16-3:人質という名の“転院”
街頭ビジョンの映像が消えても、浅草の街には不穏な空気がへばりついていた。
俺と詩織は、無機質な広告に戻った画面を睨みつけたまま、動けずにいた。
「……許さない。絶対に、あんな計画は止めさせる」
詩織が、ギリリとスマートフォンを握りしめる。
その指先が白くなるほど、彼女の怒りは頂点に達していた。
俺も同じだ。
玄さんの寝床を奪い、あまつさえ「天領会」という因縁の相手と手を組んだ。
これはもう、全面戦争だ。
「行くぞ、詩織ちゃん。まずは霧島さんに連絡して――」
俺がそう言いかけた、その時だった。
プルルルルル……!
詩織の手の中で、スマートフォンがけたたましく鳴り響いた。
俺と詩織は顔を見合わせた。
霧島さんからか? それとも病院からか?
詩織が画面を確認する。
そこには、「非通知設定」の文字。
嫌な予感が背筋を駆け抜ける。
「……はい」
詩織が警戒しながら通話ボタンを押した。
スピーカー越しに漏れ聞こえてきたのは、たった今、街頭ビジョンで聞いたばかりの、あの「冷徹な声」だった。
『――ご機嫌よう、神楽坂詩織さん』
「……ッ!?」
詩織が息を呑む。俺も思わず身構えた。
間違いようがない。
グラン・アーバンCEO、神宮寺麗華だ。
「どうして、私の番号を……!」
『ふふっ。浅草再開発のパートナー候補の連絡先くらい、把握していて当然でしょう?』
電話の向こうで、氷が触れ合うような涼やかな笑い声が響く。
詩織は震える声で、しかし気丈に叫んだ。
「誰がパートナーですか! ふざけないで! 貴女たちの計画なんて、私が……私たちが絶対に阻止します! 土地は売りません! 法的手段だって辞さない覚悟です!」
詩織の宣戦布告。
だが、麗華は動じるどころか、まるで駄々をこねる子供をあやすように、優しく、そして残酷に言葉を継いだ。
『勇ましいこと。……でも、貴女にそんな暇がおありになって?』
「……え?」
『お母様のことですわ』
ドクン。
詩織の心臓が跳ね上がる音が、隣にいる俺にも聞こえた気がした。
『意識不明のお母様……神楽坂百合子さん。郊外の「東都霊的総合病院」に入院中でしたわよね?』
「なっ……! 母に、何をしたんですか!」
『いいえ、何も。ただ……あそこは少々、設備が古うございましょ?』
麗華の声色が、スッとビジネスライクなものに変わった。
『ですから、わたくしどもの慈悲で、転院させて差し上げましたの。……グラン・アーバン・グループが先ほど買収いたしました、都内最高級のメディカルセンターへ』
「ば、買収……!?」
俺は愕然とした。
病院を? 一つの企業が、病院ごと買い取っただと?
詩織の母親が入院している病院は、霊的治療ができる特殊な施設だ。そこを狙い撃ちで買収したというのか!
『最上階のVIPルームをご用意いたしましたわ。最新鋭の霊的セキュリティと、屈強なガードマン。まるで“要塞”のように堅牢で……一度入ったら、私の許可なくハエ一匹出られない……素敵な病室です』
それは、丁寧な言葉で飾られた、完全なる「人質宣言」だった。
「卑怯な……!」
詩織の顔から、血の気が引いていく。
『あら、人聞きが悪いですわね。これはビジネスです。……さて、神楽坂さん。貴女は賢い方だ。今後の振る舞いは、よく理解できていて?』
麗華の声が、さらに低く、甘く、毒を含んだものになる。
『もし、私たちの崇高なプロジェクトに、これ以上“ノイズ”が入るようでしたら……』
一瞬の沈黙。
それが、何よりも恐ろしい脅迫だった。
『生命維持装置の電源を……うっかり、落としてしまうかもしれませんわよ?』
「ッ!!」
プツン、ツーツー……。
一方的に、通話は切られた。
電子音だけが、仲見世通りの雑踏の中に虚しく響く。
「あ……ぁ……」
カラン。
詩織の手から、スマホが滑り落ち、石畳に乾いた音を立てた。
「詩織ちゃん!」
俺は咄嗟に彼女を支えた。
だが、彼女の足にはもう力が入っていなかった。
糸が切れた人形のように、俺の腕の中で崩れ落ちる。
「お母さんが……人質に……」
震える唇から、絶望の言葉が漏れる。
俺たちが手にした「ボーナス(戦費)」。
俺たちが誓った「土地の買い戻し」。
そして、俺の中にいる「鬼神の力」。
それら全てが、この瞬間、無意味になった。
どんなに金があっても、どんなに力が強くても。
「母親の命」という、たった一つの弱点を握られただけで、俺たちは指一本動かせなくなってしまったのだ。
(……クソッ!)
俺は、詩織を抱きかかえたまま、歯噛みした。
玄さんも、脳内で悔しげに唸っている。
(大手町のテロリストとは格が違げえ……。真正面から殴り合う前に、俺たちの手足を捥ぎに来やがった!)
これが、「経済力」と「組織力」を持った敵のやり方か。
スクラップ&ビルドの女王、神宮寺麗華。
彼女は、俺たちの心ごと、スクラップにするつもりだ。
「愁さん……どうしよう……私、どうすれば……」
詩織が、縋るように俺の服を掴む。
その瞳からは、戦意が消え失せ、ただの怯える少女の色だけが残っていた。
俺は、かける言葉が見つからなかった。
ただ、見上げることしかできない。
街頭ビジョンに映る、「ネオ・エド・タワー」の完成予想図を。
それはまるで、俺たちをあざ笑うかのように、夕暮れの空に黒い影を落としていた。
浅草奪還。
その戦いは、始まる前から「詰み(チェックメイト)」をかけられていたのだ。




