第2部(浅草奪還編) 第16章 ~スクラップ&ビルドの女王~ 16-1:崩れる日常と緊急会見
大手町テロ事件から一週間。
季節は初夏を迎えようとしていた。
東京屈指の観光地、浅草。
その象徴である雷門から続く仲見世通りは、今日も今日とて観光客の熱気でごった返していた。
揚げ饅頭の甘い香り。人力車の威勢のいい呼び込み。多国籍な言語が飛び交う喧騒。
それは、俺――浅河愁が生まれ育ち、愛してやまない「日常」の風景だ。
「……人が多いな、やっぱり」
俺は、人混みを避けながら、隣を歩く相棒に声をかけた。
「大丈夫か? 詩織ちゃん。まだ体調、万全じゃないだろ」
「平気です。これくらいの人混みなら、もう酔いません」
隣を歩く神楽坂詩織は、以前よりも少しだけ大人びた表情で前を見据えていた。
その手には、しっかりとスマートフォンが握られている。
画面に表示されているのは、観光マップではない。複雑な数字が羅列された、裏帳簿のようなデータファイルだ。
「それより、愁さん。今後の『資金運用』についてですが」
彼女の声は、周囲の喧騒を切り裂くように冷静だった。
「霧島さんから頂いたボーナスと、私の手持ち……合わせて、この『戦費』をどう使うか。それが問題です」
「ああ。まずは敵の資金源を洗う、だったか?」
「はい。私の実家を奪った不動産会社『グラン・アーバン』。奴らが土地を買い占めるために使っている資金ルートを特定し、そこに楔を打ち込みます」
詩織の瞳には、静かな、しかし消えることのない復讐の炎が宿っていた。
彼女はもう、ただ泣くだけの被害者じゃない。
奪われた故郷と、母親の命を取り戻すために立ち上がった「仕事人」だ。
「土地の買い戻し交渉、あるいは法的な不備を突いての差し止め請求……。金さえあれば、戦い方はいくらでもあります」
(ケッ。随分と小難しくなったもんだな、嬢ちゃんも)
脳内で、玄さんが苦笑交じりに呟く。
(だが、悪くねえ目だ。獲物を狙う狩人の目をしてやがる)
(ああ。俺たちも腹を括らなきゃな)
俺は、ポケットの中にある自分のスマホを弄った。
そこには、詩織と同じく、霧島さんからふんだくった「戦費」が入っている。
俺たちの全財産。
これを弾丸にして、あの巨大な敵に風穴を開けるんだ。
「まずは腹ごしらえしてから作戦会議といくか。久しぶりに『浅河』の団子でも……」
俺がそう言いかけた、その時だった。
キイイイイイイイ……ン。
不快な高周波音が、仲見世通りの喧騒を一瞬にして塗りつぶした。
耳鳴りじゃない。
スピーカーからのハウリング音だ。
「うわっ、なんだ!?」
「うるさい……!」
観光客たちが一斉に耳を塞ぐ。
次の瞬間、異変は「音」から「視覚」へと波及した。
パッ、パッ、パッ!
通りの街頭に設置されたデジタルサイネージ。
観光客たちが手に持っているスマートフォンの画面。
さらには、雷門の向かいにある観光センターの巨大ビジョン。
その全てが、一斉にノイズを発し、真っ白に染まったのだ。
「な、何だ!? 故障か!?」
「スマホが動かない! ウイルス!?」
ざわめきがパニックへと変わろうとした、その刹那。
ジャックされた無数の画面に、一人の人物が映し出された。
『――ご機嫌よう。愛すべき“旧世代”の皆様』
透き通るような、しかし絶対的な冷たさを帯びた声。
画面に現れたのは、この下町情緒あふれる浅草には似つかわしくない、洗練されすぎた美女だった。
雪のように白いパンツスーツ。
背筋が凍るほど整った美貌。
そして、その鋭い眼光は、画面越しであるにも関わらず、見る者すべてを見下ろしているような圧迫感を放っている。
「誰だ……あの女」
「……!」
俺が呟くと、隣の詩織が息を呑んだ。
彼女の手が、わなわなと震え出す。
「……神宮寺……麗華……」
「神宮寺、麗華?」
「『グラン・アーバン』の……CEO(最高経営責任者)です。私の父を騙し、実家を奪った……全ての元凶!」
その名前を聞いた瞬間、俺の背筋に悪寒が走った。
こいつが。
この冷徹そうな女が、俺たちの敵の親玉か!
画面の中の麗華は、優雅に脚を組み、まるで愚かな子供に言い聞かせるような口調で語り始めた。
『本日は、皆様に素晴らしいニュースをお届けに参りました。……この、カビ臭く、薄汚れた“過去の遺物”である浅草に、新たな“命”を吹き込むプロジェクトの発表です』
カビ臭い。
その言葉に、浅草を愛する地元民たちがムッとして顔を見合わせる。
だが、麗華はそんな反感など意に介さず、淡々と続けた。
『古き良き伝統? 歴史ある街並み? ……ふふっ。いいえ、ハッキリ申し上げましょう。それはただの“老朽化”です』
「なんだと……!」
俺は思わず拳を握りしめた。
老朽化だと? 600年以上続くこの街の歴史を、こいつは……!
『非効率な木造建築。狭苦しい路地。そして、時代遅れの信仰心。……そんなモノに縋っているから、この国はいつまで経っても“前に進めない”のです』
麗華が指を鳴らす。
画面が切り替わり、CGで作られた未来的な都市計画図が映し出された。
そこには、俺たちが知っている浅草の面影はなかった。
無機質な高層ビル群。
空を覆うような回廊。
そして、その中心に聳え立つ、異様なほど巨大な「一本の塔」。
『私たちは、この浅草を再定義します。その名も――浅草再開発計画『ネオ・エド・プロジェクト』』
ネオ・エド。
そのふざけたネーミングに、俺の中の玄さんが反応した。
(……臭ェな)
(え?)
(あの塔だ。……ただのビルじゃねえ。あれは……巨大な“卒塔婆”だ)
玄さんの警告と共に、画面の中の麗華が、その「塔」について説明を始めた。
『この計画の核となるのが、新時代のランドマーク……『ネオ・エド・タワー』です。最新のAI管理システムと、独自の“環境浄化技術”を組み合わせ、浅草を、いえ、東京をあらゆる災害から守る、世界最新鋭の“霊的防衛都市”へと進化させます』
「霊的……防衛都市……?」
詩織が呟く。
その言葉の意味を理解した瞬間、彼女の顔から血の気が引いた。
「まさか……! “環境浄化”って、土地の霊脈を吸い上げるつもりですか!?」
そして。
次の瞬間、映し出された映像が、詩織の心を、そして俺たちの希望を、粉々に粉砕した。
『建設予定地は、こちら』
CGの地図がズームアップされる。
その塔が建設される場所。
浅草の霊的な中心地。
それは――。
「……あ……ぁ……」
詩織の口から、悲鳴のような息が漏れた。
そこは、現在更地になっている、かつての彼女の実家。
「玄夜神社」の跡地だった。
『この場所こそが、東京の“要”。……ここにある古臭い残骸を一掃し、私たちは新たな“支配”の楔を打ち込みます』
画面の中の麗華が、まるで詩織を見ているかのように、残酷な笑みを浮かべた。
『スクラップ・アンド・ビルド。……壊さなければ、新しい時代は創れません。さようなら、愛すべき“旧世代”の皆様』
プツン。
唐突に映像が途切れ、画面は元の広告に戻った。
だが、仲見世通りには、重苦しい沈黙だけが残された。
「……ふざけるな」
俺の口から、自然と声が漏れた。
再開発? ネオ・エド?
そんな綺麗な言葉で飾っても、こいつらがやろうとしていることは一つだ。
詩織の思い出の場所を。
俺たちの故郷を。
そして、この土地に眠る「魂」を、根こそぎ奪い尽くそうとしている。
(……やりやがったな、あの女狐)
玄さんの声が、低く、地を這うような殺気を帯びる。
(神社の跡地に、巨大な呪いの塔を建てるだと? ……面白え。喧嘩売ってんのか、ワシらに)
俺は、震える詩織の肩を抱き寄せた。
彼女は泣いていなかった。
ただ、真っ直ぐに、今は何もなくなったあの「空き地」の方角を睨みつけていた。
「……許さない」
詩織の声は、小さかったが、今まで聞いたどんな呪文よりも鋭かった。
「私の家を……母との思い出を……これ以上、汚させない……!」
戦いのゴングは、俺たちの準備を待たずに鳴らされた。
「奪還」? いや、生ぬるい。
これは、俺たちの「生存領域」を賭けた、全面戦争の始まりだ。




