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15-3 法と呪いの挟み撃ち


店内の空気が、一変した。


さっきまでの、「土地が高すぎる」という笑い話のような空気は消え失せ、代わりに、冷たく湿った沈黙が降りてきた。


「土地乗っ取りの……スキーム?」


俺の問いかけに、詩織は無言で頷いた。


彼女は、テーブルの上で組んだ自分の指を、血が通わなくなるほど強く握りしめている。


その視線は、過去の傷口を直視するかのように鋭く、そして悲痛だった。


「……敵は、ただ暴力で奪いに来たわけじゃありません。彼ら――『グラン・アーバン』という開発業者は、法律と呪いの隙間を、完璧に突いてきました」


グラン・アーバン。


最近、都内で急速に勢力を伸ばしている新興の不動産デベロッパーだ。


表向きはスタイリッシュな高級マンションを手掛ける優良企業だが、裏ではキナ臭い噂が絶えない連中だとは、霧島さんから聞いたことがある。


「法律の隙間って……どういうことだ?」


「宗教法人の『解散命令』を利用したんです」


詩織は、意を決したように語り始めた。


「彼らはまず、数年前から行政に対して、執拗に圧力をかけ続けていました。『玄夜神社には宗教活動の実態がない』『ただの税金対策のペーパーカンパニーだ』と、あることないことを吹き込んで」


「実態がないって……そんなバカな。ちゃんと神主さん――詩織ちゃんのお父さんがいただろ? 毎朝掃除してたし、お祭りだってやってたじゃないか」


俺は反論した。


玄夜神社は、確かに小さな神社だったが、地域に愛されていた。俺もガキの頃はよく境内で遊ばせてもらったし、お父さんはいつもニコニコして飴をくれたのを覚えている。


「ええ。父は、立派な神主でした。……でも、証明できなくなってしまったんです」


詩織の声が、ふいに震えた。


「……あの日。敵の呪術師が、結界を破りに来ました」


「!」


「真夜中でした。父は、境内の異変に気づいて飛び出していきました。……相手はプロの術者です。父は、御神木に打ち込まれようとしていた“呪いの杭”を、その身を挺して止めようとして……」


詩織は、言葉を詰まらせた。


言わなくても分かる。


それは、呪術戦というにはあまりにも一方的な、虐殺に近いものだったのだろう。


「……父は、呪いを受け、全身から血を流して倒れました。そのまま、意識が戻ることはなく……三日後に、還らぬ人となりました」


「そんな……」


知らなかった。


詩織の父が急死したことは聞いていたが、それが「心不全」なんかじゃなく、呪術による他殺だったなんて。


「地獄は、そこからでした」


詩織は、涙を堪えるように天井を仰いだ。


「父が死んだタイミングを、まるで計っていたかのように……行政から通知が届いたんです。『宗教法人格の認証取り消し』の通知が」


「えっ? なんでだよ! お父さんが亡くなったからって、神社がなくなるわけじゃないだろ!?」


「『代表役員(神主)の死亡』。そして『後継者の不在』です」


詩織は、悔しそうに唇を噛んだ。


「当時、私はまだ未成年で、神職の資格も持っていませんでした。本来なら猶予期間があるはずなんです。でも、グラン・アーバンの息がかかった役人は、それを認めなかった。『管理者が不在で、宗教活動が行われていない』として、即座に法人格を剥奪してきました」


そこから先の話は、俺の想像を絶する「現代の闇」だった。


「愁さん。宗教法人でなくなった瞬間、あの土地がどうなるか分かりますか?」


「え……? ただの……土地?」


「そうです。宗教施設としての『境内地』ではなく、ただの『浅草の一等地にある、広大な宅地』として扱われるんです」


詩織は、スマホの画面――あの10億円という数字を、指で弾いた。


「そして、私には父からの相続として、この評価額に基づいた、億単位の『相続税』が請求されました」


「お、億……!?」


「さらに、過去数年に遡って、『固定資産税』も請求されました。『実態がなかった』と認定されたことで、これまでの免税措置がすべて取り消されたんです」


「……うわ、エグすぎる……」


俺は背筋が凍った。


女子大生の詩織に、いきなり数億円の借金が降ってきたようなものだ。


払えるわけがない。


貯金なんて、焼石に水だ。


「税務署は待ってくれません。差し押さえの通知が来ました。……私には、選べる道なんてありませんでした」


詩織は、乾いた声で笑った。


「納税のために、土地を売るしかなかったんです。……それも、足元を見たグラン・アーバンに、相場の半値以下の二束三文で買い叩かれて」


それが、真相だった。


先祖代々の土地を守りたかった。


だが、父を殺され、法律という武器で殴られ、税金という鎖で縛り上げられた。


彼女は、泣く泣く実家を敵に売り渡すしかなかったのだ。


(……腐ってやがる)


俺の脳内で、玄さんが低く、地を這うような声で唸った。


(霊的に殺して、法的に骨までしゃぶったってわけか。……お奉行様も手が出せねえ、あくどい手口だぜ)


玄さんの言う通りだ。


これは「法と呪いの挟み撃ち」。


現代社会のシステムを悪用した、完璧な略奪だ。


「……それで、お母さんは?」


俺は、もう一つの気がかりを口にした。


詩織にはお母さんもいたはずだ。


「母も……あの日、父と一緒にいました。父ほどではありませんでしたが、呪いの余波バックドラフトを受けてしまって……」


詩織の手が、小刻みに震え始める。


「命は助かりました。でも……こころの一部を、あちら側(呪層)に持っていかれてしまったんです。意識がないまま、今も……」


「入院、してるのか?」


「はい。郊外にある、霊的治療専門の病院に」


そこで、詩織は一度言葉を切り、俺の目を真っ直ぐに見つめた。


「愁さん。ここからが、私が霧島さんの下で、どんなに理不尽な扱いを受けても辞められない理由です」


彼女は、静かに、しかし重い事実を告げた。


「『呪いによる昏睡』は、現代医学では病気として認められません。……つまり、健康保険が一切利かないんです」


「……!」


「霊的な延命措置と、魂の治療ができる病院は、日本に数箇所しかありません。そこは完全な自由診療で……毎月、とんでもない額の入院費と維持費がかかるんです」


詩織が金に執着する理由。


霧島さんからの法外な請求書に耐え、命がけのバイトを続ける理由。


そのすべてが、一本の線で繋がった。


「私が稼ぐのをやめたら、母への霊的供給ラインが止まります。そうすれば、母は二度と目覚めなくなる……」


詩織は、テーブルに突っ伏すようにして、声を押し殺した。


「だから……私は……。誇りを捨ててでも、お金を……稼がなきゃいけないんです……」


俺は、かける言葉が見つからなかった。


彼女の背負っているものが、あまりにも重すぎた。


まだ二十歳そこそこの女の子が、親を殺され、家を奪われ、母親の命綱をたった一人で握りしめている。


(……小僧)


玄さんの声が、静かに響いた。


(この嬢ちゃんは、立派な“戦士”だ。……そして、あの開発業者グラン・アーバンとやらは、ただの地上げ屋じゃねえ)


ああ、分かってるよ、玄さん。


呪術を使って人を殺し、法を使って土地を奪う。


そんなことができるのは、ただの悪徳企業じゃない。


(そいつらは、“本職”だ。……俺たちと同じ、闇に生きる連中が絡んでやがる)


俺たちの「敵」は、大手町の黒幕だけじゃなかった。


もっと身近に、もっと狡猾で、巨大な敵が潜んでいる。


詩織の嗚咽だけが響く深夜の店内で、俺は、見えない敵への怒りを静かに燃やしていた。

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