼白になった。
「——魔法?」
「だからそう言ってるっぴ! ほら、アズルの属性は何? 炎、水、雷? この世に三原色の法則があるのだから、どれかしら持っているっぴよね?」
サラピの言葉に、アズルは視線を泳がせた。
そして目を逸らしたまま、なぜか自信のなさそうな声を出す。
今までアズルがサラピに、魔法についての話をしたことは一回もない。
「……一応、水の魔法を使えるけど」
「ほら、だったら水を出してみるっぴ。どれくらいの威力で水を出せるっぴよ?」
「……」
アズルはため息をつくと、片手をサッと出した。
——すると、僅かではあるが……気持ち程度の量の、澄んだ透明な水が、指先から出現して地面にボタボタと落ちた。
「あぁっ! 一度にはこれくらいが限界!」
「——は?」
サラピが、完全に失望した顔でアズルを見つめる。
「今のが……お前の持つ水の魔力っぴか? お〇っこぶっかけた方が威力あると思うっぴ」
「マジで黙れ! 俺のコンプレックスは一に魔力の低さ、二に方向音痴なんだよっ!」
そう——実はアズル、魔力も常人の平均と比べて著しく低いのだった。
彼の魔法の使い道といえば、自己防衛には全く役に立たないので、せいぜい疲れた時の水分補給。ミネラルの豊富さが、彼の魔法の唯一誇るべき点だ。
生まれつきの魔力が低いうえ、上がりもしない。これを人に言うのが恥ずかしくて、他人と魔法の話をするのがアズルは好きではなかった。なのでロリーゼと魔法の話題になったとき、彼は何も言わず黙っていたのだ。
「……ったく、剣術も魔力もこんなんじゃ、本当に生きてけないっぴよ……」
胸ポケから文句を言うサラピを無視し、アズルは周囲を見渡した。
このまま考えなしに立っていても仕方がない。途中で空腹による死を迎える格好悪い生き様を味わうかもしれないが、とにかく、来た道を戻ろうとアズルは決心した。
きびすを返し、再びあの草原へ向かい出す。
すると——
ぴちゃん……と、液体が跳ねるような音が、背後から聞こえた気がした。
「ん?」
アズルが思わず振り返ると、先ほど通れずに困っていた岩のそばに、見たことのない生物がいた。
サイズは足で蹴るボールほどしかないが、ぷよぷよとした、半透明の見た目だった。美しい海が固体と液体の中間で、丸い形状を保っているようだ。いわゆる、ゼリーみたいな体なのだ。
その表面に、大きくつぶらな瞳が二つある。だがそれは元気なく閉じられ、謎の生き物はかすれた奇声を上げている。
「スラァ……」
謎の生物の出現に、アズルは戸惑った。
「……え、なにあれ。魔物?」
「アズル……あれはスライムっぴよ」
「あっ! それなら俺でもわかるぞ。本で読んだことあるからな、この世で一番弱い魔物だって。へー、結構かわいいじゃん……」
アズルは誰も見ていないドヤ顔をしながらスライムを見つめたが……段々と、異変に気付き始めた。
「……なんかあのスライム、元気なくね?」
「アズルと同じで、腹でも減ってるんじゃないかっぴ?」
スライムは今にも溶けそうなほど、地面にべたりとくっついている。
寝そべっているのか何かはわからないが、あまり調子は良くなさそうだ。
少し考えたあと、アズルは瞳を光らして顔を上げた。
「そうだ、俺の魔法をあのスライムに初披露だ」
「お前、さっきのショボい魔法でスライム倒すつもりだっぴ?」
「違う。倒すなんて言ってないだろ。水を飲ませてやるんだ。弱ってるっぽいからな」
アズルは警戒しながらにじりよる。スライムは近づくアズルに気づいておらず、潰れた袋みたいな姿をしているままだ。
姿勢を低くしているアズルを見下ろしながら、サラピは目を細めた。
「助けてどうするっぴか? スライム、生きたまま捕まえたら薬品の材料として売れるっぴよ」
「お金はないけど、わざわざ弱ってるスライムなんか売らねぇよ。普通に自然にかえす。生き物に水をあげるのは、田舎でよくやってたから慣れてんだ。さすがにスライムは初めてだけど」
「優しい奴っぴね」
アズルは手を器のような形にして差し出し、中に魔法で水を生む。
反射して輝く水を出され、スライムはそっと顔を上げた。
「スラ……?」
「ほら、水。元気出るぞ! たぶん」
「……スラアアッ!」
スライムは急に顔を上げると、弱々しい様子はどこかへ消え、アズルの手に飛び掛かる。
そして彼の手の中にある水を一瞬にして飲み干した。アズルは、ひんやりとしたゼリーを触ったような感覚に驚いている。
「冷たっ! わ、水を飲み切ったこいつ」
「スラッ! ライムゥ~」
「元気になった……のか? なったっぽいな? そりゃ良かった」
スライムは、好奇心に満ちるような、輝く瞳をぱちくりさせている。飛び出た突起を手のように動かし、スライムはばんざいをした。
歯のない口を大きく開き、スライムは笑顔で声を上げている。
「ラーミィ! ミミラー!」
意思疎通ができているのかは謎だが、スライムはどうやら、アズルに感謝をしているようだ。それっぽい動きをしている。
くねくねと奇妙な動作をしたあと——通せんぼをしている巨大な岩の隙間を軽々とすり抜け、アズルたちが行きたい逆側へと消えてしまった。
「あー! ずるい、通り抜けやがった! 俺にも今だけゼリーの体になれたらな」
「アズルもああいう動きができたら便利っぴよね。三大亜種族のシーマンだったらできると思うけど」
「くそっ……もういい、スライムは元気になってどっか行ったし、俺たちは別の道を探そう」
改めて、きびすを返して草原へ戻ろうとするアズルとサラピ。
すると今度は、ぴちゃん……という音ではなく、ビリビリと、弾ける稲妻のような音が聞こえた。
「今度はなんだよ!?」
「アズル……これはマジでやばいかもっぴ!」
サラピが珍しく悲鳴を上げたので、アズルも慌てて振り返る。
一瞬、昼間なのに周囲が夜になったような錯覚を感じた。
それほど、目の前で起こっている現象が明るすぎたのだ。
見上げるような大きさだった、邪魔な岩のかたまり。その岩を——さらに巨大な黄金の魔法陣が囲っているのだ。
魔法陣はフラフープのような円を描き、岩を包んで回転している。
そのまま眩い光を放ち、今にも何かを起こしそうな魔法陣を見つめ、アズルとサラピは驚きと恐怖で固まった。
「な、なななんだよあれ!?」
「さっきのスライムのしわざ!? んなわけないっぴよね!?」
「誰の魔法!?」
さほど遠くはない場所に、魔法陣を操っている人や魔物がいるはずだ。
しかし周囲を見渡している間に、その魔法陣に変化が起きた。
——大量の電撃を、瞬間的に放ち始めたのだ。
黄色と白色、そして青色が混ざったプラズマを、雷のごとく流す魔法陣は、バチバチと激しい音を立てている。
少しずつ勢いを増している電気は、固い岩を貫き始めた。岩に僅かな亀裂が入ったのを目撃したアズルは、どうしようもなく悪い予感にさらされる。
「アズル、やばいっぴ! 離れろっぴ——!」
「ちょっ——」
次の瞬間、巨大な岩が粉々に砕け散った。
破片が四方八方に飛び散り、衝撃波に巻き込まれたアズルとサラピは、豪快に吹っ飛ばされた。
「うわああああああああああああ!」
「あんぎゃああああああああああああああ!」
砂ぼこりに呑まれながら、1人と1匹は宙を飛び、崖の壁に受け身も取れず激突したのだった。
「うわー……少し、強くやりすぎたかもです。岩が粉々になっちゃいました。で、どこですか? ライミーを助けてくれた親切な方は」
激しく舞う砂ぼこりの中から、悠々と歩きながら現れたのは——
先ほどのスライムを両腕に抱えた、フード姿の少女だった。




