第18章:霧島の介入と“抜け道” ~大人の政治と少女の耳~ 18-1:政治という名の暴力
その日の夜。 臨時休業の札がかけられた『浅河』の店内は、お通夜のように静まり返っていた。
破壊された壁にはブルーシートが張られ、隙間風がヒューヒューと吹き込んでいる。 俺は、怪我の手当てをしながら、向かいに座る詩織を見ていた。 彼女は、冷めたお茶を前に、またしても彫像のように固まっていた。
「……ごめん、愁さん。私のせいで、お店まで……」 「気にするなよ。……悪いのは全部、あいつらだ」
俺は強がってみせたが、内心は八方塞がりだった。 店は壊され、修繕しようにも、風水師がいる限り工事は続く。 かといって反撃しようとすれば、詩織の母親の命が危ない。 完全なる「詰み(チェックメイト)」だ。
カツ、カツ、カツ。
不意に、裏口から硬質な足音が響いた。 鍵はかけていたはずだ。だが、その男にとって鍵など無意味らしい。 紫煙の香りとともに現れたのは、この絶望的な状況に一番似合わない男――霧島だった。
「ひどい有様だな。……負け犬の顔をしているぞ、貴様ら」
霧島は、破壊された壁を一瞥し、鼻で笑った。
「き、霧島さん……! どうしてここに……」 「部下の管理も上司の仕事だ。……状況は把握している。母親を人質に取られ、手も足も出ないといったところか」
俺は悔しさに唇を噛み、頷いた。
「卑怯なんです、あいつら……! 病院ごと買収して、母親の命を盾にして……!」 「だから何だ?」
霧島は冷たく言い放った。
「相手は営利企業だ。使える手札を使うのは当然だろう。……甘えるな」
その言葉に、詩織がビクリと震え、さらに小さくなる。 俺はカッとなって立ち上がろうとした。
「あんたに何が分かるんだ! 母親の命がかかってるんだぞ! 俺たちにどうしろって――」
「――黙って見ていろ」
霧島は俺の言葉を遮ると、内ポケットからスマートフォンを取り出した。 そして、短縮ダイヤルを一つ押し、耳に当てた。 相手が出るまで、ワンコールもかからなかった。
「……ああ、私だ。夜分にすまないな、局長」
局長? 霧島は、親しげに、しかし有無を言わせぬ圧力を込めて話し始めた。
「例の件だ。……ああ、グラン・アーバン・グループが買収した『東都メディカルセンター』。あそこに、今すぐ監査を入れろ」
俺と詩織は顔を見合わせた。 監査?
「理由は適当でいい。『医療法違反の疑い』……いや、『特定患者への不正な延命措置および人権侵害の懸念あり』とでもしておけ。……ああ、即時だ。マスコミにもリークして構わん」
電話の向こうの相手――おそらく「厚生労働省」の高級官僚であろう人物に、霧島は淡々と、しかし恐ろしい指示を飛ばしていく。
「それとな、釘を刺しておけ。『もし、監査中に患者が一人でも不審死した場合……即座に病院の認可を取り消す』とな」
「……ッ!?」
詩織が弾かれたように顔を上げた。
「……ああ、頼んだぞ。……貸しにしておく」
ピッ。 通話終了の音が、店内に響いた。 霧島は、何事もなかったかのようにスマホをしまい、呆然とする俺たちを見下ろした。
「……き、霧島さん。今のは……」
「簡単な『政治』の話だ」
霧島は、葉巻の煙を天井に吐き出した。
「奴らは暴力団ではない。上場企業だ。……病院経営において、『認可取り消し』は何よりも恐ろしい死刑宣告になる。数十億の投資が一瞬でゴミになるからな」
霧島は、詩織に向かって指を差した。
「いいか。奴らにとって、お前の母親は『人質』という資産だ。……だが、今この瞬間から、その資産は『死なせたら会社が潰れる爆弾』に変わった」
「あ……」
詩織の瞳に、理解の光が宿る。 人質を殺せば、即座に病院が潰れ、グラン・アーバン本体にも捜査の手が及ぶ。 つまり、奴らはもう、脅し文句だった「生命維持装置の電源を切る」という行為ができなくなったのだ。 自分たちの利益を守るために。
「か、母さんは……殺されないんですか……?」 「救出まではできんがな。……少なくとも、向こうも迂闊には手出しできん状況は作った」
霧島はニヤリと笑った。
「時間は稼いだ。……人質が惜しければ、向こうも今の状況を維持するしかない」
俺は、背筋がゾクリとするのを感じた。 呪術でも、暴力でもない。 「法律」と「金」という、大人のルールを使った暴力。 この男は、電話一本で、あの神宮寺麗華の手札を封じてみせたのだ。
(……へッ。相変わらずエゲツねえ男だぜ) 玄さんも、半ば呆れ、半ば感心したように唸る。 (だが、これで“鎖”は外れたな)
「愁。そして詩織」
霧島は、踵を返しながら、背中越しに言った。
「私が稼げるのは時間だけだ。……今のうちに、目の前の敵を叩け。あの鬱陶しい工事現場を黙らせてこい」
俺は、拳を握りしめた。 力が戻ってくる。 手足の自由を奪っていた「恐怖」が、霧島さんの一手で粉砕されたんだ。
「……はい!」
詩織が立ち上がった。 その目からは、迷いが消えていた。
「行こう、愁さん。……私たちの“家”を守りに!」
大人の政治が切り開いた、反撃の活路。 俺たちは再び、あの重機が唸る戦場へと向き直った。




