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青二才のアズル  作者: 紫煌 みこと
第1章「青年と小鳥の旅立ち」
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第10話「旅立ちを交わす」

 まさかのこんな場面で、亜種族グラスマンの女性と再会。いろんな意味での驚きで、アズルは屋根の上であたふたする。

 しかしのんびり話している時間はない。じきにここにも、兵士たちが押し寄せてくるはずだ。


「何か困っているのね? 顔に出ているわよ」

「えっと、その——」


 優しく質問をしてくる女性だが、こんな状況をうまく言語化できる自信がない。

 何を言えばいいのかわからなくなっているアズルを見て、女性は艶っぽく笑う。


「ウフフ、屋根の上に登ったまではいいけれど、下りられなくなっている坊やかしら? 悪い子ね、助けてあげましょう」


 そう言うと、女性は腕を高らかに上げる。

 すると、指先の植物のツタが瞬時に伸び、アズルの胴に優しく巻き付いた。

 アズルは目を丸くしたまま、女性の行動に身を委ねてしまっている。そのまま女性は赤子を扱うように、丁寧にアズルを地上に下ろした。


 地面に足がつき、下ろされたという事実に、アズルは少し遅れてから気づいた。


「……え? わ、あ、ありがとうございます」

「お礼は結構よ。あなたと初めて会った時から思ってたもの。すごーく、事件に巻き込まれそうな顔ーって」

「あはは……」


 まさに的確な予想だ。実際に、それは現在進行形で的中している。アズルは首をすくめて苦笑した。


 すると、一時的に消えていた兵士たちの声が聞こえてくる。

 女性は声の方に目をやり、再びアズルを見つめた。


「もしかしてあれ、あなたを追いかけてきているの?」

「な……なんでわかったんですか」

「なんとなく。だとしたら、この道をまっすぐ行って、草原の方に逃げたほうがいいわ。兵士たちは、私が適当に誤魔化しとくから。もうこの街には来ないほうがいいわよ」


 自らアズルの味方をしてくれる女性。兵士たちを堂々と敵に回すつもりだ。

 それを平然とした表情でなそうとしている女性に、アズルは心底驚いた顔を浮かべた。


「い、いいんですか!? それに……なぜ、あなたは俺を警戒しないんですか?」

「わかってるわよ、あなた、何も悪いことをしていないのに追われているでしょ? 世の中も理不尽なものね」

「でも……俺の味方をするとあなたは……」

「大丈夫よ。少なくとも、あなたよりは長生きしている。自分の身は自分で守れますよ。さ、早く行きなさい」


 女性は意味深に笑い、道の奥を指さす。


「ほ、本当にありがとうございました!」


 アズルは今伝えられる最大の感謝を口にし、残る体力で道を全力疾走していった。





 都会から抜け出し、何度か休憩しながらも、1時間ほど必死に走った。

 1人と1匹は結局、都会に来るまでに歩いた、互いが出会った草原へと戻ってきてしまった。


「ここまで逃げれば、ひとまず大丈夫っぴよ……」


 いつの間にか胸ポケに戻っていたサラピが、安堵の息を漏らす。

 そしてポケットから飛び出し、下を向くアズルを見つめた。

 ——アズルは、草原にうずくまって俯いている。

 かつて出会ったときも見たような光景だ。だが、決定的に違うところがあった。

 抱えている絶望の深さだ。


「……」


 サラピは少し躊躇してから、アズルに声をかけた。


「す、すごく、大変だったっぴね……」

「……」

「これから……どうするっぴ? 故郷……帰る?」

「……無理だろうな、たぶん」


 低い声でのつぶやきだった。

 あんなに大勢の兵士たちを振り切って逃げてきたのだ。誤解なんて勝手に解けることはない。普通に考えて、犯人が逃げれば当然、このままアズルは指名手配されるだろう。

 だとすれば、故郷に帰ったらそれこそ迷惑をかける。

 アズルに残された居場所はもうないのだ。


 確かにアズルが言った通り、今日の朝で「すべてが終わった」。

 平凡で安泰な日々が、すべて失われた、という意味だ。


「……」


 気まずくなり、サラピも目を伏せた。


 しらばく沈黙が続く。

 草原には、冷たい風が吹いている。真昼の太陽は雲に隠れたままだ。

 ————————。


 今、この無力な青年の心境は、どれほど色褪せ、かすんでいることだろう。

 胸が締め付けられる。サラピは、最善の対応を必死に考えた。

 何を彼に話そう。そもそも話しかけていい状況なのか。放っておくべきなのだろうか。


(さすがに……あんな目に遭っちゃあ、立ち直るのは無理っぴよね。オイラもよくわかんなかったけど、まぁ、ここまでの出来事は、こいつの運命だったってことで)


 サラピは小さく吐息を出すと、アズルに背を向けて少しずつ歩いていく。


(これ以上、オイラが軽々しいノリで話しかけても無意味だっぴ。ここはひとつ、オイラが身を引くべきっぴか。あーぁ、せっかく面白い奴だと思っていたのに……少し、振り回しすぎちゃったかもしれないっぴね。オイラも反省すべきだっぴ)


 いくら人の言葉を話すとはいえ、サラピは魔物。共感性は人より劣る。アズルを見捨てるということが、今できる彼なりの気遣いだった。


 サラピは歩みを進める。少しずつ、1人と1匹の間が開いていく。

 昨日に決めた絆は、こうも脆く、一瞬で崩れ去り、二度と戻ることはないのか——





「戻れないなら——前に進むしかねぇだろっ!」


 不意に、大きな声が聞こえ、サラピは飛び上がりそうになった。

 ——聞いたことのない、抱えているもの全てを、咆哮と共に吐き出す叫びだ。

 振り返れば、アズルが立ち上がり、肩に力を入れて声を荒げていた。


 だが、その声に込められた感情は——矛先を見失った怒りでも、悲しみでもない。

 彼は今、勇気を言葉に変えて、恐怖を乗り越えようとしているのだ。


「ここで諦めたって、他に何するんだよ。さっき逃げてきたのは、もっと生きたいと思ったからだろ。このまま、裏切られたまま、何もわからないまま、終わりたくなかったからだろっ!」


 自分に言い聞かせるように叫ぶと、アズルは顔を上げた。

 風が舞い、彼の青髪が揺らめく。そのまま、アズルは緑の瞳をサラピに向けた。


「翠勇っていうのが何かもわからない……でも、夢が! 何日も続いていた夢が! ついに言葉にしたのがそれなんだ。絶対、意味があると思う。ロリーゼさんだって、俺の夢を共有した次の日に、濡れ衣を着せてきたんだし……だから、翠勇を捜す道以外、俺にはない!」


 そう決定づけるように、アズルは言い放った。

 しばらく黙り込み、乱れた呼吸を直した後——彼は、表情を和らげる。





「それにさ……正直に言っちまうと……昨日が、少し、っていうか、めちゃくちゃ楽しかったんだ」


 強風が過ぎ、柔らかな風が吹き始める。


 その言葉が、サラピにとって一番衝撃的だった。

 てっきり、アズル自身は自分の不幸に呆れ、夢を治すことに、生きることに精一杯で、楽しさなど少しも感じていないのではと思っていたから。

 琥珀色の瞳を丸く開き、サラピは固まっている。

 アズルははにかんだ表情を浮かべ、自分の頭を撫でた。


「そりゃ、大変なことの方が多かったけど……知らなかった世界を知れて、すごく感動した。魔物もいてびっくりしたし、植物の人? も、不思議な感じだった。ロリーゼさん……って、あの人は最悪だけど……すごい魔法を持っている人もいるって知った。外って、こんなにも広いんだなぁって。きっと世界を旅したら、もっといろんなことに出会えると思ったんだ。そうしたら、なんだろうな……今まで湧かなかった想い、もっと旅をしてみたいって気持ちになった」


 魔法に魔物。そして異種族、まだ知らぬ未知の存在。この世に用意された素晴らしき存在を知らずして生きるのは惜しい。

 アズルは息を吸い、そして、言葉にする。


「……さっきの言葉、ひとつだけ言い直すよ。翠勇を捜す以外の道だって、探せばあるかもしれない。でも俺は自分で、その道を選んだことにする。自分でちゃんと、真実を確かめたいからだ。……俺は、翠勇を捜す『旅』に、出ることにする」



 世間知らずで、ろくに戦えず、経験も乏しい——彼はまだ、青二才だけれど。

 勇気を出し切り、旅立ちをここに決意した。





 サラピは心底驚いていた。

 ここまで確固たる決意の表現は、アズルらしくないと思ったからだ。

 それと同時に、アズルが言うからこそ、言葉の重みが違ってくるような気もする。

 矛盾した考えの発生に、サラピは戸惑ってしまった。


 アズルは頬を指でかいたあと、まっすぐな視線をサラピに向ける。その顔は赤く染まっていたが、やがて彼は決心したようだ。

 片手をグーに、サラピの前へ出す。


「……えっと……今更だけど……ここはちゃんと、俺から言わないと。俺はこんな風に、問題が多い奴だと思うから、まだまだ迷惑をかけると思うんだよね。だから、俺から頼む。……俺に、ついてきてくれないか」



 その瞬間、風が止まった。




 サラピは思う。

 アズルは元から面白い奴だった。

 でもそれは、方向音痴だったり、弱かったり情けなかったり。不格好さからくる面白さだったが……

 今は違う。希望に満ちた真の面白さが、手の届く位置で輝いている。


 サラピの返答はもちろん、1つだ。


「もちろんだっぴーぃっ!」


 片翼を前に出し、アズルの手を正面から叩いた。


 拳と翼が交差し、互いの決意が交わった。

 雲に隠れていた太陽が顔を出し、彼らの勇姿を天から照らす。


 彼らの物語——本当の物語が、ここからついに、幕を開けることになる。





 壮大な覚悟を決めたからといって——

急に力が覚醒したりだとか、魔法が最強になるだとか、そんな奇跡が起こることはない。

 現に、おそらく今後指名手配されるであろうアズルは、今のところ絶望のど真ん中にいる。


「アズル、そっちは西だっぴ! そのまま行くと街に戻っちゃうっぴ~!」

「うぉぉ、そうなのか!? じゃあ、こっちとか? 行けば大丈夫か?」

「もう……さっきあんなにカッコつけたセリフ言って、このザマはダサすぎるっぴよ!」

「うるせ——!」


 放っておいたら自爆しかねないアズルを、サラピは慌てて止める。


「とにかく次! どこ行くっぴよ!?」

「とりあえずだな……適当! あっち! 片っ端から翠勇について聞き出す!」

「無計画すぎるっぴよおおおおおお!」


 草原を走り出したアズルを、サラピは小さな翼で必死に追いかけた。




 昨日の太陽が、今日のアズルたちをキラキラと照らしているが——

 彼らが一人前になるのは、まだまだ先のことになりそうだ。

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