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青二才のアズル  作者: 紫煌 みこと
プロローグ
1/14

「忘れられた希望」(読み飛ばし可)

プロローグは読まずにとばすことが可能です。


第1話からの本編に支障は出ません。

ただ、プロローグの内容を理解しておくと、後々の物語に深みが出ると思います。


 これは遥かな時を超えた、何百年も前の――

 もう、人々の記憶には届くことのない話である。





 世界の期待を背負った若い男は、フードを深く被り、歪んだ地面を震える足取りで進んでいた。


 ここは闇よりも暗く、世界より広い、深淵の最果て。

 黒い岩山に囲まれた地形は不安定で、踏み外せば暗黒へと堕ちる。細い道なき道の先に、独特な文明で築き上げられた塔がいくつもあった。血を再現したかのような塗装や、生物の死骸を壁に彫った模様。

 ……漂う死臭すらも心地よい、異常地帯である。


「…………」


 男は顔をしかめて首を振ると、まるで階段のように重ねられた岩の上を進む。

 不規則な足音と、男の生命の鼓動だけがこの世界に響く。あくまで冷静を取り繕っている男も、高鳴る心音と激しい呼吸を繰り返し、乱れた心境の中にいた。


 男は急に、真っ暗な世界へ迷い込んでしまったのだ。


 それでも、前に進む以外の道は男に残されていなかった。

 深く深呼吸をし、男は冷たい階段をのぼりきる。

 視界に広がるのは、長々とした山だ。その隙間をかいくぐるように、男はゆっくりと歩いた。


(落ち着け、俺……。どこかに出口があるはずだ。きっと……)


 男は自身を奮い立たせるように、そう思い込む。




 やがて、最奥の地へたどり着いた。

 山の隙間から漏れる光に吸い寄せられるように、男は岩陰から近づく。

 この先には何が待っているのだろう。

 それが救いとなるのか絶望となるのか――男は淡い期待を抱え、慎重に覗いた。

 そして――


「……っ!?」


 男は驚愕し、叫び声を無理やり押し殺した。


 開けた空間には、今まで見かけたものとは比にならないような、巨大な塔が建っていたのだ。装飾も最大限使われており、何の生き物かわからないような太い骨が壁に飾られている。


 その場所に集うのは、異形の形をした不気味な生命体だった。人間と大して変わらない背丈だ。アメジストのような瞳を鋭く光らせ、触角や魚のようなヒレを持つ彼らは、ある種の神秘性を秘めていたが、小枝のように繊細な腕を掲げる彼らの姿は無機質でいびつだった。


 両手を掲げ、塔を囲む生命体の群れ。

 彼らはこの世界の先住民なのか?

 男は疑問と恐怖に駆られ、心臓に食い込むほど指で胸を強く押さえる。

 彼らは何をしているのか。

 その様子を確認しようと、男はもう少しだけ体を乗り出した。


 ――破滅の時だ。終わりが近づいている。


 不気味な声が一瞬だけ脳をよぎり、男は思わず頭を押さえた。

 それは聞き間違いなどではなく、彼らの、生命体たちの狂気的な信仰だ。


 彼らは秩序に利口だ。乱れることなく、整理された権力だけを貪欲に求めている。


 ――喜ぶのだ。まもなく完成の時だ。


 今、彼らが崇めているのは、透き通った巨大な球体。塔の中で器に乗せられるようにして祀られており、その大きさはなんと、一軒家を押しつぶしてしまいそうなほどだ。

 透明だが、内側が濁るように、紫色の霞が詰まっている。これこそ、彼らが求める「完成」に必要な資源の1つである。


 しかし、まだ満ちていない。この球体が完全に紫紺に染まるまで、彼らの願望が叶うことはない。


 誰にも知られぬ暗黒の中で、彼らは時を待ちわびているのだ。


「……なんだ、ここは……」


 男は戦慄に顔を浮かべていた。

 見てはいけないものを見てしまっている危機感は、未だに彼の背後に迫っている。

 それでも彼の好奇心は、彼を踏みとどませることを許さなかった。

 紫に染まりゆく球体をよく見ようと、体をさらに岩の隙間から乗り出す。


 その行為が仇となった。


「……がはっ……!?」


 男は不意に、激しい痙攣を起こしてその場に膝をついた。

 感じたことのない力に蝕まれ、体が芯から痺れるようだ。

 そのまま立ち上がることはできず、男は前のめりに倒れてしまった。


 ぼんやりとした視界で前を見ると、異形の生命体たちが、信仰を中断してこちらへ歩み寄ってきている。

 ――あぁ、前に出すぎて気づかれてしまったか。

 自虐的に笑い、男の思考はそこで途切れた。





 男はピクリとも動かない。

 意識を手放した男を、生命体たちは静かに見下ろしていた。その瞳には明らかな嘲笑が宿っている。

 やがて、光の届かない闇の奥から、威厳のこもった低い声が聞こえてきた。


「その男を捕らえたまえ。何か、利用価値があるかもしれないからね」


 生命体たちは小さく頷く。しかしすぐに、闇の奥の声は「あぁそうだ」と言葉を続けた。


「彼の存在を『光』から消してくれ。――そうすれば、誰もがその男を忘れる」


 生命体は従順に、その指示を聞き入れた。倒れた男を複数名で抱え、どこかへ運び去っていく。そのひとつひとつの動作が、無機質そのものだった。

 残った彼らは、まるで何事も起こらなかったかのように塔の周りへ戻った。そして再び両手を上げ、彼らは死の詩を奏で出す。


 ――もうすぐだ。もうすぐで、すべての準備が整う。


 発狂し、彼らの笑いが地の底に響く。


 ――喜べ。まもなく、我々の時代が始まる。


 彼らは笑う。顔には出さず体で笑う。神経が狂喜の声を上げている。

 世界の希望は、男の損失で完全に途絶えたのだ。

 彼の存在は光の世界から忘却の彼方へと消え失せた。

 男を思い出す者は、地上にはもういないだろう。


 笑って、笑って、逆さまな嗤い声を上げ――

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